625 「ソ連空軍志願隊」
夏に入ると、張作霖の軍に送り込まれた日本陸海軍の大規模な軍事顧問団が、大陸で活動を開始しはじめた。
それより早く、新年度が始まってからは日本陸海軍共に忙しそうにしていた。特に陸軍が忙しそうだった。
動きが新年度からなのは、去年の予備費の余りだけでは、多少の準備は出来ても兵を動かすには足りなかったからだ。そして政府が、安易に追加予算を認めなかったからでもある。
政府が認めないのは真っ当な理由で、中華民国の要請が必要だから。なにせ日本は、張作霖の中華民国政府を認め、後ろで支える立ち位置。軍の都合で、外交的な事を蔑ろにはできない。
けど、春先くらいから要請が出始める。
蒋介石側というより中華ソビエトへの義勇軍として、ソ連軍がかなり入り込んでいるという情報の確度が高まったのが理由だ。
当初は、蒋介石らとソ連は地続きじゃないし、船で運ぶにしても列強が監視していると楽観していたら違っていた。通常の貿易を装ったり、小さな船で少しずつ運んだり、爆撃機などはソ連の準支配領域と言える東トルキスタンから、自力で飛んだりしていた。
さらに、半ば独立状態な四川軍閥が、賄賂を得てソ連の人や物を通過させている情報まであった。
もっとも、ソ連の中華ソビエトや蒋介石の南京臨時政府への肩入れは、随分前から始まっている。
何せソ連の目的は、日本の目を自分達に向けさせない事。出来れば、自分達以外の力で日本を滅ぼすか赤化したいけど、それは現状では無理ゲーすぎるので、南京臨時政府への肩入れとなった。
下僕状態の中華ソビエトには命じればいいだけなので、この場合対象にはならない。
そして1936年12月の「広州事件」で、蒋介石、汪精衛、そして中華ソビエトが手を取り合ったので、支援の度合いを強化した。
そしてその結果、ドイツとの合作もあり力をつけた蒋介石は、そのアドバンテージを利用して賭けに出た。
ただし張作霖も列強も甘くはなく、蒋介石は賭けに負けてしまう。
けどソ連は、簡単に負けられては困る。
しかも蒋介石らが中華民国に合流したら、さらに困る。
中華民国を統一させて、満州に目を向けさせるという手もあるけど、それをするには中華民国政府は、日英米仏の金が入り過ぎていた。
それに張作霖は、ソ連との紛争で長男の張学良を失っているから、ソ連を強く恨んでいた。当然、共産主義も嫌っている。
このため、未だにまともな国交もないほどだ。
ただし国交がないので、取れる手が出てきた。
張作霖ではなく、取り敢えず蒋介石の政府が正当な中華政府だという方向だ。
もちろんソ連の逃げ道も用意してあり、正式承認とか主権承認まではしない。日本が満州にするように支援と援助するだけ。
そして、勝ったら承認するという立ち位置。
ただし、自分勝手すぎるドイツと違い、支援の手は抜かなかった。ドイツはただの金儲けだけど、ソ連は日本という脅威があるからだ。
「その支援が、『ソ連空軍志願隊』か。スペイン内戦と違って、義勇軍じゃなくて志願なんですね」
「ああ、そうだよ。さらにソ連は、資源とバーターでの3000万ドル分の武器弾薬の借款を、蒋介石らと約束している」
本邸の居間で、龍也叔父様とそんな話をする。
今日は日曜日で一家で本邸に遊びにきていて、今はハルトが双子ちゃんを幸子さんと龍一くん、瑤子ちゃん達と一緒に遊んでくれていた。
そして私は、ちょっとした休憩の雑談に、龍也叔父様から大陸内戦の最新事情を聞いている。
何しろ、武漢周辺で日本の義勇航空隊が、蒋介石の空軍とは毛色の違う連中、つまりソ連空軍志願隊と交戦した情報が入ってきていたからだ。
「そんな話もありましたね。香港をすり抜けて、広東の港に武器弾薬を荷揚げしていたんでしたっけ?」
「広東だけじゃなく、海南島の辺り、福建省の福州、泉州、廈門、それに大胆に揚子江を遡った例もある。日英米仏の海軍も、相手がソ連の国旗を掲げていたら手は出せないからね。その上、大陸奥地の四川からも流れている節がある」
「厄介ですね」
「ああ、本当に。しかも臨検した船の積荷が、トラックやトラクター、ガソリンだけという場合もある。これでは、ただの貿易だよ」
「上海の兄弟達には、出来る限りで嫌がらせや海賊もしてもらっていますけど、武装した兵士を載せているって報告があってからは、情報収集と地味な嫌がらせにとどめさせていると、お爺様も」
「揚子江は、どこかの軍隊や軍閥でなくても、賊は多いから武装するのも普通で、どこでもしている事だ。ご当主の判断が正しいよ」
「はい。けれど、ソ連の大規模な支援は、ドイツの合作と合わせると厄介そうですね」
「ああ。間違いなくね。こちらも軍事顧問団を急いで送って正解だった」
「急いで、その、大丈夫なのでしょうか?」
「地上部隊の中核は、敢えてソ連のご期待通り満州から引き抜いた。足りない分は、内地から増強してある。航空隊は、陸海軍共に1個大隊規模。ただ、それぞれ独自運用になるから、陸よりも空の方が心配だね」
