584 「停滞する夏」
慌ただしかった、夏が終わろうとしていた。
私にとって夏休みの方はもう関係ないけど、鳳の本邸に学生の同年代の子がいるので、それなりに意味はあった。
もっとも周りは、7月に結婚したばかりの私とハルトに気を使って、ほとんど向こうから遊びにきてくれたりはしない。
ハルトが仕事の平日昼間に、私の方から電話などでお誘いという名の呼び出しをしていたくらいだ。
それ以外だと、既婚未婚の関係ない習い事で瑤子ちゃんと会うくらい。あとは、お盆が明けたら仕事のメンツと側近達、そしてハルトが私の話し相手だ。
まだ新婚モードなので、お爺様とも用事がない限りは会わないから、この夏はお爺様との会話がここ数年では一番減っている気がする。
一方で、今年のお盆休みは、鳳グループの情報収集部門は全て返上して大陸情勢を追っていた。
ハルトは銀行だから休みだったけど、私は気になって情報を追いかけ回していた。
もっとも、徐州周辺部での戦闘が徐々に拡大するというだけで、他の動きは殆ど見られなかった。
上海でテロの動きはあったけど、以前から徹底的に追いかけて、見つけ次第潰していたおかげでもあってか、日本人もしくは外国人が襲われたというテロや事件は起きていない。
けど危険なのは確かなので、日本政府は武漢の漢口にいる陸戦隊300名を引き上げると同時に、武漢、南京の日本人を最低でも上海まで引き揚げさせた。
現地に赴いていた商人を中心とする邦人の中には反発する者もあったけど、強引に引き揚げさせたと聞いている。
また日本本土では、即時上海に陸戦隊の増援が向かえるように、警戒態勢を敷いた。陸軍も、最大で2個師団が出動準備に入った。
さらに関東軍に対しては、万が一中華民国軍が敗北した場合、直ちに満州臨時政府軍として北京、天津方面に進出できるように準備に入った。
ただし最低でも3個師団の移動となるので、満州にはソ連への備えで2個師団が緊急移動の準備に入った。
これらの部隊に対する一部兵士の動員、そして移動とその準備だけで、政府の臨時費が500万円は消し飛ぶ事になる。実際動けば、この三倍だ。長期駐留となったら、さらに数倍が消し飛ぶ。
軍隊を動かすのは本当に金がかかる。
諸外国も日本に連動し、各租界から上海への移動もしくは撤退と、上海への陸戦隊もしくは海兵隊の増強の準備に入った。
情報に関しても、可能な限り共有する事とされた。
上海には、既に全ての国による委員会が設立されて、共同での防衛体制の強化、治安の向上が図られている。
そんな情報が私の元にもやってくるけど、鳳グループ関連は現場に任せるしかなく、政府の事はお爺様達が色々としていて、私にまでお鉢は回ってこない。
新婚という事もあって、周りが私に優しいのもそんな状況に影響していた。
そして仕事以外暇なので、まだ夏休み中の子供達をお誘いする事にした。
「だからと言って、何故ここなんだ? ホテルの一室借り切るくらいの方が良かったんじゃないのか?」
「小さい頃からよく集まっていたからよ。気楽で良いでしょう」
すっかり細マッチョイケメンになった龍一くんにそう返す場所は、鳳ホテルの1階にあるメイド喫茶。
この時代のオタクの聖地の一つと化していて、年々私から見てのオタク度合いが上がっている。近くのテナントには、品揃えの偏った本屋や、この店に入りきらない客向けの喫茶店なども増えていた。
また、各地の百貨店などを真似た、街頭テレビの放映室、レコード視聴室、小さな劇場なども出来て、エンタメ度合いは増している。
最初に作ったメイド喫茶から始まって、なんだか遠くに来たと思わなくもない。
けど、事前に予約して諸々の手配をすれば、私達でも利用できる便利なお店でもある。
そんな場所での私と龍一くんの、ある意味いつものやり取りを、いつものメンツがそれぞれの表情で見ている。
