643 「1939年新年度概況」
一部政治家と陸海軍の求めと願いは通じず、1939年、昭和14年度予算は軍事費の増額を認める事なく通過した。
この件で、英仏の一部は懸念を表明したけど、アメリカ政府は日本政府の賢明な判断を評価する声明を出した。
けどこれは、全員分かった上での茶番だ。誰もが、この後日本が何をするのかを既に水面下では知っていた。
一方で、欧州情勢並びに大陸での内戦、さらにはソビエト連邦の過剰な軍備増強に対する懸念から、日本政府はアメリカ政府との間に今後の軍備増強に関する話し合いを始める事になる。
アメリカ側も、日本の海軍増強は抑えたいので、この交渉に乗ってきた。また日本政府の求めにより、オブザーバーではあるがイギリスも話し合いに同席する事になる。
日本政府のあまりにも優等生ぶりに、私は軽い違和感すら感じるけど、宇垣首相、吉田外相の手腕の賜物と考えるべきだろう。
それに一連の流れは、次への布石に過ぎない。
そして押さえられた陸海軍だったが、それでも豊富になった国家予算のそれぞれ約2割を使えるので、当面ではあるけど大きな反発はなかった。
ただし海軍としては、政府と外務省がアメリカとの交渉をまとめるという前提で動いていた。
加えて、3月中に予算通過したところで、夏くらいまでは大きな軍艦は作りたくとも作り始められないので、少なくとも4月の時点では大人しかったと言うべきかもしれない。
陸軍は、海軍ほど軍備増強に対する焦りが小さい事と、大陸に派遣した義勇軍との戦闘の情報収集が忙しく、すぐの軍備増強には積極的ではなかった。
ただしこちらも、大陸での義勇軍派遣による情報がまとまったら、それを反映した新兵器開発と配備をしたいので、臨時の軍備増強に関して少し先で良いと考えているに過ぎない。
そして日本陸軍の増強の方は、文句を言ってくるのがソ連以外には無かった。そしてソ連が激しく文句を言い立てるという事は、実力行使に出る可能性が低い事を示していた。
プロパガンダ大好きな独裁国家なので、実に分かりやすくて助かる。
そして文句を言っている時点で、前世の歴史上だとこの5月にも始まるノモンハン事変のフラグが遠のいたと考えていいだろう。
もちろん、赤軍の大粛清に辻政信を先兵とした日本陸軍の工作が、史実とどう違って、どれくらい効果があったのかを知る由もない。けど、何もしないより酷い状況だと考えるよりも、もしくは誤差の範囲でしかないと考えておく方が無難だろう。
何しろ、あまりにも凄惨で大規模な粛清に、世界中がドン引きした程だ。
そして元帥の半数以上を始め過半数と表現できる将校が姿を消したソ連赤軍に対して、日本陸軍は多少地味ながら着実に近代化と増強を進めていた。
足掛け10年かけた近代化計画は、その道半ばを既に通過していた。それまで17個師団だった体制は、一般師団2個の復活、新設の戦車師団2個の編成が終わり、21個師団体制へと移行していた。
そしてそのうち、戦車師団2個、一般師団5個を満州に配備して、極東ソ連軍と睨み合っていた。
戦車と航空機の数ではダブルスコアを開けられていたけど、ソ連は頭数で3倍の戦力差がないと安易にアクティブな動きには出ないので、防衛という点では安心できる状況に持って行けた事になる。
しかも日ソの場合は、日本海軍という圧倒的優位なカードも使えるので、去年の初夏のようにソ連が行動を自粛する可能性はさらに高まったと言える。
そんな極東での劣勢を挽回するべく、ソ連が肩入れしているのが中華民国での大規模な内戦。
とはいえ、ソ連が肩入れした蒋介石と愉快な仲間達は、既に追い詰められていた。しかも蒋介石が共産党幹部の抹殺を図ろうとするなど、結束はバラバラ。
ソ連が義勇兵などで大規模にテコ入れしたくても、ソ連との間に陸路はなく、海路のほぼ全ては中華民国か、中華民国を支援する列強が押さえていた。
それでも支援どころか志願兵という形で強引に義勇軍を送り込んだけど、対抗して列強も義勇兵を派兵。特に日本陸海軍は、軍事顧問団という名目で、大量の戦車を保有した機械化部隊と、陸海軍合同の航空隊を派遣。
どちらも圧倒的というか、少なくとも蒋介石らの軍に対しては一方的と言える強さを発揮。
戦意の低いソ連志願兵に対しても、航空戦では圧倒的優勢で戦いを演じて制空権を確保。地上での戦車同士の戦いでも、戦意の低いソ連志願兵を蹴散らした。
そしてこの一連の戦闘で、日本の新型戦車、特に『九五式重戦車』の圧倒的性能が立証された。対車両戦闘では一方的で、しかも野砲としても使える便利の良さ。敵を一方的に撃破したそうだ。
これを受けて、鳳重工と小松製作所が開発している新型戦車の正式開発と試験も決定。
ただ一方では、牽引トラクターにある程度の装甲を施し、機関銃を1つ付けただけの3トンほどしかない軽装甲車が、主に蒋介石の軍隊に対して異常なほどの戦果を挙げていた。
鳳が開発した重装甲車も、同じように大活躍しているという。
歩兵に対しては、普通の戦車でなくても小型の装甲車や豆タンクで十分という結果なのだけど、ソ連志願兵との戦車同士の戦いがなければ、大いに勘違いしてしまいそうな戦果だったそうだ。
