591 「総力戦の感想戦」
「どうだった?」
戦略研究所から鳳の本邸に戻り、広間で再集合して一服付きつつ感想や意見を聞いてみることにした。
平日の昼間なので、本館の使用人以外の他の人はいない。逆に平日なので、セバスチャンとエドワード、それに貪狼司令と涼太さんは仕事に戻った。他の社員の見学者も同じく仕事に戻っているので、意見を聞くのは後日という事になる。
あと、内容が衝撃的過ぎたらしく、お芳ちゃん以外の頭脳担当の側近二人、銭司と福稲は目を回したり軽く鬱になったので休ませた。
そんな状態なので、参加人数は少ない。
「一つお聞きしても宜しいでしょうか?」
一番に口を開いたのは、意外にも輝男くん。
「どうぞ」と呼び水をすると、小さく頷き返す。
「玲子様は、あのような状況の『夢』を見ておられたのでしょうか?」
「部分的にはね。あれより酷いものもあるわよ」
「お辛くありませんか? いえ、ありませんでしたか?」
今聞くことかと思うけど、輝男くんにとっては重要そうだった。無表情な顔に、いつも以上に感情が乗っている。
「多少はね。けど私の夢の大半は戦争の後も続いていて、その先の日本は随分と繁栄しているのよ。今話しても仕方ないし、もう夢から随分と違う道を進んでいるけどね」
「そうですか。では具体的に、先ほどより酷い想定をお伺いしても宜しいでしょうか。参考にしたいと思います」
そう聞かれて、違う点を思い出す。
(本土上陸は別ルートだから置いておくとして、真珠湾攻撃と原爆かなあ? あとはミッドウェーの戦いね。けど、あの机上演習は個々の戦闘はほぼ端折っていたからなあ)
「分かりやすいところだと、人口数十万の都市を一発で壊滅させる新兵器が登場するわね」
「そんな兵器が。それが戦略研で登場しない理由は分かりますか?」
「まだ、学者や専門家の理論上とかでしか存在しないからでしょうね。私の夢だと7年半先に登場するわね。けど、開発が物凄く大変で、アメリカ以外は開発出来ず。そして使った心理的衝撃が大き過ぎて、逆に日本が両手を上げるのが早まったかもしれないのよね」
「前に話していたやつか。そりゃあ、そんな兵器を持ち出されたら、戦う意味ないからなあ」
輝男くんが言葉を返す前に、お爺様がため息を吐くようにコメントを添えた。そしてそのまま続ける。
「そういえば、その手の話で理研の大河内さんが一度話したいと言ってたぞ。お前が話すか? 既に鳳の大学や総研でも研究や分析、情報収集させているから、そいつらに話させても構わんが」
「すぐに?」
「いや、急がん。でもまあ、このご時世ってやつだ。多少は急いでやった方が良いんじゃないか」
「じゃあ、私が会うわ。こっちはいつでも良いから、話を付けておいてちょうだい。けど、その話はどこで? 確か大河内子爵は、今は貴族院議員じゃないわよね」
「まあ、色々だ。俺も同席するから、早いうちに席を設けよう」
「席とか言って、私お酒はまだダメよ」
「んなもん分かってる。だいたい、大事な体だろ。酒なんか飲ませられるか」
「ハイハイ。それより、話戻していい?」
「おっと、そうだったな。それで、あんなご大層な将棋をさせて、何か見えたのか?」
「それも今から調べるのよ。さっきも言ったけど、足りない資源、足りない事業、足りない技術、足りない機械、足りない人材、当面はそういうものを見つけて準備するのよ。うちは商人でしょ」
「それで大儲けか? 熱心な事だな」
「お国の為よ。それと生き残る道を探すのが一番。ああは、なりたくないでしょう?」
「そりゃあごもっとも。それを探る一手が、戦略研なんていうご大層な所だったな」
「そうよ。私の夢は、もうかなり当てにならないから、その代わりが必要でしょう」
「まっとうな方法で、今後を模索するのも必要だろうしな」
私の言葉を否定はせずに肩を竦めるお爺様だけど、その言葉に異論のある人は、この場にはいない。
けど全員、私の夢の内容は大なり小なり知っているし、その夢、悪夢を少しでも捻じ曲げる為に色々と悪あがきをしてきた事、これからもしていく事を知っている。
そして、かなり捻じ曲げる事に成功したので、夢の景色とは随分と違ってきている事も。
けど、先が見えないのは当たり前だから、まっとうな方法に肯定的なんだろうと思えた。
(色々違ってきたから、私が一番不安なのよね)
内心の一部で自分の内面に納得しつつも、軽く周囲を見渡す。全員、それぞれの表情を浮かべている。といっても、大半は百戦錬磨か我が道を行くタイプだから、少し緊張気味なのは一番ノーマルでニュートラルなマイさんくらいだ。
輝男くんが最初に聞いてきたのも、確認事項に近い筈だ。
そして私は、一番話を聞きたい人に次の視線を向ける。
