639 「連勝止まる」
「玲子、一大事だっ!」
「っ!!」
お爺様が血相を変えて、私達の寝室に飛び込んできた。その前に、誰かが大声で叫んでいたのが遠くから聞こえたような気がしたけど、お爺様だったらしい。
何か余程の一大事が起きたに違いない。
部屋に飛び込んできたお爺様の表情も、それを雄弁に物語っている。
「なにっ?! 何が起きたの?!」
「どうしたのですか、ご当主?!」
こっちも思わず大声で聞き返してしまったけど、ここが赤ちゃん達の部屋でなくて良かった。そして日曜日だから、二人で寝室にいて、しかも居合わせているのはハルトと当番のメイド達が部屋の隅で控えているだけ。
ただシズは、お腹がかなり大きくなったので、当人の希望を無視して勤務時間も短くしてあるし、この場にも居合わせていなかった。
他は、控えの間にいたみっちゃん達が、パタパタと慌て気味にお爺様を追いかけて入ってきたくらいだ。
(大陸で日本が攻撃された? 欧州で戦争が起きた? いや、それくらいで、お爺様はこんなに慌てない。凄く重要な人が暗殺された? もしかして親族の誰かに何かあったとか?)
聞き返しつつも、一瞬のうちに走馬灯のように悪い想定が次々に頭を過ぎる。
「ふっ、ふっ」
「はやく言って!」
「双葉山が負けたーっ!!」
「「……ハ?」」
1939年1月15日、横綱双葉山が負けた。
体調不良で挑んだ1月場所4日目、安藝ノ海との対戦で負けた。館内は地鳴りのようなうめき声が響き、座布団だけでなく、酒瓶、暖房用の火鉢や煙草盆などが投げられ、興奮の坩堝と化したという。
その状況は、ラジオ放送は勿論、年々技術、精度、放送範囲、放送時間が向上しているテレビの実験放送でもライブで関東一帯に放映された。
そしてテレビの受像機、街頭テレビも随分増えたので、多くの人が双葉山が負けた瞬間の目撃者となった。
また、記録映像、記録写真にも残されている。
そしてこの敗北で、1936年の1月場所から3年間も続いた連勝記録は69勝でストップ。しかし相撲史上、偉大な金字塔を打ち立てた。21世紀より1年の場所数が少ない事を考えれば、空前絶後とすら言える。
そしてこの時代、というか長らく相撲は日本人最大の娯楽の一つで、昭和初期も人気は凄まじいものがあった。
お爺様も例に漏れず相撲好きで、実はテレビ放送の開始を実験的であっても凄く喜んでいた。たまに、観戦にも出かけてもいる。
まあそれは、人には娯楽、楽しみの一つもないといけないし、微笑ましくはある。
そして間の抜けたやり取りも、後日の笑い話で済む。
ただ、余波を被った人がいた。
「紅龍先生から電報?」
「はい。夕方頃に国際電話をするので、すぐに電話に出られるようにして欲しいとの事です」
つかまり立ちするようになった双子ちゃん達と遊んでいたら、そんなお知らせ。
何やら、よっぽど困った事が起きたらしい。
「どこから? 紅龍先生達って、正月明けにスウェーデンを発って、今帰国中よね?」
「はい。電報はアメリカからです」
大西洋を豪華客船で超えて、大陸横断鉄道を経由して到着する先がサンフランシスコ。そこから太平洋を客船で横断して帰国。その定番ルートの途中ということになる。
私が2年ほど前に通ったルートだ。既にサンフランシスコなら、1月末か2月頭には帰国するだろう。また、シアトルに行って一番速い客船に乗れば、北太平洋の北側を突っ切る大圏航路で10日ほどで帰る事もできる。
「飛行艇か高速船の手配でもして欲しいのかな?」
「どうでしょうか?」
電報を持ってきたリズと一緒に首を傾ける。
そして答えは、電話を待つしかなさそうだ。
そして夕方。
『一大事だっ!』
この時代の国際電話だけに聞き取りにくいけど、間違いなく紅龍先生のがなり声。しかも、最近聞いたような言葉だ。
「もう少し小さな声でお願い。声が割れてる。それで、何があったの?」
『今から飛行艇に乗る。6日で日本に着くから、それまでにご進講に使えそうな楽しげな話を思い出しておいてくれ! いいか、楽しげだぞ!』
さっぱり話が見えない。
それでも、帰国後すぐに陛下へのご進講をするという事は分かった。余程急に頼まれでもしたんだろう。
けど、宮城、陛下の周りが、紅龍先生にそこまで急がせる理由が見えてこない。
「分かったけど、理由は聞いていい?」
『今は話せん。戻ったら話す。だが、くれぐれも楽しげな話だ。私もアメリカで探してはみたが、さっぱりだった。残りの道中も何かないか考えるが多分無理だ。だから玲子、お前だけが頼りだ! では、国際電話というやつはえらく金がかかるらしいから、これで切るぞ。それでは日本でな!』
言いたい事だけ言ったら、向こうから切った。
戻ったら話すと言ったけど、余程話しにくい事なんだろう。電報ではなく国際電話な理由は、多分だけど記録に残らないようにする為。
