616 「第1次宇垣改造内閣」
私は子供産んで育て始めたわけだけど、私など御構い無しに世の中は動き続けている。
そんなところにも歴史の容赦なさを感じる。
私など大きな流れの前の小石といった心境だ。
もっとも、日本が大陸で大戦争を始めた私の前世とは大きく違っているので、日本国内は穏やかだ。しかも、大陸での大規模な内戦に伴う戦争特需で沸いている。
なお、私は出産の前後1ヶ月は、世の中の情報からかなり離されていた。けれど、入院中でもハルトやお芳ちゃん、それにマイさんの見舞いに来ていた涼太さんから、相応に話は聞いていた。
けど、私の前世の歴史で覚えている限り、日本が戦争していないなら世界は大きく動かないと見越していた通り、慌てるような事件は起きなかった。
勿論、様々な事が水面下で進んでいたり、どこかの国の陰謀、策謀が着々と進んでいるのは間違いない。
けど、歴史の表に出てくる情報は、平穏もしくは小康状態を示していた。
ただ、私は仕事をしばらく休んでいたから、今よりも少し前に何があったのか、把握しておかないといけなかった。
「うちの本年度計画と社長会はこんなもんか」
「うん。こんなもの」
「なに? 顔に何かついてる?」
「ううん。以前と変わらない、……いや、もっと元気になっている気がしてね」
私達の仕事部屋で、お芳ちゃんから掻い摘んで話を聞いていた。お芳ちゃんの方こそ、相変わらずの真っ白美少女だ。
平日の午後で、銭司と福稲はまだ学校、マイさんは今は赤ちゃん達のお世話中なので二人しかいない。
あとは扉の外に、みっちゃんと側近の護衛が控えているだけ。シズ、リズは今はローテーション外だ。
そして言われたので、自分の顔をペタペタと手で触ってみる。
「うーん、幸せだから? あ、凄く食べてるせいね。きっと」
「赤ちゃんの分も?」
「そう。場合によっては、1人で4人の相手になるからね。大抵は2人だけど、なんかこう、泣かずに順番待ってる感があるのよ。あの子達」
「そうなんだ。偉いね」
「うん、良い子達ね。もっとワガママでいいのに。それより、話済ませてしまおう」
「はいはい、母ちゃんは仕事熱心な事で」
「母ちゃんって。そうなんだけど、18でそう呼ばれると意外に堪える言葉ね」
「だろうね。でも世の中には、女学校出たらすぐ結婚って人も少なくないし、多少早婚かもしれないけど普通なんじゃないの?」
「そういうお芳ちゃんはどうなのよ? 良い人いる?」
「全然。そもそも結婚する気ないし」
「いやいや、しなさいよ。その頭脳を引き継ぐ子供残さないでどうすんの。世の中の損失よ」
「フフッ。そういう言い方が、お嬢っぽい。あ、そうだ、子供も生まれたし、麟華ちゃんが新しいお嬢になるのか」
「そうねえ。で、いい加減、私の呼び方決まった?」
「それなんだけど、やっぱりお嬢でいいよ。私が仕えるのはお嬢だけだし。それとも奥様がいい?」
「どっちでも。けど、お芳ちゃんのくせに、個性がないなあ。……それとさあ」
「なに?」
「私って『奥様』なの? 誰かの影にいても、別に奥にいないし。場合によっては旦那より前だし。そもそも鳳の長子って事で、一族内では上位に位置したままだし」
「それはそうだね。でも尚のこと、私にとってはお嬢で良い気がするよ。外からだと夫人や奥方だろうけど。晴虎様は名前以外はなんて呼ぶんだっけ?」
「外では妻ね。私は夫。私はまだあんまり使ってないけど」
「関係が複雑だからそうなるか」
「うん、そうなる。あ、そうだ、社長会もだけど、鳳パーティーの話はハルトから一通り聞いているけど、補足は何かある?」
「ないよ。鳳パーティーで私達お嬢の側近は、端っこにいるだけだからね。晴虎様、紅龍様、涼太様は、子供ができたっていうので、相手が引っ切り無しで忙しそうだったくらいかな」
