表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の十五年戦争  ~転生先は戦前の日本?! このままじゃあ破滅フラグを回避しても駄目じゃない!!~  作者: 扶桑かつみ
物語本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

632/750

623 「秘密警察幹部の亡命」

 7月9日、土曜日。大安吉日。鳳虎三郎の次男の鳳竜とジャンヌが、横浜にある教会でキリスト教式の結婚式を挙げた。

 そして翌日の日曜日に、鳳ホテルで披露宴を催した。


 式と披露宴の日取りを決める時、最初は7月の最初の土日と考えた。けど、7月最初の土曜日は仏滅。キリスト教的にはまったく問題ないし、二人はクリスチャンだから問題ないけど、やっぱりダメ出しが出た。


 そこで1週間先の9日土曜日に結婚式、翌日曜日に披露宴となった。

 けどこれが幸いして、天気は良い上に気温も低いという7月初旬、梅雨の真っ只中だというのに、とても天気に恵まれた。

 そういう点から、日本人達は縁起がいい、運がいいと喜んだ。


 しかも7月最初の土日の2日、3日だったら、どちらも1日中大雨の中で、式と披露宴をしているところだ。その上、阪神地方では大水害が発生していた。主な被災地が、鈴木商店の本拠と言える神戸とその周辺なので、鳳グループとしても救援隊や支援物資、見舞金を送ったりもした。

 この時の水害は関東など日本各地でもあり、この年は例年に比べて大雨や集中豪雨が多かった。


 そしてこういう災害時は、カーフェリーを自前で抱えていると役に立つ事が多い。例によってと言うべきか、最初は私が言い出したけど海に囲まれた日本での利便性は誰もがすぐに気がついた。

 陸海軍も車両運搬用に似た船を保有するようになっていたけど、同じように災害救援と復旧に活躍していた。

 陸海軍の方は、国民への人気取りという面があるけど関東大震災や昭和三陸地震の教訓や記憶の影響だそうだ。この辺りは、今も未来も違いはないらしい。



 一方で式の前後に、ジャンヌの家の人達、アメリカからの来賓などが日本を観光したり、鳳の屋敷に招待したりと、私の時ほどではないけど賑わった。

 毎年夏に観光客としての上客を大勢呼んでいる形になるので、商工省などからはもっとして欲しいと言われたりすらしている。

 ただし今回来たのは、アメリカの上流階級でも血統的に古い血筋かその流れの人たちが中心。ビジネス関係は少なく、私担当のスミスさんも忙しいとかで来なかった。


 そして披露宴を終えると、二人は新婚旅行へと旅立った。

 これでしばらくは、私は大荷物を抱えたジャンヌの不意の訪問を気にしなくて済む。


 新居の方は、虎三郎達の横浜の屋敷で同居。というよりも、リョウさんが虎三郎家を継いでいくので同居が基本だ。だからマイさん達、サラさん達は、婿養子や入り婿で分家を立てて家からは出る形になる。

 ただ、紅家の男爵家格上げが今進んでいて、それと同時並行で虎三郎家自体を男爵家にするという話もあるので、まだ確定はしていない。


 そして今後もそういう事が増えていくだろうという事で、将来の一族が住む都心部と郊外の土地を押さえたりもしている。ただし、主な場所は紅家の中心となっている川崎生田の小さな山林になる予定だ。

 引っ越す予定なのは、私達の代から以後、一族の数が随分と増えたから。四半世紀後には、一大氏族になりかねない数だ。


 一方で、次の時代の布石でもある。前の大戦後のイギリスは戦争で散財した穴埋めを金持ちに求め、ジェントリ達は相続税などで軒並み経済的に没落した。

 次の大戦が終われば、日本もそうなるだろうと考えての事だ。

 鳳の本邸も、十年ほど先には国に寄付して美術館か博物館にでもすればいいだろう。

 もっともそれは少し先の話。私にとっては、生まれたばかりの双子ちゃん達で手一杯だ。



 そしてリョウさん、ジャンヌの披露宴のあった3日後の7月13日、鳳ホテルで一つの会見が行われた。

 このせいで、13日に予定していた双子ちゃん達の「お食い初め」を翌日に延期させられてしまった。

 同じ日にしても良かったけど、内容が気になったからだ。


「玲子様がご覧にならなくても、委細ご報告申し上げましたものを」


 記者会見場となった大宴会場が覗ける部屋で、貪狼司令が私の横顔を見る。それに窓から目を離して、貪狼司令の丸メガネの奥の細い目へ視線を据える。

 ここまで来て追い返されたら、来た意味がない。


「見たかったのよ。歴史の1ページになるかもしれないから」


「しかし、手を打たれたのでしょう。海軍は、元気に日本海で演習中ですよ」


「予想以上に船を出してくれて有難いわね。あれだけ出せば、ソ連も大人しくなるでしょうし」


「ですが、まだご懸念がある、と」


「うん。ソ連政府は、海軍の演習に文句付けた以上は何も言ってない。それにこれから会見するのは、秘密警察の幹部でしょう。しかも極東のてっぺんの。粛清されたくなければ、部下の皆さんが勇み足で実績作りして、忠誠心を見せようとするんじゃない?」


