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悪役令嬢の十五年戦争  ~転生先は戦前の日本?! このままじゃあ破滅フラグを回避しても駄目じゃない!!~  作者: 扶桑かつみ
物語本編

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646 「1939解散総選挙前」

 4月27日、イギリスで徴兵制が導入された。

 先の大戦以来の復活と言えるけど、志願制のイギリスが徴兵制を導入するという事が、何を意味しているのか明白だった。

 もっとも制度が導入されただけで、実施まではされなかった。政治的に覚悟を示したと見るべきだろう。


 ただし、度重なる恫喝外交の成功で有頂天になっているナチス・ドイツ政権の中枢は、依然として単なる脅し、ブラフ、ハッタリと見ている。

 あのペテン師外相が、ヒトラーに空虚な大言壮語を自信満々に語っている心象風景が頭をよぎる。

 噂では、枢軸の盟友となったイタリアのドゥーチェがドイツの暴走に悲鳴を上げているというけど、因果応報というか残当でしかない。


 一方でそのイタリアは、4月7日にアドリア海を挟んだアルバニア王国に侵攻していた。

 また、ドイツのおこぼれでチェコスロバキアの一部を得たハンガリーは、一連のゴタゴタと不満から国際連盟を脱退した。

 遠くから見ていると、ドイツの周りも五十歩百歩だ。

 日本が加わっていなくて良かったと、心底安堵する情景でしかない。


 そして私が安堵した日本では、イギリスが徴兵制導入の議論を本格的に始めた頃から、大規模な軍備増強の議論が活発化していた。

 並行して、陸軍はともかく海軍を大幅に増強するので、第二次ロンドン軍縮条約参加国、特にアメリカからの理解を得るための話し合いなどが急ぎ開始されている。


 政府と海軍としては宇垣内閣のうちに予算を通し、7月から新たな計画を動かす腹積もりだ。そうすれば、ちょうど幾つかの大型船用の建造施設が空くからだ。

 しかも準備のいい海軍は、昭和14年度予算の中にだんまりで、大型艦の建造の最初に必要なもの、製造に時間のかかる装備などの資材や準備の予算を割り込ませていた。


 流石は帝国海軍。やることが相変わらずで、ここまで来ると頼もしさすら感じてしまう。

 そして海軍の軍拡だけど、アメリカとの交渉では日本側は二段階での臨時増強の実施というカードを見せており、まずはこの初夏に通し、情勢を見つつ残りの実施時期を決めるというものだ。


 またアメリカに対しては、アメリカも時勢を鑑みて海軍の拡張をするべきだと日本側から強く提案。日英米が歩調を合わせて軍備拡張をする事で、ドイツ、ソ連の膨張と戦争抑止を図ろうという提案もしている。

 さらに、どのような拡張をするのか全て公表する事も明言していた。

 今更反英米もないから、十分にアメリカに配慮した形だ。


 そしてアメリカだけど、国内でも軍拡をするべきという意見が強まりつつあった。それに軍艦の建造は、積極財政、公共投資の一面もある。世論も、戦争がアメリカに波及しない為の軍備については肯定的だった。

 さらにいえば、ソ連を押さえつける為の軍備という点で、日本と世論の意見が一致していた。

 この点では、私がハーストさんや王様達にしてもらった反共産主義のロビー活動も大きく影響している。


 他国は、ソ連が相変わらず罵詈雑言のプロパガンダを垂れ流している。もっとも、単に日本の政策の正しさを示すバロメーターに過ぎない。

 ただし連動するかのように、ドイツとイタリアが日本の軍拡は世界の軍備拡張を誘発すると非難轟々。イタリアはお付き合いだろうけど、ドイツのあまりにもダブルスタンダードな態度に、隠れナチスシンパの多い日本陸軍からも、ドイツに対して非難轟々。