この時代に、個人の国際電話を盗み聞きする事があるとは聞いていない。だから連絡手段に選んだに違いない。
「ねえ、なんだと思う?」
今日は平日だから、側にはハルトではなくお芳ちゃん達がいる。そしてお芳ちゃんが答えに到達していた。
「双葉山が負けたからじゃない?」
「ハ?」
「だから、双葉山が負けたから陛下が落ち込まれて、元気出してもらう為に紅龍先生が急ぎ帰国して、ご進講で気を紛らわせようって事なんじゃない」
「ハ?」
「いや、だから」
思わず二度聞きしてしまったけど、頭が思考停止した上に、半目か死んだ魚の目になっている自信がある。
(……日本、平和すぎだろ)
それから私は、21世紀の生物に関する知識の記憶を、頭の中をひっくり返して探す羽目になった。
既にめぼしい話は紅龍先生に教えてしまっているから、楽しげなネタと言われても簡単には出てこない。しかも、ここ数年はネタ提供する事も無くなっていたので、余計に思い浮かびにくかった。
そうして私が育児と仕事の合間に頭を悩ませていると6日が過ぎ、紅龍先生が帰国した。
チャイナクリッパーというパンナム社の大型旅客飛行艇で、サンフランシスコ=ハワイ(ホノルル)=ミッドウェー島=ウェーク島=グァム島=フィリピンのマニラを飛ぶ。さらにマニラからは、鳳が出した特別便の飛行艇で東京羽田へと到着。
そして夕方遅くに、紅龍先生が鳳の本邸にやってきた。
なんだか小さな頃を思い出すけど、あの頃と違って顔中が無精髭にはなっていない。
「おかえりなさい、紅龍先生」
「お、おおぅ。ただいま、玲子。他の者は?」
紅龍先生が部屋を軽く見渡すが、私達以外には部屋の隅にメイド姿のみっちゃんが控えているだけだ。
「外させているわ。まあ、座って」
「う、うむ」
「みっちゃん、お茶をお願い。それとも、お菓子もあった方がいい?」
「そうだな。羽田から車を飛ばしてもらったが、夕食はとっていない。考えてみれば腹が空いたな」
「じゃあ、食事を用意させましょうか」
「話しながら食べられるものなら何でもいいぞ。握り飯とか和食だと尚嬉しい」
こういうところは、昔と変わってない。ベルタさんと一緒になって子供が沢山増えたけど、身だしなみが変わっただけみたいだ。
「それで、何か良い話のネタはあるか?」
握り飯、簡単な酒のアテ、それにお菓子など、とりあえずすぐに用意出来るものを出来次第持ってこさせたけど、次から次へと胃袋へ送り込んでいく。
そしてそれがひと段落ついてからの一言がそれだった。
「それよりも、飛行艇で食べていなかったの?」
「この1週間ほど、食事がろくに喉を通らなくてな。無理やり押し込んでも、食べた気にもならんかったのだ」
「その割には、随分と食欲旺盛に見えるけど?」
「お、おぉ。何というか、玲子の顔を見たら安心してな。急に腹も空いたみたいだ。実に美味い。和食を食べられなかったというのもあるが、握り飯がこれほど美味いとはな」
「フーン。けど、こうしていると、子供の頃を思い出すわね」
言葉にすると懐かしさが心を過ぎる。もう10年以上も前の事だけど、私は転生者だからか幼い頃の事でも記憶はかなり鮮明だ。
「ん? そうか? だが、確かにこの部屋で二人で何かを食うのは随分久しぶりだな。それにこの部屋、あまり変わってないな」
「それなりに色々増えているけど、昔からのものはそのままだからね」
「うむ。なにやら落ち着くな。よしっ、腹もだいぶ落ち着いた。そろそろ話を聞こうか」
「私がネタ提供するって前提なの?」
思わず肘をついて、ジト目で返す。
そうすると破顔された。
「いつもそうではないか。何かあるのだろう。……あるよな? 今回はかなり切羽詰っているのだ。頼むぞ」
「……まあね。けどまずは、訳を話して。話はそれから」
「お、おおぅ。まあ、流石に外では話せん事だが、ここなら問題もなかろう」
そう言って話し始めたのは、お芳ちゃんの予想通り。
双葉山が負けて相撲好きの陛下がガックリ落ち込んで、鈴木侍従長以下、侍従達が困り果て、紅龍先生に縋ったという訳だ。
そして陛下が個人を応援するという話が外に漏れたら事なので、だんまりだったのだ。
それにしても、陛下は最初の実験放送以来、テレビで熱心に相撲を観戦していたとは聞いていたけど、テレビの影響がこんなところにまで及ぶとは流石に笑ってしまう。
そして再び思った。
(……日本、平和すぎだろ。まあ、嬉しいけど)
双葉山:
特に変化する要素もないので史実と同じ。
大陸の戦況より大きなニュースになった。
昭和天皇は相撲好きだったが、双葉山に思い入れがあったかは不明。
国際電話:
日本では1934年のマニラとの間が無線国際電話が最初。
その後、各地と結ばれ、中には有線もあった。
1938年頃には、世界中ほぼ全ての地域と結ばれている。
東京=サンフランシスコ間は有線もあり。
ただし当時の国際電話は、お値段がウルトラ高い。




