588 「戦略研究所第二回報告会(3)」
私はすぐに答えに到達したけど、周りでは「大陸情勢を有耶無耶にしたら、独ソ対日英米仏だろ」などというささやき声が聞こえる。
そしてそんな声を気にすることなく、『軍師』の講義は続く。この人、21世紀の底辺大学の講師だったら、出席しただけで「優」をくれるタイプだろう。
そんな温和な人が語る内容は、私の予想通りだった。
日ソが極東でがっぷり四つに組んだところで、ドイツがかねてから外交的対立が深刻化していたポーランドに侵攻し、これを電撃的に粉砕。
合わせてソ連は、ドイツとの密約に従ってポーランドの東部を占領し、それに少し後からバルト海諸国へ進駐する。
この段階で、英仏はドイツに宣戦布告。この辺りは、若干の違いはあるけど私の前世の歴史と良く似ていた。前に聞いた想定にも似ていた。
何はともあれ、ドイツもソ連も信じるだけ無駄、という考えが浸透しているのが良く分かる。
そしてこの時点では、欧州世界は独ソ(+伊)とそれ以外という対立構図を描く。大陸に関しても独ソが一番の支援者だったので、独ソ側。
英米仏などは、大陸での日本は気に入らないけど、共産主義のソ連と戦っているので許容範囲。日英米の防共協定も一応維持したままとする。
けど英仏は、ソ連とまで戦争したくないので、日本との関係は平行線。日本側は英仏に手を差し出すが、貿易の維持以上には話を持っていけず。
アメリカは、相変わらず国民に戦争する気はゼロ。さらに民意が反共だから、国際外交上は日本を応援している状態となる。
けどアメリカ政府は、大陸で好き勝手する日本が気に入らないという、二律背反状態に追いやられていた。
そんな状態なので、半ば孤立状態の日本はドイツと連携しないまま戦争は進んでいく。むしろこの時点での日本は、ソ連と不可侵条約を結んでいるドイツとは敵対状態。
日本とアメリカが戦争する道の筈なのに、何やらカオス。
それでも英米政府は、大陸への侵略があるので日本への不信を募らせていく。
そうして本格的な戦争準備を整えたドイツは、西ヨーロッパ、北ヨーロッパで鮮やかに勝利。フランスは降伏し、イギリスが窮地に追いやられる。
この辺りの詳細の説明はなかったので、一部の人からフランスが早期崩壊する筈ないと強めのクレームが出ていた。
それを『軍師』は「陸軍部隊の大幅な機械化と航空機が、攻撃側に強い主導権を与えます」と簡単に説明。
一方で、西欧崩壊状態でも民意が戦争を否定するアメリカは、直接攻撃されない限り参戦せず。それでも、イギリスへの軍事物資の支援を開始。また、自らに飛び火しない為という理由で、軍備の増強を急ぎ始める。
一方で、この段階で日本がドイツに接近。独ソ不可侵条約を利用して、さらにイギリス以外倒れた現状を見て、ソ連との和平や停戦が出来ないかというのが本命。
ドイツとの関係自体は、どうでも良かった。むしろ、英米との関係悪化を懸念した派閥が、ドイツとの関係強化に反対。日本国内は混乱。
この混乱の結果、対ソ戦を戦い抜くという挙国一致内閣が成立。重工業力が育ったせいか大陸との戦争は日本側が圧倒的で、半ばついでとか惰性みたいだった。
倒そうと思えばいつでも倒せると考えるので、まずはソ連をなんとかする、というのが日本の総意になる。
そしてこの段階でも、日本側にイギリスを敵とする意思なし。何とか続いているイギリスの関係を反故にして敵としたら、資源輸入の面で国内産業が成り立たなくなるからだ。一方で、ソ連と戦う日本を非難する英米への不信を強める。
また、欧州での戦争勃発で国際連盟は事実上機能停止し、日本の大きな外交チャンネルが失われてしまう。これにより、英米との関係がさらに希薄となる。
