681 「日ソ国境紛争(14)」
8月24日午前3時、日本陸軍は世界で初めて近代的な投射型のロケット兵器を使用。中洲のソ連軍を襲った。
使用された兵器は、『九九式噴進砲』。
日本陸軍では、ロケット兵器のうち大きなものを噴進砲、小さなものを噴進弾と分類しており、今回のものは噴進砲に類別されるロケット兵器という事になる。
そしてこの戦いでの、切り札の一つだった。
しかしその名の割には、兵器自体は簡素なものだ。
噴進砲というが、見た目は先端が円錐状に尖り、最後尾に小さな羽が何枚か付いた大きく長い筒に過ぎない。
それを複数搭載するのも、ごく普通の輸送トラック。荷台にレールのような鉄骨を組み、そこに噴進砲を並べただけという簡単な構造をしていた。
原理は単純で、要するに大きなロケット花火。推進用の火薬で飛んで、弾頭の爆発威力の高い火薬を炸裂させる。
小さな翼で弾道を安定させるが、精度は大砲と比べると大きく劣る。1発だけだと、派手な爆発が起きて終わる程度のものでしかない。
だからこそ、「点」ではなく「面」に対して投射する事に意味があり、「面」に対しては大きな威力を発揮する。
しかし「面」を作る為には、一度に大量に投射する必要性があった。
『九九式噴進砲』を装備した野戦重砲第11連隊も、16発搭載した車両を36両装備している。
さらに、比較的簡単に次が準備出来るので、別働隊が次の噴進砲を運ぶようになっている。
使用するロケット弾の重量は15キログラム。弾頭が6キログラムとなる。
命中精度以外の欠点は、野戦重砲、野砲より射程距離が短い事。歩兵と共に運用される射程距離の短い歩兵砲以下の射程距離で、『九九式噴進砲』も射程距離は6000メートルと短い。
この為、この時の国境紛争では中洲の射程距離ギリギリ、今まで重砲兵、砲兵が展開しなかった戦場に近い場所に陣取って射撃を実施している。
ただし、車両自体はトラックで荷物も軽いので、重砲が展開できない少し軟弱な場所に展開出来た。この点は利点と言えるだろう。
そして短時間で発射されたロケット弾の数は、最初に1発を試射したので575発。
それが僅か20秒ほどの間に、狭い中洲の、さらに半分程度の区画に降り注いだ。見当違いの場所、主に川面に落ちるロケット弾も少なくなかったし、日本軍の潜む地区に落ちたロケット弾も見られた。
だが、500発以上が、たった0・3平方キロメートルほどの場所に降り注ぎ、破壊を振りまいた。
しかもロケット弾の攻撃は、開幕の一撃に過ぎなかった。ロケット弾の一斉斉射を合図として、日本軍の火砲の全てが火を噴き、中洲や対岸のソ連軍陣地に手持ちの残り少ない砲弾を注ぎ込んだ。
さらに危険を冒して、日本軍の爆撃機が低高度での夜間爆撃までを敢行。中洲のソ連軍部隊に、さらなる鉄と火薬の洗礼を浴びせかける。
そして砲爆撃は、反撃の狼煙でもあった。
日本軍、ソ連軍が夜間だというのに激しい砲撃を交わす中、増援を受けた中洲を守備する日本軍が、一斉に夜襲を決行する。
しかも先陣を切るのは、砲撃に紛れた大発で一斉に上陸してきた『九四式重装甲車』1個中隊。M2重機関銃を搭載した型以外に、この頃には37ミリ砲を搭載した型があり、そのどちらもが密かに上陸した。
数は1個中隊だが、この小さな中洲では無敵の巨人だった。
ソ連軍も、水陸両用装甲車の『Tー37』、『Tー38』の残る全てを中洲に送り込んでいたが、重量で倍以上の差がある『九四式重装甲車』の方が全ての面で優っていた。
その上、数でもソ連軍は負けていた。
それ以外も、最初の一撃のロケット弾の一斉攻撃で、損害もさる事ながら心理的に大きな衝撃を受け過ぎていた。その後に続いた重砲の攻撃も、ロケット弾の攻撃が続いて行われたと勘違いする将兵が多数現れた。
そして、まともに戦えない将兵が続出。損害と合わせて、戦力は半分以下に低下していた。
これに対して日本軍、満州軍は、どんな攻撃があるのかを事前にある程度は教えられていたし、増援も受け取っての反撃なので士気は高かった。
そんな状況で、ソ連軍の最後の頼みの装甲車が次々に撃破されてしまうと、あとは武器を捨てて回れ右で逃げ出す者が続出した。
この時代のソ連軍は、第二次世界大戦でのように政治将校が最前線で督戦するという事がないので、崩壊を防ぎようがなかった。
あとは、8月初旬の攻防戦の時と同じように、中洲から蹴落とされ、全てを捨てて泳いで逃げたごく僅かな兵が助かったに過ぎなかった。
「叩き出されただと」
ジューコフ将軍も、予想外の悲報に心理的な衝撃を隠せなかった。
兵を用意し、物資を手配し、手の内を読み、策を整え、犠牲を厭わず攻撃したというのに、それが全て水泡に帰したのだ。衝撃は小さくない。
しかしそこは流石ジューコフだった。
「残存する戦力を集計しろ。今すぐにだ。態勢を整え、48時間以内に攻撃を再開する」
「閣下っ! 無茶です!」
「無茶ではない。やるのだ。中央は、短期間での成果を求めている。このままでは、最低でも左遷。責任者は降格で済めば軽い方だろう。最悪は言うまでもないが、少しマシでもここよりも寂しいシベリアの奥地で杉の木を数える事になるぞ」
