586 「戦略研究所第二回報告会(1)」
9月なかば。もうすぐお彼岸で、残暑も和らぎ少し涼しくなった頃、戦略研究所に赴いた。
研究結果が出たとは8月末にもらっていたけど、9月初旬は少し体調が優れなかったので、訪れるのが少し遅くなった。
「正直、日本とアメリカが全面戦争する想定を考え出すのが、一番苦労したよ」
始める前の顔合わせで、代表して所長の南次郎さんがそう切り出した。
大陸では大規模な内戦が起きたけど、その事は誰も口にしない。ここは、今を語る場ではない。未来の可能性を話す場だ。
「どれだけ挑発されようと、日本の側から戦争を仕掛ける理由がありませんものね」
「うん。一番手っ取り早いのは、イギリスと日本の貿易を途絶させる事。その表か裏にアメリカがいれば、多少なりとも日本の側から戦争をふっかける理由になるだろうと、最初は考えた」
「それだとイギリスとの戦争であって、アメリカは無視しても構わないのでは?」
「そうなんだよ。おっと、後はお願いできるかな」
「はい。ですからこの場合は、英米が何らかの軍事同盟を結んでいると想定しました」
話が少し込み入ってきたので、南さんの目配せで所員の実務代表と言える『軍師』がそう話を継いだ。
「なるほど。ですが現状のままだと、日英米で軍事同盟などを結んでそうですね」
「全くその通りです。それに孤立主義のアメリカが、他国と軍事同盟を結ぶという想定自体が、かなりの無理筋となります。
アメリカが軍事同盟を結ぶとするなら、先の世界大戦のように他国からの債権の取り立てが出来なくなりそうな事態が出現しないと難しいでしょうね」
「それでは今回は、どんな想定ですか?」
「それは見てのお楽しみという事で」
「では、楽しみにさせて頂きますね」
そうして戦争シミュレーションを見物する前に、その前提となる状況、数字などの解説が始まる。
半年前より整えられた応接間から、講義室のような場所に通される。そこは教室のように前に黒板と壇上があり、黒板には既に色々と書かれていた。
さらに各机には、人数分の資料が置かれている。
今回のギャラリーは、当然だけど私だけじゃない。あまり大っぴらに見せて良いものでもないのに、思ったより集まっていた。
私の執事3名と秘書のマイさん。それにお芳ちゃん達側近のうち頭脳担当。鳳の学校通いなので、輝男くんも学校を休ませて同席させている。
それと、お爺様に龍也叔父様。
さらに総研からも人が来ていて、貪狼司令と副官状態の涼太さん。それに数名が同席している。
私の周り以外は、おっさんだらけだ。
もっとも平日の昼間だから、陸軍の人はいなかった。
最初の解説をしてくれるのは、『軍師』の人。普段は明治時代にいそうな書生っぽいけど、こうして壇上に立つとうだつの上がらない学校の先生って感じもする。
他の職員の人達は、一部が説明の補佐をするだけで、この後のシミュレーションの準備をしているらしい。
「それでは、まずは仮想の歴史講義といきたいと思います。これを聞かずとも、この後の机上演習に差し障りはありませんので、聞き流して頂いても構いません」
いきなり脱力しそうな言葉だ。そしてこちらの気を削いでいて、次に爆弾を放り込んできた。
「今回、玲子様より日本とアメリカの全面戦争という課題を頂きましたが、その回答として2つ想定を用意しました。
一つは、現状、と言っても7月の段階のものから、日本とアメリカが戦争するという状況を想定しました。
もう一つは、日米の関係が深まっている最大の要因、つまり鳳一族、鳳グループが存在しない状況を想定しました」
当然、軽く騒ついた。そしてそれを手で軽く制し、『軍師』は続けた。
「もう一つの方は、あくまで日本とアメリカが戦争するという想定を作り出す思考実験、机上演習のものです。そして、そうした無茶な想定を組まない限り、現状では日本とアメリカが全面戦争するという状況が想定し辛いという事になります」
普通なら他意はないとか釈明するところだろうに、気にせず話を続ける。何名かは苦笑したり、複雑な表情をしている。
「しかし辛いと言っていては埒があきませんので、もう一つの想定を作って実験した次第です。ですが今回お見せするのは、現状に近い想定の方です」
そこで私が小さく挙手する。
この世界の人間が、鳳が存在しないという世界をどう紡ぎ出したのか、凄く興味が湧いたからだ。
「もう一つの歴史の流れも知りたいのですが、まとめた資料などありますか?」
「勿論あります。現状に対し、全くと言って良い程意味のないものですが、興味が湧かれたのでしたらどうぞご覧ください。お帰りするまでに、用意致しましょう」
