683 「最後の賭けの発動(1)」
(独ソ開戦でソ連と同盟する時に「複雑怪奇」って言って、内閣総辞職なのかな? けどそれだと、内閣が2年も続くのか)
平沼首相が何かを言う前に、フトそんな事が頭をよぎる。
けど、私を見るだけで中々話しかけてこないので、上っ面を取り繕いつつ様々な言葉に対する言葉を考えつつ、さらに頭の片隅で色々と思い続けた。
(歳は時田と同じくらいか。こういうタイプって、なんか苦手だなあ。首相に凄くなりたがっていたって事は、取り敢えず名誉欲が強いと思っとけばいいんだろうけど)
そんな事を思っているところで、平沼首相がわざとらしく軽く咳払いをした。雑談抜きって感じだ。
「現在、日本帝国は、英仏と連携しつつポーランドを巡る欧州情勢に介入。外交の力によってドイツの次なる暴挙を阻止し、戦争を防ぐべく全力を傾けている。
鳳厚生相よりの案は、案自体は悪いものではないと考えている。だが、その先に何があるというのか? 答えがあるという時点で驚きよりも、胡散臭さを感じてしまう。
しかし、独逸国と共産主義が手を結ぶという、誠に複雑怪奇なる外交が本当に成立してしまった現在、我が国はどこに進めば良いのか? その道は本当に正しいのか? あなたと直接話し、お聞きする事で、その判断材料にしたいと考える次第だ」
(お説ごもっとも。当然至極。当たり前過ぎて、ぐうの音も出ない。「せやな」って返せたら、楽だろうなあ)
当人から複雑怪奇の言葉を聞けた事に反応するよりも、至極真っ当な事を言われた事に反応したくなる。
一方で、私が呼ばれた理由も分かった。
「至極ごもっともなお考えと存じます。ですが私としては、夢で見た景色をお話しするのみ。ただそれでは不安がられる事も多いので、情報を収集、分析しております。そして弾き出された答えを、我が祖父が皆様方にお話ししたと存じますが?」
「つまり、これ以上の話は何も聞けないと?」
「ご質問の内容によっては、お答えできる事もございます。ですがそうなりますと、収集、分析していない情報未満の、恐らく皆様にとっては不確定で信ぴょう性のない話、という事になると存じます」
「それでも聞きたい事があるなら」とまでは言わずに、そこで言葉を切る。
こっちとしては、胡散臭いと思われているのなら、話す気にもなれない。せめて面白がってくれれば多少の話し甲斐もあるけど、こうもクソ真面目で杓子定規にこられては、突き放す方が吉だ。
けど、隣で黙っている幣原外相は、平沼首相とは少し違う印象を受ける。外交の人だから、法の番人とは違う考えなんだろう。
そして法の番人は、しばらく難しい顔で考え込む。
(お爺様から事前に何を話したか、どういう根回しをしていたのかまでは聞いていたけど、この調子だと私達の最後の賭け自体がご破算かもなあ。まあそれも前世の歴史と同じになるだけで、有りと言えば有りだけど……)
そう思ったところで、平沼首相が私の目を見据えた。
「よかろう、お聞きしよう。いや、質問させて頂こう。鳳財閥の大成功、日本の経済的成功、外交的成功の陰に、多くの場合あなたの姿がチラついていた実績は買おう。それに今日お呼びした大前提が揺らぐ。
さて我が国は、どこに進めば良いのだろうか?」
(もう少し具体的な質問しろよなあ。口八丁手八丁で答えるぞ。だいたい、それが見えてれば苦労しないっての)
「総理、もうちょっと具体的に聞いた方が、ええんちゃいますか? 困ってはりますで」
「確かに漫然とし過ぎた質問だった。順番にお聞きしよう。まず聞きたいことは、独ソ不可侵条約、英仏との連携、現在行われているソ連との大規模な国境紛争。この3つについてだ」
(それ、お爺様が話して、根回ししてた事だろ? 私の口から改めて聞きたいって事か? 不安を感じるのは分からなくもないけどなあ)
ちょっとカチンときつつお爺様に視線を向けると、何か言いたげな視線。ちょっと読みきれなかったけど、順に話すしかないと思い直す。
「独ソ不可侵条約については必要でしょうか? 確かに欧州諸国が動き出す前から、そして平沼様が総理大臣に就任される以前から、関係のある一部の方にお話ししておりました。ですが、この初夏の頃からヨーロッパで噂になり、夏には信憑性が大いに増したものです」
