580 「内戦勃発前夜」
「うわーっ、ドイツ軍だあ」
お盆前、大陸中原の現地から送られてきた写真に、思わずそうコメントを付けてしまった。
ヘルメットのひさしと後ろの裾の形が、誰が見てもドイツ軍のシュタールヘルムってやつだ。
それもその筈、ドイツ直輸入か、蒋独合作で南京あたりに武器工場まで作って作っている。小銃の生産開始は早かったので、日本などが手を広げる前に一部は張作霖軍にすら普及している。他にも、機関銃、迫撃砲の工場があるという。
なお見た目だけど、鉄兜以外に軍服も同じだし、情報によれば小銃、拳銃、手榴弾、さらにはガスマスクなど殆どが、今のドイツ軍と同じもの。
軽機関銃が、私が随分前にお兄様に買ってもらったチェコスロバキアの物なのが、ドイツ製以外といったところになる。
そして武器生産や貿易、借款と進み、蒋介石と協力関係を深めたドイツは、軍事顧問団が100名以上いることが分かっていた。
張作霖の軍隊にいる日本の軍事顧問団は、一部実戦部隊が入っているからさらに桁一つ多いけど、ドイツは世界の反対側に力入れすぎだ。
当然だけど、詳細については日本国民とアメリカに広く知らしめておいた。『蒋独蜜月』と題名付きで。
おかげで、日本ではドイツ敵視の感情が高まっていたし、アメリカでは「アメリカの」中華民国市場を狙う相手として、一応は協力関係の日本よりもドイツへの警戒感が強まっている。
私としては、ドイツが勝手にオウンゴールしてヘイトを溜めてくれるので、実にやりやすい。
今後も蒋介石とドイツは仲良くして欲しいものだ。
当然だけど、写真やムービーは分析情報付きでアメリカ、ヨーロッパに熨斗をつけて送ってある。
「対するこっちは、どう見ても日本軍だね」
「いやいや、装備は多国籍だから」
お芳ちゃんのツッコミに私がフォローしたように、張作霖の中華民国軍の見た目は確かに日本軍っぽい。
まるで日中戦争で大陸へと派兵された日本軍みたいだ。
けど、私がフォローしたように、軍服と鉄兜は日本製だけど、他は英米仏それに一部イタリアとごった煮状態だ。勿論、日本軍と同じ装備も持っている。
小銃は、前の大戦でアホほど作って倉庫で眠っていた、アメリカのスプリングフィールドM1903小銃。こちらも倉庫に置きっぱなしの弾薬とセットの格安販売で、他国との売り込み競争に勝っていた。
しかも単なる在庫処分なのが、アメリカにしてはけち臭い。
けど弾が古すぎ、火薬や雷管の耐用年数の関係で問題があるとして、後で新規生産して売りつけているので、アメリカも中々商売が上手い。
機関銃は、軽い方が日本が生産したチェコのやつ、重い方がイギリス製、拳銃はイタリアのベレッタと、本当に色々だ。
各種大砲は日本製を中心としつつも、急いで数を揃える為と、各国が売り込み合戦をした為、本当に雑多だ。
特に中華民国空軍の装備は多彩だ。各国の試供品、旧式兵器の格安販売なども装備しているから、整備や運用が大変らしい。
特にこの2年ほどの間に、蒋介石がドイツから急いで大量の航空機を購入したので、張作霖側も買える限り航空機を購入した。
そして当然だけど、パイロットも必要なので飛行機を売った各国が教官を派遣していた。
空軍の組織全体は、満州空軍と同じように日本陸軍の航空隊が指導して組織を作った。
そうして1937年夏の段階で、総数300機を保有している。日本陸軍の半分程度の数で、数だけ見ればかなりの戦力だという。
対する南京政府の空軍は、ドイツ製が新旧込みで約50機程度と予測されている。
そしてこれだけなら中華民国側が圧倒しているのだけれど、ソ連の支援が既に入っていた。だから別に、100機程度はあるのではないかと言われている。
しかも、パイロット、整備兵も志願兵の形でソ連空軍から派遣されていて、即戦力になるのだという。
このソ連の名目上は志願兵の皆さんは、現在進行形のスペイン内戦でも活躍しているので油断できない。