「言ってた、言ってた。紅龍先生と涼太さんが一緒で助かったって」
「あっそ。でも、晴虎様は忙しそうにしてるけど、話す時間はちゃんと取れてるんだね」
「趣味を犠牲にしてくれてる。まあ、ここ最近は、私の体の復活を待ってた感が半端ないんだけどね」
「はいはい、ご馳走様。夫婦円満で何よりで、側近一同を代表してお慶び申し上げます」
「本音と建て前の両方言うかなあ。そんな事言ってると、縁談紹介するぞ」
「だから、いいって。子供も白かったらって、どうしても思うから」
「それは大丈夫だって。まだ医学的、科学的には解明されてないけど、遺伝はしないから。むしろその頭脳は遺伝する可能性が高いんだから、次に伝えないと。私も出来るだけ残すつもりだし」
「鳳一族は優秀だもんね。けど、お嬢の夢に出たっていう遺伝の話は、ちょっと眉唾っぽい」
「そんな事ないって。見てくれ以外にも、数学、音楽、運動は遺伝するの。あと、文才もだったかな? 環境にも左右されるけど、環境は最高のものを用意するし」
「環境ねえ。その結果が、鳳一族であり、富裕層全般で優秀な場合が多いって事なんだよね」
「環境は大切よ。私達みたいにずば抜けたおつむを持っていても、環境が整ってないと意味ないからね」
「それは自分の人生で、嫌という以上に実感してる。だから鳳には感謝しているし、鳳の為には尽くすよ。お嬢が命じるなら、結婚もする」
「うーん、お芳ちゃんも命じないとダメなのかあ。まあ、私も大して違わないんだけど」
「私以外は?」
「シズも散々ごねたから、約束の形で命令。リズは、私が命じるならって、お芳ちゃんと同じ事言われた。結婚する気がゼロすぎて」
「アハハハ、確かにそんな雰囲気だね。でも私達は主従だから、命じるのも普通だと思うよ」
「そうじゃない世の中になってくれればと思うけどね。まあ、愚痴を言ってても仕方ない。話を戻そう。何かネタはある?」
「今月中に内閣改造をするらしいよ」
「宇垣さんが?」
「そう。組閣から2年経つから、そろそろ入れ替えないと、議員連中が大臣の椅子欲しさに歯向かうからって、ご当主様が言ってた」
「あー、それは確かに。けど、総選挙じゃないのね」
「うん。内閣改造。今月末でほぼ決まり。それでご当主様や貪狼司令からも、『夢』で何かあったか聞いといてくれって」
「『夢』ねえ……。そう言われても、もう全然違うからなあ。あ、でも、確かこの時期に内閣改造はあった筈。内閣も状況も全然違うけど」
「確か近衛文麿だったっけ。夢はともかく、現世では影も形も聞かなくなったね」
「それが誰にとっても一番よ。当人にとってもね」
「『夢』でダメだったからって、近衛文麿に厳しいね」
「ダメどころか、ダメの三乗くらいダメよ。あの人だけは、有事の首相にしちゃいけない人よ。宇垣さんで、ホント安心感あるわ」
「そこまでしみじみ言わなくても。それより、中身もだいたい決まったけど」
「おっ、聞きたい聞きたい」
「はいこれ」
「なんだ、準備してたんだ」
そう言ってお芳ちゃんが差し出した紙面に目を落とす。
内閣改造は5月26日を予定。おぼろげながら、前世の記憶と重なる日どりだ。
改造内閣だから、総理は宇垣一成で変わらず。
それ以外の要職だと、内務大臣は犬養毅から平沼騏一郎へ。犬養さんは、大臣職を十分堪能したらしい。そして枢密院議長だった平沼様が、次の首相の予約席とばかりに内務大臣に入った形になる。
天敵の西園寺公望もようやく隠居したから、議員をする気は無いようだ。
外務大臣は、流石にそろそろ交代だろうと言われている吉田茂が続投。その代わり外務政務次官に、芳澤謙吉が入った。犬養毅の娘婿なので、犬養毅が抜ける代わりといったところだ。次は外相かもしれない。
