575 「新たな生活」
転生してから、私の朝は規則正しい。
小学生の頃から6時起床と決まっている。
軽く準備して6時半のラジオ体操を挟んで、軽くジョギングと筋トレ、ストレッチなどを合わせて30分程する。終えるとさっとシャワーを浴びて、着替えと身だしなみ。7時には朝食を始め、車で通学という流れだった。
けれども、この夏を迎えて大きく変化した。
朝6時前に目が醒めると、新しい寝室の天蓋付きくそでかダブルベッドの私の横には、ハルトが気持ち良さそうに寝息を立てている。
この状況に最初はテンパりまくった気がするけど、船で新婚旅行しているうちに色々と恥ずかしいとかのレベルは通り越えてしまい、悟りとか諦観に近い心境に到った気がする。
何事も慣れだ。
そして私の伴侶となったハルトの朝だけど、私とだいたい同じだった。アメリカ留学時代はかなりフリーダムだったそうだけど、帰国後の武者修行中に規則正しく修正したそうだ。
幹部候補生時の1年だけの軍隊生活は、生活を正すのにはもってこいだと苦笑まじりに話してくれた。
そして鳳ホールディングスに変わってからは、勤め先は首相官邸近くの鳳ビル街の目立つ場所にある鳳ホールディングスの古代ギリシアっぽい豪華な外見の本社ビル。
だから結婚してからの朝は、一緒に同じ事をする。
なお、私が主に出向く鳳ビルは、巨大化した鳳商事が大半を占めるようになったので、1階の銀行すら閉める案が出ているくらいだから、ホールディングスの専務になったハルトの勤め先にはならない。
ついでに言うと、地下に陣取る鳳総研の司令センターも、鳳総研自体が巨大化して大きなビルを丸々一つ占めるようになっていたから、移す動きがある。
鳳グループが巨大化した事で起きた変化だ。
ただし、鳳ビル自体が鳳一族にとっての司令センター的な役割は担ったままなので、色々と整えてからになるだろう。
それはともかく、ハルトの勤める鳳ホールディングスの本社は、虎ノ門の鳳グループが再開発したエリアの中心にある。
鳳グループの顔として、また日本有数の大銀行に相応しい、格調と重厚感のある立派な建物を1932年くらいに建てた。
官庁街のすぐ南で周りに大使館も多いので、その手の建物と勘違いする人も少なくないと聞く。
そしてそこは、私の朧げな前世の記憶によれば、何がしヒルズの辺りになる。
六本木の鳳の本邸からは、山王にしろ虎ノ門にしろ2キロもないので、その気になれば歩いて行ける。当然、車での通勤になるけど、ものの5分の距離。屋敷と社屋の駐車場の移動の方が、時間的には手間なくらいだ。
それでも余裕を見て、通勤時間はわずか10分。銀行だから8時半までに出社なので、8時に出れば超余裕だ。
そして男性だから、朝の身支度の時間は女子とは比べ物にならないくらい短く済む。
それ以前に私達は、頭に超が3つ付くくらいのセレブ。あれとこれは自分ですると言わないと、優秀な使用人達が全部整えてしまう。まさにベルトコンベアーの上だ。
けど虎三郎の家は、できる限り自分で出来ることは自分でする教育方針だ。それにハルトは、留学と軍隊経験があるので、一人で全部出来てしまう。
また、着道楽タイプでかなりお洒落に気を使う人だから、着替えや髪のセットとかは男子にしては時間をかける。
私も自分から言って、出来ること、させてもらえる事は、自分でするようにしている。
それに、有難いことに見てくれが大変よろしいから、普段の化粧にかける時間がめっちゃ少なく済む。これは若いのが理由じゃないから、前世を思うとこれだけで十分以上にチート。
前世の私は、モニターの向こうのべっぴんさん達に対して、世の不公平を嘆いたものだ。
そんな二人だから、朝に身だしなみを整える時間もだいたい同じ。
そしてハルトが出社していくまでが、2人の朝の時間になる。当面は、二人だけで食事を取るから尚更だ。
そして私達の新しい愛の巣ってやつだけど、体面と世間体、そして何より警備上の問題から新しい家とはいかない。
そこで、鳳の本邸の本館2階の一角を占領した。
その鳳の本邸の本館は、和洋折衷などない本格的なクソでか洋館だ。部屋の数は、間取りの大きなものだけで20以上ある。
渡り廊下で雅な和風建築の離れに行ったり出来るけど、ほぼ南を底辺とした長方形で「口の字」型になった建物だ。
だから、南側から見ると一番見栄えがいい。いかにも、第一次世界大戦で儲けたあぶく銭で贅沢に作った洋館らしく、長く保存されれば文化財にすらなるだろう。
次の戦争の後で固定資産税や相続税がすごい事になるだろうから、その時は財団法人でも作るつもりだ。
それはともかく、1階は食堂、居間、広間、応接間など諸々の共有区画と使用人の仕事区画で、2階が寝室、客間を中心とした居住空間になる。