その言葉に居合わせた幕僚達は顔を強張らせ、その次にはそれぞれが敬礼し、命じられた残存戦力の集計へと動き出した。
そうして短時間の間に弾き出された結果は、非常に厳しかった。
特に、20日を期して開始された航空戦の損害が大きかった。約300機の戦闘機は、たった3日の戦闘で3分の1を失っていた。加えて破棄でない程度に損傷した機体も少なくない。
短時間で見れば、実質的に戦力は半減していた。
これに対して日本側は、増援をさらに送り込んできたのか、依然として200機以上確認されていた。
ソ連側は、空では既に数で劣勢に陥っていた。
そして短時間で補充、増援はあり得なかった。
しかもジューコフだけが知る情報として、ソ連中央は9月までに日本に対して優位な状況を作れと厳命していた。
既に独ソ不可侵条約が結ばれたが、何を意味しているのかを彼も理解していた。
ソ連中央が現時点で日本と全面戦争する気は全くなく、ヨーロッパで最低でもドイツ、恐らくはソ連自身が大きく動く。その為に、期日までに日本と停戦するという事だった。
だからジューコフは、26日には攻勢を再開した。48時間どころか、36時間での攻勢再開だ。
そしてソ連軍は、全てをやり直した。
制空権獲得競争。あらゆる砲を動員しての砲撃。民間のものを徴発してまでの舟の用意。さらに、牽制で構わないと言った張鼓峰方面での積極的攻勢。
その全てを、26日の夜明け前からの戦闘で叩きつける。
これに対して日本軍は、24日朝の時点で自らが当面は勝利したと考えた。状況としては8月初旬と同じだから、ソ連軍も態勢を立て直すのに相応の時間がかかるだろうと考えたからだ。
楽観的な者の中には、これで今回の大規模国境紛争もようやく終わると考える者もいた。
しかし希望的観測に過ぎない事を、全ての情報が否定した。
戦いは、まだ幕が降りていなかった。
だが、26日の夜明け前からの戦闘は、数日前のソ連軍と比べると、遮二無二な度合いはより強まったが、迫力に欠けていたし威力も無かった。
空中戦は、明らかに日本軍が優勢に転換しており、無理押ししてきたソ連空軍機の損害が目に見えて増えた。
8月最初の段階で戦闘機500機、爆撃機200機あったのが、紛争が終結するまでに半数以下の総数約300機にまで減っていた。
地上でも、砲撃こそ相応に活発だが、昼頃に川を押し渡ってきた舟艇の数が明らかに減っていた。
当然、係争地の中洲に一度に上陸させられる戦力は少なく、数が減ったので日本軍の攻撃が集中し、損害はその分だけ増えた。
だがソ連軍は攻撃を続け、減った舟艇に兵を乗せて何度も中洲へと兵力を送り込んだ。最終的には、用意した舟艇の8割が失われていた。
水陸両用の装甲車については、1両残らず全滅していた。武装した船も、気がつくと1隻もいなくなっていた。
それでも中洲に足場を築き、砲撃力を動員した支援により、犠牲さえ考えなければゴリ押しで中洲を占領出来る目処が、その日の夕方には再び見えるようになっていた。
少なくとも現地ソ連軍は、そう判断していた。
しかも、24日の深夜にあった日本軍の未知の新型砲兵による攻撃はなく、制空権はともかく砲撃も衰えているので、押し切れると考えられた。
たとえそれが表面的であっても、そう報告できるだけの状況は作り上げていた。
だが国どうしの戦闘が外交の一部であるという事を、この日の夕方のジューコフは痛感させられる事になる。
「総員、傾注!」
副官の号令に、司令室に集められた高級将校、参謀達がジューコフ将軍を改めて注視する。
「同志諸君、可及的速やかに全軍を撤退。撤退できない兵には、降伏を許可する」
次の攻勢開始の話かと思った将校達は、その言葉に明らかに動揺した。小さなうめき声が、部屋中に響いたほどだ。
そして反応できない将校達の中で、辛うじて参謀の一人が口を開く。
「同志将軍、理由をお聞きしても構いませんか。我々は、今度こそ勝ちつつありました」
「質問は当然だろうと言いたいところだが、事は高度な政治的判断だ。命令拒否は許されない。ただし」
「ただし?」
「同志参謀の言った通り、我々は「勝ちつつあった」。この点を中央も評価している。よって、功績にはならないが失点にもならない。諸君らは左遷もされないし、服に泥やシミが付く事もない。
もっとも、今回の一連の戦闘自体は、取るに足らぬ国境紛争の一つ、という事になるだろう。その点は忘れるな。
以上、直ちに行動開始せよ」
「「ハッ!」」
安堵とも取れる将校達の敬礼で、ソ連軍は一斉に動き出した。
中洲からの撤退という重い仕事は残っていたが、彼らの今回の国境紛争は実質的にこれで終わりだったからだ。
0・3平方キロメートル:
300×1000メートルの空間。数千名の兵士が戦うには狭すぎる。高い密度の戦闘となっただろう。
水陸両用装甲車の『Tー37』、『Tー38』:
ソ連の水陸両用偵察戦車。
重量は3トンほどで、武装は機関銃1丁。ブリキの装甲。