「合同司令部などは無理だったのですよね」
「航空隊は、実戦経験者、戦訓獲得が目的とはいえ、意地の張り合いみたいなものだからね。それに配備される飛行場自体が別だから、問題も少ないだろう。問題は日本以外かな」
言葉の最後で、龍也叔父様が少し苦笑いする。そして私が首を傾けると、さらに苦笑を大きくする。
「いや何、日本の軍事顧問団より先に、中華民国の練兵をしていた軍人達を中心にして、外国人義勇部隊が編成されていてね。しかもおかしな話で、相手側のソ連軍部隊にはスペイン内戦で人民戦線に参加していた者達が、志願兵として馳せ参じているらしいんだよ」
(昨日の敵は今日の友、の真逆ね。そりゃあ苦笑も出るか)
「中華民国側は、国同士の協力関係や兵器の販売もあるから分かりますが、蒋介石らにスペイン内戦のような、彼らの言うところの正義があるのでしょうか?」
「張作霖は独裁者だそうだよ」
「今更ながらの真実ですね。けれど、大陸で民主的だったり共和的な為政者や政治組織があるとは、寡聞にして聞いた事がありませんね」
「彼らの理屈では、中華ソビエトは該当するのだそうだ。しかも中華ソビエトは、旧支配階層から人民を解放していると考えられているそうだしね」
「ものは言いようですね。村八分のゴロツキに名主を殺させて、代わりに共産党がその座に座るだけじゃないですか」
私の毒舌に龍也叔父様は苦笑いするだけで、口にしたのは別のことだった。
確かに、今話題にする事でもない。
「まあ、彼らの理屈はともかく、この極東の空でも欧州人同士が血を流しあうわけだ。ただ、中華民国側の搭乗員の多くが正規の軍人じゃないから、中華民国空軍との間に問題が多いと聞いている」
「規律などの問題ですか?」
「規律も、だね。士気もあまり高くないし、空に上がって戦果を報告するが、中華民国空軍の者が知る限り、そんな戦果は挙げていない。そしてその点を指摘すると、まあ、色々と言うわけだ」
(映画や漫画の中みたいな、戦場を渡り歩く歴戦の傭兵達、というわけにはいかないんだなあ)
話を聞いて、私も同じように苦笑を浮かべてしまう。
けどまあ、それは日本の軍事顧問団の話じゃないし、聞きたい話でもない。
「その人達と違って、日本の軍事顧問団は活躍されているのですか?」
「そっちはそっちで、多少問題ありかな」
「損害が大きいとか?」
「いや、今のところは戦果を挙げている。蒋介石らの空軍は、もう大した事ができる状態じゃない。ソ連の志願兵は、あまり士気が高くない。だから、空の上だと逃げる方が多い」
「それなら、優位に戦えているのですね」
「優位と言えば優位だ。ただ、搭乗員達の言うところの『獲物』が少なすぎて、陸海軍が張り合っているだけならまだしも、『獲物』を奪い合う状態もあると報告が上がってきているんだよ」
「なんとなく、その情景が目に浮かびます。では、日本の軍事顧問団も迷惑をかけているのですか?」
「それぞれの航空隊内の規律は問題ないし、中華民国空軍も息切れしていたところだから、感謝はされているよ。お陰で、空の体制を立て直し、制空権を奪って攻勢を再開できたともね」
「では次は、地上部隊の出番ですか?」
「ああ。陸軍としては期待しているし、恐らく盾がわりに使ってくるだろう。張作霖は、その辺は遠慮のない人物だというからね」
「地上にもソ連の機械化部隊がいたりするのでしょうか?」
「それはないだろう。太い陸路があれば話も別だったかもしれないが、重装備を大量に持ち込めるとは考えられない。それに、何千名もの志願兵が入ったという情報もない。こちらとしては、機械化部隊の実戦演習を存分にするだけだ。戦車第1師団の酒井閣下が、自ら乗り込まれたからね」
「実戦演習ですか」
「相手がまともな機甲装備を持たないから、旅団編成とはいえ重装備だから、こっちは何でもありだよ。酒井閣下の麾下にも機甲戦の選り抜きを付けたから、存分に戦って下さる筈だ。本当は、俺が行きたかったくらいだよ」
「そうなのですね。では、次の戦いで期待ですね」
「ああそうだね」
ソ連の義勇軍が現れてどうなるかと気になったけど、龍也叔父様の様子を見る限り、どうやら大陸の内戦は当面かもしれないけど大丈夫そうだ。
ソ連空軍志願隊:
史実でも日中戦争時に派遣されている。
1938年から39年は、日本の航空隊の一番の強敵だった。というか、ソ連空軍志願隊とソ連の援助がなければ、中華民国は少なくとも空で戦い続けられなかったのは間違いないだろう。
外国人義勇部隊:
アメリカのシェンノートが有名だが、日中戦争初期には色々な人種がいた。ただし、殆ど活躍していない。
さらに、シェンノートらの「フライング・タイガース」の実質的な活躍は、太平洋戦争勃発後。
酒井閣下:
酒井鎬次 (さかい こうじ)。
陸軍最初の機械化部隊の独立混成第1旅団の旅団長を率いたが、東条英機の無茶振りにより日中戦争で不本意な戦いをさせられた。




