637 「クリスマス1938」
今年のクリスマスは、私にとっていつもより特別だ。何しろ私達の双子ちゃん達がいる。しかもお腹には、新たに一人エントリーしている。
いっぽう世の中は、取り敢えず日本は平穏で明るい年の瀬、クリスマスを迎えている。私の前世の歴史、体の主の歴史だと、もう兵隊さんが多数大陸に行っているだろうし、街中にはお堅い標語が沢山並んでいた事だろう。
けど、今私が生きている日本は、街中には若い男性が溢れているし、お堅い標語は殆ど見られない。人々の顔には笑顔があり、おめかしもバッチリだ。
少なくとも、たまのお出かけの車窓や買い物で見る帝都東京の景色は、平和そのもの。
大陸の内戦には、陸海軍合わせて1万名ほどが軍事顧問団という肩書きの義勇兵で派兵されているけど、日本軍は一方的な戦闘ばかりで白木の箱で帰ってくる兵隊さんは、ごくごく僅か。
そしてたまに白木の箱で兵隊が戻ってくるのは、この時代の日本だと時期を問わずほぼ日常だから、人々の話題に上ることもない。
たまに在郷軍人会とか国士の皆様が何かを催す程度で、21世紀のように戦死者が出たとかで報道が騒ぐことは皆無だ。
そんな中での1938年のクリスマスは、祭日の大正天皇祭と日曜日が重なったので、休日が1日減ってしまっていた。それでも土曜日がイブなので街は賑やかだ。
鳳の学園には私は行かないけど、鳳の本邸近くの公園では今年も恒例となったクリスマス・マーケットで賑わっている。山王の鳳ホテルとその一帯も、クリスマス一色だ。
そして鳳の本邸内も、今年は派手目に飾りつけなどがされている。
(もう、クリスマスか。前世の歴史のこの頃の日本って、何してたっけ? 大陸の戦争が完全に泥沼化して、それに近衛がアホな事言いまくって拍車をかけて、新年早々に何か別の原因で確か総辞職して、次の総理が平沼騏一郎だっけ?)
そんなイブの日を、クリスマスの飾り付けがされた本館の大広間の片隅で、ぼんやりとその情景を眺める。
(クリスマス、クリスマス。そういえば、『黄昏の一族』でも毎年パーティーイベントがあったなあ。最後がこの1938年で、攻略対象を最終決定するイベントがあったっけ)
そう思いつつ、視線が自然と姫乃ちゃんを探す。鳳の本邸で書生扱いしている特別奨学生も招待しているので、姫乃ちゃんの姿もその輪の中にいた。
38年度の奨学生が平凡な見た目の子達なので、相変わらずちょー可愛い姫乃ちゃんは、おめかししている事もあってよく目立っている。
ただその横に、攻略対象の男子の姿はない。
同じ特別奨学生の輝男くんがその輪の中にいてもいいんだけど、私の側近なので執事姿でお仕事中だ。他の側近達も、給仕などのお世話をしているか半ば形だけの私の警護役。けど警護の中に、シズはいない。
シズは秋に結婚して、私に合わせるように既に懐妊していたからだ。12月半ばで二ヶ月と分かったらしいから、32週後の7月半ばから後半辺りが予定日となる。
だから通常のメイド業務はともかく、私の護衛はさせられない。メイドとしても、重労働は命令で厳禁させている。
ついでに、周りにも気を使わせている。そうすれば、真面目なシズは逆に無茶や無理はしなくなる。
また、クリスマスにリズの姿はない。信心深い彼女はこの時期はガッツリ休暇を取り、年末年始に仕事に就いている。
そしてそれ以外は、基本的には一族の者だ。それでも大人は少ない。大人はクリスマスも社会的なお付き合い、大人の付き合いが多く、お爺様は政治家の誰かと会っている。善吉大叔父さんや時田、セバスチャンの姿もない。
