601 「マタニティ・パーティー」
1937年のクリスマスは土曜日だから、世の中は金曜日の夜からの騒ぎとなる。そして翌日の26日が日曜日なので、クリスマス当日の夜に騒ぐ事が増えそうだった。
あまり知らないけど、前世の同じ時期の景色とは大きく違っているのだろう。何しろ日本の街角には、若い男性が溢れていた。
日本が平和なお陰、戦時徴兵されていないお陰だ。
そんな平和な日本をよそに、大陸中原では南京での戦いの後始末が続いていた。けど、私には何も出来ない。だから私は、関わるのも情報を確認するのも他に任せて、日々健やかに過ごす事を心がけるしかなかった。
指示した事は、避難民救済への協力と寄付といった事くらいだ。
それに日本が大陸で戦争当事者にならないなら、あまり目くじら立てて動かなければならない、という事件はない筈だった。
しかも日本は、大陸での大規模な、そして泥沼化した内戦に際して、戦争特需の機運で湧いていた。
景気減速が言われていた中での特需発生だから、その喜びは大きかった。
重化学工業分野が異常に強い鳳グループも、増産と事業拡大の動きで大忙しだった。
そんな世の中はさておき、私は自分の部屋の片付けと引越しで忙しかった。というのも、子供の頃から使っていた寝室を、別の人に使わせる為だった。また、寝室にあるぬいぐるみとお人形達を、新しい子供達の部屋に引っ越させる為だった。
そして別の人というのが、マイさんもしくはベルタさん。
話は、晩秋に遡る。
私の結婚と子作りに合わせ、マイさんとベルタさんも子作りに入った。そして首尾よくというか運良くというか、3人とも7月の上旬に見事懐妊していた。
それが分かったのは、エコー検査などない時代なので2、3ヶ月してからだけど、秋になると3人で集まるようになった。
というよりも、ベルタさんが紅龍先生をダシにやって来てから、その流れになった。
「偶然同じ時期に懐妊しましたし、玲子様も舞様も初産で不安もお有りでしょうから、一緒にお話が出来ればと思いまして」
お爺様と半ば呼び出された虎三郎、ジェニファーさんの前でこう言い切られたら、首を横に振れる人はいない。
それにベルタさんは、今回で4人目というだけでなく、今や鳳凰院公爵夫人だ。その上、圧もなく自然体で言われてしまうと、「よろしくお願いします」と返すしかなかった。
ジェニファーさんも4人の子を産んで育てたけど20年以上前の話になるし、医学者の紅龍先生という伴侶の存在も大きい。
それに、医療系の家系でもある紅家の人が支援するのは、鳳一族ではよくある話だから受け入れやすくもあった。
一方で、紅龍先生が鳳凰院家になったので、蒼家と紅家が別れて過ごすという縛りは必要ない。けど血筋としては紅家だから、垣根を下げる狙いもあった。
そんな一族内の慣例や駆け引きはともかく、私としてはベルタさんの言葉通り不安があるから有難い話でしかなかった。
ただその影響で、私は部屋を片付けなければならなくもなっていた。
「双子への授乳だけなら、大丈夫だと思いますわ。国で話は聞いたことがありますから」
「はい。ただ、授乳期間がどうなるか分からないから、年子の計画は修正かもって」
「早めに離乳食だけになってくれたら良いけど、3人重なるのは何ていうか、こっちが干からびそうよね」
「ですよね」
ベルタさんはニコニコしているけど、マイさんは想像してちょっと引いている。私もそうだ。
「とにかく、栄養のあるものを沢山、均等に食べるのが大切よ。それと、もうすぐしたらお腹が圧迫されて食欲が落ちるかもしれないけど、食事回数を増やしてでも、しっかり食べましょうね」
「お腹の子供に栄養与えないといけませんからね。私も食事には気を使っています」
マイさんが実感を込めて言うけど、栄養とか言っていたら、ちょっと不謹慎な事が頭を浮かんだ。
(ある意味、人体錬成よね。しかも私は二人分。えーっと確か大人一人分の材料が……)
「玲子様、どうされましたか?」
「あ、いえ、何を食べれば良いのかって思って」
「紅龍先生達の栄養学って、玲子様からヒントを頂いたとお聞きしましたが?」
「あ、はい。本当にちょっとした切っ掛けです。それを調べて体系化した紅龍先生達は凄いです」
「紅龍先生は、玲子様をとても褒めていらしたわよ。それに出産や育児に関するお話も色々と聞いたとお伺いしました」
(そういえば、紅龍先生がベルタさんと結婚した頃に、出産時の呼吸法とか育児方法とか離乳食とか、覚えている限り教えたっけ。呼吸法はともかく、友達から耳タコで聞かされた愚痴混じりの育児話が役に立つとは、なんだか皮肉だなあ)
「あれって、広まっているんですよね?」
「ええ。私もお世話になったし、子供達もね。紅龍先生も産婦人科だけじゃなくて、日本だけでなく世界中の母親に啓蒙の為の活動もしていらっしゃいますわよ」
