564 「サンフランシスコにて」
シカゴを出発後、貸切列車は大陸横断鉄道を西へと進み、ただただ広い大草原、大平原を超えて、壁のようにそびえるロッキー山脈へ。そしてロッキーに入ってからは、その途中のソルトレークを少し見て、翌朝朝食を終えて少ししたくらいにサンフランシスコへと入った。
ノンビリとした列車旅もなかなかに良かったけど、これにて終了だ。
サンフランシスコ。北米大陸西の終着点の一つ、坂の町、街中を走るケーブルカー、ゴールデン・ゲート・ブリッジ、港町、この辺りが私のイメージだろうか。
けど、私の北米最後の目的地はここじゃない。
サンフランシスコから、海沿いの道を150キロメートルほど南に行った場所が目的地だ。
同行するのは、基本護衛ばかり。何しろ鉄道など敷かれてない辺鄙な場所なので、車での移動となる。
けど、今まで世話になった鉄道に別れを告げて、終点のキングストリート駅を降りると人が待っていた。
ハーストさんの使いだ。
「誠に申し訳ありません。我が主人より、皆様には『カーサ・グランデ』へのご訪問を取りやめて頂き、急遽サンフランシスコ市内のホテルでお会いしたいとの言葉を預かっております」
「そうなのですね。分かりました。それで今後の予定は?」
てっきりお出迎えかと思ったけど、そうじゃなかった。
「はい。こちらの落ち度ですので、滞在場所についてはお世話させて頂きたく存じます。また、我が主人と会う場所と時間についてですが、場所はご滞在頂くホテル。時間については、明日の朝10時よりお願いしたいと。そしてまずは、旅の疲れを癒して頂きたく存じます」
そういうわけで、ちょっとだけ期待したハーストさんの成金城行きは中止となった。
もっとも私としては、車で往復何時間もかけて行きたいと思う場所でもないし、会うだけならサンフランシスコ市内で十分だった。
なお、かなり後日になって暴露してくれた話では、ハースト・キャッスルもしくは「カーサ・グランデ」の本当の主人、彼の愛人で女優のマリオン・デイヴィスが、「私の城に有色人種の小娘など呼ぶな!」とブチ切れたらしい。
城の主人だというのに、心の狭いことだ。けど、白人社会だとよくある話なので気にもならない。
そうして案内されたのは、サンフランシスコ市内でも初期の頃の市内の中心部の丘の上にある、老舗の高級ホテル。この街に残る予定だった使用人や護衛は、別のホテルを既に取ってあったので別宿泊となる。
けど、紅龍先生達とは同じホテルだった。護衛の部屋も、グレードは違うけど同じホテルかすぐ側の別のホテルに取ってくれていた。
「どうしようか。今日はこのまま、ハーストさんの屋敷まで移動する積りだったのに。みんなの予定は?」
振り返りそう聞けば、ゴールデン・ゲート・ブリッジ、ケーブルカー、それにグレース大聖堂という答え。みんな、それなりにどこに行くかは調べていた。
けど、フィッシャーマンズワーフ、アルカトラズ島、チャイナタウンなどを挙げる者はいない。
この時代はどこも現役で、観光地になっていないからだ。そう思うと、この時代の西海岸は、意外に観光スポットが少ない。
「とにかく、ホテルにチェック・インしてから考えられては如何でしょうか?」
いつもの調子のシズの言葉が、私にとっては一番建設的らしかった。
そうしてホテルに入って一服すると、何もする気が起きなくなっていた。シカゴ以後は誰とも会わなくて良い気楽な旅だったけど、心身ともにまだ疲れが取れてなかったらしい。
ハーストさんの言葉は、正しかったようだ。
それでも昼食を取ってお昼寝したらかなり元気になったので、夕方には車窓からケーブルカー見物をして、夕闇迫るゴールデン・ゲート・ブリッジを見物した。
前世で一度お目にかかったけど、西の海に沈む太陽をバックにした金門橋はやっぱり格別だった。
しかも出来たばかりという点が、また感慨深い。
(ハーストさんの話が短く済んだら、明日もう一回来よう)
そう心に決意してしまえるほどだった。
北米の旅の最後を飾るには、相応し過ぎる景色だ。
そして翌日の朝、10時のお茶の時間に、私が滞在している最上階スイートに新聞王ハーストの爺さんがやって来た。
「いや、済まんね。屋敷の方は改装や増築などもあって散らかっていて、見てみたら酷い有様だった。とてもエンプレスをお迎え出来る状況じゃなかったんだ」
「HAHAHAHA」とアメリカンな笑いで誤魔化すハーストさん。まあ、私的にはどっちでも良い。
「残念ですがそういう事でしたら、またの機会を楽しみにしています。これからは交通網がもっと発達して、日米の間も行き来しやすくなるでしょうから」
「エンプレスの飛行艇みたいなやつかな?」
「あれより凄いのが、今後幾らでも登場しますよ」