勝次郎くん、玄太郎くん、虎士郎くん、瑤子ちゃん。また周囲には、本日の私の護衛として輝男くんもいた。護衛メイドの当番はリズだ。
順番とはいえ輝男くんがいるならと思ったけど、夏休み中だから姫乃ちゃんを誘うのはやめた。
というか、姫乃ちゃんと攻略対象達の誰とも何も進展なしという事態は予想外な上に、先に私がゴールインしているという状態について、軽く途方にくれそうになる。
この現世はゲームのモデルになった世界という、私の妄想が本当なのかと疑ってしまう。
一方で、大陸で大ごとが起きつつあるのに、こうして暢気にお茶をしていられるというのが、とても感慨深かった。
「気楽ねえ。それより、瑤子から色々聞いているが、出歩いてて良いのか?」
意外に気を使っている声色。私が首を傾けると、勝次郎くんの側の瑤子ちゃんが勝次郎くんに見えないように、私と龍一くんに目で何かのサインを送っているのが目に入った。
周囲をチラリと見ると、虎士郎くんは気づいている。
私としては、さりげなく会話の流れを軌道修正するべきだろう。
「龍一くんは、もうすぐ学校に戻るでしょう。だから、夏の間にみんなで会っておきたかったの。それより、学校の引越しっていつ? もう決まったの?」
「まだだ。再来年じゃないかって噂だ。大陸もあの様子だしな。玲子は色々知っているんだろ」
「大陸の方はね。このままいけば、日本は傍観できるわよ」
「傍観か。陸軍内は慌ただしいが、そうあってほしいな。玲子も、間違っても大陸に見物なんか行くなよ」
「行かないって。危ない事は、全部、向こうの人達に任せているわよ」
「龍一、妙に玲子を気遣うな? 変なもの食べてないだろうな」
せっかく話を逸らそうとしたけど、龍一くんには無意味だった上に、玄太郎くんの返しで台無しだ。
けどこの中では、まだ瑤子ちゃんにしか話してないから、何かを察した虎士郎くんの方が察しが良すぎるだけだと諦める。
「食ってないって。瑤子から聞いたんだよ。もしかしてって話を」
そう言い切った龍一くんだけど、淡々としていた。分かって言っているし、悪気もないんだろう。
けど、瑤子ちゃんがすっごい目で龍一くんを見る。内緒だと釘を刺して、私の体の変化を教えたってところだろう。
そしてこのやり取りで、勝次郎くん、玄太郎くんも察した。そして全員が私へと視線を注いでくる。
「そうなのか?」
代表して口にしたのは勝次郎くん。マジ顔だから、ジョークで流したり出来そうになかった。
「『月のもの』って分かるわよね? あれが来てないのよ。ここしばらく。今はそれだけ」
「他には?」
そう聞いてきたのは玄太郎くん。一族の大事になるから、知った以上は聞くのは当然だろう。
だから軽く頷き返す。
「ご心配なく。お爺様、ハルトには、瑤子ちゃんより先に伝えてあります。他は、シズや時田、セバスチャンくらいまでよ。周期が乱れているだけの可能性も十分あるから、もう少し様子見ね。今度、病院に検査にも行くけど、体調も特に変化ないから違うかもしれないのよね」
そこまで言うと、全員がしばらく考え込むように沈黙し、少しして同時に「ハーッ」とため息のような長い息を吐く。
相変わらず、お前ら仲良いな。
「おめでとう、の言葉はまだにしておくね」
最初に立ち直ったというか、特に気負いもないのは虎士郎くん。単にキャラというより、音楽学校の方で女性とのお付き合いもあると噂は聞いているので、この手の話には一番耐性があるからだろう。
「そうしておいて。他の人達も似た感じだし、喜んだ後に違ってたら、私が恥かくじゃない」
「そうよ! お兄ちゃんも、秘密って言ったのに、どうして言うのよ! バカッ!」
「いや、だって、またしばらく玲子と顔は合わさないから。一応と思ってな」