そして半ば日本は孤立した状態のまま、戦争は泥沼化。
しかも、戦い抜くと言っても日ソの戦争も出口が見えず、大陸での戦争状態も消極的な泥沼化。
日本の重工業力を前世の歴史上の二倍以上にした筈なのに、全然機能していない。
その状況は、いっそ笑えてしまう。
何をしても無駄と言われているみたいだ。
一方ドイツも、渡洋侵攻能力に欠けるためイギリス本土を落とせず。
業を煮やしたドイツは、不可侵条約を破って突如ソ連に侵攻開始。極東で日本とがっぷり四つに組んでいたソ連は、後ろからドイツに蹴り飛ばされた格好になる。
誰が考えても、ナチスはソ連に攻め込むらしい。
まあ、総統閣下の著書に色々書いてあるから、そう考えるのが無難だろう。
けどこれで、日本にとっての事態は一転する。
ドイツと日本がソ連と戦う形になり、ドイツの敵にはイギリスとその他諸々が存在したからだ。
そして一息ついたイギリスは、すかさず日本に対してソ連との即時停戦を要求。仲介もすると約束。
戦時のイギリスなら、これくらい平気でするだろう。
それにこの事態になったら、私は全賭けでソ連との講和に動く筈だ。邪魔するやつの暗殺指示くらいしてしまいそうだ。
そしてこの想定の日本だけど、当然ながら政府はイギリスの提案を受け入れる気になる。
けど、既に膨大な犠牲を強いられた国民は、ソ連に対する賠償を含めた講和が条件として譲らず。暴動にすら発展。
陸軍では、ドイツが全力で攻勢を開始したなら、ソ連を一気に滅ぼしてしまうべきだとの意見が台頭。
日本陸軍にとって、ソ連を滅ぼす事が長年の第一目的なのだから、本能的行動と言ってもいいだろう。
そして世論と一部強硬論によって、イギリスを仲介としたソ連との和平を拒絶された日本政府は、その手を振り払ってソ連と戦い続ける道を選んでしまう。
また日本とドイツは、ソ連撃滅で協力を約束。ついに軍事同盟を結ぶに至る。ただし、互いの交戦国に対する参戦義務などを設けず。
(まあ、そうしないと、アメリカ様の出番がないから仕方ないよねえ。設定に、もう一捻り欲しかったかなあ)
そんな私の心のダメ出しの間も、『軍師』の話は続く。
もうすぐおしまいだからか乗っていて、名調子な感じだ。
日本に拒絶されたイギリスは、日本に対して資産凍結など実施。アメリカは、反共の世論はともかくイギリスを支持。先の大戦同様に、イギリスまで負けたら貸したお金を回収できなくなるし、ドイツが勝ったら欧州市場を失ってしまうので、この選択肢しかないのは当然だ。
ただし、まだヘタレのアメリカなので、具体的な行動には出ず。
一方、イギリスとの貿易が途絶した日本は、イギリスとの交渉に臨むも、イギリス側はソ連との和平、ドイツとの関係の白紙撤回を求める。
その最中、アメリカも日本との関係をさらに冷却化。
そして交渉は決裂し、日本国内は英米に対する反発が一気に高まる。前世の歴史でのように、この想定の中の国民と新聞は鬼畜米英とでも叫んでいるんだろう。
そして世論に煽られた日本政府は、1941年9月にイギリスに宣戦布告。
ただし、アメリカに対しては、向こうから攻めてこない限り徹底的に無視を決め込む。
これで戦争開始前の状況まで到達と相成った。
「さて、机上演習を始めるまでの前振りは以上です。まずはご静聴ありがとうございました。では、15分の休憩を挟んで机上演習の再現に移りたいと思います。皆様、休憩の間に移動の方もよろしくお願いします」
恐らく赤軍か青軍の司令官もしたであろう『軍師』は、最後まで大学講師のように淡々としていた。