吉田茂ら外務省関係者は後任に駐米大使の斎藤博を推したが、犬養毅の顔を立てた形で実現しなかった。
また広田弘毅という声もあったけど、周りからの押しに弱いなどという評価があるらしく、不穏になりつつある世界情勢を前にしては不適当だと言われて、これも実現しなかった。
そんな状況なので、吉田茂が外相を続ける羽目になっていた。
蔵相は三土忠造から、結城豊太郎へ。次官は賀屋興宣。三土忠造は、高橋是清の操り人形とか陰口を言われつつも、床次内閣から3年も蔵相をした事になる。
これだけ大臣したので今回は無役となったけど、高橋様がいなくなっても当人次第で次の大臣どころか総理の座すら狙えそうだ。
なお、後を継いだ結城豊太郎は銀行家。日銀で鍛えた後に安田財閥に行った、大蔵省とは関係の薄い人。けど、高橋是清とも関係があるし、手腕自体は正当と言える人だ。
そして大蔵省の次官になった賀屋興宣は、病気で退いた前任の藤井真信を継いだ形。
それだけなら普通の人事だけど、この人は私の歴女知識に引っかかる人だ。何せ賀屋興宣は、太平洋戦争で戦時財政を切り盛りした人だからだ。
この秋からの動きには、少し注意した方がいいかもしれない。
一方で、陸軍大臣に永田鉄山、次官に東条英機が就任した。ついに本命登場って感じだ。そして永田さんの子飼いと言われている龍也叔父様も、陸軍省・軍事課の要職(陸軍技術本部附、軍事課高級課員)に移動している。
それ以外にも、永田さんの同志や息のかかった人達が要職に就いていて、国家総力戦の体制を作る布陣が整ってきたと言える。
何より永田=東条が強すぎる。
あの石原莞爾も、日中戦争もないので関東軍にも飛ばされる事もない。当然、東条英機と対立もしていないので、順調に参謀次長に出世している。その影響か、小石原の武藤章は出世の順番待ち状態みたいだ。めっちゃヘイトを溜めてそう。
ただ石原莞爾は、永田鉄山が間を取り持っているだけで、東条英機との仲はやっぱり良くないそうだ。話す時の龍也叔父様が、珍しくトオイメをしていた。
一方海軍は、米内光政が大臣に就任した。
1930年の海軍大粛清の影響も薄れ、海軍の大軍拡も進んでいるので順調に決まったそうだ。重鎮達も親英米ばかりだし、政治的にはとても安定している。
海軍の方での私の前世の歴史との違いは、大粛清で弾き飛ばされた人達が、ついに海軍どころか政府の要職、大臣に就任する事が無かったという事になるだろう。
粛清以前に海軍の外に出た侍従長の鈴木貫太郎と、内大臣を務めている斎藤実が例外なくらいだ。
これすら『二・二六事件』で生き延びたので続けているので、私の前世の歴史とは大きく違っている事になる。
他は、『二・二六事件』で海軍大臣を辞任した山梨勝之進が今は骨休め状態で学習院長をしているけど、それ以外は要職を務めており一部の人が骨休め状態なくらいだった。
何はともあれ、政治、軍事が安定しているのは安堵させられる。
確かこの時期に内閣改造はあった:
第1次近衛改造内閣が1938年5月26日。
日中戦争が泥沼化したので、それに対応する為。
西園寺公望も隠居:
史実では1939年1月の平沼騏一郎の推薦がほぼ最後の仕事。
1940年11月24日に満90歳で亡くなる。
藤井真信 (ふじい さだのぶ):
史実では、高橋是清に請われて蔵相になるが、病弱なため激務に耐えられずに病没する。
賀屋興宣 (かや おきのり):
太平洋戦争中の東条内閣での大蔵大臣として有名。
戦時公債を濫発して、戦費をひねり出した。
だが、軍拡賛成というわけではなく、ロンドン海軍軍縮会議では拡張派の山本五十六と殴り合いの喧嘩すらした豪の人。
戦後も大物政治家として活躍している。




