593 「理研の先生(1)」
10月中旬、いかにも秋らしい日に、人と会う約束をしていた。
ここ最近の私は、体の事を考えてあまり人と会わないようにしているけど、今回は大物からのご指名とあっては断るわけにはいかない。
理研、理化学研究所の所長、理研の『先生』大河内正敏子爵。理研を研究所から財閥へと成長させた実業家の子爵様だ。
なお、理研と鳳グループは無縁ではない。
工業部門など、他でも協力や取引が少なくないけど、何と言っても医療部門で深い縁がある。
もっとも、紅龍先生が脚気の薬であるオリザニンの単離と吸収効果を高める研究結果を提供してからのご縁だ。
研究結果をタダであげてしまったのは紅龍先生だけど、鳳グループに製薬会社、大学医学部、薬学部、病院と揃っている事もあり、また紅龍先生が私のヒントで他のビタミン研究論文を発表したりした影響もあって、その後は協力関係となっている。
だから、そこのボスとの話という事で、紅龍先生も呼んでいた。話を付けてきたのはお爺様なので、お爺様も同席。
私が商売の話をするけど、お爺様はホスト役、紅龍先生は理研と関わりが深いのでゲストってところだ。
他、後ろに私の執事、秘書がいる。執事はセバスチャン、秘書はマイさんではなく秘書の格好をさせたお芳ちゃん。
もっとも、お芳ちゃんの役目は秘書ではなく、核関連の話を聞かれた時の説明役だ。私は、前世の知識では上っ面の断片くらいしか知らないから、それを伝えた後はお任せ状態だった。
それよりも会う場所だけど、向こうが会いたいという事なので、日時場所はこちらが指定した。鳳ホテルの1室で、ランチの会食を共にして歓談という予定となった。
ただしテーブルは2つ。同じテーブルは、私、紅龍先生、お爺様。向こうは大河内子爵以外に、御付きの人が数名。子爵以外は、こちらの執事、秘書共々、別テーブルとなる。
「改めて、この度は招待いただき、ありがとうございます」
「まあ、大河内さん、堅苦しい挨拶は抜きにして、まずは一杯。そちらの合成酒とはいきませんが、洋酒もなかなかですよ」
一杯と宴会の時のような声がけだけど、注ぐのはテーブルに付いているボーイの役目だ。
「おや、玲子さんはお酒は苦手なのですか?」
「法の事はともかく、今は体調を考え飲んでいません」
「口ではこんな事言ってますが、いつもは食前酒くらいは随分前から飲んでますよ。今日は、大河内さんの前で澄ましているだけで」
「お爺様」
一応、お約束としてツッコミを入れておく。そうすると、みんなの愛想笑い。よくある光景の完成だ。
ただ、結婚してからお父様からお爺様に呼び方を変えたけど、自分で言っていていまだに少し違和感を感じる。
前世がアラフォーなのも影響してそうだけど、長年お父様と言い続けた影響の方が強そうだ。
そんな私達に「ホホホ」と上品に笑い、目を細める大河内子爵。
鳳が成り上がりの伯爵なのに対して、向こうは江戸時代から続く大名家の家柄。しかも東京帝大の工学部を首席で卒業した英才。そして理研の所長になるや、当時財政難だった理研を立て直すどころか、財閥として大きく飛躍させた実業家。色々とチートな人だ。
見た目も身の丈6尺の大柄な人で、恰幅もよくスーツも似合っている。
オールバックに丸メガネと口髭という、この時代の社長さんのありがちスタイルだけど、品というか格というか、そう言ったものがやっぱり違う。
ただ、私の前世のオタク・マインドが、とあるキャラクターを連想させる。
(あのバスケマンガに出てくる先生そっくり。リアルだとこんな感じなんだろうなあ)
しばらくお爺様とのジジイトークをするのを食事しながら眺めつつ、この後の話の為にさらにプロファイリングを思い出す。
(1878年生まれだから、お爺様より4つ年下。虎三郎と1つ違い。工学博士だし、立ち位置も虎三郎の方が近いのか。けど、滲み出る品格で虎三郎の負けだなあ)
色々と思っている間にも、紅龍先生がこの10年程で鍛え抜かれた如才なさで会話に花を添える。私に振られる事もあるけど、短く無難に返すか、返事をする程度に止める。
向こうは私に用があるから、私という札を軽く伏せて様子を見る為だった。
そうして食事会も終わり、お茶とスイーツという時間になる頃、雑談から本題へと移り始めた。
「そういえば、鳳の大学では最新物理学で面白い研究をされているとか?」
大学の話題など前後を挟んでさりげない話の流れだったけど、腹の探り合いをするような人でもないので、こちらも切り出すことにした。
お爺様には事前にいつでもという話が付いているから、これからは私のターンだ。
「物理学となると、紅龍先生の分野ではありませんね」
「はい。医療、薬学ではありません。物理学ですね。帝大、京大、それにうち以外で鳳だけです。もっとも、他が手を出せるものでもないでしょう。何をなさっているのかを以前伯爵にお聞きしたら、面白い事をおっしゃられるので興味を持ちました」
