675 「日ソ国境紛争(11)」
「同志諸君。これで、日本軍の手は全て判明した。そこで、20日を期して総攻撃を開始する」
今回の日ソ国境紛争の司令官であるゲオルギー・ジューコフ将軍は、自信を込めて全員に言い切った。
8月1日から約1週間続いた攻勢が失敗したというのに、その態度は自信に溢れていた。
だからだろう、参謀の一人がたまらずと言った雰囲気で質問した。
「つまり同志将軍は、今回の攻勢は次の総攻撃の為のものだったと?」
「その通り。彼らは政治的、外交的に縛られており、決して偵察機以外は越境させない。これだけ攻撃しても、越えてくるのは偵察機と砲弾のみ。しかも偵察機は数える程だ」
「確かにそうですが、まだ投入していない兵力があるやもしれません。海では、日帝の海軍が活発な活動を開始したという報告も受けております」
「確かにその通りだ。目の前の日本軍にどれだけの戦力があるのか。どれだけ持ち込んでいるのか。増援は今後あるのか。不明な点、不確定要素はまだ存在する。
しかし、あれだけの攻勢を仕掛け、現状でさらに伏せている戦力があるとは考えられない。現に日本軍の重砲兵は、あれ以来沈黙している。加えて今の日本空軍戦力に、十分な余裕は見られない」
そう言い切って、周囲を見渡す。今度は反論はないので、ジューコフは続けた。
「また、予想外だった多機種の新型戦闘機以外にも、噂されていた新型戦車、予測したより優秀な日本軍重砲。これらも全て明らかとなった。
そして今までの戦闘によって、彼らの航空戦力は持ち込まれた推定数に対して、大きな損害を受け、数を大きく減じている」
将軍の言っている事は、少なくとも現地のソ連軍が掴んでいる情報から考えて正しいものだった。
予想以上に積極的な日本軍は500機の戦闘機を投入してきたが、既に40%を失ったと現地ソ連軍は判定していた。
戦ってきたパイロット達の報告をかなり少なく見積もっても、それだけの戦果があるからだ。
これに対して極東のソ連空軍は8月の時点で約500機の戦闘機を用意し、約1週間経ったこの時点での保有機数は約300機。数においてほぼ同数。
しかし戦闘機どうしの場合は、互いの撃墜率も重要だ。そしてソ連空軍は、現状は6月に大きくテコ入れをした事もあって同程度の撃破率と判断していた。
ソ連側には、さらに爆撃機の損害が加わるが、そこは戦闘機どうしの戦闘では考えても仕方がない。
また、今までに受けた累計450機もの損失も、勝てば問題はない。何しろ今回の戦いは国境紛争だった。
そしてソ連の中枢は、絶対に国境紛争で終わらせる気でいる。欧州方面での外交、政治が大きな動きがあるとジューコフは睨んでいたが、ソ連においては知りすぎても良くはない。
何をするにしても、何をすれば良いのか、何をしてはいけないのかを間違わないように心がけるべきだ。功績、出世もその次の段階であり、それすら挙げすぎても、見誤ってもいけない。
現在の損害は、むしろジューコフにとってはソ連の上層部で生き残るという点ではプラス要素ですらあった。
しかしそれはジューコフにとっての事。損害を受けすぎた当事者、特に下の者にとっては死活問題になりかねない場合が多々見られる。
だからだろう、意見を述べる者はまだいた。
「ハサン湖方面はどうされますか? 既に攻勢は限界を超えました。攻勢を取るには、増援が必要不可欠です」
「ハサン湖は良くやった。これであちらの方面の日本軍は、動きたくても動けない。航空隊もしかりだ。あとは、ダマンスキー島方面の動きに合わせて牽制や陽動に徹すれば良い。その程度は出来るだろう」
「はい。それでしたら問題ありません」
「心配するな。増援はないが、引き抜きもしない。損害を受けすぎた兵を加えても、士気が落ちるだけだ。ただし、重砲の砲弾の残弾のうち半数はダマンスキー島に回す」
