612 「次の長子」
「はいっ! まだ気を抜かないで! もう一人待ってるわよ!」
お産中に一番覚えている言葉が、超ベテラン助産婦、いや産婆さんのその言葉だった。
事前にこっちでの情報も仕入れたし、思い出せる限り前世に聞いた記憶も掘り返した。けど、その時になったら役立つ事はたいしてなかった。
それでも「ヒッ・ヒッ・フー」の呼吸法は役立った。
だから「ありがとう、ラマーズ先生!」と一瞬思った。けれど、この世界のラマーズ先生はご存命だけど、まだ心理的無痛分娩法は公表も何もしてないので、『紅龍法』とか呼ばれているのを思い出してげんなりさせられた。
また、紅龍先生の勧め、それに奥さんのベルタさんがそうだった影響もあって無痛分娩だったから、思っていたのと違って随分楽だった。
生まれたのは4月4日の早朝、2人の時間差は10分程度だったらしい。無限に近い時間に感じた気もするけど、医者達が言うには安産だそうだ。ただ2人だったので、ちょっと面倒だったくらい。
何でも、初産のお産は時間がかかるもので、普通は始まってから半日以上、長い人だと丸一日でも決着が付かないとか。
私の場合は、骨盤の形も良いらしいし、開始初期は痛みもあまり無かったので、確かに楽だったかもしれない。時間も、本格的に痛み始めて半日もかからなかった。
母子ともに健康。その日の夕方には、ヘトヘトながら一人で歩いていた。
確かに安産だったのだろう。
なお、39週目にしては小さく、どちらも2500グラム程度。実際は38週目くらいだったかもしれないし、双子だからだろうとの事だけど、普通なら平均3000グラム越える。
そして少し小さいので、お産も多少は楽だったんじゃないかとの事。ただ、二人出て来たから、その分とで差し引きゼロってのが私の偽らざる感想ってやつだった。
「最初の子は?」
2人目を現世にエントリーさせた後、口から魂が抜けそうになりながら私が言った言葉がそれ。
我ながら、どんだけ一族優先なんだと思う。
けどその言葉に、ほおが濡れたシズが答えてくれた。
「元気な男の子に御座います。お二人目は女の子で御座います。お嬢様、おめでとうございます。大変ご立派で御座いました。これで、鳳のお家も安泰に御座います!」
珍しく感極まっているらしく、シズの頬が紅潮している。
そしてその言葉と共に、ベテラン助産婦二人が私のお腹から出て来たばかりの赤ちゃんを私に見せてくれる。元気に泣いているけど、どっちもまだしわくちゃのお猿さんで本当に小さい。
そしてその子達に順番に手を伸ばして触れつつ、今のシズの言葉を思い出す。
「フフッ。シズ、これからのお嬢様は、この子よ」
「アッ。申し訳ございません、奥様」
「うん。それとね」
「はい、何で御座いましょう?」
「シズ、あなたもいい加減に結婚しなさい。そして幸せになるの。これは命令」
「……ご命令とあれば、是非も御座いませんね」
「うん。良い縁談を紹介するから……」
そこまで言ったところで、子供の顔を見て安心しきったせいか、麻酔の影響か、意識が遠のくのを感じた。
「……おめでとう」
次に意識すると、その言葉を受けた。
聞き覚えのある声だけど、何となく意識がはっきりしない。
「……聞こえてまして? 無事ご出産おめでとう御座います」
「……ああ、あなたか」
「あなたか、ではないでしょう。せっかくお祝いの言葉を申し上げているというのに」
「それはありがとう。けど、4年に一度じゃなくても夢枕に立てるのね」
「どうしてかは、わたくしにも分かりませんわ。子供をお産みになられたからではないかしら」
「つまり、子供を産んだら私の役目は終わったって事?」
まだ頭がぼんやりするけど、そのぼんやりした思考で言葉の意味を考えたのに、少しムッとされた。
相変わらず無着色の超精密1分の1フィギア状態だけど、それ以外はワガママお嬢様そのものだ。
「誰もそんな事は申し上げていませんでしょう。勝負は、来年9月頭。約束を違えたりは致しませんわよ」
「そっか。御免なさい。それより、本当にありがとう」
「お礼は先ほどおっしゃったでしょう?」
「違うの。多分事故で死んだ私に、今までの人生をくれた事」
「別にあなたを呼んだわけではありませんわよ。以前申し上げたように、誰か代役をと望んだら、あなたが勝手に来られただけ。半分はあなたのせいよ。気になさらないで結構」
「アハハ、そうなんだ。あ、一つ聞いても良い?」
「時間はあまり無いようですので、手短にね」
「前に聞き忘れていたんだけど、あと1年半先に私が勝ったとして、その後の歴史の流れで日本や一族が大変な事になっても、私の勝ちなの?」
