632 「長沙大火」
10月末日、アメリカに火星人が攻めてきた。
勿論嘘なのだけど、ラジオのSFドラマ放送の演出で「火星人が攻めてきた!」という臨場感たっぷりの臨時ニュースを流したら、視聴者の皆さんが真に受けて大パニックになったという。
どこかの国が攻めてくるより、火星人が攻めてくる方が真剣に受けられるくらい、アメリカは平和という証だ。
けれども世界は、そうもいかない。
その少し前の10月末、大陸では中華民国軍が武漢地域を占領した。
蒋介石側の多くの兵士を逃しはしたけど、軍事的には決定的と言える勝利を収めた形になる。
蒋介石の軍隊は、共産党並みに減ったらしい。
そして11月3日に、中華民国政府の張作霖主席は事実上の勝利宣言を北京で実施。
「中華新秩序宣言」ってやつだ。
この宣言で張作霖は、抵抗するなら壊滅するまで矛を納めないと述べ、一方で降れば合流を許すとも言った。
この流れに、前世の記憶がある私は既視感しかないけど、これがこの世界の歴史であり現実だと考えるしかなかった。
ただ、相変わらず歴史って奴は因果を巡らせるのが大好きだと思うしかない。
そして、油断したら私やその周り、そして日本も因果に引き寄せられると思わざるを得なかった。
そして因果が巡るかのように、相手が日本軍でなくとも蒋介石は降伏も講和もせず、武漢が陥落すると長沙へと落ち延びた。
私の前世だと山の向こうの四川盆地の重慶に疎開するけど、そっちは張作霖になびいた軍閥が支配するので、逃げる事は出来ず。
四川盆地に篭もられたら厄介なので、この点は張作霖グッジョブと言いたい。
一方の長沙は、一時的な落ち延び先と見られていた。それでも出来れば踏ん張りたい場所でもある。けど踏ん張るどころではなかった。
何しろその長沙では、11月12日に街の全域を焼く大火事が発生。街は文字通り三日三晩燃え続け、人口数十万の歴史ある都市を灰とした。
難を逃れた蒋介石らは、腰を落ち着ける暇もなく最後の穴蔵である貴陽へと落ち延びていった。
そしてそこで南京政府改め貴陽政府を開くのだけれど、蒋介石はもはや四面楚歌一歩手前だった。
しかも、それだけじゃなかった。
「エッ? 長沙の街の火事って、自作自演?」
「自作自演。確かにそう表現できますな。蒋介石の兵が、街を焼き払ったのは間違いないようです」
「長くは保たないから、早々に焦土戦術に出たって事よね」
「相変わらずだけど、酷いわね」
「ほんと。けど、先があるんでしょう」
半歩後ろのマイさんの心からの言葉に頷きつつ、目の前の悪相の男に問いかける。そして相手は薄く笑みを浮かべた。
「はい。あくまで表向きには、という事です。そこで興味深い話が」
11月の中頃、長沙の火事の話は既に聞いていたのに、わざわざ呼ばれて鳳ビルの地下深くにやって来た。外では話せない話という事になる。
そして悪相の男、地下の主の貪狼司令が少し楽しそうだ。つまり、ロクでもない事件が起きているという事だ。
少しウンザリするけど、別に貪狼司令が悪いわけじゃないから先を促す。
「武漢失陥に際して、叛徒どもは秘密裏に全体会議を長沙で行なったと見られております。しかし蒋介石は、会議の最初の方でしか姿を見せず、そのまま貴陽まで逃げた様子」
その説明に、ギャラリー全員が先を促す。『叛徒』とは、張作霖の政府が最近になって使い始めた言葉だ。そして貪狼司令は、その言葉がお気に召したらしい。
対して聞いているのは、いつものメンツと言える私、秘書のマイさん、それにお芳ちゃんだ。資料や黒板は涼太さんが色々と手配しているけど、既に知っているからか淡々としている。
「つまり他のトップ達を囮にしたとでも? けど、張作霖の軍隊が長沙を攻めたって話は聞いてないわよ」
「はい。今回、張作霖は関係ありません。どうも蒋介石は、集まった者たちを一網打尽にしようとした可能性が高いのです」
「……一応は味方でしょうに」
「広州事件の復讐をする、またとない機会とでも考えたのでしょう」
「蒋介石が共産党に恨み積年なのは、今に始まった話でもないしね」
