622 「国境問題?(2)」
龍也叔父様だと軍事的な事は長文解説されるけど、セバスチャンならちょうど良かろうと聞いてみることにした。
「ねえ、ソ連の師団数って物凄く多いでしょう。極東ソ連軍も、16とかじゃなくて40か50くらいあったわよね。ソ連の師団って、そんなに弱いの? 大陸の「師」でもそこまで弱くないでしょう。師団って万国共通じゃないの? その辺が、いまいち分からないのよね。しかもソ連赤軍の情報少ないし」
私の質問の連打を聴き終えたセバスチャンが、大きく頷く。
「私も専門ではありませんが、確かに分かりにくいですね。私も、ご当主や龍也様に聞いた事がございます」
「じゃあ、分かりやすく、簡潔によろしく」
「はい。そうですなあ、ごく単純に表現すると、戦術単位が1つ違っているのです」
「分からない」
「部隊1つ1つの規模が極端に小さいのです。師団が旅団、旅団が連隊程度の部隊規模しかないのですよ。場合によっては、師団が連隊規模で、軍団という一つ上の単位で師団規模となります」
「なんでそんな事を? 昔から?」
「いえ、ソビエト連邦もしくは赤軍になってからです。当初の目的が治安維持軍だったなど、軍事的、専門的には色々と理由はあるそうですが、私の見るところ理由は一つです」
「その理由を聞かせてちょうだい。あー、けど大体見当ついたかも」
「おそらく今思い浮かばれたのが正解です。要するに、書類上の編成を偉くしておけば、上級ポストが増えるからですな」
「ある意味、共産主義国家らしいわね。けど今、その将校が絶賛粛清中でしょ」
「随分粛清されたという噂ですな。ですが、問題ありません。下っ端を引き上げれば済む事。人はいくらでも替わりが居るというのが、連中の考え方ですからな」
「そういえば、そうよね。けど、赤軍大粛清をしつつ軍備も急速に増強中なんだから、矛盾しているようにしか見えないわね」
「まったくですな。そしてそんな連中を相手にしないといけない、日本などの隣国は堪ったものではないと、部外者ながら同情してしまいます」
「セバスチャンも鳳の人間なんだから、部外者じゃないわよ。それに、あなたの出自的にもそうなんじゃないの?」
「ロシア、ソビエト国内では、少し微妙ですな」
「そうなの?」
「確かにソビエト国内には、ユダヤはかなりの数が住んでおります。ポグロムという弾圧、迫害にも晒されました。ですが革命後には、一部は地位が向上していると聞いております」
「そう言えば、外務大臣もユダヤ系よね。あれって、共産主義は平等って建前の影響?」
「それも表面上は影響しているとは思います」
「ん? 何か言いにくい理由があるの。それなら聞かないわ。話を戻しましょう」
「いえ、構いません。ご存知のように秘密警察にも多くが採用されており、その力でソビエト国内でのユダヤの地位向上を図っているというのです」
高利貸しなど汚い仕事をユダヤ人に押し付けるというのは、ヨーロッパの歴史上でもよく見られたけど、秘密警察はその上をいっている。
そしてソ連の場合、秘密警察、チェーカーを使ってロシア人以外の民族を弾圧している。その汚れ仕事は、ロシア人を使うより少数民族を当てて民衆の憎悪を向ける矛先とする。
昔から権力者がよく使う手だ。だから、ソ連の秘密警察にはポーランド系、ユダヤ系が少なくない。
ただそんな話を改めてその同胞から聞くと、返す言葉に窮してしまう。
けどセバスチャンは、「お気になさらず」と破顔する。
「彼らが選んだ事です。それにソビエトでは、極東の一角にユダヤ人自治州も作られました」
「けどそれ、あまり良い場所じゃないでしょう。それに今の大粛清では、ユダヤ人も対象になっているって報告もあるわよ」
「それでも、なのです」
「複雑ね。私は新天地は用意してあげられないから、何も言えないのが辛いわ」
「奥様は、今ままで多くの同胞に手を差し伸べて下さいました。我々は決してそれを忘れません」
「実行したのはセバスチャン、あなた達よ。私は多少のお金とコネを用意しただけ。それに今は、日本政府がしている事よ。あー、そう言えば、今年の秋にも酷い事件が起きるけど、対策してくれている?」
「はい。勿論にございます。それより、話がまた外れております」
「気になる事が色々あるのよ。けど、ごもっとも。それで極東の軍事均衡ってやつは、やっぱりソ連優位なのね」
「はい。ソ連赤軍16個師団相当だったものが、2個師団増強されており、今年中に最低でもさらに2個師団増えると見られております」
「4つか。その中に、戦車部隊とか機械化部隊みたいな強いやつは?」
「ございません。赤軍大粛清の影響で、新しい戦術や装備の転換を進めていた元帥達、将軍達、高級将校達はあらかたいなくなり、近代化が止まっておりますからな」
「比較すらできないけど、日本軍の粛清なんて粛清にも値しないわね」
「はい。ですが、一方で古い頭の連中も粛清できたので、新たな部隊編成は進んでいるようです」
「なんにせよ、20個師団は脅威すぎでしょ。関東軍って、確か今増強中よね」
