684 「最後の賭けの発動(2)」
私の夢見、総研の分析、戦略研での研究、一族中枢での相談などで幾つもの段階を経て導き出した答え。
要するに、私とお爺様達が最初に立てたプランを、主に平沼首相に説明していった。
内容のかなりはお爺様が既に話して、さらにそれに沿って日本政府は動いているのに、神頼みのような経緯が発端だから、最後の決断が付かないのだろう。
まず私は、私の前世の歴史からの説明をする。
ぼんやりとだから、大きな概略になる。けど、この叩き台がないと何も始まらないし、筋書きも書けない。
独ソがポーランドを攻め滅ぼし、ドイツは東欧を、ソ連はバルト海諸国とフィンランドを、実質的に分捕っていく。
その間英仏は、準備不足の戦時態勢の構築に忙しく、守勢はともかく攻勢を取ることができない。
これを確か、歴史では「まやかしの戦争」とか言っていた。
次にドイツと英仏は、互いに準備ができたのでまずはノルウェーの占領競争。そしてドイツは、本命の西欧に対する大攻勢を開始する。
「ちょっと待ちたまえ。フランスがそう簡単に敗れるのか? 甚だ疑問だ」
この時代の常識から考えると、平沼首相が正しい。前の世界大戦と同じような状況に落ち着くと考えるのが「常識」だ。
そして当のドイツですら、当初は先の世界大戦での攻勢の焼き直しのような作戦を立てていた筈。筈というのは、私にミリタリーな知識が不足しているから。私の前世の記憶に、詳細はインプットされていないから。
ついでに言えば、ドイツ中枢の内情を知る術がないから。
けど、総統閣下の決断で作戦が変更され、大戦中に二度も歴史の舞台となったアンデンヌ地域の互いの国境近くにあるベルギーの森を、ドイツ軍の機甲軍団が迅速に突破。英仏軍の隙を突く。
もっともこの話は、一族の中枢の人達にしか話していない。話しても、笑われるだけだからだ。
戦略研でのシミュレーションでこの案の場合もあったけど、龍也叔父様ですら成功確率は高いとは言えないと考えるほどの作戦案だ。
それでもチャーチルには、使者に直接持たせた手紙で伝えてはある。けど、使者が持ち帰った手紙の返事では、あまりまともに考えていないっぽかった。
一方でドイツ軍の成功の多くは、確か空軍と機甲部隊による電撃的な進撃にあった。対する英仏軍は旧態依然としていて、激しい戦場の変化に付いて行けなかったという面が強かった。
けど、電撃的に進撃するには、敵と真正面からぶつかったら効果半減どころじゃない。だから、奇襲的な作戦にも大きな意味があった。その辺りの事は、戦略研の研究でもかなり詳しく分析されている。
ただ、そんな話を軍事の素人相手に軍事の素人の私が長々と説明しても埒が明かないから、違うことを口にする。
「私は夢見を語っているまでです。お話、続けても宜しいでしょうか?」
「そういうところが、信じられないのだ。不条理で理解しがたい。だが、続けてくれ」
文句が多いのは、法に関わって来た人で理屈っぽいからかもしれない。占い師や祈祷師に頼る人より信頼できそうだけど、話は黙って最後まで聞いて欲しい。
「その後、パリが陥落してフランスは短期間で降伏。他に同盟国もないイギリスは孤立無援となります。ですがドイツからの和平を蹴り、徹底抗戦を決意。ドーバー海峡を挟んでの決戦と呼びうる空の戦いになります」
「そうなる段階までに、日本が十分助っ人できるようにしようって魂胆やな。せやけど、そうならんかったら?」
「先の世界大戦のような戦況になったとしても、日本の動きはあまり変化はありません。どちらにせよ、英仏に全賭けとなるかと」
「まあ、そうなるわなあ。けど英仏は、日本に欧州に大軍持って来いって言いよるで。前の世界大戦の時も言うてきたしなあ」
「それは簡単に跳ね除けられます」
「ソ連か。今も紛争しとるしな。せやけど、どうする?」
「今回の紛争で、ソ連との今までの満州での取り決めをご破算に。そして満州に陸軍を積み上げます。戦時動員が進んでも、それだけ追加で。そしてドイツとソ連が戦い始めるまで、ソ連を抑え込んでいると言い訳します。英仏、特にイギリスが欲しいのは日本の海軍ですから、海軍を向かわせれば強くは言ってこないかと。ただ、空軍は可能な限り派兵して下さい。海軍より必須となります」
「海軍は、喜び勇んで大艦隊派遣しそうやけどな。で、どれくらい満州に積み上げるんや? 50万か? 100万か? 陸軍に戦時動員かけたら、取り敢えずは200万くらいになるで」
「その辺りの裁量は、専門家にお任せします。ですが目安としては、平時ソ連軍の3割程度を極東に引き付けられれば、誰も文句の言いようがないでしょう。ドイツですら喜びますよ」
「なんや、もう計算出とるんやないか。抜かりなしやな。けど、政府と陸軍も頑張っとるで。取り敢えず、3個師団の増強は決まった。なあ平沼総理」
「そうだ。ソ連の状況次第では、さらに3個師団までは可能という結論も出た。現状と合わせて平時陸軍の6割だ。満足かね?」
「満足かそうでないかは、相対的なもの。それに私は軍事の専門家では御座いません」
「フン。まあ、いい。それで、その先は?」