「龍也叔父様、あの机上演習自体は合格点でしょうか?」
「そうだね」と言って少し考え込む。
少なくとも満点ではないらしい。
「概ね問題なし、と言ったところだね。こちらからも色々と口を挟んだり、暇なやつを補助に入れさせたり、石原さんが参謀本部の連中と茶々を入れたりしているが、まだ荒削りだったり不完全なところはある。だが、軍事の専門家と言い難い集団で、あそこまで出来たのは大したものだ」
「戦争は苦手でも、歴史と経済が専門の人が多いですからでしょうか?」
「ああ。より大局的な見地から言うと、軍の方が色々と学ぶべき点は多い。自分達を悪く言いたくないが、軍人は将棋は得意でも囲碁は苦手どころか手を出さない。もしくは逆に、囲碁程度は簡単だと思い込んでいる」
将棋が戦術、囲碁が戦略と言いたいのだろう。
前にも似た揶揄をしていたのを思い出す。
「戦うのは軍人さんに、戦略は政治家に任せて、商人のうちは生産の事を考えないとね」
「ですが、国同士の総力戦となると、その生産が一番大変ですな」
「そう? 事前に準備が出来て良いじゃない」
私の返しに時田が「ごもっともかと。それに鳳らしく、私も好みに御座います」と品良く小さくお辞儀する。
「そういう事だな。戦ってのは、戦う前にだいたい決まる。問題は、政府がまだ真剣に考えてない事かもな。宇垣さんは分かっているんだが、統制とか総力戦とか口で言っているだけの輩が多いんじゃないのか、龍也?」
「陸軍に関してなら、私的ですが研究会は作っています。政府も、内閣調査局などで有事に備えてはいますよ」
「日本は、戦争するには色々足りんからな。それは今回の机上演習でも良く分かったよ。それで、若い連中はどう見た?」
そういえば、輝男くんが私の夢との違いを聞いただけだった。といっても、話はまだ雑談の段階。ここからが話し合いの本番といった所だろう。
そしてお爺様の言葉からは、本格的な感想を述べ合う場になった。違う想定を何度か見ている人もいたので、分析や意見、それに感想も的確だった。
一方で、軍事の専門家はお爺様と龍也叔父様だけなので、二人が最小限しか話さなくなると、戦闘や戦争そのものに対する話は殆ど出なくなった。
「あの作戦はまずい」「あそこでは、こう動くべき」みたいな軍オタっぽいやつだ。
そもそも机上演習の戦争推移自体が、余程の大作戦以外は作戦とか戦術の面が表に出てくる事が殆ど無かった。だから軍事の専門家でなくても、意見を言いやすい面もあった。
だから話す事は、私が最初の方で言った様々な足りないものを見つけて、今後準備していくと言う話に収斂していった。
それをほぼ聞き役に徹して聞いたけど、頭の片隅で(軍オタが聞いたら、不満タラタラだろうなあ)などと内心苦笑していた。
一方で、今回の想定のように日本が英米と戦争する想定については激論が交わされた。
その中で、資源の確保、事前に出来る事としての資源の備蓄、特に希少金属の備蓄なら可能じゃないかという話になったりもした。
けれど、鳳グループ内の鳳商事など資源系の会社では、以前から不測の事態に備え一定程度の備蓄は行うようになっていて、年々備蓄量は増やしている。
と言ってもこれは、戦争を見越したものではない。全く見越してないわけじゃないけど、戦争時、有事の際の品不足に備えての事だ。
そして似たような事は、政府、他の財閥も大なり小なり行なっているから、今更言っても規模を拡大するくらいしか出来る事は少ない。
「そもそも、英米と関係が断絶しないようにしてきたし、今の所は破綻の兆候もないんだから、そうならない先を考えるようにしましょう」
だから、話をそう結んだ。
私としては破滅の可能性が激減したのだから、破滅しない先を考えるべきだというのが、今回の一番の感想だった。
大河内子爵:
大河内 正敏 (おおこうち まさとし)。
理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。
理研を一大財閥にまで育て上げた。
世が世なら殿様になっている人。
なお、理化学研究所(理研)は、戦時中に原爆研究をしている。
内閣調査局:
史実では、1935年5月に設置された内閣総理大臣直属の国策調査機関。
史実の支那事変勃発に伴い、内閣資源局と合わせて「企画院」となり総力戦の原動力となる。
内閣資源局は1927年に設立されている。
そして総力戦は、マルクス主義(社会主義)の計画経済の側面が強いため、その手のアカい官僚、軍人が群がった。
この世界は政党政治が保持され、満州国がなくて満州国での計画経済の動きがないので、この手の政府、陸軍の動きは大きく遅れているか、行動自体が起こされていない事になる。