「その懸念は否定致しません。現に、極東ソ連軍の一部と国境警備隊に動きが見られます」


「動きと言っても、兵隊が動いたわけじゃないわよね」


「はい。先週、極東地域での暗号電文のやり取りを、関東軍が傍受しました。国境警備は平常通りのようです」


「龍也叔父様からそれは聞いた。そして動くなって、送った下っ端に上の司令部が返事した事も」


「はい。今回の一件に合わせたかのような日本海軍の日本海での大演習に、少なくともハバロフスクとウラジオストクのソ連軍司令部は震え上がっているとか」


「合わせて、関東軍も演習しているんだっけ?」


「はい。龍也様が永田様らと動かれ、戦車部隊、機械化部隊の合同演習を。日本国内では、機械化部隊が十分に動き回る演習ができる場所など、殆どありませんからな」


「確か何年か前に、北海道と富士山の裾野に作ったんだっけ?」


 そう言いつつ、私の前世の歴史の富士演習場を思い浮かべてしまう。


「富士の方は、拡張と施設充実になりますな」


「昔からあったんだ」


「はい。確か日清戦争の辺りに、陸軍の最初の演習が行われたのが富士の裾野です。広げたのは、明治の終わりか大正の始め辺りだった筈。2年ほど前に、射程距離の長い重砲、戦車など機械化部隊の機動訓練が出来るようにする工事をしました」


「説明ありがと。けど、満州の方が広いのね」


「何もない場所も多いですからな。規模が違うそうです。元の住民を移住などさせ、20キロ四方以上あるとか」


「それくらいないと、戦車300両、その他諸々で2000台を超える車両が動き回れないって事か。そりゃあ、狭い日本にそんな平地は余ってないわね」


「山で良ければ、土地面積的には幾らでもありますがね。おっと、話が逸れましたな」


「それもそうね。それで、日本軍が陸海活発だから、極東ソ連軍は何かしたくても何もできず。そして今日の発表もやりたい放題って事で問題ない?」


「おおむね」


「問題は?」


「会見をする亡命者は、家族から離れた状態で亡命したのですが」


「家族は亡命失敗したのね」


「はい。今のソ連国内は、僅かでも疑わしければ逮捕する状態です。国民の1割が収容所や刑務所にいる、という噂すらありますからな」


「そのうち何割が、まだ存命なのやら。それで、亡命失敗したから、家族を気にして十分に話せないの?」


「恐らくもう駄目だろうとは考えているようです。それが正しいでしょう。それと話さずとも、重要書類を抱えて亡命していると龍也様からお聞きしています。龍也様は、相手の手札が見えたとおっしゃっておられました」


「じゃあ、これは宣伝みたいなもの?」


「ソ連国内で行われている大規模な粛清を世界中に伝える、という点では良い宣伝になるでしょう。まだ共産主義に幻想を抱いている連中は耳を貸さんでしょうが、民衆の支持をさらに失うでしょう。いい気味だ」


 相変わらずな毒舌に苦笑してしまう。けど、政府と陸軍、そして鳳の後援で、このあとはアメリカでも会見を行うために渡米が予定されていた。

 そしてその本人が、ようやく顔を出した。

 ゲンリフ・リュシコフ。ソ連の秘密警察で出世して、亡命する前は極東で一番偉い地位にいた。去年から絶賛進行中の大粛清でも、辣腕を振るったらしい。


 けど、上司というかトップのニコライ・エジョフ長官がやばくなって、そのとばっちりで粛清確定となったから亡命したのだと聞いている。

 エジョフが失脚となると、そろそろ大粛清も終わりで、スターリンは不要になる猟犬どもの始末にかかったと見るべきだろう。

 そしてその後に、あのべリアが秘密警察のトップに就くはずだ。


 ただこのリュシコフは、辻政信が手を伸ばしていた一人でもあったらしい。この辺りの事は以前聞いたけど、この亡命劇にも満州で辻ーんが一枚噛んでいると聞いている。

 それだけ見込みのある人物か、利用価値のある人物という事だ。


 辻ーんは彼を含め直接的に1000人を超える人を日本と関係があると周りに思わせたけど、それらの人たちと実際に親しくなる必要はゼロだ。周りがほんの少しでもそう思えば、それでいい。「日本のスパイの疑いあり」と、密告する人が出れば条件クリアとなる。