付け加えるように、お芳ちゃんのワンポイントコメント。それにしても、蒋介石は殺意高すぎだ。そしてそれよりも、思うことがあった。
(あれね。ゾンビ映画とかで、囲まれたショッピングモールの中で内輪揉めをするやつ。極限状態になると、人間って本性現すか凶暴になるからなあ)
「玲子ちゃん、どこ見てるの?」
思わずトオイメにもなっていたらしい。マイさんが、妙な表情で私をうかがっている。
その顔に小さく笑みを返して、気を取り直す。
「それで、誰か死んだの?」
「まだ不明です。ですが、長沙に広州政府の汪精衛、李宗仁、共産党の博古、周恩来がいたのは、ほぼ確実です」
「蒋介石らはすぐ逃げたけど、全員揃っていたってことね」
「はい。蒋介石、何応欽らは、一度は長沙入りしたのは間違いありません。汪精衛、周恩来とも一度は顔を合わせています。それは潜入した間諜が確認しております」
「文字通り全員集合か。そして蒋介石らはこっそり逃げ出して、街を囲んで住民諸共燃やしたってわけね」
「長沙は確か人口50万規模の街でしたよね。被害は分かりますか?」
「不明です。ですが、逃げ道を塞ぐように全方位から一斉に火が放たれたのは間違いないので、被害は相当出ているでしょう。また、放火に前後して飛行場が破壊され、使用不能になったと考えられています」
「殺意高いなあ」
マイさんは住民の心配をしたけど、私としてはそんな感想しか出てこない。酷すぎて、草も生えないってやつだ。
けど、お芳ちゃんは建設的だった。
「有力者の死者は分かりますか?」
「まだ何とも。ただ、共産党は幹部が相当集まっていたようだな。蒋介石がどうしようもないくらいに敗北したので、主導権を握るつもりだったのだろう。それと」
「まだあるの?」
「はい、奥様。共産党が多く入っていたのは、蒋介石らを暗殺する為だった可能性が高かったと分析しております。未確認ですが活動員も相当数入っていたようです」
「お互い様で、蒋介石が一枚上手の先手必勝って事か。相変わらず、大陸は乱世ね」
「全くで」
そこで貪狼司令の言葉が止まったので、指示待ちという事らしい。
「それで、この話はお爺様、龍也叔父様はご存知?」
「まだです。ご当主は貴族院、龍也様は軍務、他の方々も仕事中ですので。時田様ら、奥様の執事なら呼べますが」
「情報が揃ってないなら、まだいいわ。けど私の一存だと、より詳細な情報収集をお願いするくらいしかないんだけどね」
「政府には?」
「もうそれくらいは、私にも権限があるのか。じゃあ、政府と軍に情報回してあげて。向こうも、どうなったか知りたいだろうし。あとアメリカの方々にも。チャーチル様は、後でいいでしょう。あっちはあっちで、今は忙しいだろうし」
「畏まりました」
「うん。お願いね。あとは結果待ち。あ、そうだ。張作霖がこの混乱に乗じて長沙に攻め込む可能性は?」
「中華民国軍は、武漢と長沙の中間あたりの岳陽に先遣隊が進軍しておりますが、今のところ大きく動く気配はありません。大都市が丸ごと焼けたとはいえ、周辺に展開する蒋介石軍に対して兵力不足のようです。また、本隊を動かす金と食い物が足りんようです」
「了解。じゃあ、情報収集よろしくね。今日はこれでお開き。あっ、マイさん、お芳ちゃん、せっかく出てきたから、隣のビルでお菓子か何か買って帰りましょ!」
それで一旦話は済んで、言葉通り結果を待つ事になった。
今後、火曜日更新は今まで通り朝7時ですが、土曜日更新は7時は難しいかもしれません。(金曜夜作業なので)
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「火星人が攻めてきた!」:
1938年10月30日。だいたい作中の通り。
「中華新秩序宣言」:
史実日本(近衛内閣)が行なった「東亜新秩序宣言」の因果の結果。
日時は同じ。内容も史実のオマージュ。
長沙:
長沙大火 (ちょうさたいか)。1938年11月13日に史実でも起きた事件。
表向きは焦土戦術だが、この地に日本軍はついに攻め込まず。
周恩来暗殺の為、国民党軍が放火したとも言われる。




