686 「私の幹部会議(2)」
話が少し重くなったので、雰囲気が少し悪くなったので、私はエドワードに視線を向ける。
「何か良いニュースはない?」
「そうですね」
ちょっともったいぶって優雅にポーズを決める。サラさんに対する以外では、いつも通りのエドワードなのが安心する。
「確証はやや薄くなりますが、ソ連の大軍と大量の物資がポーランド国境に集まりつつあります。まだ途中と見られますが、半月程度で推計50万以上の戦力が作戦行動可能となるでしょう」
「その数字は訂正ね。確か80万よ。フィンランドやバルト海沿岸諸国の方は? あと、トルコとも揉め事起こしていたわよね」
「フィンランドとバルト海沿岸諸国の方は、ポーランド方面ほどではありませんが、兵力の移動は確認されています。トルコ方面は、配備されている部隊の活動が活発化しつつありますが、現状では軍事作戦は不可能でしょう。起こせても、小さな国境紛争までです」
「ソ連も忙しいねえ」
「協調外交路線の外相を外して、首相が外相になったからねえ」
緊迫した説明にお芳ちゃんがあえて呑気なコメントを挟んだので、私もその調子で返す。
そしてこのやり取りは、単に場の雰囲気を和らげるものじゃない。
「エドワード、その辺りの情報は日本政府、外務省は知っているの?」
「モスクワ大使館も含め、既に存じております」
「そう。自業自得で多忙極まりないモロトフ外相に、東郷大使は強気で押せるわね」
「東郷大使は外交の熟練者です。逃す筈はないでしょう。全て玲子様の読み通りかと」
そう結んでエドワードが優雅に一礼する。
(いやいや、全然読んではないって。まあ、運にせよ勝ち筋しか見えないってのは良いことだけどね)
内心色々と思いつつも、ニッコリ笑顔を返しておく。
悪役ぶる以前に、上に立つ以上は虚勢やハッタリも必要だ。
「玲子ちゃん、夢見じゃないのに、ここまで読んでたの? すごいわね」
隣のサラさんに素で感心されるのも、私としては給料分の仕事ってくらいだ。
もっとも、お芳ちゃんはこっそりと胡散臭げな目線を送ってきているからこそ、私も安心して威張っていられる。
けれど、ソ連はポーランドの東半分、つまり旧ロシア帝国の領土奪回をしたくてたまらないのは間違いない。
だから、満州もしくは中華民国との間の小さな小さな係争地を巡っての日本との大規模国境紛争など、早々に切り上げたい筈だ。
しかもこのままでは、軍事的に最も避けるべきだとされる、複数の方面での戦闘を抱えてしまう事になりかねない。
それを後押しする、日本とポーランドの条約が成立したら、ソ連としては二正面戦争の悪夢を避けるべく動かないわけにはいかない。
恐らく白紙講和の停戦協定になるだろうけど、交渉ではソ連の方が追い詰められているのは間違いない。
ただ、もうひと押しくらい欲しいと思い、手を打った事を思い出す。
「そういえば海軍って、もう次の演習始めてたわよね?」
誰に言うともなく言うと、今度はマイさんが立った。
「はい。舞鶴、佐世保、呉の柱島を出港した艦隊が、隠岐の島沖合に展開。本日より、合同での大規模臨時演習を実施しています。期間は1週間。戦艦、空母複数を動員し、実戦的なものを想定しています」
「うん。この情報がスターリンの元に届けば、辺境の国境紛争に興味のない北の暴君が、良い方向で動いてくれるかもね」
「ソ連ですら、玲子ちゃんの掌の上なのね」
「違いますよ。みんな、それに色々な人達が動いてくれたお陰です。それに国境紛争は陸海軍が頑張って、戦況を優位に運んでいるのが凄く大きいです。勿論、先回りできる優位性はありますけどね」
「ですが、陸海軍が大きく強化されたのは、鳳グループが長年かけて及ぼしてきた影響は非常に大きくあります」
言わなくても良いのに、セバスチャンが私の手柄だと礼賛する。どうも年々、セバスチャンの私への礼賛が増えたように思えてならない。
だから、後でいじめて、ではなく釘を刺しておこうと内心決意する。
どこかの軍師様のように「全ては私の思うがまま」とでも嘯ければ良いんだろうけど、礼賛ばかりされていたら絶対に慢心の末に死亡フラグが待っていると心を締め直す。