「お爺様が何を申しあげたのか存じませんが、興味を持たれるような事なのでしょうか。核分裂反応を発電に利用できないか、という研究をしてもらっています。叶えば、無限に近い夢のようなエネルギーを生み出す事ができます」
「発電? それは実に興味深い。サイクロトロンも作られたのも、その為ですか?」
「はい。研究に必要だそうです。餅は餅屋に任せているので、私どもはお金を出すだけなのですが」
「ここ10年の鳳は、製薬、電気関連を中心に莫大な研究費を財閥内ばかりか東北大などに投じておられましたね。持つ者が科学技術発展の為に尽くすのは、とても良いと常々思っております」
「理研ほどではありません。理研には、学ぶべきところがまだまだ沢山あります」
「嬉しい言葉です。ですが科学的な医薬品では、もはや鳳は日本一。今度は物理学でも日本一を目指されるのですか?」
「正直、私どもは商人ですから、長期的であれお金になる事に投資しているのみです。ですが、多少専門的なお話でしたら、控えさせている秘書よりお話しさせましょうか?」
「うん。是非お聞きしたいですね」
即座に返事があったのでお芳ちゃんを手で示すと、ちょうどスイーツを堪能中で口を大きく開けていた。そうしていたら、まだ十代前半の子供に見えるのだから、ちっさいのは得な気がしてならない。
ただ、示したのに、ごく軽く会釈しただけでのんきに途中のスイーツを食べ続けているのは、肝が太すぎだろと思う。
こっちはネームド相手に、手に汗握る状態だというのに。
それはともかく、大河内子爵は「ホホホ」と品良く笑いつつも強い興味を示したので、もう一度強目に目配せしたら、お芳ちゃんが資料を持って私達のテーブルにきて、一通り説明した。
私の、ごく薄い記憶の断片が多少のヒントになっているらしく、理論や原子炉に関して鳳大学の物理学の研究は、少なくとも日本の中では一歩先を進んでいた。
それに早くから海外のウランや核分裂に関する論文や資料は鳳大学や鳳商事に集められるだけ集めさせていたので、情報量も日本の中では多かった。
加えて、ドイツなどからの亡命したユダヤの人達の中には、物理学などの専門家が数名含まれていたので大金積んで雇い入れたりして、ネームド不在ながら相応に頑張っている。
もっとも私としては、原子力発電以外する気は無い。核兵器は政治的には必要悪だとは思うけど、気持ちとしてはクソ食らえだ。
だから理論や知識、そして純粋な研究として以外での事は、今のところ禁止している。金も渡していない。
それに研究だけでも、他国に対しては脅威となるし抑止力にもなる。
ただ、豪州での資源探しの後日の調査で、何かあるとしてチェックした場所の1つに、ウランの鉱床があった。
そして青田買いで採掘権も得てあったので、イギリスに許可もとってイギリスにも分け前を渡して、かなりの量のウランを既に入手していた。
ただし日本政府に対しては、まだ殆ど何も教えていない。あくまで企業や大学の研究という建前だ。
そして核分裂を利用した発電の研究となると、今の鳳には合致している。何しろエネルギー分野の話になる。
そして鳳グループは、日本のエネルギーの多くを占めている。石油の大半、石炭の一部、火力発電、そして国にさせているとはいえ水力発電。石油運搬の9割ほども、鳳がしているようなものだ。
そういえば、少し前に石油精製のさらなる向上が達成できそうだという報告書も目にしていた。主な用途は航空機燃料との事だったけど、ハイオクガソリンで車が走る日も近いに違いない。知らんけど。
そんなことを軽く思っている間に、お芳ちゃんの説明が始まった。
大河内 正敏 (おおこうち まさとし):
子爵。理化学研究所(理研)の3代目所長。
御付きの人が数名:
特にネームドは連れていない筈。
なお、丁度この頃から、当時土建屋を営んでいた田中角栄が、理研の仕事を受注し始めている。
合成酒:
合成清酒。アルコールに様々なものを混ぜて清酒のような風味にしたアルコール飲料。
理研酒としても発明されている。
お米が不足している時代は、酒税の関係と安価な事もあって広く飲まれていた。
今は料理酒としてもよく使われている。
あのバスケマンガに出てくる先生:
安西先生。漫画「スラムダンク」の登場人物、安西光義。
顔とセリフでセットで、ネットの海でよく見かける。
そして大河内正敏の風貌がよく似ている。
サイクロトロン:
イオンを加速するための円形加速器の一種。
原子物理学の研究用に使われる。
1934年にアメリカで最初の特許が取得されている。
日本では、理研が1937年に小型ながら世界で二番目のサイクロトロンを完成させている。
海外のウランや核分裂に関する論文や資料:
1938年春には、アメリカ、イギリスがウランに関する論文の発表を全面的に停止している。
なお、核分裂の発見も1938年。
原子力発電は、1951年登場。




