642 「昭和14年度予算編成(3)」
龍也叔父様の話は続いていた。
「そして陸軍は、川西が海軍向けに試作した水上戦闘機を改造したという重戦闘機は評価しているよ。爆撃機を相手にするには、むしろ向いているのではないかとね。試験用に増加試作という形で導入して、今、実験部隊で評価中だ。それにあの性能であの価格、生産性は、戦時を考えると大きな魅力だ。発展余裕もあるしね」
「その流れからすると、陸軍が川西の飛行機を採用するという事でしょうか?」
「まだそこまで、話は進んでいないよ。それと海軍と三菱は続きがある。海軍は日本近海から西太平洋地域での漸減邀撃を金科玉条にして、戦備も整えてきた。だが年々相手は、海軍国は含まれないと考えられる情勢だ。
具体的な相手はソ連、そしてドイツ。この二つを相手にするなら、魚雷を搭載する攻撃機に出番は殆どない。潜水艦に対して、監視したり攻撃する機体となるだろう。また、遠距離進出は変わらないが、目標が陸上となると地上の対空砲火が気になる。そうなれば、多少価格が高くとも頑丈な機体が良い。それに地上目標となると、魚雷を搭載したり運動性より搭載力だ」
「そこで海軍は、四発機案を提出した三菱案の復活ですか」
「今のところ、一番現実性が高い。開発の進んでいた双発の機体は、早ければ今年の秋にも試作機が完成予定だった。ただし三菱が初期構想していた四発機型は、再設計になるのでもう半年か一年はかかる予定だ」
「状況は分かりました。そうなると、陸軍が川西に興味を示しているのですね」
「結局は、そういう事だね。川西では今、民間用の大型旅客機、飛行艇、それに海軍の新型飛行艇を開発している。ただ、すぐに採用となると角が立つ。そこで、まずは旅客機型を輸送機として試験。また、陸軍の新型重戦闘機の試作参加。そして輸送機の様子を見て、新型爆撃機の試作という流れになりそうだ」
「その爆撃機、完成したとして戦争に間に合うのでしょうか?」
「陸軍では、欧州での戦いには大型爆撃機が必要になるとは考えている。ただし、すぐには必要ない。それに日本が近い将来戦争になるとしても、まだ数年の猶予があると見ている。
ソ連の動向は気になるが、玲子の夢の流れと現状の双方から考えると、ソ連が極東で日本と全面戦争する可能性は極めて低い。そもそも、ソ連側にとってする意味が薄い。
それとまあ、予算が豊富になったので大型機を持っても良いかという考えが陸軍内で強まっている。そしてそれならば、海軍の鼻を明かせる機体が欲しい。そんなところだね」
最後に色々ぶっちゃけたけど、ここでは話すまでもない、もう一つの理由があるに違いない。
お爺様、龍也叔父様が陸軍で、川西飛行機は一族が支配する鳳グループの傘下にあるという理由が。
ただまあ、言わぬが花というやつだ。
けど商人として、言うべき言葉が別にある。
「状況は分かりました。川西には、必要なだけお金を突っ込みましょう。重爆撃機が採用されれば、一気に会社規模が拡大できます」
「玲子、儲ける気満々だな」
「この話し合いは、政府や軍の予算や動きを見つつグループの戦略方針を決める場じゃなかった? 当然でしょう」
「戦争を嫌ってたくせに、もうお構い無しだな。まあ、玲子がいいなら、俺も根回しに回るとしよう。他にいるものはあるか?」
「エーット、確か重爆撃機を大量生産するとなると、物凄く大きな組み立て工場が必要になるから、基本は川西への出資と設備投資ね。あとは、工場用地、部品工場用の土地の買収とか、工作機械の発注とか。それに裾野になる下請け工場。あとは、飛行機エンジンはうちで作らないから、三菱さんへのお話。それに……」
「そのへんは、俺や善吉の守備範囲だろ。なあ」
ずっと聞き役だったギャラリーのうち、虎三郎がついに口火を切った。近くの席では善吉大叔父さんも苦笑い気味だ。
もっとも軍事の話題は、私とお爺様、龍也叔父様、それに時田と貪狼司令くらいしか会話に加わらないのは、いつもの事だ。
そして軍事といえば、海軍の件が放ったらかしだった。
「じゃあ虎三郎、善吉大叔父様、お願いね。で、話を海軍にして良いですか? その後で、他の省庁の案件を見ていく流れでいい?」
「まあ、いつもの事だな。だが海軍は、誰と戦うんだ? ドイツとソ連の海軍といえば潜水艦だが、予算が増えたら結局でかい船を計画に上乗せしやがって」
「それにどこで作るのよ。前から言ってるけど、鳳の建造施設はこれ以上絶対に貸さないわよ。もし変な事言ってきたら、紅龍先生に陛下に告げ口してもらうんだから」
「流石にそれは止めてやれ。首を吊る奴が何人か出ちまう。うちとの後ろ暗い関係を暴露するくらいで許してやれ」
「それも似たようなものの気がするけど」
「いや、全然違うぞ。斬首と切腹くらい違う。武人にとって、この差は限りなく大きいぞ」