「うむ。だが、あなたの話には先がある。本当に数年後にドイツが一方的に破るものだろうか?」
「私の夢見では破ります。それ以前の話として、ヒットラー総統の著書で、生存圏、レーベンスラウムを手に入れる為、東欧、ロシアを新たにドイツ人の領土とするべきだと主張しています。そしてこれは、ナチ党、ナチス政権の方針ともなっています。現在進行形のポーランドに対する行動が、何よりの証明と言えるでしょう。
鳳総研の分析、鳳戦略研究所の研究結果でも、最短で1年以内、最長でも5年は保たないと結論もされています。
間違いなく呉越同舟、同床異夢。ドイツとソ連の双方が一度に窮地に陥らない限り、破綻は目に見えていると存じますが?」
「……その言葉だと、ソ連の側から破る可能性もあると?」
「ドイツが著しく弱体化すれば、可能性は十分に有り得るでしょう。もしくは、無視しても良いほど我が国が弱体化した場合も、可能性は高まると存じます。この件も、鳳の方での研究、分析で回答が出ております」
「ほんま、言う通りやな。日付まで大当たりとか、改めて驚いたわ。しかも、英国におった吉田君は、大当たりになると見越して先に動いとるからな。鳳は、どんだけの事しとるんや?」
「そうですね。本当はアメリカも巻き込みたかったのですが、少しばかりのお金を引き出すのが精一杯でした」
「聞いても、ええもんなんかな?」
「今は他言無用にお願い致します。アメリカの財界の一部の方が出される資金は、東欧、特にポーランドでこれから起きる悲劇を少しでも和らげる為に使われます」
「ユダヤ人か。ポーランドには、仰山おるからな。日本政府、外務省も、既に全力でビザ発給や受け入れは進めさせとるけど、ゼニの方は全然足らんから助かるわ」
「人種差別への対応は大御心だ。それよりも英仏と連携するのは、ドイツを弱体化させソ連の側から独ソ不可侵条約を破らせるものなのかね? 今の言葉からだと、そうも取れる」
(アメリカが出て来ないと考えれば、それが理想よね。けどまあ、多分それが世界全体の死者数を減らすって点では一番なのかもなあ)
「可能性はゼロではありません。ですが私の見た景色では、英仏はドイツに一度破れます。しかしドイツは、ナポレオンのようにブリテン島を攻めきれずに、業を煮やして本来の目的の東方に目を向ける、という形になります」
「で、では、英仏は負け馬ではないか!」
怒られてしまった。けどこっちは、余計な雑音は馬耳東風で向き合うだけだ。
「だからこそ、いち早く日本が英仏との連携を強めるのです。確かに、英本土は窮地に陥ります。そして夢の景色では、紙一重で守り抜き英本土が反攻の橋頭堡となります。その紙一重の勝利を、日本が補う事で勝利の可能性を大きく高めるのです」
平沼首相は一瞬目を丸くするけど、隣の幣原外相は目に力が入った。外交の人だけあって、すぐに理解してくれたらしい。
「ちなみに、アメリカはどう動くんや?」
「伝統の中立主義と国内の非戦世論の強さもあり、当分は参戦しません。英国が窮地になってからの、物資の支援に止まります」
「確かに、そのへんやろな。せやけど玲子さんの案やと、ドイツがポーランドに攻め込んだ時点で、日本も英仏と肩を並べて参戦する事になるやろ。早すぎへんか?」
「英仏が窮地に陥ってからの参戦では、余程の勇み足でないと恐らく大事な時期に間に合いません」
「格好つけようとして、下手な小細工はせえへん方がええって事やな。よう分かった」
「幣原君。君だけ分かってどうする。玲子さん、詳細を頼めるかな?」
「はい。勿論です」
乗ってきた以上、そして幣原外相は既に乗り気な以上、こっちもやる気が出るというものだ。
そうして少しの間、日本も英仏と同時参戦が良いのかを、総研、戦略研のレポートを思い出しつつ説明していった。
生存圏、レーベンスラウム:
アドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』に書かれている。
大御心 (おおみこころ):
天皇の御心、お考えを敬って言う語。