またベルタさんは、4人目の赤ちゃんのお披露目、紅龍先生のノーベル賞の授賞式関連の招待と欧州各地での講演会で、11月から家族全員で欧州旅行とスウェーデンの里帰り。さらに帰路の北米でも講演会をしつつ戻るので、来年2月くらいまで帰ってこない。
時差的に、向こうはそろそろクリスマスイブの朝を迎えている頃だろう。
(こうやって見ると、虎三郎ファミリー以外は未成年とご婦人勢って感じね)
そう思ったように、虎三郎はアメリカ留学の頃からクリスマスは家族で過ごすと聞いている。
そして今年はマイさん夫婦と初孫が鳳の本邸にいるので、珍しくこっちに来ていた。そしてクリマスの習慣を重視するのはエドワードとジャンヌも同じなので、虎三郎兄弟姉妹と一緒だ。
けど、ハルトの姿はない。鳳グループに戻ってからは、クリスマスは仕事優先だからだ。そう言うところは真面目さんだ。だからイブは、午後から鳳ホールディングスの専務として接待クリスマス。
涼太さんも同じで、私もマイさんも家族揃っての初めてのクリスマスは、日曜までお預けだ。
私の同世代達は、龍一くんはまだ年末年始の休暇じゃないので、日曜日だけ参加予定。それ以外は、今は基本的にそれぞれの家族で過ごしている。
ゲストは、自分の家では特にクリスマスパーティーはしないという勝次郎くん。当然、瑤子ちゃんの側にいる。
虎士郎くんは、いつものようにグランドピアノに陣取り、クリスマスソングを演奏したり歌ったりしている。そしてたまに、禁断の未来ソングを披露している。
そして私の双子ちゃんとマイさんちの翔子ちゃんは、さっきまでは初めて見る情景、体験する事に大興奮だったけど、今は隣室でお昼寝中。世話役のメイドに見守りを任せ、大広間に戻ってきたところだった。
「奥様、お子様方は?」
「ぐっすり。しばらくは起きないでしょうね」
私が部屋に入ったのを目ざとく見つけた輝男くんは、気がついたら側にいた。
リズがいないので、輝男くんとみっちゃんが私の警護のチーフ状態だから少し気が張っているみたいだ。とはいえ、屋敷の中でもみっちゃんを従えての移動だから、気にしすぎ、もしくは私への過保護と言えそうだ。
「しばらくこの部屋だし、輝男くんとみっちゃんも、私の側にいなくていいわよ」
「はい。それでは、離れる前に何かお持ちしましょうか?」
もう大人な応対が十分出来るみっちゃんは、私が「お願いね」というと離れる。けど、輝男くんは離れようとしない。そうして静かに佇んでいる。
「ミツが戻るまで、お側に」
今更言っても聞かないだろうから、雑談相手だと私は勝手に了解する。
「大学はどう?」
「学校は非効率です」
相変わらずの実用一点張りだ。
「個人授業の方が良い?」
「はい。私に合った知識や技術のみ効率的に吸収できます。それに不要な勉学に時間を取られ、こうしてお側に仕える時間も制約されてしまいます」
その埋め合わせに、こうして側にいてくれるわけだ。ゲームの設定と違って、随分と忠臣に育ってしまったと思わなくもない。けど、全部今更だ。
「今までの学校や勉強と同じで、学んだ事がどこで役立つか分からないでしょう。こういう事、私が言えた義理じゃないけどね」
私の場合、教科書の要点を丸覚えして、他は家庭教師から洗練された高度な教育を受けているので、学校は学ぶ場ではなく休憩所や義務で行っていたようなものだった。
そんな私の言葉に、輝男くんは小さく一礼するだけだ。そうした仕草は、側近というよりすっかり執事っぽい。
多分だけど、私の四人目の執事になり、そして麟太郎の執事になるのだろう。
その輝男くんも、みっちゃんが私の好みの飲み物を持ってくると、二人して離れていった。
そうして入れ替わるように、同世代達が近づいてくる。
「輝男と何を話していた?」
「大学は退屈だって」
「輝男ならそうだろうな。だが、玲子の側仕えや護衛の訓練もしているんだろ」