なおソ連志願兵だけど、一部新型戦車を持ち込んでいた。主力の『Tー26』戦車を一回り大きくした、『Tー31』戦車というやつだ。
写真を見せてもらったけど、クリスティー式の足回りではなく、名称も快速戦車(BT)じゃない。足回りは普通の戦車っぽかった。
そして性能は『九五式中戦車』とは機動性以外はほぼ互角で、『九五式重戦車』だと火力、装甲、速度、全ての面で圧倒できたそうだ。
もっとも、日本の装甲車両が活躍する大陸の戦況自体は、完全に泥沼化していた。
中華民国軍は焼け野原になった長沙には進んだけど、そこで停止。
今は沿岸部寄りの南昌攻略と、その地域の東部の山奥に本拠を構える共産党攻撃の準備に入るという。
何をどうするにしても、結局は共産党を殲滅して滅ぼさない限り、安心して大陸の統治もできないという事だ。
そして大陸中から嫌われている中国共産党と紅軍だけど、活動は低調だ。理由は言うまでもなく、長沙でトップと幹部の多くが焼死か行方不明になってしまったから。
鳳を含めた世界中の情報網には、未だ周恩来と鄧小平の行方は判明していない。
大陸のすべての陣営も、彼らを探しているけど見つかっていない。
この為、火事のあと雲隠れしたのではなく、本当に焼け死んだのではないかと言う説が強まりつつある。
共産党本部のある瑞金の毛沢東、朱徳らの紅軍の実働部隊主力の活動が低調なのも、本当に混乱していると考えると合点がいくからだ。
けれど、共産党に大打撃を与えた蒋介石も、動きは低調だ。
負け続きで、兵隊はともかく武器弾薬を失っては、動くに動けないのも道理だけど、それを加味しても動きが鈍い。
一応は、汪精衛らが広州政府から脱出し、広州政府が事実上瓦解して、周囲が事実上の敵だらけになった為だと考えられている。
そしてハノイに逃れた汪精衛は、北京に行って張作霖と握手。広州政府の中華民国への参加を表明する。
それを受けて張作霖は、日英から借りた船で兵隊を運んで、香港とマカオの奥に進んで広州付近に上陸。特に抵抗を見せなかった広州を解放していた。
この地域に残っていた軍閥や兵士の多くも恭順し、形だけは広州政府の中華民国参加は完成した。
そして完全に海の出入り口に栓がされた形になるので、ドイツは兵器を送り届ける場所をなくした。
もっとも、1939年に入ってから、ドイツの船が広州や大陸の南部の港に来たという話はない。中立国の船が数隻来た程度。それで送り込める武器弾薬など知れている。
しかもドイツは、今年に入ってからの取引を減らしていた。恐らくは、自分たちの兵器が必要だと考えているからだ。
ドイツにとっては、使える港が無くなったのは渡りに船だった事だろう。
「何か新しい報告?」
「うん。フランコ将軍が勝利宣言したって」
寝室のテーブルで報告書を見ていたら、ハルトの声。メイドのさきがけの声もあったし、部屋には普通に入ってきたから、普通に応対する。
平日の夜で、ハルトは帰宅してきたところだ。
だから軽くスキンシップの挨拶をしてから話を続ける。
「3日ほど前にマドリードを落としていたっけ」
「うん。これでスペイン内戦は完全終結。全体主義政権の勝利ね」
「……ドイツやイタリアが勢いづくかな?」
「どうだろ? けど、ドイツは今更でしょうね。英仏は弱腰で戦争は仕掛けてこないって、舐めきってるし」
「だが、イギリス政府は宥和外交から転換したんだろ」
「それは間違いないんだけど、ドイツに対しては言葉だけだったから、ズデーテンの時と同じと思ってるのよ」
「そんな動きだね。それにドイツは、英仏の戦争準備がまだ全然進んでいないって見透かしているんじゃないかな?」
「それは十分ありえると思う。……日本も、舐められないようにしないといけないなあ」
「ソ連か」
「大陸国家だからね。隙を見せたら、噛み付いてくる」
「厄介だな。でも、せめて4日は何もしないで欲しいね」
「双子ちゃん達の1歳の誕生日だものね」
「玲子もね」
世の中は大変な方向に驀進しているけど、普通の毎日も続く。
これから、これが普通になっていくのだ。
軽装甲車:
史実の九四式軽装甲車。もしくはこれに当たる車両。
元は牽引用トラクターだが、軽い装甲を施し機関銃を据えた小さな銃塔を搭載して日中戦争では大活躍した。
そして小さくて扱いやすく、しかも安価なので、日本陸軍としては大量に装備された。
重量3450キログラムの豆タンク。
この手の小型装甲車もしくは豆タンクは、1930年代にお手軽さもあって列強各国でも採用されている。
軽装備の歩兵相手には、十分な強さを発揮した。
この世界では鳳グループが、大量に牽引トラクターを軍に供給しているので、違う経緯で開発されているかもしれない。
『Tー31』戦車:
この世界独自の架空戦車。史実の『BTー7』に相当。
『Tー26』戦車の車体を大きくして、エンジン、装甲を大幅に改善。『KVー1』につながっていくイメージ。
なお、BTは快速戦車の意味。Bが快速、Tが戦車。この世界では、ソ連赤軍の快速戦車は登場しないかもしれない。
なお、手持ちの資料、ネットの海を彷徨った限り、史実には『Tー31』が実物では見られなかったのでこの名称を採用。
だが、試作か何かでいる筈。勿論、アメリカの面白試作戦車T31とは別物。