「そうですわね。勝負をすると決めたのは1939年9月1日まで。それ以上の事は、一切関知する気は御座いません。その後の人生は、あなた自身が勝手にのたうち回って下さいな」
「うわっ、呼んどいて無責任」
「何とでもおっしゃいなさい。半分はあなたのせいよ。それと、ついでに申し上げせて頂きますけれど、その日を境にこうして枕元に立つ気も一切御座いません。これでご満足?」
「うん。勝った後は、色々背負って自分の足で歩けって事ね。お腹に子供ができてから、つい将来の事を考えちゃってたのよね。けどこれで、モヤモヤしていたものも晴れたわ。ありがとう。後は、勝ちに行くから、それを楽しみにしておいて」
「子供や一族の為にも、最後に吠え面かかないようになさってね」
「分かってる。慢心したら即死フラグが待っている世界だからね。それと、もう一つ」
「何ですの、そろそろみたいなのですけれど」
「あなたは何人子供産んだ? その子達ってどうなったか分かる?」
「2周目と3周目は、どちらも2人ずつ。あなたのように双子はありませんでしたわよ。その後に関しては、2周目は軽井沢に疎開させて、3周目は一緒に大陸にいましたわね。勿論、その後どうなったかは存じ上げません。これでご満足? ……あなたは、そんな事にならないようにして下さいましね。それでは、ご機嫌よう」
「うん、また今度ね」
そう言葉を返したと思うけど、それもあまり意識したものではなかった。
いつもと違って、本当に夢のような感じがした。
もしかしたら単なる夢だったのかもしれない。
そして次に意識したのは目覚めた時で、ベッドの側には私の顔を覗くシズの顔があった。
「おはよう、シズ。どれくらい経った?」
「おはよう、とおっしゃられる時間では御座いません、奥様。もうすぐ午後3時にございます。また、眠られたのは、医者は疲れだろうとの事です」
「そっか。心配かけたわね。……子供達は?」
「今はお休み中です。あちらに」
手で示した先には、2つの保育器がある。
ゆりかごじゃないのは、問題があるからだろうかと心配になる。
「何か問題?」
「少しお小さいので、少しの間は様子を見つつ保育器が良いとの医者の判断です」
「問題はないのね」
「はい。お二人とも、最初にお泣きになってしばらくしたら、お休みになられました。ですので、起きられたらお乳を求められるかもと。既に、粉ミルクは用意させております」
「もう起きたし、自分であげる。スキンシップ含めて、その方が一番だからね」
「左様にございますか」
「うん。それで、他の人は?」
取り敢えず最低限の事を聞かないと気が済まないのは、もはや性分かもしれない。
「舞様、ベルタ様はそれぞれの病室に。他の方は、今の当番の使用人と側近以外は、平日ですのでそれぞれ仕事などをしております」
「分かった。まあ、屋敷も職場もすぐ近くだもんね」
「はい。何かあればすぐ連絡するようにと。では、鳳の本邸の方へ連絡を入れさせましょう。涼宮」
「はい」。病室の扉の外で、輝男くんの声。今の当番は、輝男くんだったらしい。そして「失礼します」との言葉で素早く、そして音もなく入ってくる。
そしてさらに、深々と一礼する。
「奥様、無事のご出産、誠におめでとう存じます」
「ありがとう輝男くん。これからも、子供達共々よろしくね」
「勿体ないお言葉。今後も粉骨砕身、尽くさせて頂く所存です。それでは、失礼致します」
仕事中とあってか、いつも以上に言葉は硬い。けど、お礼の言葉の時はいつもより暖かい声色に聞こえた。あれが、輝男くんの精一杯だろう。
そしてそこからは、どんどん賑やかになった。
隣室のマイさん、ベルタさんが来て、話していると双子が目を覚まし、最初の授乳の最中にお爺様以下、屋敷で待機状態だった人達が大勢押しかけ、それを授乳中だとシズ達が押しとどめ、落ち着いたのは病院の面会時間を過ぎてからだった。
ただしこれからは、現世にインした子供たちが容赦なく色々とリクエストしてくるので、慌ただしい毎日が続く事だろう。
悪役「令嬢」ですがお話自体は「一族もの」なので、主人公には可能な限り人生のイベントを通過してもらうのは当初の予定通りです。
ですが、ここで一区切りでしょうか。
残りの1939年まで一直線ではないでしょうけど。
__________________
無痛分娩:
現在では、欧米では普及しているが日本では少数派。
その歴史は19世紀半ばのヴィクトリア女王がクロロホルム麻酔で出産して広く認知された辺りから本格化している。
20世紀の前半でも、欧米ではかなり一般的に行われていた。
保育器:
19世紀末には発明。初期の保育器は、20世紀初頭に欧米で登場している。