「はい。我々は、砲兵支援が半減しても、任務を達成してみせます」
「宜しい」
ジューコフはその一言で済ませたが、当事者は内心ホッとしていた。
ハサン湖もしくは張鼓峰方面には、3個ライフル師団(日本語訳:狙撃兵師団)と戦車集団の第2機械化旅団が配備され、日本軍と戦闘を行った。
総兵力は約2万3000名。完全に、現地の日本軍を圧倒すると考えられていた。何しろ日本軍は、朝鮮半島北東部に平時編成のままの1個師団(第19師団)を配備するのみだった。
幾らか増援が送り込まれた兆候はあったが、無視できる範囲と考えられていた。
しかし実際に戦闘を行うと、日本軍は激しい抵抗を実施。現地のソ連軍は張鼓峰など係争地の要衝を奪えないばかりか、日本(と中華民国または満州臨時政府)が主張する境界線まで押し戻されていた。
そして日本軍に受けた損害も甚大だった。
各ライフル師団は、概ね3割の損害。しかもこれはライフル兵(歩兵)の損害が中心なので、前線の戦力は壊滅状態に近かった。
そして中でも損害が深刻だったのは、極東全体で見ても虎の子と言える第2機械化旅団だった。同旅団は戦車の大集団で、「第2」という若い番号が示すように、この時期のソ連軍全体の中でも優良な装備を有していた。
戦車は各種合計で340両あり、この数字は日本軍の戦車師団を上回っていた。
主力はソ連軍に数千両が配備されている『Tー26』軽戦車だったが、新型で中戦車に当たる『Tー31』戦車も80両配備されていた。
より強力とされる多砲塔戦車が、欧州限定で配備された虎の子中の虎の子と考えれば、極東でこれ以上の装備は望めないものだった。
バイカル湖以東の極東全体で見ても、1つの部隊が全体の20%以上の戦車を保有していた。
だが激しい戦闘によって、80%近くの戦車を喪失していた。このうち、戦場で遺棄された損害の軽い戦車が多数を占めるが、戦闘が終了するまでは回収できない。しかも全て敵地にあるので、今後の回収も難しいと考えられていた。
稼働する残存戦車数は、僅か約70両。
最後の戦闘では、ソ連側が150両近く投入したのに対して、日本側は依然として100両程度を戦線に投入していた。
しかもソ連軍将兵が『頭でっかち』とあだ名する戦車に一方的に撃破され、相手には全体で見ても自らの3分の1の損害も与えられなかった。
撃破できたのも『頭でっかち』以外で、この先も戦闘を継続するとなると、残り少ない歩兵を磨り潰すしか選択肢がないような状態だった。
当事者が、ジューコフの言葉に内心安堵するのも当然といえば当然だ。
だが、安堵しているのはごく少数派だ。
ダマンスキー島方面で、より激しい戦闘が行われると宣言されたに等しいからだ。
そしてダマンスキー島での戦闘でも、ジューコフの視点からだと日本軍の手の内を全てさらけ出させる為の一連の戦闘で、少なくない損害を受けていた。
空軍の方も、同数では太刀打ちできない事は、当人たちが最も理解していた。8月1日からの空中戦で、当人たちの視点で互角の撃破率だったのは、ソ連側が数で優っていたからだからだ。
これからは同数。しかも日本軍の新型機には非常に分の悪い勝負なのは分かり切っていたので、戦場全体として戦略目標を達成して勝利するにしても、多くの損害を出す事を覚悟しなければならなかった。
そして彼らの翼の下で戦う陸軍部隊は、もっと悲壮だった。
今回の攻勢では押し切れずに、中洲から叩き出されてしまった。受けた損害も大きく、投入した舟艇の半数、投入した歩兵部隊、一部装甲車などの全てを失っていた。
数にすると、損害は3000名以上の戦死・行方不明。戦死者数では、ハサン湖方面よりも多かった。
そしてジューコフは、さらなる激戦を行うとこの場で宣言したのだった。
攻勢開始は8月20日だった。




