プライベートな部分を指ささないで
バイオリンの音
しかしながらルーフの、少年の兄としての心はすでに限界へと達しかけていた。
「おい」
ルーフは武器を構え、じっと怪物を見つめているキンシの肩を強めに掴む。
「なにじっとしてんだよ、早く」
早く、一刻も早く妹を助けてくれ、助けてください、
助けてくれないと俺は──。
喉元を熱く煮えたぎる不安、それをつい手身近にいる魔法使いにぶちまけたくなり、ルーフは歯を食い縛って拳を強く、赤く鬱血するほどに震えて握りしめた。
そんな彼の様子を見て、キンシの思考はより一層深く淀みを募らせる。
唇に人差し指をくっつけ、強く武器を握りしめながらこの状況を解決できるための知識を検索する。
「えっと、えっとですね……。彼方さんは普段から人間を食べるなんてことはせず、もっと別のものを食べて生きているんですけれど」
「は? どういうことだよ」
キンシが述べる情報と起こった現実との食い違いに、ルーフは眉根を寄せて疑問に思う。
「あのですね、彼方さんってのは普通、華虫っていう、なんて言うのかな……? 植物みたいな見た目の動物をですね──」
「それはどうでもいいんだよ」
ピンと人差し指を立てて始まりかけたキンシの灰笛の生き物講座を、ルーフは即座に遮って本題に戻ろうとする。
「つまりあの怪物は普通、人を食うことはしないってことなのか」
「ええそうですその通りです、ザッツライトです」
ルーフの要約にキンシは素直な受け答えをする。
「しかしながら、この世に存在するありとあらゆる生き物に共通するように、彼方さんにだって自らの生態に反する行動を起こすことがあります、そうなると」
キンシはでっかいでっかいガラス玉の器官を、真っ直ぐ憂いを込めて見つめる。
「ほんのはずみで、ついカッとなって、人を丸呑みにしやがるってか」
ルーフもキンシと同様に、しかし決定的に根元が異なる黒々とした感情をこめて怪物の口元を見やった。
ルーフの言葉にキンシは深々とうなずいた。
「貴方の要約はおおよそ正解と言っても良いでしょう。つまりは今のこの、尋常ならざる由々しき事態は非常なまでに異常な状態なのです」
キンシは指の位置を胸の前に移動させ、指をがっちりと折り曲げていた。
「怪物の生態のことならわかった」
ルーフは怪物の、今はぴったりと閉じられている唇から目を離すことなく、乾いた低い声でキンシの言葉を促す。
「それで? 妹をあの怪物から取り戻すために、俺は何をしたら良い?」
身に着けている仮面の隙間から、光を反射して輝く白目がキンシの動向を待機している。
少年から放たれる実体のない射光を体に浴びつつ、キンシは冷静さを努めて保持しながら彼方についての情報をより実効的に活用するため、脳の血液が渦を巻きそうになるほど思考を巡らせる。
敵をおのれの思うままにしたいならば、まず相手のことを理解する必要がある。
キンシは言葉を声に出しながら一つ一つ記憶を、出来る限り手早く吟味する。
「彼らは本来体内に吸収すべきではない物体を体内に取り込むと、通常の食糧である華虫を摂取した時よりも消化に時間がかかるんです。食べたものは他の生き物、人間などと同じく食道を通過して消化器官に回されるのですが。重要なのはその消化器官、つまり胃と呼ぶべき場所が非常に深く関係しているのです」
結局始まってしまった生き物講座に、ルーフは若干苛立ちを覚えたものの、しかしキンシの真剣な口ぶりに介入のタイミングを見出せないでいた。
「あのように動きが鈍っているのは、食べ慣れないものを急にたくさん食べすぎたことによる、いわば胃もたれ的な状況に陥っているんです。キャパオーバーってやつですね」
キンシは、キンシを含めた灰笛の住人は怪物の胃と呼ぶべき器官のことを「揺り籠」と形容するらしい。
しかしルーフの鼓膜は、そのような名前の文化よりももっと別の事実をキンシの言葉から拾い集め、得たくもない確信を獲得していた。
「つまりは、俺の妹は怪物の内臓で今この時も、ちょっと脂身の強いディナーとして消化されているって、そういうことだろ」
だとすればなんとしてでも、怪物の皮を切り裂き骨を砕き、肉を抉り割って妹を取りださなければ。
でも、どうやって?
怪物の岩石のように硬質そうな肉体に、ルーフが思い迷っていると、
「それは違いますね」
「あ?」
思考の最中に話しかけられ、ルーフはつい強めの語気を発してしまう。
だがキンシはそれに全く反応することなく、すべやかにルーフの言葉を訂正する。
「メイさんは彼方さんの体の中にいるわけではありません。いや、確かに内蔵の中にいるというわけでは貴方の言っていることは正しいのですが」
言いながらキンシは武器を持っていない方の手、左手で怪物のある部分を指さす。
指示した先は、当たり前すぎるほどに、ありきたりすぎるほどに、とてもとてもよく目立つ部分だった。
キンシは言葉を続ける。
「彼方さんの揺り籠。一番大事な器官、消化管でありながら心臓、そして脳幹と同等の重要度が証明されている。彼らの生命の根幹とも呼ぶべき部分。それはあの、キラキラとしているガラス玉みたいな球体なのです」
大音量のロック。