「ま、いいわ。それで時田、この紙面以上の事は何か知っている?」
「はい。ですがまずは、全員で状況の把握からが宜しいかと」
「あ、ごめんなさい。どうぞ」
そして始まった、海軍軍拡予定の確認。
陸軍も同じだけど、単年度で20億円も通常予算の上に積み上げてきている。つまり合計40億円。来年度予算が約66億円だから、合わせて100億円を超える事になる。
陸海軍予算は、ただでさえ予算全体の4割なのに、これを加えると6割を超えてしまう。間違いなく、準戦時体制の予算編成だ。
そして海軍の新たな計画は一応3ヶ年計画だけど、1940年から戦争に入る想定で、軍艦など兵器を整備する予算としては、50億円を超える額を計上している。
去年の冬に見た資料の、おおよそ3倍だ。しかも航空関連予算は、4倍近い20億円を予定している。これだけでとんでもない数字で、空軍を別に作れよと言いたくなる。
また、国民に対してのアピールとして、『新八八艦隊計画』というなんだか強そうなネーミングまで用意していた。
そのネーミング通り、37年度計画と合わせて新造だけで戦艦と空母をそれぞれ8隻ずつを中心とした大艦隊を整備するというお大尽な計画だ。
「新たな計画概要は、艦艇約400隻の建造、航空隊約500隊の整備。戦艦4隻、大型空母5隻、巡洋艦20隻、駆逐艦150隻、潜水艦80隻、その他護衛艦艇120隻、航空機5000機程度となります」
「これだけで、別に海軍が一揃え出来そうね。けど、動かす人が足りるの?」
「軍艦が完成するのは数年先。それまでに揃える計画のようですな」
「ああ、なるほど。けど、大きな軍艦が増えたらポストも増えるのよね。下級将校以下はともかく、上級将校が足りないでしょ」
「どうでしょうか。ですが海軍は、次の大きな戦争が終わった後も、拡大された状態を維持する算段で進めるので、将来を見越して将校の数を揃えるのではないでしょうかな」
「そんなの、政府と大蔵省が許す筈ないでしょう。海軍は金食い虫なのに。いざ戦争になったら、近代化した旧式艦も含めて使い潰すまで使うでしょうけど、戦後は徹底的に整理するわよ。でないと財政破綻一直線よ。けどまあ、そんな先の事より、陸軍と違ってアメリカとの交渉や調整が大変そうね」
「それは海軍も一応考えているらしく、二段階に分け戦争が始まってから建造が容易い船を進めるようです。もっとも、建造施設が空かないという問題の誤魔化しという面もあるようですが」
「まあ、好きにしたらいいんじゃない」
なんだか、海軍の今までの鬱憤の積もり具合を見るようで、妙に気が削がれてしまう。
そして私が黙ると、お爺様が小さく嘆息する。
「それにしても、合計で70億円。ざっと、過去10年分くらいの金を、単に兵器を揃える為だけに使うわけか。しかもこれが戦争準備で、戦争になればさらに作るんだろ。とんでもない戦争をする時代になったもんだな」
「ご当主、先の世界大戦で欧州列強はこれくらいの戦力は整備していますよ。日本もようやく、同じ土俵に立てるというだけです」
「確かにそうだな。だが、欧州列強は二度も酷い散財をする羽目になるとは、流石に同情の一つもしたくなるな」
「同情するなら兵隊寄越せって、英国あたりが言ってくるわよ。日本は、大陸情勢を抑え、ソ連に好き勝手させずに、その上で欧州に兵力を派遣しないといけないから、陸軍と合わせても全然足りないわよ」
「当然だ。だから無い袖は振れない」
「うん。だから、欧州列強と日本がドイツとソ連を止めている間に、なんとしてもアメリカを引っ張り出す。もしくは、ドイツとソ連で潰しあってもらう。それが理想ね」
「そして日本は、再び漁夫の利を得るわけか」
「理想はね。けど、日本がずっと傍観する可能性もあるし、日本がソ連と戦争になる可能性もあるし、アメリカが引き篭もったままの可能性もある。不確定要素はまだまだあるから、油断大敵ね」
「外交ってのは、一寸先は闇だからな。だが、玲子が軍備に文句言わなくなった事で、時代の変化を感じるとはなあ」
お爺様のしみじみとした言葉に、会議に居合わせたみんなが苦笑なり、それぞれの表情や仕草をする。
あまり自覚はないけど、言われてみると今までは軍備に文句ばっかり言ってたのかもしれない。
けど私にとって、ゲームのゴールまであと少し。それまでに、出来る事をするしかなかった。
『新八八艦隊計画』:
勿論だが、史実にこんな計画はない。
近いもので「第四次海軍軍備充実計画」通称「④計画」がある。
「④計画」は総額で16億円程度。この世界の『新八八〜』は金額では3倍以上という事になる(※ただし、経済成長、賃金上昇、物価上昇を加味すると、実際は2倍から2倍半程度)。
史実の37年度、39年度の計画だと、戦艦4隻、大型空母3隻、軽巡洋艦6隻の計画になる。戦艦は巨大戦艦の『大和型』だが、この程度が史実日本の限界だった。