他、地下と半地下は使用人区画、屋根裏は倉庫代わりか使用人区画になる。
そんなこの本館に主に住んでいるのは、財閥を率いている善吉大叔父さんと、大叔母の佳子さん。けど佳子さんは、ほとんど逗子の別荘で過ごしている。二人のお子さんは、基本的に独立するか嫁いでいて、鳳の本邸には行事の時くらいしか顔は出さない。
あとの住人は私だけ。というか、仕事も本館内でしているし、執事に秘書それに多数の側近を従えるから、私が実質的な『主』だ。
お父様な祖父の麒一郎とお母様で祖母の瑞子さんは離れ住まいで、お父様な祖父は食事などは基本、本館でとっているくらいだ。
そして旧館の玄二叔父様と新館の龍也叔父様達は、普段から本館に来るような事はない。
それでは寂しいので、少し前まではお芳ちゃん達側近を書生として住まわせていた。新たに書生となった姫乃ちゃんも、1年間は本館に部屋を持っていた。
そんな状態だけど、私とハルトの結婚で大きな変更が入った。書生達は、新たに建てたゲストハウスに部屋を移動。
そうして空いた部屋などを、色々入れ替えたりお色直しをした。
そして本館二階の北東側の全部が、私達のものとなった。
部屋は、私が昔から使っている寝室と仕事部屋。これは当面そのままに、新たに得た部屋を二人の寝室とハルトの書斎にした。私の部屋があるんだから、ハルト個人の部屋もないと不公平というものだ。
さらに2部屋確保してあるけど、これは将来の子供部屋。けど今は、二人の食事部屋兼居間になっている。今までの私の寝室も、ゆくゆくは子供部屋に衣替え予定だ。
一方、本館二階の南東側は、以前はお父様な祖父達が使っていた善吉大叔父さん達の寝室と書斎なので、館の主人が誰かは分かりやすくなっている。
そして他は、来客用の客間、お芳ちゃんの部屋、セバスチャンの仕事部屋、図書室などがある。
そんな感じで、なんにせよ建物の大きさに対して住人の数は少ない。
(……あと5分か。一人なら起き上がって勝手に動き出して、朝番のメイドに一言言われるのよねえ)
ハルトの寝顔を横から見つつ、まだ覚め切れない頭でボーッとする。
私は、仕事をすると言っても屋敷の中で時間に余裕があるし、残業は余程の事がないとしないので、なるべくハルト優先で二人の時間は過ごすつもりだった。
それでも平日昼間はハルトは会社だし、夜も週の半分くらいは残業で一緒の夕食とはいかないので、その時は大食堂でみんなと食事をとる事になる。だからこそ、同じ時間を確実に過ごせる朝は、なかなかに貴重だ。
そしてメイド達が起こしに来るより早く目覚めると、高確率でこうして寝顔を拝む事ができる。
逆に、女子としては隙だらけの寝顔を拝まれるのは色々と問題なので、二人で一緒に寝るようになってからは、自然と先に目覚めるようになっていた。
そんな事を思っていると、ドアをノックする音。ぴったり朝6時。
けどハルトは、すぐには反応を示さない。仕事での疲れもあるけど、私の責任も多少はある筈だ。
「ハルト、朝よ。起きて」
ノックをして少し経ってからメイドが入ってくるけど、その前に少し体を起こして耳元で優しく声をかける。
これで「あと5分」とか言ってくれたらお話としては合格だけど、そんな漫画みたいな情景は今のところ出くわした事はない。
「失礼致します。玲子様、晴虎様、おはようございます」
メイドが二人。うち一人はシズで、入ってきてそう呼びかけても、ハルトはまだ夢の中だった。
仕方ないので、メイドが起こそうとするのを私が制して、ハルトの体を軽くゆすり、さらに声をかける。
そうすると体が反応して、徐々に意識を覚醒させ、そして目を開き、ぼんやりと私を見る。
そして起きたばかりのハルトの目線が私に向けられたので、さらに声をかけようとしたけど、そうはいかなかった。
「っ!!」
ヌッと伸びてきた腕が、私をがっつり捉えてそのままハグしてきた。まだ寝ぼけているらしい。
しかも身長180センチオーバーの大柄でしっかりとした体つきなので、こっちはどうにもならない。
だから比較的近い耳に大声を注ぎ込んでくれようかと思ったら、今度はほっぺに柔らかいものが触れる。
「おはよう、玲子」
そしてさらに数秒かなりしっかり抱いたあと、私を抱えたままぐっと身を起こす。
さらに追い打ちで、ニッコリと起き抜けからのイケメン笑顔で、こっちの文句を封じてしまう。
「……おはよう、ハルト」
「うん。おはよう。みんなもおはよう。今日も良い一日になりそうだね」
ゲームでも聞いたようなイケメンなセリフに、朝から赤面しているのを自覚させられる。
中身はアラフォーどころか、こっちの分を足すとアラフィフな私だけど、本能的な事になると体の方の年相応になるのは変わらないみたいだった。




