592 「蒋介石敗北?」
「これ、ドイツは日和ったわよね」
「だろうね。こっちは、中華民国政府が日本と英米に「全国土」に対する海上封鎖の要請を出してきたよ。戦争巻き込む気満々」
「さらに中華民国政府は、満州臨時政府に対してソ連船舶の入港禁止を求めています」
いつもの仕事部屋で、私、お芳ちゃん、マイさんで報告を読みつつ呆れた。
離れた場所の机でも、グルグルメガネの銭司と、ますますエリートOLじみてきた福稲は「えぇ……」て感じになっている。
まあ、大陸情勢は呆れる類の事件が多いけど、私としては他人事でいられるだけで幸せだ。
なお、10月に入る頃、大陸での内戦は中原での大決戦がさらに拡大していた。
また形だけだけど、蒋介石は北京、天津などを爆撃し、張作霖は報復で南京、武漢を爆撃した。
主に双方の空軍はなけなしの戦力を挙げての総力戦状態で、互いに狙い基地を潰しあっている。主に相手の爆撃阻止の為の空中戦も頻発していた。
そして外国勢力のいる都市を攻撃する事で、逆説的に相手の責任だと言い合っている。
さらに張作霖側は、なけなしの日本製巡洋艦2隻などで海上封鎖を試みていた。
もう、完全に全面戦争状態だ。しかもこれが内戦というのだから、大陸の民衆にとって救いがない。
一方で、日本陸軍の動きが停滞した。
9月は上海に飛び火するかも、北京が危ないかも、日本も戦争に巻き込まれるかも、などなど考えて準備を進めていたので、当初はとても忙しくしていた。
政府の予備費をモリモリ浪費して、軍の動員や移動も進めた。中華民国への武器支援も、早々に開始された。
けど、両軍が大陸中原の徐州近辺でがっぷり四つに組み、中華民国が優勢と言われるようになると動きを停滞させる。
蒋介石側による短期間での各個撃破と徐州攻略が叶わなかった以上、短期での決着はないと考えられたからだ。
そして蒋介石が負けて手を上げて、数ヶ月後には戦闘も終息するだろうと見られるようになっていたからでもあった。
それでも、万が一張作霖が負けたら大変なので、武器の売却と援助、支援は続けられた。一方で、日本陸軍自体の動員や移動、各部隊の戦時体制への移行は停滞した形になる。
航空戦力も、陸軍は主に満州で、海軍は九州の佐世保あたりに艦隊を集め、台湾に航空隊を集中させている。けど、全て待機状態だった。巻き込まれたり偶発事件があったら事なので、飛行機を大陸に飛ばしたりはしていない。
そして私が評したように、蒋独合作を結んだドイツが早速日和った。流石は自己中国家。
蒋介石が初戦の戦略的奇襲と言える戦いで失敗し、長期化もしくは短期収束が見えたので、ドイツ自らの傷が最小限になる動きを見せ始めたのだ。
もっと簡単に言うと、自分の懐だけが大事だったわけだ。
現地のドイツ軍の軍事顧問団はかなり親身になっているらしいけど、それは半ば個人の話。国としては、国ですらない蒋介石が賭けに負けたので損切りを始めた、という形になる。
勝てば勝ち馬に乗る気満々以上だったくせに、薄情この上ない。
しかもドイツは、今まで関係が薄かった張作霖の中華民国政府への接近を始めてすらいた。
取り敢えず私は、このドイツの動きを細大漏らさず、日本国内はもちろん、世界中に伝えておいた。
これに対してソ連は、蒋介石がすでに「偽北京政府打倒まで戦いをやめない」と徹底抗戦を宣言していることもあってか、軍事支援の強化を決めている。
これはソ連が義理堅いようにも見えるけど、要は大陸で騒動を起こせば日本がシベリアに目を向ける余裕を少しでも減らすだろうという、ソ連にとって有利な状況を作る為の行動に過ぎない。
ただし、ソ連と蒋介石らを結ぶ陸路がないので、ウラジオストクなどから船で彼らのテリトリーの港に諸々を運ぶしか、義勇軍派遣や援助、支援を行う手段がなかった。
もっとも、援助すると決まっただけで、まだ具体的には動いていない。
「日本政府は?」
お芳ちゃんの見ていた資料を受け取りつつ聞くと、首を横に振られた。
「まだ書いてない。総研の予測だと、各国と協議って感じみたいだけどね」
「現状だと、その辺だろうねえ。満州への要請については何か書いていますか?」
その言葉に、マイさんも首を横に振る。
「いいえ何も。ただ、満州臨時政府が日本から旧式の軍艦を何隻か譲渡されたので、それを使いたいのではと、こちらも総研の予測が書かれています」
「まだ状況は流動的だから、予測以上は無理か。国際関係は他に何かあったっけ?」
「内戦だから国際連盟は動かず。英米仏は日本と連携して、大陸各地の租界とその住民の保護を最優先ってぐらいかな」
「加えて防共協定があるので、蒋介石側への風当たりが強まっていますね。『広州事件』で共産党と連携して、さらに今回の戦闘でも連合軍を組んでいるので、反共勢力が反発しています。
アメリカで宋美齢の工作が上手くいっていない原因の一つも、蒋介石が共産党と手を組んだからですね。また、海外の厳しい目がある為、蒋介石は10年ぶりの『国共合作』を打ち出せないようです」
