594 「理研の先生(2)」
お芳ちゃんの簡潔ながら分かりやすい説明の間、私は何となくその様子を見る。
説明に対して、大河内子爵は流石は工学博士だけあって、私が分かったつもり程度の話も十分に理解していた。
そして「以上になります」との言葉で説明が終わると、何度も深く頷く。
「実に興味深い。それに夢があって良いですな」
「まだ、絵に描いた餅の絵にすらなっていませんけれど、我々自身もそう思っています」
「それでも、巷で囁かれている話に比べれば、正反対と言えるほど夢と希望に満ちている。科学とはかくあるべし、と感じ入りました」
夢の原子力発電の話は、予想以上に好評だった。
けど、だったら、尚のこと言うべき事もあった。
「ありがとうございます。そのお言葉だけで、研究開発を進めさせていた甲斐があります。ただ」
「分かっています。軍事にも転用可能な技術でもあるわけですね。新規の技術の宿命という奴ですな。それで軍事としては、具体的にはどのようなものをお考えで?」
「空気、酸素を必要としない発電になりますので、海軍が強い興味を示すだろうと考えられます」
「潜水艦の動力ですか。動力として使うのなら、まだマシというものですか」
「あの」そこでお芳ちゃんが小さく手を上げる。
「まだ私どもでは理論以下の段階ですが、発電に際しての核分裂反応で、より爆弾に適した物質、おそらく未知の元素が生成される可能性があります」
「もうそんな研究まで?」
「いえ、まだ研究と言えるものではありません。敢えて言えば、予測より曖昧な予言の類です」
(まあ、元は私の『夢』の知識だからねえ。しかも伝えた私が、それが何か詳しく知らないし)
けど、大河内子爵は、その言葉にも深く頷いている。学者として、受け入れられる事らしい。
「数学者の発言に近いように思いますが、そういった類ですね」
「はい。そんな感じです。具体的に言えず、申し訳ありません」
「いやいや、まだ何も分かっていない事を、よく話してくれました。ですが、鳳グループがされている事は、今の話と似た状況が見られるようですね。当時は疑問の多い事も、数年経つと何故そうだったのかが答え合わせのように起きる。実に興味深い」
(博士としては受け入れ難いけど、私の『夢』の事、私が巫女とか呼ばれている事を言いたいんだろうなあ)
そう感想が思い浮かぶけど、ニコリと笑みを返す。
「経済的、産業的な事は、多くが総合研究所の成果です。もちろん青田買いに近い先行投資なども行ってまいりましたが、運が良かったと私どもは考えております」
「フム」。少し考え込むような仕草を見せたけど、数秒後には笑みを見せてくれた。
これ以上は、ツッコミはなしって事だろう。
「我々も、研究ばかりしているようではいけませんね。実情に合わせるべく動く鳳を、少しは見習えるようにしましょう」
「そう言って頂けると、嬉しく思います」
「うん。ただ、鳳は少し急ぎすぎているようにも見えますね。もっとも、私どもも勇み足になりがちなんですけどね」
そういえば、理研の財閥としての理研産業団は、満州事変の後あたりから一気に事業拡大に動いていた。
好景気の波に乗ったとも言えるけど、新興財閥の1つとして見ても拡大の規模が大きい。
鳳銀行などの分析でも、先行投資が過ぎている、事業拡大に人材供給が追いついていない、などの言葉を見ることが出来る。
けど、私の視点から見れば、その答えは明白だ。
私のようなズルをせずに、この先に起こりうる事態へ対応しようとしているだけだ。
もっとも、鳳や理研のような単に経済拡大に乗るのとは違う動きは、聡い人たちから見ると政府の一部、そして陸軍の主流派が推し進める国家総力戦、統制経済に向かっていると見られている。
去年、ついに満州へと大挙押し出した日産財閥などが、その典型だ。
だから、独占に文句も言われないという面があった。