ただ情報を掴んだのは、うちの上海の兄弟達。日本は、政府も軍もせいぜい噂程度で、真相にまでは行き着いていない。だから、半信半疑だ。
当然だけど、中華民国も半信半疑で、蒋介石を少しなめているみたいだった。
けどソ連空軍は本物だ。日本の目を大陸に向けさせる為、自分達の極東に向けさせない為、身銭を切っているのだ。
「それで、このドイツ軍の偽物が、ついに動きだしたって?」
鳳総研のいつもの地下室ではなく、総研の応接間で貪狼司令からの報告を聞く。
部屋には、お芳ちゃん以外にお爺様と時田が来ていた。
総研自体も、もうすぐお盆休みに突入だというのに活気に溢れている。皇国新聞と鳳商事の一部、それにここは、お盆返上の構えだ。ただしそれは許さないので、順次代休を取るか秋に休暇を与える約束にしてある。
「左様です。以前から塹壕、トーチカの建設を進めていた徐州の主力部隊が、包囲の輪を急速に狭めつつあります」
「理由は分かる?」
「南京政府軍側の、追加部隊の到着と展開が完了したからです。偵察機らしき航空機も、現地の空で頻繁に目撃されております。
一方、図体が大きいだけに出遅れた中華民国政府は、世界に発信する形で直ちに軍事行動を停止し軍を退かせるよう、蒋介石らに伝えております」
「その中華民国政府の軍隊は? 北京から主力部隊が出たんじゃなかったけっけ?」
「はい。ですが、なまじ大軍ですので、鉄道を使っても移動には時間がかかります。それに移動には金もかかるので、思うようには進んでおりません。また、一部軍閥が大規模戦闘による損害を嫌って、わざと軍の移動を遅らせています。加えて、蒋介石らが賄賂や謀略した形跡も多々。
これにより、徐州方面の中華民国政府軍は優位とは言いかねる状態です。しかも、北京から向かった増援の精鋭部隊もまだ移動が本格化したばかり。展開するには、先遣部隊だけでもあと数日が必要です」
「戦略的奇襲というより、時間差で各個撃破を狙うって? 蒋介石は、いつからナポレオンになったんだ? 近代戦でそんな事出来るわけないだろ」
元少将閣下のお爺様が、半ば呆れた声でくさす。それに時田が、軽く肩をすくめた。
「一応、先の世界大戦でもドイツ軍は、タンネンベルクの戦いで、ロシア軍を各個撃破に成功しておりますな」
「だが今回は、どっちも前の大戦のドイツ軍どころか、軍隊と呼べるかすら怪しい。鉄道輸送の限界も早い。連中の殆どは、ずっと歩きだぞ歩き。一体、いつの時代だ?
一応飛行機は持っているが、頭数と比べたら近代戦に不可欠な重砲は持ってないに等しい。師団の砲兵が、軽砲か迫撃砲だぞ。それなのに張作霖の軍隊の現地部隊は、徐州に篭っているようなもんだろ。蒋介石が、短時間で撃破できると思うか?」
「私に聞かれても知らないわよ」
「相変わらずだな。まあ聞け。連中は、お互い何十万も兵隊を動員している。だが、近代国家基準での兵士と呼べるのは、互いの直属部隊もしくは正規軍の一部だ」
「だから、その精鋭同士の対決が勝敗を決するの?」
「そんな関ヶ原みたいな戦いにはならんよ。大陸での戦いは、のんびりと1ヶ月以上かけて広い地域で行う。兵隊が歩くしかないからな。
今回の場合、蒋介石が徐州方面での各個撃破を目論んで、戦争全体も短期間を企図している。恐らく最終的には、現地敵軍の包囲殲滅を狙ってくる。だがこれは、凝り性のドイツ軍事顧問の影響だろう。奴らの匂いがプンプンしてくる。実情を無視した作戦好きの動きだ」
専門分野なので饒舌だけど、お爺様はドイツ軍があまり好きじゃないらしい。それともドイツ軍の作戦が好きじゃないのかもしれない。
「つまり、時田が言ったタンネンベルクとやらを狙っているの?」
「そうなんだろうが、蒋介石の軍隊が全部往年のドイツ軍のように、規律正しく勇猛果敢に動けばの話だ。せめてその半分くらいは動かないと、作戦にもならんだろう。だが、無理を押しても短期決戦をしないといけない理由があるんだろ。分かるか?」
知らないと言った私に問うてくるという事は、銭勘定の問題だ。それなら答えは簡単だ。
