568 「帰国そして結婚式直前」
「それでは姫、我らはこれにて」
「お名残惜しくはありますが、今回の旅も大変楽しく過ごさせて頂きました」
「結婚式の写真とかは送るからねー」
そうお別れするのは、八神のおっちゃんとワンさん。
今回の世界半周旅行では全然出番はなかったけど、私的には二人への休暇配置に近かった。
何しろこれから、二人とも大陸へと渡る。大陸での、不測の事態に備える為だ。
実際に動く事もあるだろう。
どちらも随分前から警戒し、準備を整えてきた。けど、この二人はそれぞれ満州方面、上海方面の中心人物でもあるから、行かないわけにはいかない。
今回の旅でも、正直私に同行するとは思わなかった。私が外に出るのだからと、わざわざお供してくれたのだ。それに事が起きるのが結婚式直後あたりだから、その代わりに旅に同行してくれたというのもあったみたいだ。
勿論、八神のおっちゃんはそんなことは一言も言わなかった。
だから余計に、少ししんみりしてしまう。
「楽しみにしております。大陸での事は、姫より色々な話も聞いております。ご安心あれ」
「それに、総研、戦略研の読みでは、姫の夢見とは全く違う状況だ。こっちは、楽な仕事で大金を稼がせてもらう」
「うん、そうね。それじゃあ、また。当分私は外には出ないから、暇になったら遊びに来てね」
「ああ。またな」
「はい、姫。おっと、次お会いする時はもう姫ではあられないので、違う呼び方を考えておかねばなりませんな」
そう言って別れた。
そして二人と二人の部下の人達は船に乗り続け、大連と上海に向かう。また、私達と入れ替わりに、多くの人が乗り込み、今後の事態に備える。
私は個人として、一族として、財閥としての役目があるけど、それを余計な案件で乱さない為に、この人達は危地へと向かうのだ。
だから自然と頭が下がった。
6月末、私達は日本に帰国した。
サンフランシスコからハワイを経由しての約二週間の船旅は、全く何もなく本当にのんびりと過ごした。最後日本艦隊とすれ違ったのが、一番のイベントなくらいだ。
旅自体は、5月12日の英国王の戴冠式に出席するという表向きの目的で、ほぼ2ヶ月かかった計算になる。
けど私にとっては、身内に対しては卒業旅行であり、遠くの知人やお得意様向けには結婚前のご挨拶の旅だ。訪問先では商売の話も少なからずしたけど、直接会って話して関係を深める目的で行ったものだった。
そして、予想以上の成果を得る事ができた。
そしてその報告を終えたら、私自身の心を結婚式モードに急転換しないといけない。
結婚式は、帰国から一週間と間を空けない。1937年7月3日の大安吉日。土曜日なので、参列者、披露宴参加者にとっても都合の良い日取り。それに沢山人を連れてきたので、長々と待たせるわけにもいかない。
日取り的に梅雨時だから天候は気になるけど、この時代では週間天気予報とはいかないので、当日はお天道様に期待するしかない。
そして帰国して、報告して、そのあとは、結婚式の準備になる。と言っても、大半は他の人たちがしてくれる。当事者がするべき事も、事前に出来る事は旅の前にした。
結納など事前にするべき諸々も、もう済ませていた。後は、式と披露宴をするだけ。そしてさらに新婚旅行へと進んでいく。
もう腹を括るしかない状態で、今さら逃げも隠れもする気は無い。
それでも、ふと思う事はある。
当然と言うべきか、誰にも言えない私だけが考え悩む事だ。そしてそれは不安ではなく、疑問だった。
(この世界って、本当にゲーム『黄昏の一族』じゃないの? 私、結婚してしまって良いの? 幸せに向かってノープロブレム? 体の主は好きにしろ言ってくれたけど、本当に問題ない? 悪役はともかく令嬢じゃなくなるけどオーケー?)
そして最後に諦めに似た感情で結論に至る。
(まあ、悪役夫人ってポジションも、アリっちゃあアリか)
誰も疑問に答えてくれないし、文句を言ってくる事もないから、自問自答した末に考えるのが虚しくなるのだ。
もう何度も同じ疑問を頭の片隅でグルグルと回したけど、答えがある筈もなかった。
そうした中で、違う仮説を妄想してみたりもする。
(この並行世界の情報を、インスピレーションみたいな形で受け取ったゲームデザイナーかシナリオライターが、あのゲームを作ったって仮説はどうかな? もしそうなら、今の私の状況もゲームに反映されていたりして?
