685 「私の幹部会議(1)」
「お疲れ様」
お爺様は平沼首相、幣原外相と一緒に官邸へと戻って行った。
それを見送ると、私は密会場となっていたスイートの一室を出る。するとすぐに案内されて別のスイートに入ると、フォーマルスタイルの勝次郎くんがいた。
その姿は大人っぽさが漂っていて、とても大学生には見えない。まさにゲームの中のスパダリって感じだ。
だから一瞬、(そういえばゲームだと勝次郎と悪役令嬢のダンスイベントがあって、それを主人公に取られるのよねえ)という感想が頭の片隅を過ぎる。
けど、口にしたのは全く別のこと。
「幣原様を連れて来たのは、もしかして勝次郎くん?」
「だったら、良いんだがな。俺は、三菱と我が家が水面下で国政に関わったという証拠だ。個人的には野次馬みたいなもので、学生のうちに一度くらい歴史の舞台裏というものも見ておきたかっただけだ。だから幣原様には、玲子が来る前にご挨拶をしたくらいだよ」
「舞台裏なんて、ドブ臭いニオイがするか、バタバタしているだけで良いものじゃないわよ」
「そうらしいな。まあ座ったらどうだ。本当に疲れているんだろう」
「そうさせてもらうわ。それにこのまま家に戻っても、赤ちゃん達に悪い雰囲気を感じ取られるだろうから。よっこらしょっと」
「じゃあ、今日はもう終わりなのか? 玲子の周りの者達が別室に居たが?」
「あー、一瞬忘れてた。みんなにも話しておかないと。けど、休憩はしたかったから、ありがとう」
「玲子には、こっちの都合で部屋に来てもらっただけだ。それに、すぐに退散する。もう少ししたら晴虎さんが来る。だから晴虎さんに癒してもらっておけ」
「そうするー。けどね、勝次郎くんとこうして話すのも気が休まるわ。幼馴染効果ってやつね」
「なんだそれは」
そう言って破顔した。大人びたと思ったけど、笑っている表情はまだまだ子供っぽさがある。それも彼の魅力だ。
けど、ダンスイベントもそうだけど、誘拐イベントとか令嬢ものにありがちな彼とのイベントは、結局何もなかった。
そもそも悪役令嬢と勝次郎は、ゲームの中でこんな近い距離でいた事がない。
「何を見ている?」
「んー、二枚目を見て心を癒しているの。それで、何か話した方が良い? 内容によっては、墓場まで持っていく話になるわよ」
「そうらしいな。平沼首相まで来られるとは思ってなかった。それにしても、玲子は墓場に持って行く荷物が多そうだな」
「どうだろう? 多分、子孫の為に書き残すだろうから、墓には手ぶらで入れると思うんだけどなあ」
「そうか、玲子は鳳の巫女様だったな」
「うん。因果な商売しています。けどこれで一区切り」
「そうなのか?」
私が言い切ると、かなり意外そうに勝次郎くんが私を見る。
イケメンはどんな表情をしてもイケメンだ。
「結果待ちだけどね。上手く運べば、これで当面の日本の行く末は確定。私としては、一番大きな肩の荷が下りた心境になれると思う」
「そうか。だが玲子は、小さな頃から色々と背負い過ぎだ。とはいえ、俺も背負うとは口が裂けても言えないから、程々にしろという程度にとどめておくよ」
「各方面へのご配慮の言葉、痛み入ります」
「なに、幼馴染みのよしみというやつだ」
その答えに笑みを返すと、勝次郎くんも陽性の笑みを返してくれた。
私は既婚者。勝次郎くんも瑤子ちゃんがいる。二人きりでも言えない事も多くなった。何より私の背負っているものは、誰にも背負えない。
だから、友人としての言葉が精一杯。けど、その精一杯の気持ちが嬉しく、心に沁みた。
最初はとにかく破滅を避けるという目的があったけど、小さな頃から仲良くしてきて良かったと心底思えた。
そしてそれから10分ほど、どうでも良い雑談を交わしてから「じゃあ、また今度な」とだけ告げて勝次郎くんは去った。
私が偉い人達と何を話したのかなど、一切聞かずに。
そうして控えていたリズが扉を開けて勝次郎くんが出ていくも、閉めようとして止まる。
開いた扉からは、聞き慣れた声が響いてきた。
「こんばんは。玲子が待っていますよ。話を聞く前に、癒してあげて下さい」
「こんばんは。僕の代わりにありがとう。こういう時は、仕事が恨めしいね」
どうやら勝次郎くんに私が呼ばれたのは、ハルトの頼みだったらしい。大事な話の後の私の姿を見て来た二人だから、といったところなんだろう。
こんなところでも、私は色んな人に支えられているのだと思い知らされる。
「ハァ」
「そんなに疲れていた? 遅くなってごめん、玲子」
「あー、違う違う。我が身の至らなさに、軽くため息が出ただけ。勝次郎くんを呼んでおいてくれていてありがとう、ハルト」
「玄太郎か虎士郎、それに瑤子さんに頼もうかとも思ったけど、ちょうど幣原さんへの根回しで付き添っていると聞いてね。こういう時は、身近で気心の知れる人が側にいると気分が楽になるからね」
言い終えるくらいにハルトが私の側に来たので、取り敢えず人目に見せていいレベルで一通り甘える。
赤ちゃん達のいる家だと寝室でしかこうはいかないから、ホテルというプライベートが確保しやすい空間は案外重宝している。
そうして気持ち的には数分、実際は10分以上心の充電をしてから、二人でみんなの待つ部屋へと移動する。
集まったのは小さな会議場。私の頭脳となってくれる人達が集まっていた。流石に貪狼司令はいないけど、マイさんの隣には涼太さんも来ていた。エドワードの隣には、サラさんも合流していた。私を含めて夫婦ばかり。お芳ちゃんとセバスチャンが少し浮いている。