「鳳の財産、鳳グループのどちらも、それに一族のみんな、使用人のみんな、社員の皆様、傘下の人達、誰かいなくても無理だった事ばっかりよ。武田信玄も「人は城、人は石垣、人は堀」って言っているでしょう」
「人材マネジメントの基本とも言える言葉ですな」
「「情けは味方、仇は敵なり」だね」
セバスチャンはウンウンと頷いているけど、お芳ちゃんは言葉の続き。
言いたい事が分かったから、肩をすくめる。
「うちは敵も多いから、後半は交渉の言葉というより良い戒めよね」
「あれって後半あったんだ」
「もう一つの風林火山も、物事の対処方法って捉えて商売で使う人がいるわよね」
「後ろの言葉と合わせないと、意味がないとも言うね」
虎三郎姉妹の後を、それまで黙っていたハルトが継いだ。こういう場では私を立てて極力控えているハルトだけど、姉妹との会話としてだ。
そして半ば雑談になったという事は、話すべき事もそろそろお終いという証でもある。
「ちょっと脇道に逸れているみたいだけど、他に聞きたいことある? 今話せる事は、大体話しちゃったんだけど」
そういって全員を見回すと、特に何もなさそうだ。だから軽く時計を見ると、思ったほど時間が経っていなかった。
そこで手をパンと軽く叩く。
「それじゃあお開きという事で。お疲れ様でした。ハルトはまだ仕事?」
「そうだなあ、まだ飲み会しているから、顔だけ出してくるよ」
「専務も大変ね。気にしないで行ってきて。私も、時間が早いから軽くお茶でもしてから帰るわ」
(うん。夫の気持ちを軽くした上に、私にもメリットのある最上の策ね。頭使ったから、夜でも甘いもの食べても大丈夫だろうし)
もっともハルトは、笑顔で「息抜きも大切だからね」と私の内心など丸っとお見通しだった。
だから照れ笑いと苦笑いを合わせた笑いを返す。
そうして他はどうするのかと聞こうと視線を向けると、どうやら男達は全員何かしらあるみたいだ。残った仕事の処理、ハルトと同様の付き合いと、昭和の男性は馬力がないとやってられない。
そして残される女子達が、互いにアイコンタクトを一瞬して話は決まった。「えーっ」て表情はお芳ちゃんくらい。肩身が狭いからだろう。
けど、もう決めた。
「ねえ、下のメイド喫茶に行きましょう。9時までしているから」
「サンセー」
「そうよね。夜にスイーツ食べながら暢んびりできるところって、この辺だとあそこくらいね」
「私も?」
「一緒に帰る方が警護が楽でしょう」
「うっ、分かった」
そんなお芳ちゃんの敗北宣言を受けて、先触れを出しておいてから下のメイド喫茶へ。
平日とはいえまだ夏休み中なので、意外に学生らしき人などで賑わっていた。もっとも、私が多少はアニメや漫画の普及を促進したと言っても、21世紀のようなオタク層がいるはずもなし。
それでも似たような雰囲気を放っているのだから、時代は違えど同じ日本人なのだと妙に安心する。
(けど、もうすぐしたら日本は戦時体制に突入してしまうだろうから、街中から20代前半の男の人がごっそり減るのよね)
「ホラッ、玲子ちゃん。甘いものを食べている時に、神妙な顔しない。甘いものに失礼よ」
「あ。はーい」
「いいじゃない。帰ったら子供達が待っているから、外でしか神妙にもなれないのよ」
「お嬢は、仕事部屋でもしてるけどね」
「因果な商売してますからねー。うん、甘い。確かに甘いものに失礼ですね」
「やっぱり、ここのイチゴケーキは最高よね。あ、そういえばね、最近、妙に酸っぱいものが食べたくなるのよねー」
サラさんがケーキの上の大粒のイチゴを指で摘むと、一口で食べてしまう。
けど他の3人は、互いに顔を見合わせ、そしてサラさんを見る。話しかけたのは、姉のマイさんだ。
「サラ、もしかして妊娠じゃない?」
「あっ、そうなんだ。だったら嬉しいなあー。じゃあ、近いうちに病院で検査してもらうね」
そしてそのまま満面の笑みで、今度は大きく取ったケーキ本体を口いっぱいに頬張る。
歴史がどうなろうと、人の営みは滔々と流れているのを見せられているようだった。