「夢見の先をお話しすることは出来ますが、さらに荒唐無稽となります。それよりも、近い時間の事でお話し致したい事が」
「今の紛争とポーランドだな。鳳厚生相から話を聞いて、是として進めてはいる。で、次の手はどちらが良い?」
どちらとは、片方がイギリスがポーランドとの間に結ぼうとしている相互援助条約。もう片方が、フランスがポーランドとの間に結ぼうとしている軍事同盟。
(どっちが良いとか、分かるわけないだろ)
と心の片隅のごく一部で悪態をつきつつ、色々分析などもしてもらった内容を思い出す。
「日本政府がどれだけ強い姿勢で、ドイツ、そして間接的にソ連に臨むのかで変わります。明日25日には、イギリス、フランス共に動きます。このためドイツは一旦は躊躇して、ポーランドに戦争を仕掛けるのを見送るでしょう」
「そこで日本もひと押しや、平沼総理。上手くいったら、ソ連も止まるかもしらんで」
「その代わりドイツとの戦争は確定、だったか。しかも場合によっては、ソ連と紛争ではなく戦争だ。だが私も、日本一国でソ連との全面戦争が厳しい事は理解しておる」
そう口にした平沼首相は、苦い表情になる。
だから私を引っ張り出して、少しでも確証なりが欲しいんだろう。
けど、幣原外相は乗り気だ。
(協調外交どこ行った?)と問いたくなるけど、外交を預かる人だから状況に応じて動くのは当然だ。それに、基本的な行動方針が英仏寄りだからだろう。
「せやけど平沼総理、モスクワの東郷君からは、我が国が英仏、さらにポーランドと頻繁に接触しとるから、ソ連の中央は慌てて動いとるって連絡や。外相のモロトフも、ここ数日の激務で疲れとる。押したら折れるで。それで鳳の巫女さん、いつぐらいが一番エエんや?」
「8月中に停戦は結んで下さい。9月1日に、ドイツは動きます。ソ連はその後2週間ほどしてからヨーロッパで動きますが、日本とドイツが戦争状態になったらソ連との間に不確定要素が増えてしまいます」
「そらそうやな。私、それに外務省も、多少条件が不利でも8月中にソ連との話はまとめるべきやと考えてます。平沼総理」
「その話も以前聞いた。だが、もう一つ。日本がポーランドと関係を結べば、英仏がドイツとの開戦をためらう可能性はどのくらいだね? 英仏がミュンヘンの時のようにまた折れれば、ドイツは当然としてソ連も増長する。
そうなれば、紛争が長引く恐れがある。最悪は、欧州の安全が確保されたと考え、欧州の件が片付いたら時期を見てソ連が日本に戦争を吹っかけて来るのではないのかね?」
(だから、そんなの知らないっての。知らんけど、とでも返せたら楽なんだけどなあ)
「おっしゃられた通りの可能性があるからこそ、ソ連との話を8月中にまとめて頂きたく存じます」
「それが答えというわけか。……いいだろう。幣原君、ポーランドに向かっている吉田君には、積極的に動いて良しと。モスクワの東郷君には、強気で構わないが話を8月中にまとめるように。それと満州の陸海軍は、27日から全ての越境を禁じさせる。銃弾一つでもソ連側に撃ち込んでは、まとまる話もまとまるまい。これで満足かね?」
「正しいご判断かと存じます」
幣原外相が頭を下げているのが見えたけど、こちらも言葉の途中から平沼首相に深々と一礼する。
(これで最後の賭けも、引き返せなくなったわけか)
誰にも表情を見られないので、ほんの少し感傷に浸ってから表情を改めて顔を上げる。
そうすると、不機嫌気味な平沼首相の顔があった。満足かと言った当人は、満足ではないらしい。
「お気に召しませんか?」
「当然だ。私は幣原君らのように、利用出来るものは何でも利用するという性分ではない。ましてや、お告げや巫女に何かを委ねる気も無かった。今回はあくまで、鳳財閥の分析と研究、そして今までの結果を見ての事だと考えて頂きたい」
正直、事が動くなら何でもいいので、もう一度深く頭を下げる。
そして無言のまま数秒下げ、そして頭をあげる。
そうすると、ほんの少しだけ表情と雰囲気がマシになった平沼首相がいた。
こういう人はたまにいるけど、気にしていたらキリがない。
それよりも、これから1週間は気が休まる時がなさそうだという事の方が気になっていた。
(けど、上手く運んだとしても、これで私は日本を戦争に引きずり込んだ大悪党。さしずめ鳳グループは、戦争で大儲けする大悪党か。……それに、結果として日本を戦争に引き込む事になるから、体の主との勝負は私の負けなのかなあ。勝率は高い筈だけど、戦争は一寸先は闇だもんなあ)
モスクワの東郷君:
東郷茂徳 (とうごう しげのり)。
開戦時と終戦時の外相として有名。
駐ドイツ大使および駐ソ連大使を歴任。1938年からソ連大使を勤めていた。
モロトフ:
ヴャチェスラフ・モロトフ。ソ連の外務大臣。
1939年5月にリトヴィノフが解任されてから、ソ連の外交を10年ほど担った。
人民委員会議議長(首相)も1930年から10年以上勤めた。
平時ソ連軍の3割程度を極東に:
史実でも、ソ連軍は1939年頃から極東に平時軍備の3割程度を配備していた。
対する日本は、日中戦争(支那事変)をしているので、満州方面の兵力差は単純な師団数の差だと3倍近くに開いていた。