「みんな、夜なのに集まってくれてありがとう」
席に着くまでにそれぞれとコミュニケーションしつつ、取り敢えず仕切りの言葉を口にする。
その間、メイド達がコーヒーを置いて回るので、それを待ちつつ先に置かれたカップに一口つける。
「もう動き出した事だから、気楽に聞いてちょうだいね。セバスチャン」
「ハッ。では、改めて経緯の概要を説明させて頂きます」
そう言ってから、低めの良い声で朗々と説明をするセバスチャン。説明するのはエドワードでも良かったけど、セバスチャンが志願していた。
久々に大勢の前で私の執事というか腹心らしい事をしているせいか、上機嫌なオーラがそこはかとなく漏れ出している。
「経緯は以上となります。今頃平沼首相、幣原外相が命令を下し、世界を動かし始めている頃でしょう」
そう締めて、知り合った頃より一回り幅が増した体躯で優雅に一礼。
するとその横で、小さな手が中途半端な高さで挙手されていた。
真っ白な小さな手はお芳ちゃんだ。
「お嬢の夢見、もしくは今後の直近の予測は?」
「夢にはない景色を作り出したから、当然この先の夢見はなし。総研と戦略研、それに私達の分析や研究結果は、もうみんな知っての通り。
それでもあえて理想、ううん、願望を言えば、ポーランド時間で今日中に日本が相互援助条約を締結。それを見て慌てたソ連とは、数日以内に停戦協定が成立。9月1日に、ドイツがポーランドに侵攻開始。同3日、イギリス・フランスそして日本がドイツに宣戦布告。かくして二度目の世界大戦の幕開けね」
「本当に願望?」
「はいはい、違います。一番の願望は、日本が動いた事でドイツが戦争を躊躇う事よ。けどこれは、神頼みとか奇跡の類。しかも問題先送りで、開戦が少し先に延びるだけでしょうね」
お芳ちゃんの追撃に、軽く両手を上げつつ降参する。
そんな私の言葉に、一言コメントはマイさんとサラさんだった。
「そうであっても、少しでも戦争が先に延びれば良いわよね」
「そうよね。その間に、また別の避ける手が打てるかも知れないし」
サラさんのポジティブさは、本当に見習いたい。
けど、言った当人も、それが難しい事は十分に理解している。
それでも話を始めるきっかけになった。
「ドイツが躊躇するとして、最大でどれくらいになりそう?」
「1ヶ月保てば良いという分析に変化はありません。延びれば、それだけポーランドの防衛体制が整います。またポーランドは、10月は半ばを過ぎると日本の冬くらい寒いので、まともな軍事作戦を行うなら限界です」
「それに新年度だから、国庫の事を考えたらドイツは1日でも早くワルシャワの国立銀行を押さえたいわよね」
私が聞いた涼太さんの言葉に、マイさんの容赦ないコメントが続く。
そう、ドイツがポーランドに戦争を吹っ掛ける理由の一つが、既に火だるま状態のドイツの国家財政を少しでも誤魔化す事にある。
困ったことに、ちょび髭総統は世界大戦の扉を開くことになるとは露ほども思ってない。
前の大戦で「奪われた領土」の奪回も最重要だろうけど、それは半ば表向き。
本命の方は、偽装国債のメフォ手形の償還期限のせいで、国家財政が盛大な火炎車なのを多少でも何とかする事。
その対策としての選択肢は3つ。
1つ目は、償還に必要なだけの通貨を発行し、ハイパーインフレを受け入れる。
2つ目は、国債の最大の引受先である欧米の債権団から踏み倒すべく、戦争を引き起こす。
3つ目は、戦争によって被占領国から財産を強奪する。
そして偉大なる総統閣下は、崇高な使命を全うするべく、憎っくきポーランドとの戦争を決意されたのであった。
という事になる。
流石はドイツ。流石はナチス。どこまでも、自分本位で身勝手極まりない理由。第一次世界大戦後にドイツが酷い目に遭い過ぎたのを差し引いても、情状酌量の余地がなさ過ぎる。
けど、ポーランドでは足りない。
オーストリアを飲み込み、チェコを飲み込んでも、焼け石に水だった。ポーランドは、前の二つよりも大きな国だけど豊かな国とは言えない。当然、大国ドイツの国家財政を何とかしてくれるだけの金はない。
仮に英仏の側から開戦しなくとも、いずれフランスに攻め込む事になるだろう。もしくは、英仏が攻め込んでこないと分かれば、喜び勇んでモスクワを目指すに違いない。
ドイツにとっての戦争は、インフレで即死しない為の戦争とも言える。そして金が遠因だという点で見れば、第一次世界大戦と、法外な賠償金を課したベルサイユ条約に行き着いてしまう。
とどのつまり、第一次世界大戦の延長として第二次世界大戦が起きるという事だ。
そしてこの辺りの研究と分析は、既に総研、戦略研で弾き出されていた。
私が前世の歴史からヒントを並べて行った逆算のような面もあったけど、導き出された答えに貪狼司令ですら何時もの悪態が即座に出なかったほどだ。
けど既に、私の周りはこの辺りの事は理解している。だから憂いた言葉が出てきても、ドイツの戦争理由に疑問を感じたりはしなかった。
スパダリ:
スーパーダーリンの略。
悪役令嬢ものでもよく登場する、何でもできる完璧なチート彼氏キャラのこと。
ダンスイベント:
悪役令嬢ものなど女性向け作品の定番イベント。
この世界の場合、前提条件から捻じ曲げたので起きる可能性はない。
なお、戦前の昭和初期の日本では、上流階級で社交ダンスは盛ん。一般でもダンスホールが数多くあった。