 今頃は、シベリアで木の数を数えていれば御の字だろう。

 また、嘘、もとい法螺を言って回ったとも聞いた。どうせ数年後にはいなくなる人達だから、嘘がバレてもノープロブレムというわけだ。


 そしてそれらの工作で、相当数の軍、官僚、政府関係者が最低でも第一線から去った。ソ連にとって、有益な人達が。

 これでソ連がコンマ1パーセントでも弱体化したのなら、多少の散財にも意味がある。


 一方では、本当に親しくした人とは真剣に真摯にお付き合いして、その一部を粛清が始まる前にソ連国外に逃がしたりもしている。ハルビンには、そういう人が何十人も実質的に亡命していた。

 リュシコフもその一人だ。

 そういう所は、いかにも辻ーんな気がした。


 ただこのリュシコフ、相当の悪党だ。

 何せ秘密警察で、粛清していた側だ。龍也叔父様の話では、ソ連国内に住む朝鮮系の住人を日本とのスパイになる可能性があるという理由で厳しく弾圧したり、根こそぎと言えるレベルで中央アジアに強制移住させている。

 職務に忠実で有能だとしても、まごう事なきクソ野郎だ。


 だから私としては、利用する人間でしかなかった。

 そして当人自体に関心はなかった。その先に、日ソの武力衝突が起きるかどうかに関心があっただけだ。

 会見自体は、ソ連の粛清に関するもので、その後も日本や欧米のマスコミに、色々と話していく事になる。


 そしてその夏、ソビエト連邦と関東軍もしくは満州臨時政府軍の間に、特に事件は起きなかった。

 極東のソ連赤軍が日本軍に対抗して軍事演習を始めたと聞いた時はヒヤリとしたけど、それだけだった。


 その証拠に、ソビエト政府が日本は極東での軍事緊張をいたずらに高めようとしている、と悪し様に罵ってきた。

 そして彼らの行動パターンから考えて、わめき散らしたという事は実際に行動する事はない。

 つまりは、負け犬の遠吠えだ。そしてこれで秘密警察幹部の亡命の問題は、おしまいという事だ。


 後日、この時期に極東の秘密警察内で、大きな人事異動があったという情報ももたらされた。

 新たに赴任した者はともかく、去った者達がどうなったのか、この時期のソ連から考えるまでもなかった。


阪神地方では、大水害が発生:

1938年7月3から5日。阪神大水害。特に神戸市の主要部が大きな被害を受けた。



富士山の裾野:

現在の東富士演習場。本州最大規模。一部が、富士総合火力演習の会場にもなっている。



ゲンリフ・リュシコフ:

ソ連秘密警察(NKVD」の幹部。亡命当時はNKVD極東局長。

粛清されそうになった為、日本(満州国)に1938年6月13日亡命。

この人の亡命の名誉挽回で現地秘密警察管轄の国境警備隊が動き、「張鼓峰事件」になったとも言われる。


なお、日本への亡命記者会見が、山王ホテルで行われた。(この世界での鳳ホテル)



張鼓峰事件:

1938年7月29日から8月11日。

朝鮮とソ連国境に食い込むように満州国の領土があり、その一部地域での領土問題から大規模な日ソ間の国境紛争になった。


この世界では、史実より日本が軍事的優位にあるのでソ連軍(秘密警察管轄の国境警備隊)は動けず、事件は未発に終わる。


なお、このままだと「ノモンハン事件」は国境問題という最初のフラグすら成立していない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] >あのべリアが秘密警察のトップに就くはずだ ベリヤなのかベリアなのか表記を統一してください。
[一言] この時まさにエヴィアンでユダヤ人問題の国際会議が開かれ、そして欧米諸国がユダヤ人がどうなっても良いと思っていることが明らかになってしまう
[良い点] リュシコフにアメリカでも会見させるとか流石やで笑 [一言] 辻ーんの帰国報告会で恩知らずにも鳳とお嬢様に噛みついてた武藤章と田中新一、リュシコフの持ち出した内部資料と会見で語られた当事者の…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