「うん。なんだか、仕事が生き甲斐みたいになっちゃってるからね」
「あいつらしい」
玄太郎くんの質問だったけど勝次郎くんがそう返し、全員が苦笑した。輝男くんは小さな頃から一緒だから、この場にいない龍一くんと文武両道という点では似ていることを、みんなも良く知っている。
けど、普段から一番良く子供部屋に来る瑤子ちゃんの関心は輝男くんじゃない。
「麟太郎くん達は?」
「当分起きないでしょうね」
「あれだけはしゃいでたものねー」
そう、楽しそうに笑う。
自分達の弟と妹が小学校に上がった事もあってか、最近は赤ちゃん達にご執心だ。
もう一人、虎士郎くんも瑤子ちゃんと似た感じだけど、今は私達の下の世代の子供達相手にピアノと歌を色々聴かせている。
「うん。だから騒いでも起きないし、もう少し賑やかにしても良いわよ」
「玲子は騒いで大丈夫なのか?」
「ええ。そろそろ安定期だし、激しく動き回らなければ良いだけよ」
いつも私の心配をしがちな龍一くんがいないせいか、こういう時は玄太郎くんが代役な事が多い。
「じゃあ、虎士郎の方へ行こう。小さい子供と一緒に歌いたいって言ってたからな」
その言葉で部屋の片隅に鎮座するグランドピアノへと足を運ぶと、小さい子供達、1930年前後に生まれた龍也叔父様達と玄二叔父さん達の下の子供達4人に虎士郎くんが囲まれている。
「盛り上がってるー?」
「あ、玲子ちゃん! 双子ちゃんは今はおねむ?」
ピアノと歌を連続しているせいか、虎士郎くんはテンションアゲアゲだ。
「ええ、そうよ。だから加わりに来たの」
「待ってました! ……」
「ん? どうかした?」
「玲子ちゃん、穏やかな顔をしているなあって」
「クリスマスイブだからね」
「それもそうだね。じゃあ、もう一回定番から行こうか!」
そうして子供が好きそうな歌いやすく賑やかなクリスマスソングを、次々に演奏していった。
ただ、相変わらず私が教えた21世紀の歌が、時折挟まる。
しかもこのクリスマスソングで、私は大失敗をしていた。
小さな頃の話だけど、「赤鼻のトナカイ」や「ジングルベル」は定番中の定番だから昔からあるだろうと、安易に教えた上に特に他での演奏を禁じなかった。
けど、数年して妙に巷で話題になっているので調べてみると、「赤鼻のトナカイ」は日本版は勿論、原曲になるであろう音楽や歌がどこにもなかった。
「ジングルベル」の方は、楽曲はあったけど日本語の歌詞はどこにもなかった。「サンタが街にやってくる」も、原曲がギリギリセーフだったくらいだ。
他にも探すとありそうなので、もう怖くてやめた。けど、JPOPや歌謡曲、洋楽しか警戒していなかったのは痛恨の極みだ。
でもまあ、こうして楽しく過ごせるのだから結果オーライと思うしかないだろう。
新年早々に何か別の原因で確か総辞職:
第一次近衛内閣は、事実上の挙国一致内閣を作ろうとするも強い反発にあって総辞職。
もっとも、事実上のお友達内閣を作った上に、支那事変を政治的に酷く泥沼化させているので、それ以前の問題だろう。
「赤鼻のトナカイ」:
大元となった児童書が書かれるのが1939年。楽曲の誕生は1949年。日本版は1956年。
虎士郎は、これだけで音楽の歴史に名を刻んでしまうかもしれない。
「ジングルベル」:
大元は19世紀半ばにアメリカで誕生。
日本では1941年に最初に紹介。しかし戦時中だったため、実質的には戦後に紹介。
「サンタが街にやってくる」:
1934年11月にアメリカで初お目見え。
日本登場は1960年。
この3つで三大クリスマスソングだが、「赤鼻のトナカイ」の逸話の史実での登場が1938年なので触れてみた。