 ドイツ軍へのシンパシーの強い日本陸軍ですらこんな調子だから、もう日本とドイツの親密化はあり得ないだろう。


 一方で、イギリスは諸手を挙げて日本の軍拡を賛成。「ソ連の後背は任せたぜ」な状態。フランスは左巻きが強いからソ連への備えとかの件では何も言わないけど、日本の軍拡自体は歓迎している。


 そして一応のご近所様だけど、張作霖の中華民国は日本の勇気ある決断を讃えると絶賛状態。その裏では、自らへのさらなる援助と支援を求めていた。

 でないと大幅増税せざるを得ないと、自国経済を盾に脅してきていた。

 けどまあ、同じ道を進んでいるので気にする事ではない。


 対する蒋介石、中国共産党は、ソ連、ドイツを上回る罵詈雑言の嵐。主権国家ではない自治政府や非合法団体の分際で、国連常任理事国様にえらい言いようだ。

 当然、日本政府、陸海軍もガチギレして、張作霖への借款、武器支援の増加を満場一致状態で決めた。

 蒋介石、中国共産党への敵意だけは、私の前世の歴史となんら変わりないのだけど、逆に安心させられる一幕だ。



「解散総選挙決まったって?」


 夜、子供達が寝静まってから、下の階に降りて居間へ入ると、鳳の本邸住まいの主要メンバーが集まっていた。

 お爺様、善吉大叔父さん、龍也叔父様、ハルト、それに帝大は家からの通いにした玄太郎くん、それにマイさんと涼太さん。マイさんとは、子供達の世話もあったので一緒に入室する。


 士官学校の龍一くんは欠席。虎士郎くん、瑤子ちゃんは辞退で欠席している。

 一族以外は、時田、セバスチャン、それに家令の芳賀が控える。家の中でのちょっとした話し合いだから、貪狼司令など財閥関係の人は来ていない。


「そうだ。とりあえず二人とも座れ。臨月が近いんだから、欠席して話は旦那から聞けばいいだろうに」


「臨場感って大切よ。ねえ、マイさん」


「ええ。同感です」


「フンっ。まあいい。だったら座れ座れ」


 手をヒラヒラとするお爺様に急かされ、それぞれの席へと着く。当然だけど、私は上座。ハルトの隣だ。

 そして幾つかのテーブルに分かれているけど、それぞれのテーブルの上には酒とツマミが置かれて、いくらか手がつけられていた。

 緊急でも、切迫した事態でもないから、軽くお酒を飲みながらの話しという事だ。


「時田、頼む」


「畏まりました。それでは簡単にご説明させて頂きます」


 いつも通りの落ち着いた口調で、時田の説明が始まった。

 解散は4月28日、総選挙は5月27日。選挙戦開始は13日から。14日に例年通り鳳一族の懇親会があるので、半ば選挙戦の催しになりそうだ。


 けれども1939年に、まともな衆議院議員選挙が行われる事自体に、私としては感慨深さを感じてしまう。前世の歴史で見た大政翼賛会など、影も形も見えない。

 護憲運動の時代からの二大政党制が維持されている。

 そして世界に対して、日本が健全な議会政治を維持した民主主義国家だと示す、またとない宣伝となる。

 だから政権与党の政友会はもちろん、野党の立憲民政党も気合が入っている。


「前の選挙はいつだった?」


「はい。宇垣内閣発足が、1936年の4月19日の衆議院総選挙によって。その後、第1次宇垣改造内閣が1938年5月26日に成立しております。現内閣は、この改造内閣から変更もございませんな」


「ちょうど3年。まあ、いい頃合いか。宇垣さんも頭の白いものが増えたからなあ」


 たまに会っているお爺様が、やや感慨深げに呟く。

 けどそれも一瞬。


「で、今はどんな内閣だった?」


「テーブル脇にある紙面をご覧ください」


 時田がそう言ったように、テーブル脇に置かれた品の良い木製のワゴンの上に、資料などが置かれている。



 第1次宇垣改造内閣(現内閣)