「そうでしたね。あ、そうだ、母親の方ですけど、お腹のマッサージや肌の保湿って広まってますか? あまり聞かないんですが」
「どうかしら。私はお世話になって、大変効果がありました。紅龍先生の為にもずっと綺麗でいたいもの、凄く嬉しい情報でしたわ」
ベルタさん絶賛だ。女性たるもの、幾つになっても美しくありたいのは誰も同じだ。
ただ、マイさんが少し憂いた感じ。理由があるんだろう。
私が視線を向けると、その答えが出た。
「雑誌で取り上げられているのは見たことあるけど、妊娠線はごく普通の事だし、マメな保湿やマッサージとなると、多少は経済的な余裕がないと気が回らないのかも」
「あー、確かにそうですね」
軽くうなだれてしまう。私としては、気軽に前世の21世紀の知識を良かれと思って広めようとしても、軽い言い方をすれば、時代が追いついていない。アメリカや英仏くらい発展してないと無理がある。
けど、凹んでいても仕方ない。それに、私自身や周りでは役立っているから、良しとしないといけない。
「それにしても、私も、こんなに早くお世話になるとは思っていませんでした」
「その年だと少し大変かもしれないけど、頑張ってね。それでね、私も少しお手伝いしようかと思っていますの」
そうは言ってくれるけど、今でも見た目は女神か聖女様のようなベルタさんだけど、もう30代の半ばだ。
「ありがとうございます。けどベルタさんも、ご自身の出産と育児、それに子供達の世話もあるのに、無理をしないで下さいね。紅龍先生やアンナちゃん達に、私が叱られてしまいます」
「大丈夫。紅龍先生もアンナ達も、玲子を助けてやれって言ってくれているから。それに上のアンナは、もう10歳。使用人達もいるし、十分に下の子達の面倒もみられるお姉さんよ」
満面の笑顔でそう言われたら、受け入れるしかなさそうだった。
けど、紅明くんは6歳、玲華ちゃんはまだ4歳だから、10歳の子供では遊び相手はともかく面倒を見るのは使用人達になるのだろう。
「今度、みんな連れて来て下さいね。いや、私が会いに行く方が早いか」
「玲子様は、お腹に二人いるから私が来ますわ。それでですね、今までの経験から私はお乳が余り気味なの。だから、乳母代わりとまではいかないけれど、授乳のお手伝いをさせてもらえないかしら?」
「あ、それなら私も。私の場合は、様子を見ながらになりそうだけど」
「良いわね!」
ベルタさんが手を小さくパンと胸の前で叩き、ニッコリ笑顔でマイさんの参加も賛成してしまった。それに応えるマイさんも、それは名案って感じの良い笑顔。
けど、私としては突然の話で「え?」って感じで戸惑い、返事や断りも出来ないでいた。
そうすると、私の前で二人が話を進めていく。そして二人同時に、私の方に体ごと向けてきた。
「玲子ちゃん達の子供用の部屋って、かなり広かったわよね」
「あ、はい。この屋敷の標準的な客間なので、広さは十分あると思います。あの、でも」
「赤ちゃん4人でも全然平気よね?」
「はい。でも授乳となると、私達も同じか近い部屋で寝泊まりしたいですね」
「そうね。玲子様、お部屋は近くに空いているかしら?」
「はい、2階には幾つか。子供部屋の近くなら、私の前の寝室が空いているといえば空いています」
そう答えを返したけど、私の寝室は色々と他人様には見せられない未来の知識や情報が、今でも部屋のそこら中にある魔窟だ。それに、部屋中にお人形さんとぬいぐるみ達がいる。
そして話自体は私にとって渡りに船なところもあるから、私の頭の一部は早くも片付けや引越しの算段などを始めていた。
「じゃあお願い出来るかしら? あ、でも、舞様はお二人一緒の方が良いわよね」
「私の家はすぐ近くのアパートなので、通いでも構いません」
「そうね。でも、側にいる方が何かと便利よ。涼太さんは少し気の毒かもしれないけど、その空きの部屋で一時的に一緒に過ごせば良いんじゃないかしら?」
「そうですね。そうさせてもらえれば助かりますが、玲子ちゃん構わない?」
話は決まりらしく、私に拒否権もなさそうだったので、謝絶は諦めて頼る事にした。
確かに助かる。めっちゃ助かる。物理的にもメンタル的にも。
「勿論です。来年春までには、諸々準備しておきますので、何か要望があったらそれまでに知らせて下さい。部屋も、もっと良くできるように手配します」
「お願いしますわね。今回の子育ては、賑やかになりそうね」
満面の笑みのベルタさんを思い浮かべつつ、他には任せられない部屋の片付けを一人するのだった。
出産時の呼吸法:
「ヒッ・ヒッ・フー」で有名なラマーズ法は、1951年。日本に伝わったのは1960年代。広まったのは1980年代。