「はい。1939年度中の計画では、朝鮮軍を足せば9個師団。うち2つは戦車師団で、戦車総数は800両にまで増強されます」
「それは1年半先。今は?」
「昨年から1個師団が移動したので、8個師団。新たな戦車師団は、2個連隊がこの春に編成されました。また、8個師団のうち5個師団が、近代化した重装備の自動車化師団です。現状でも戦車の総数は約600両になります。加えて、有事の際には内地から3個師団が直ちに派兵可能の体制を敷いております」
「極東のソ連軍って、確か戦車が1000台以上いるのよね」
「現在は、約二倍の1200から1500という推定値になります。ですが分散していて、あまり集中配備されておりません。それに『九五式重戦車』なら、量を質で圧倒できるかと」
「圧倒か。そういえば、陸軍の新型って何か知ってる?」
「虎三郎様の直属チームが開発中で、新機軸や新装備が多く難航しているとか」
「うん。私も色々と素人意見を言ったから、気になってるのよね。こないだ虎三郎から軽く聞いたけど」
「おかげで、『九五式重戦車』は世界に先駆ける性能でした。今度も世界の先端となる事でしょう」
「だといいけどね。とは言え、まだ先の話か。それじゃあ、飛行機は?」
「満州の日本軍が400機。本土に300機。満州空軍が50機程度。加えて、海軍の基地航空隊が300、航空母艦の航空隊が200あります」
「あれ? 海軍の方が少ないの? 予算多くなかった?」
「海軍は、各艦艇に搭載する水上機、地上配備の飛行艇などが別にあります。陸地の戦いで使える数となると、この程度の数字になるかと」
「なるほどね。じゃあ、ソ連空軍は? 前に聞いた時は1200機だったけど、やっぱり増えてる?」
「はい。推定ですが1400機程度。大量に生産した戦闘機が、かなり導入されております」
「資料にあった複葉機じゃないやつね。けど新型は、日本の陸海軍も導入してたでしょう。川西さんも、水上戦闘機とその発展型の戦闘機を売り込んだって報告あったし、負けてないわよね」
「川西の試作機は、どちらも海軍では正式採用はされませんでしたがね」
「あれ、そうだっけ? 戦闘機の方は凄いスピードが出るとか聞いてたから、てっきり採用されたものと思ってた」
川西は今まで戦闘機こそ開発していないけど、研究開発はしているし、随分前に水上機の海外レースにも出ていたから、いけるだろうと思ったが甘かったらしい。
「海軍の評価は、『真っ直ぐしか飛ばない単葉の水上機など、速度競争以外の用途なし』とまあ、けんもほろろという奴ですな」
「私は『搭載エンジンは三菱の新型、機体は丈夫で部品が少なく、生産が容易く整備性も良好。生産効率も他社を圧倒しており、量産すれば低価格で提供可能。軍用には最適である』とか聞いてたのに」
「良い機体と欲しい機体は、必ずしも合致しないという事なのでしょう」
「商品と同じか。まあ今はいいわ。それより極東ソ連軍の話だったわね」
「はい。質量共に、互角の戦いは出来るかと。ですが、未知数も多いのが現状。この秋にも行われると見られる、武漢でのソ連空軍の情報が欲しいところですな」
「それ、龍也叔父様も言ってた。だから急いで、陸海軍合同で義勇空軍を派遣するって」
「そうでしたな。機械化旅団はその後だとか」
「龍也叔父様は、地上部隊も平原での戦いが終わるまでに送り込みたいとおっしゃっていたけどね。なんにせよ、大陸派兵は義勇軍程度で済んでくれて、本当に良かった」
「あの底なしの大陸での全面戦争など、ぞっとしませんからな。ソ連との睨めっこも、悠長には出来なかったでしょう」
「本当に。これで、余計な国境紛争が無ければ、もう少しの間は平和を享受できそうね」
「はい、奥様」
そう言って「お嬢様」と言っていた時と同じように、セバスチャンが恭しくお辞儀した。
セバスチャンは私への忠誠が高すぎるから、時田を双子ちゃんの長男に「爺や」として付ける事を考えた方がいいかもしれない。
ポグロム:
ロシア語で「破滅」「破壊」を意味する。
ロシア国内でのユダヤ人迫害を指し、ホロコーストの語源。
欧州のユダヤ人は、ソ連とポーランドに多い。
今年の秋にも酷い事件が起きる:
「水晶の夜」。ドイツでの、ユダヤ人襲撃事件。ホロコーストの重要フラグ。
少し後で触れると思います。
資料にあった複葉機じゃないやつ:
「I-16」戦闘機。第二次世界大戦開戦頃のソ連空軍の主力機。大戦前としては、呆れるほど生産されている。
1938年頃だと新型の主力戦闘機になる。
川西さんも、水上戦闘機:
史実の川西飛行機は、1942年まで水上戦闘機は開発していない。
この世界では、鳳が金、人、技術をモリモリ突っ込んでいるので、状況がかなり違っている。
日本の発展と川西の影響で、日本の航空機開発全体も史実より少し早い想定。
川西の試作機のエンジンは、完成したばかりの三菱の「金星」の初期型になる。
機体は、「金星」を積んだ「強風」に近いイメージの機体になるのだろう。