総理大臣:宇垣一成

陸軍大臣:永田鉄山

海軍大臣:米内光政

内務大臣:平沼騏一郎

外務大臣:吉田茂

大蔵大臣:結城豊太郎 (次官:賀屋興宣)



(前世の歴史だと、このうち半分は首相になるのか)


 私のどうでもいい感想をよそに、話は進んでいく。

 主に話しているのはお爺様と時田。


「選挙の総裁はどうなる?」


「政友会は、ようやく鈴木喜三郎をと考えていたようですが」


「あの人、もうダメだろ。体調が悪いどころか、最近は死相が出てたぞ。ありゃあ、長くない」


「はい。ですので、まだ揉めております。宇垣様が退いたとして、次がおりません。三土忠造は高橋是清の後ろ盾があればこそで、党全体を統率する力はなし。鳩山一郎は金蔓の久原房之助が党の中央から遠のき、しかも統制経済を推すので、平沼騏一郎が首相となると総裁の目はなし。吉田茂は、まだ政友会内での勢力が弱い。

 そうした消去法から、自前の資金力も強い中島知久平になるのではと見られております」


「うちとしては吉田茂を推したいが、中島さんか。鳩山はともかく鈴木さんとも対立しとったが、大丈夫なのか?」


「いっそのこと、平沼騏一郎を総裁にという声もあるそうですが、民政党と協議して挙国一致内閣に向けた選挙ですので、これは無理筋でしょうな」


「宇垣様の時みたいに、陸軍か海軍から呼ぶのは? 挙国一致ならいけるんじゃない?」


 私が前世の歴史を思い浮かべつつ口を挟むと、時田は首を軽く横に振る。


「その話もありましたが、議員からの反発が強いようです」


「それじゃあ、宇垣様は誰を?」


「宇垣さんは、政友会主流派に恩があるから、表向きは三土忠造。ただ、うちとの縁を重視して、うちが吉田茂を推すなら続いてくれる」


 質問に答えてくれるのは、時折会っているというお爺様。嫌々貴族院議員になったけど、今やすっかり政治家だ。

 首相はともかく、大臣という声も小さくない。しかもお爺様は陸軍では宇垣閥の一人だから、宇垣さんが退いた後の政治枠として丁度良いとも思われている。


「原様は、もう政局は関われないわよね」


「もうお年ですし、ほぼ寝たきりだとか。他の首相経験の重鎮も、次の総理を決める重臣会議が最後の舞台になるという方が多くなりそうです」


「みんなお年だものね」


「みんな、父さんと同年代だからなあ」


「では、民政党の方は誰ですか?」


 私とお爺様が少し感慨に耽ってしまったので、善吉大叔父さんが小さく挙手。

 時田相手でも、屋敷の中だと今でもこんな感じだ。


「民政党は変わらず。総裁は町田忠治、副総裁は幣原喜重郎です」


「となると、次の外務大臣は幣原喜重郎さん?」


「民政党と関係の深い広田弘毅、という線もありそうです」


「弱腰な人は、この時期避けて欲しいわね。けど、政友会優位なら民政党から外相は出せないのか」


 何となく口を挟んでしまったけど、みんな私の言葉には肯定的だ。


「はい、難しいかと。宇垣政権は3年間安定しておりましたし、失政もなし。今回の臨時軍事費の予算通過を最後の花道にするにしても、次も政友会が勝ちというのが大勢で御座います」


 時田がそう締めたけど、言葉通りこの世界では民政党の出番はあまりなさそうだ。



大政翼賛会:

既成の政党、労組、農民組合などを解消し、1940(昭和15)年10月に結成。

日本版ファシズム政党と言えるだろう。

日中戦争が本格化した頃から、この動きがあった。



このうち半分は首相になるのか:

米内光政、平沼騏一郎、吉田茂が当たる。

米内光政は、この世界で首相になることはないだろう。



鈴木喜三郎:

1930年台半ばは病状が年々悪化しており、史実では1940年6月に死去。

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