「お願いします。ですが、どういう経緯で現状の想定を組んだのかの参考にもしたいので、掻い摘んで今お聞きしても構わないでしょうか?」
「玲子、必要か?」
「俺は玲子の意見に賛成です」
お爺様は面倒臭そうに、けど興味ない人の代表として、お兄様もとい龍也叔父様は合理的な思考の結果としての意見だ。今回、お仕事の一環という建前で陸軍から出張してきている。土日でも聞けただろうけど、1日でも早く知りたかったそうだ。
そしてその言葉を受けた『軍師』は、軽く全体を見渡してから軽く頷く。
「お手間は取らせませんが、私の講釈が少し伸びるのは我慢ください。それと、今回の想定以上に不快に思われる方もいるであろう想定ですので、その点はご了承下さい」
少し真面目な表情でそう結んだ。
けど私としては、史実並みか私の体の主の3周目のような想定だろうと目星は付くから、気にはならなかった。
そして私の前世の歴史について知っている人も大勢いるから、大抵は半ば脅しの言葉も気にしていない風に感じた。
そして私の『夢』を話していない人達が紡いだ、鳳一族のいない世界の歴史が語られていった。
どこから歴史が変わるのかと思ったら、日露戦争だった。戦略研の人達は、多少は鳳の裏の事情も知っているから、樺太全部を分捕れるほど日本が勝つとは想定しなかった。
そしてそこから始まった話は、『軍師』の話の進め方や、移動式の黒板を持ち込んで要点を書きつつの解説もあって、歴史の授業のようだった。
私にとっては、前世の歴史の学生時代を少し思い出す光景ですらある。そして内容自体も、私の前世の歴史に怖いくらいソックリだった。
だから、驚きを表情に出さないようにする事に、多少の努力を必要とした程だった。
他の一部の人にとっても、私が話した『夢』の内容に似通っているから、チラ見した限りでも表情を動かしている人がいた。
ただし、それでも私の前世の歴史とこの世界の「史実」との中間点や妥協点に近いところは多々見られた。
それに『張作霖爆殺』のような、普通考えつかないような事件も無かった。
その一方で、鳳グループがないので、1927年春先に鈴木商店は崩壊していた。ほぼ同時に、日本全体が大きな恐慌にも見舞われていた。田中内閣の成立も鳳が動いた結果なので、色々が5月くらいにずれ込んでいた。
ただし、『上海クーデター』による蒋介石の台頭、国共合作の崩壊はない。それでも日本の軍事介入が遅れたので、蒋介石は北伐を続けて攻め上がり、張作霖は満州へと逃げ込んだ。
その後大陸は、内乱を拡大しつつも蒋介石が主権を掌握。その時点で、共産党との決別と弾圧へを舵を切った。
そして満州情勢を主な原因として、日本との対立状態になるので、日本はよりアグレッシブに満州事変を行なって、中華民国から独立という形で切り離してしまう。
当然、世界の列強、というかアメリカが激おこ。ソ連との対立も激化。その後は、ほぼ史実をなぞる感じになった。
そしてボッチ同士の連帯でドイツと握手。
日米開戦は1941年秋。私の前世の歴史より少し早いけど、貿易止められて資産凍結も食らっているのは変わらず。
一方欧州情勢は、1939年夏にドイツの横暴に対して、英仏が反発して開戦。どの国の問題か具体的には語らなかったけど、ドイツにとっての同胞解放や領土問題が原因とされた。
つまり、世界全体で1シーズン、世界大戦は早く動いている事になる。
ただし、赤軍大粛清の影響を浅く見ているらしく、ソ連軍はその後戦線を立て直してドイツとの戦争はこう着状態に陥る。その後のヨーロッパでの戦争は、1943年秋に連合軍が大陸反攻、ソ連軍も同時期に総攻撃に転じて、1944年の夏にはドイツの惨敗で戦争が終わっていた。
もっとも無条件降伏はなく、ベルリン攻防戦まではしていなかった。
日本の戦争の方は、戦争が1シーズン早く始まったことを除くと、真珠湾奇襲攻撃、ミッドウェー海戦、原爆開発以外はだいたい同じ結末だった。
ただし欧州終戦が少し早く終わり、ソ連が史実より早く対日参戦するので、1944年内に日本の戦争も終わる。
当然、日本の敗北エンドだ。条件付き降伏なのが、多少は穏便なオチと言えるだろう。
そして条件付きという事は、ルーズベルトが口にした『無条件降伏』がどれだけ異質かを物語っていた。
「以上が、鳳一族がいなかった世界のお話でした。では続いて、本題の方の状況説明に入りたいと思います。あ、ここまでで何か質問はありますか?」
色々酷い話をしたのに、『軍師』は淡々としていた。
本当に歴史の授業みたいだ。