「はいはい、ありがとう。けどね、ちゃんと相手のいる私より、良い娘を見つけてその娘を気遣ってあげなさいよ」
「何度も言っているだろ。俺にはそういう話はまだ早いって。それに両親やご当主が決める事だ。なあ、玄太郎」
「ま、まあな。でも、この年でこんな話をもうする事になるとは、思いもしなかった」
「そうかな? ボクは、玲子ちゃんなら早いだろうって思ってたけど」
「そう言う虎士郎もだろ」
「ボクのは、そういうのじゃないよ」
玄太郎、虎士郎兄弟が、意外に淡々と話しているけど、普通ならかなり驚く話だ。けど虎士郎くんは、早ければ中学の頃から、淡白だろうけど女性との付き合いをしていると、私と瑤子ちゃんも見ていた。
この中での朴念仁は、龍一くんと玄太郎くんという事になる。
「ねえ、二人はそういう浮いた話は本当にないの? 人生を先に進んだ身としては、少し心配になるんだけど。やせ我慢してても、年頃なんだから女の子に興味あるでしょう?」
「玲子ちゃん、それはちょっと踏み込み過ぎかも。でも、そういうのを淡々と聞いてると、玲子ちゃんが結婚したんだなあって思うわねー。それで、お兄ちゃん達はどうなの?」
「瑤子よ、お前も少し手加減してやれ」
勝次郎くんが半ば義理で助け舟を出したけど、二人は意外に普通というか淡々としていた。
「俺は今言ったように、両親やご当主次第だ」
「僕もそうだよ。それに、それが当たり前だろ? 玲子や瑤子だってそうじゃないか。虎士郎は少し手控えた方が良いと思うし、舞さんみたいな自由恋愛とその後結婚というのは、偶然の出会い以外で考えない方が普通だろ」
玄太郎くんの言う事は、この時代の当たり前すぎてツマラナイ。思わずジト目で返すけど、確かに私も言い返せないところはある。
「私は一族全体の為ってのがあるけど、二人は私ほど縛られていないでしょう」
「僕は鳳グループの上を目指すから、余程偶然のご縁でもない限りは家同士の政略結婚だ。それまでは、浮いた話もない方が有利だ」
「俺はそこまで狙ってないし、父上は士官学校出てすぐに母上と結婚しているから、早く紹介してもらえればって気持ちはあるけどな。それに、そもそも出会いがないのに、浮いた話があるわけないだろ」
「日曜に鳳の本邸に来れば、姫乃ちゃんだっているじゃない。あの娘、良い子よ。可愛いし」
「玲子は、妙にあの書生を推すんだな?」
傍観していた勝次郎くんが、テーブルに肘をつきつつのご質問。それほど興味はなさそうだ。既に瑤子ちゃんという相手がいるとはいえ、姫乃ちゃんには興味がないらしい。
「別に誰でも良いけど、二人に身近な女子ってあの娘だからね。それにね、親が決めた相手でも結婚前にお付き合いしないと、なんて言うか、後で後悔すると思うのよ」
「言いたいことは分かる気がするし、それは俺も思う。世の常識とはいえ、ある日突然見ず知らずの相手と結婚しろと親から言われても、戸惑うだろうな」
「その妥協の一つが、鳳一族のパーティーだよね。一族の親しい人、グループの偉い人、少しだけ著名人も来るけど、その人達の同じくらいの年の子女も来るからね」
虎士郎くんは、相変わらず鋭い。園遊会で始まった春の鳳のパーティーは、鳳が縁を結びたい人との出会いの場だった。勝次郎くんが、その成功例になってくれるだろう。
そう思いつつ視線を向けると、小さく頷いた。
「俺が典型的だな。もっとも、お前らは仲が良いからいつも固まってて、大人達の意図が台無しだったがな」
そう結んで肩を竦められた。
私を含め、誰も言い返せないツッコミだ。
そしてフイに気がついた。一族の同世代の仲が良すぎたから、姫乃ちゃんの入り込む隙がないのかもしれないと。
ゲーム『黄昏の一族』の攻略対象達は、思い出してみると仲が良いわけではなかった。