いやでも、私のしている事って乙女ゲー? 恋愛沙汰はレールの上しか走ってないし、一族再興もの? これも違うかな。どっちかと言うと、日本中をほじくり返させて、歴史を捻じ曲げているだけよね。そうなると、違うゲームがどこかの世界で生み出されているのかも……)
そして妄想した最後に虚しくなる。
(『これは、ゲームであっても遊びではない』、か。何の作品の言葉だっけ? 最近、そういうのも忘れてるなあ)
「玲子お嬢様、聞いておられますか?」
「聞いてますよ。それに予行演習もしたし、説明も聞いたし、手引きも何度も読みました。あと、他の人の式に何度も参列しているから、雰囲気も掴んでいます」
頭の片隅で虚しい事を考えつつ聞いていた内容に、これでもかと返事を返す。
鳳の本邸で最初に私付きのメイドになった時田夫人こと麻里が、妙に力を入れて私に神前式の説明を繰り返していた。
女中頭というより、屋敷の女中のトップである家政婦なので、私の結婚式では裏方の責任者のようになっている。
そして麻里の夫であり私の筆頭執事の時田は、披露宴と参加者の差配を取り仕切っている。
二人とも久しぶりに鳳の本邸の人間の結婚式なので、気合入りまくりだ。
まあ、麒一郎の家と虎三郎の家の結婚になるから、二人から見れば自分達は実際に仲人という気持ちがあるのだろう。
実際二人は、式の時は仲人枠になってもらっている。
「では、最後のおさらいと思って、真剣にお聞きください」
「はーい。あ、そうだ。指輪の交換ってするけど、現物は当日まで見られないのよね?」
「そう聞いております。何でも大そうなお品だとか」
「体面があるから、下手なものは使えないものねー」
「玲子お嬢様は、相変わらずそう言ったものに無頓着で御座いますね」
「多分世界一の宝石持ってるからねー。そういえば、あれも使うのよね?」
「はい。披露宴の折に。衣装の方もネックレスに合わせ、シャネル様のものがとどいて御座います」
「うん。けど、式と披露宴で3回の着替えは、無茶だったかも」
「色打掛は、白無垢の上にほぼ羽織るだけですよ。洋装の方は髪型も変えられるので少し面倒ですが、お止めになりますか?」
「いや、する。アメリカ人も多いから、着物は見せないと。それにせっかくだから、お雛様みたいな色打掛も着てみたいし」
「そうですね。一生に一度の事ですからね」
「麻里と時田、じゃなくて丈夫さんの時はどうだったの?」
「創業者の玄一郎様が仕切ってくださり、分不相応な豪華な披露宴を挙げていただきました」
「それじゃあお色直しも?」
「いえ。同じものでした。お色直しという習慣は、やはり高貴な方が行われるものですから。それに披露宴で西洋ドレスを着るというのは、明治の頃は一般的ではありませんでしたね」
「今でも金持ちがたまに着るくらいね。それもカクテルドレスじゃなくてウェディングドレスであって、披露宴のお色直しなんてしないわよね」
「そういえば、ウェディングドレスでなくて宜しかったのですか?」
「うん。日本人たるもの、白無垢と綿帽子じゃないとね。それに憧れてたから」
「そうでございますか」
「うん」
頷いて、少し私の両親の写真を思い出す。勿論、転生してからのもの。私が一度も会った事のない両親の結婚式に撮られた写真だ。
母の希子さんの白無垢姿は、白黒写真でも凄く綺麗だった。
そして思い出モードになった私の口数が減ったのを見計らって、麻里が手をパンと叩く。
「さあ、雑談はここまで。もう一度、式のおさらいをいたしましょう」
天候:
気象庁のホームページを見ると、1875年からの東京のデータが載っています。
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=44&block_no=47662&year=1937&month=&day=&view=a2
『これは、ゲームであっても遊びではない』:
小説ソードアートオンライン(作:川原礫)の関連作品で用いられた代表的なキャッチフレーズ。
指輪の交換:
日本には明治時代の後半に伝わってきた。大正時代には結婚指輪の慣習は定着。