「お金がない。弾がない。もしくはご飯が足りない。あと、ソ連が何か言ってきた」
「だいたい正解だ。長期戦をするには、戦費どころか当座の兵糧が足りないのは間違いないだろう。両軍共に、戦場周辺の略奪をしまくるぞ。昔同様に、現地調達が連中の基本だからな」
「蒋介石は主権国家じゃないから、お金がないのは当然よね。しかも日英米が通貨を安定させた張作霖の方が、圧倒的に有利よね。あれ? これってもしかして、張作霖は長期戦で相手を押しつぶすつもりで、相手の意図に乗ったって事?」
「そこまでは考えてないだろ。どう思う?」
張作霖が一枚上手かと思ったけど、にべもないお答え。
そしてみんなの視線が、一番情報を知っているであろう貪狼司令に向かう。
「現場での分析では、中華民国政府は10年程度の時間があれば経済的に他を圧倒し、それにより軍閥は順次他の勢力を見限ると予測されています。長期的に見れば、現時点で戦争する必要も、相手の策に乗る必要もありません」
「まあ、そうだよな。年もまだ60少しだから焦るには早いし、盤面を強引に動かしているのは蒋介石で間違いないだろ」
「はい。我々もそう分析しております。ですが現時点でも、蒋介石が勝負に出るのは問題も多く、勝算が薄いのが実情です。ですので、玲子様がおっしゃられた、ソ連に急かされたというのが実情ではないかと考えられます」
「日本が直接戦争に加わらなくても、中華民国が戦争で北や西に力を向けられなくなるだけでも価値があるものね。それに大陸が騒々しいと、日本は注目せざるを得ない。
けどそうなると、蒋介石のスポンサーはソ連って事ね。ドイツは今以上借款する金もないから、商売以上はしないでしょうし」
「どうでしょうか。蒋介石が勝って中華民国の主権を握れば、さらに商売を広げられます。他の国が張作霖側ですので、大陸での商売を独占できますな」
「それは取らぬ狸の皮算用ね。それにドイツ以外は蒋介石が勝ったら困るから、ドイツが蒋介石に肩入れする以上に張作霖に肩入れするに決まっているから、ドイツに勝ち目ないでしょ。しかも極東じゃあ、ドイツに地の利ゼロだし」
「そうなると、ますます蒋介石に勝ち目が薄いな」
「勝ち目はないけど、蒋介石が両手を上げない限り負けもしないわよ。今の張作霖に、華南の果てまで追いかける力はないでしょう。それにソ連が船で武器を運ぶのなら、港を全部押さえないといけないけど、それも無理でしょう。日本政府か陸軍は何か対策考えてる?」
「はい。極東ソ連軍が2個師団ほど増やしたのを理由に、満州にさらに1個から2個師団の駐留部隊を増強予定です。もちろん、航空隊込みで。
また英米仏と協力して、上海方面でのソ連船の動きを監視し、可能なら封じます。イギリス単独でも、広州の手前に当たる香港方面で同様の動きをするとみられております」
「ソ連領と大陸南部は張作霖が全部封じているから、上手くいけばソ連の援助も送れなくなる、か。そうなると、やっぱり蒋介石には短期決戦で勝って勢いに乗って、そのまま北京に攻め込む以外に手がないって事か」
「なんだか、窮鼠猫を噛むだね」
お芳ちゃんのつぶきやきに近い言葉が、正鵠を射ているように思えた。
「うわーっ、ドイツ軍だあ」:
史実の蒋介石の軍隊も、この時期は似たような感じのドイツ軍装備一色状態。
第二次上海事変あたりの記録映像を見ると、中華民国軍(国民革命軍)かドイツ軍か判別できないくらい。
小銃、拳銃、手榴弾:
小銃は、モーゼルM98歩兵銃。第一次世界大戦の間はドイツ軍歩兵の主力小銃で、1937年だとドイツ軍は新型(改良型)に更新中。
軍事顧問団が100名以上:
史実も同様。日本がドイツに接近した理由の一つに、中華民国との軍事的協力関係を止めさせるというものがあった。
特に中華民国空軍の装備は多彩だ。:
史実では、この世界の張作霖の空軍と蒋介石の空軍を足した状態。ごった煮もいいところ。運用は大変だった事だろう。