「なるほど、そこはいい感じねー。このまま蒋介石と共産党が叩かれてくれたら言うことなし」
「随分余裕だね」
私が気楽に話を結んだので、お芳ちゃんのツッコミが入った。
なにせ今回の件では、私は日本が内戦に巻き込まれないよう、内戦が「日中戦争」にならないように腐心してきたし、祈るように過ごしてきたからなのは間違いない。
だから苦笑しかない。
「余裕というより、少しホッとしただけ。まだ気は抜けないけど、日本と関係ない場所でここまでがっぷり四つに組んでくれたら、大きな飛び火もないでしょう」
「火の粉は消して回りましたしね」
「今までにない神経質さでね。お嬢的にはどうなの?」
「……ねえ、いつまでお嬢呼ばわりなの?」
出会ってから十数年、お芳ちゃんからはそう呼ばれてきた。けど結婚したし、いい加減質問に答える前に聞くべきだと思ったけど、首を傾けられた。
「突然どうしたの? じゃあ逆に何がいい? 奥様辺りが無難だけど。あ、舞さんはなんて呼ばれていますか?」
「奥様って言う人もいるけど、使用人は名前ね。家の外も同じ。鳳は同じ屋敷内に夫人が何人もいるから、名前呼びが無難でしょうね。名前を足した奥様の呼び方でも構わないと思うけど」
「それじゃ、玲子奥様で」
「いざそう呼ばれると、なんか違和感感じるなあ」
「じゃあどうしろと」
「そうだなあ、……私に女の子が産まれるまでに考えといて」
「言っておいて、いい加減だね。でも、そういう事なら、ゆっくり考えておくよ。それより、二人とも仕事してていいの? 今更ではあるけど」
そう言って私とマイさんに、いつになく赤い瞳が心配げに見てくる。少し戸惑いもある感じがするけど、気持ちは分からなくもない。
実際、妊娠に伴う吐き気、要するにつわりが9月後半にきて、病院で検査しておめでた確定。その後、ちょっとしたお祝いがあったからだ。しかも数日後、今度はマイさんからも妊娠の報告。さらに1週間ほど後に、紅龍先生からもベルタさんご懐妊の報告。
連続したので、ちょっとしたお祝いの宴会をしたところだった。
それを思い出しつつ、私とマイさんはちょっとだけ顔を見合わせてからお芳ちゃんの方を向く。
「私は全然平気。最初の頃に軽い吐き気があったくらいだし、逆に無かったら違う病院に検査に行っていたかも」
「私も玲子ちゃんと似た感じね。トラが言っていたけど、鳳の血を引いている女子は妊娠、出産の類は楽なんだって」
「それ初耳。お爺様、何も教えてくれなかった。今度、紅龍先生にも聞いておこう」
「紅龍様は、これで4人目だね」
「そうね。子供達に、もう一人ってせがまれたんだって。それで、ついでだから私の子供と時期を合わせれば、仲良くさせやすかろうって」
「紅龍先生らしいわね」
「舞さんは、お嬢の妊娠・出産と仕事のスケジュールを合わせる為ですよね?」
「一応ね。けど、こんなに上手く合うとは思わなかったわ。それに玲子ちゃんが、来年は竜兄さん達、再来年は沙羅達の結婚があるから、それにも合わせようとか言い出しているのよ」
「3連続の年子は、流石に大変そうですね。でも、世話は使用人がしてくれるし、続けての方が世話の方は逆に楽なんじゃないですか?」
「私は仕事を続けたいから、一気に産んでしまう事には賛成よ」
「私も仕事の面では、マイさんと似た感じ。あと続けて3年間、私が妊娠・子育てで屋敷にこもっていたら、シズ達も結婚しやすいでしょう」
「それは言えてる。でも、達? シズさん以外は?」
「リズにも出来ればね。23で、今が適齢期だし」
「リズさん、もうそんな年なんだ。全然見えないね」
「まだ10代で通る見た目よね。けどそれを言ったら、シズも私より10歳上とは思えないけどね」
「シズさんって、私より1つ上なんだ。年下かと思ってた」
「シズは私が5歳の時、15歳から仕えてくれているんですよ。私には勿体無いくらいだから、良い縁談をって思っているんです」
「15からか。凄いわね」
「私にとっては、家族も同然です」
「そうだと思う」
お互い頷き合い、良い感じにほっこりとする。
けどお芳ちゃんは、そうでもないようだ。
「……水は差したくないんだけど、明るい話をしているって事は、お嬢の『夢』では大陸情勢は大丈夫って思ってて良いのかな?」
「ううん。慢心厳禁。大陸と身内の事は、関係ないわよ。大陸情勢が悪くても、一族安定の為に私は頑張らないとダメだし、みんなには出来る限り幸せになって欲しいと思ってるだけ。
まあ当事者には悪いけど、大陸が内戦で済んでくれるなら、これ以上ないくらい万々歳なのは間違いないけどね」
「そっか。むしろその言葉で安心した」
一応ウィンク付きで答えたら、フッと笑みを浮かべられた。
「何が安心か知らないけど、同時並行よ。時代が悪い方向に向かっているからって、私達も悪い方向に向かう必要はどこにもないでしょ」
「お説ごもっとも。私も仕事で頑張るよ」
「本当にそうね。私も頑張ろうっ」
気合いを入れるつもりは無かったけど、何だか良い感じにまとまってしまった。
国共合作:
史実での第二次国共合作は、1937年9月に成立。