「そいつは大したもんだな。だが、私が存命中に出現するのかな?」
そう聞かれて少し記憶を巡らせる。
「DC3により、旅客機の時代が到来しました。あと5年か10年もすれば、ハワイ経由で太平洋横断する機体も登場するでしょうね」
(「B29」の技術があれば、それぐらい余裕よね。確かマッカーサーが厚木に来た時の映像でも、プロペラ4つ付いた大型旅客機だったし)
「5年はともかく、10年は私にとっては遠いかもな。だがまあ、私がまだくたばっていなかったら、その時は専用機でも仕立てて遊びに来てくれ。今度こそ、屋敷で歓迎するよ」
「楽しみにしています。けど次来る時は、子供達も連れて来るかもしれませんよ」
「是非そうしてくれると嬉しいよ。それにしても、オートリの家は羨ましいな」
突然そんな事を言い出し、しかもなんだか冗談に聞こえない口調だ。とはいえ地味に地雷臭がするので、軽く首を傾ける程度に留めた。
そうすると軽く苦笑された。
「いや、済まん済まん。私の子供は、数は多いのに全てを継がせられる器量の奴がいないんだよ。一方オートリの家は、エンプレスで5代目だ。しかも、各方面で優秀な一族が沢山いる。面と向かって話すやつは私くらいだろうが、私以外でも羨んでいる者は少なくないよ。王様などと持て囃されても企業化が進み、一族は財産を継がせる以外は大抵一代限りだ」
「確かに、一族にはとても恵まれていると、私達も常々感じています」
確かにそうかもしれない、と思わず納得して首肯する。そうすると、かなり強めに頷き返された。
「その通りだ。その財産は大事にしなさい。年寄りの忠告という程ではないがね」
そこで軽くウィンクが入ったけど、そんな事を話す積りだったのか、何か別の話の入り口なのかと考えてしまう。
話の取り様によっては、姻戚関係を結びたいという話の入り口に聞こえなくもない。
「いや、済まんね。招待する予定の屋敷で、ちょっとばかり家族と喧嘩してね。つい、愚痴のような事を言ってしまった。だがなあ、言いたい事の大半は実のところ石油王の屋敷で言ってしまったから、あまり話す事もないんだよ」
「そうなのですね。では、世間話などに興じますか? ハースト様とは一度忌憚なくお話がしてみたいと思っておりました」
「嬉しい事を言ってくれるね。じゃあ、先に最低限の話だけしてしまおう」
そう言って話したのは、私の帰りの船にハーストさんの記者や撮影班が同行して、主に私の結婚式を撮影する件。
既に決まっている話だから確認だけかと思ったけど、土壇場で増やしたいという内容だった。
そしてそれとは別に、「コミュニストに気をつけろ。私ほどじゃないが、相当恨まれている。今回の旅でも、あんたの命を機会あればと狙っていた。まあ、王達が総掛かりで潰していたがね」という怖い助言があった。
けど、諸々は私ではなく執事や護衛達が関わる案件なので、時田らに話を回す事になる。
特にセキュリティ面で、土壇場で人が増えるのは良くない。しかも2週間は船で一緒になるし、一旦内側に入られてしまうと私や一族のセキュリティも甘くなってしまう。
そしてお父様や時田、セバスチャンは、こういうのに凄くうるさい。私も当たり前だと思っているから、運び込む機材や荷物の確認、人物の見定めなどを徹底する事になる。
そうして話は昼食、お昼のティータイムと長くなり、「それではまた」と新聞王が部屋を後にしたのは、夕方近くになってからだった。
夕食まで一緒にしなかったのは、お互いに喋り疲れたから。特にハーストさんはもう若くもないので、喋りすぎて喉が枯れていた。
「あー、あの人と10年分くらいは話した心境ね。話題に事欠かないのは流石だけど、当分手紙も書きたくないかも」
「お疲れ様です。この後はどうされますか?」
「そうねえ、まだ夕方前だし、今日も橋を見に行きましょう。気分転換してから、みんなと夕食を取りたいわ」
「畏まりました」
話疲れたせいか、いつものシズとのやり取りが妙に心地良かった。
老舗の高級ホテル:
フェアモントホテル。1907年創業。
アルカトラズ島:
有名な監獄島。1つの島を使った刑務所。
1932年からは、アル・カポネが収監されていた。
1938年に梅毒が発覚したが、ペニシリン投与は45年で効果は無かった。この世界では治っているかもしれない。
チャイナタウン:
サンフランシスコのチャイナタウンは、アメリカで一番古く、そして有名。
プロペラ4つ付いた大型旅客機:
「ダグラス DCー4」の派生型、「ダグラスC-54B」輸送機の改装機。
「ダグラス DCー4」は1942年登場。1938年には、試作機が早くも初飛行している。この試作機の一つを参考に日本海軍の『深山』が開発される。
ただし試作機はほぼ失敗作だった。