「確かに理研産業団も、このところ設備投資が旺盛ですね。今も、新たに幾つもの工場を建てられているとか。うちの場合は、周りが足踏みする時期にあぶく銭が手に入ったので、一気に他を抜き去る好機、という面がありました。理研としては、今が勝負どころなのでしょうか」
「勝負どころというよりも、先行投資です。鳳さんがやってこられた事も、大筋では同じではないかと思っています。勿論これは、私が勝手にそう思っているだけ。それに鳳さんには、この10年以上驚かされっぱなしです。多分、これからもそうなんでしょうな」
今日の話題じゃないから、これ以上つついても何も出てこなさそうだ。だから視線を、お爺様と紅龍先生に向ける。本当に核分裂の話だけをしたかったみたいだ。
そしてお爺様は最後の挨拶くらいらしいので、紅龍先生が口を開いた。
「それにしても、本日は話の内容から長岡様や仁科様が来られるものと思っておりました。実は楽しみにしておりましたが、やはりお忙しいのですか?」
「ええ、そうですね。仁科君はサイクロトロンでの実験に夢中です。長岡君は、別件で来れませんでした」
これは半ば嘘だ。調整して今日会う事にしたのだから、予定を入れる事くらいできる筈だ。こっちが物理学の権威を用意してないし、紅龍先生や私と会うので専門的な話ではないと見ていたのだろう。
それとも、まだ探りの段階だからかもしれない。
「そうですか。私は専門外も甚だしいのですが、今後大きく発展するであろう分野ですので、ボーア博士の来日の時のお話共々お聞きしたいと、我儘を言っていたとお伝え願えますか」
「はい。確かに承りました。彼らも本当は鳳凰院博士と会いたがっていたんですよ」
「では、是非に。本当に我儘を申し上げます」
そう深く頭を下げた時、私に一瞬だけ視線を向け、さらに口の端を上げる。やけに素直に同伴してくれたと思ったら、お爺様の命令じゃなくてこれが目当てだったらしい。
まあ、学者同士イチャイチャすればいいんだ。
そんな紅龍先生の思惑はさておき、そこから少し雑談を交えた後で、今度は商売の話となった。
そしてその手の話になったので、私よりもセバスチャンが応じる。
理研産業団は、色々と独自開発したものを商品化して大きくなった財閥だけど、今の日本の先端分野の産業も多く、鳳もお世話になっている。
一番の関わりは、理研が作るピストンリング。エンジンを作ったりするのに必要で、自動車エンジンでは国内で圧倒的シェアを誇る鳳との関係はもはや昵懇といったところだ。
他にも、私が前世で聞いた事のある企業、もしくはその前身の企業がある。そして当然ながら、競合している会社もある。精密機械、工作機械、小さいものだと他にも幾つか。
理研と鳳は基本的に協力関係なので、競合する分野はお互いの縄張りを守ろうね、という話で済む。
「今日は大変良いお話をさせて頂きました。次の機会は、こちらが招待させて頂きましょう」
「是非に。といっても、私とは良く会っておりましたな」
最後に大河内子爵の言葉にお爺様が笑って返し、さらに大河内子爵も品良く笑う。
もっとも、私にお呼びがかかる事は当分ないだろう。
爆弾に適した元素:
プルトニウム。発見はアメリカで、1940年12月。しかも戦争中なので秘匿された。
サイクロトロンでの実験で人工的に生成可能。
この世界だと、日本が先に見つけそう。
長岡君:
長岡半太郎 (ながおか はんたろう)。理研の三太郎の一人。
理化学研究所の物理学の権威。
仁科君:
仁科芳雄 (にしな よしお)。物理学、量子力学の権威。
欧州の研究所を渡り歩いた。ボーア研究所にも長年所属している。
ニールス・ボーア:
20世紀前半の物理学、量子力学の権威中の権威。
アインシュタインと並び称される。
1937年に仁科らが招いての来日。
デンマーク在住のユダヤ系なので、1939年にアメリカに移民。
プロット段階で、この人の引き抜き、亡命はちょっと考えた。
ただ、どれだけ背伸びさせても、日本には原爆開発する基礎的な工業技術の面から不足が多いので、意味がないと考え中止した。




