563 「大陸横断再び」
「ア゛ー、やっとニューヨークを離れられるー」
6月に入ってすぐ、東海岸での諸々が済んだので、ようやく西への移動を開始する。基本的には、シカゴ、カリフォルニアの新聞王ハーストの邸宅、そしてサンフランシスコから船で北太平洋航路に乗る。
テキサスの牧場も寄りたかったけど、東海岸での滞在が予定より長引いたのでまたの機会とした。
ただし海路はノンストップじゃなくて、途中ハワイに寄港する予定。せっかくだから、南の楽園で遊んで帰ろうという算段だ。
また、8年近く前の旅と逆の方向で進むので、シカゴに行く前にまだ見ていない人達の為にナイアガラの滝を拝む。
「お嬢、だらけすぎ。仕方ないとは思うけど」
「お芳ちゃん、好きにさせてあげて」
「舞様もお疲れ様でした。私達は遊んでばかりで」
「いいのよー。半ばその為に連れてきたんだからー」
私が精神的に溶けた状態なのは、ニューヨークを出発した貸切列車の中。
8年前とは格の違う金持ちにランクアップした事と、王様達のはからいもあり、列車丸ごと借りての大陸横断となる。日本でも出来ない事が出来てしまうのが、成功者の国アメリカだ。
列車自体は、機関車と炭水車の後ろに荷物を載せる郵便車、使用人や護衛用の2等寝台客車、食堂車、1等寝台客車、サロン車、そして最後尾には見た目は普通の客車だけど常時護衛が詰める。
時間節約で夜中走るのも理由だけど、人種で文句言われるのが面倒だから途中でホテルを取る事はないので、寝台車にした。
私が溶けているのは、当然サロン車。鳳の人間と要護衛対象者が、それぞれの場所で寛いでいる。男達がいないのは、私達から一番離れた場所でタバコをふかせているから。
一方で、お芳ちゃんも護衛対象なので一緒だ。みっちゃんがいるのは、ニューヨーク滞在中は忙しかったシズとリズを寝かせてあるから。だからみっちゃんは、護衛というよりはメイドのお仕事メインで私の側についている。
そのみっちゃんが、再び口を開く。
「本当にありがとうございます。ところで、シャネル様は?」
「突然、会社を放っぽり出して来たから、パリに帰るってー」
「結婚式には来られないのですよね」
「来ないわよー。事前に手紙をやりとりして、来ないのは確認済み。服だけもらったけどね。それと一応だけど、ヨーロッパからの来賓は最小限だし、これ以上はないわよ。遠いし、呼び始めるとキリがないからねー」
「多くの方から祝物を頂きますけどね」
「うん。それで十分。アメリカの人達も、それで済めば良かったのになあー」
マイさんの補足に、ロックフェラー邸での紳士淑女の皆様がダブって、軽く鬱に入りそうになる。
「そういえば、船で一緒に行く人達は?」
「私達は寄り道しながらサンフランシスコまで行くから、かなりは現地集合。東海岸から飛行機でシスコまで飛ぶ人もいる筈ー」
「アメリカは、旅客機がずいぶん飛んでるもんね」
「羨ましい限りよねー。日本にも、もっと航空網を張り巡らせて欲しいなー」
「帰ったら結婚で、しばらくどこにも行かないでしょうに」
「そうなのよねー。……よしっ! 仕事もあらかた済んだし、独身最後の旅を楽しむわよ!」
「それなんですが」
その言葉に私が顔ごと向けると、マイさんが少し申し訳なさそうにしていた。
「えーっと、何か問題でも?」
「問題というか、私の勘だとフォード様との対面は、ある程度覚悟しておいた方が良いかなーって」
ほぼ普段の言葉で濁したけど、すぐに言わんとしている事は分かった。思い当たる節が山ほどある。
私より先に気づいていたお芳ちゃんは、我関せずモードに入ってしまった。怒られるのは、この中では私の役目だから。
そしてフォードさんといえば、反ユダヤ主義者、平和主義者の辺りがすぐにも思い浮かぶ。
それなのに私は、アメリカのユダヤ系の人とも昵懇だし、早くからドイツのユダヤ人を積極的に助けている。
さらに自前の会社では、トラックやトラクターを大量に納品する商売敵の状態。しかも、戦車すらじゃんじゃん作っている。
一方のフォード社は、ドイツに自動車工場を積極的に進出させているけど、別にドイツに肩入れしているわけじゃない。自由貿易こそが戦争を防ぐという、フォードさん流のやり方だ。
そんな状態だから、虎三郎は手紙で度々謝ったり弁解したりしているらしいけど、一族に直接会う機会だからそれなりに覚悟は必要だろう。
そして、虎三郎の長男を私が頂くわけだから、挨拶に行かないわけにもいかなかった。
前来た時はローティーンの子供だったから、何も言われなかったけど、今回はそうはいかないだろう。
そしてナイアガラの滝、ジョン・ロックフェラーのお墓と経由してシカゴへ。正確にはヘンリー・フォードの邸宅へと至った。
マイさん、サラさん、それにエドワードを連れて行く。フォードにとって虎三郎は、会社がまだ小さい頃の部下であり、虎三郎とは家族ぐるみの交流があった。その後も、虎三郎達はみんな何度かアメリカに来ているけど、必ずフォードに会っている。
そして虎三郎の娘さん達がいる以上、私はむしろおまけだ。虎三郎から預かった手紙も、私的な手紙という事もあってマイさんの手からフォードさんに渡される。
だから一通り挨拶や社交辞令を交わしただけで、基本大人しくしておく。二人も心得ているし、子供の頃に一度挨拶しただけでペンフレンドでもないから、フォードも私を社交辞令以上で相手にはしない。
けど、一通り挨拶や社交辞令が終わった時だった。
そろそろ怒られる時間だと、内心で気持ちを引き締める。
「時にレーコさん」
「はい、フォード様」
「私は、あなたとハルト君に謝る事がある」
「とおっしゃられますと? 皆目見当もつかないのですけれど」
答えを返しつつも、私だけじゃないから結婚がらみだろうとしか推測が及ばない。
「この通り老人の身なので、二人の式には出席できない。それを直接謝りたかった」
「滅相もありません。先ほどもお祝いの言葉と品も頂きました。謝って頂く必要など全く御座いません」
自動車王フォードは、新聞王ハーストは同い年。1937年で74歳になる。けどハーストさんは、陛下と同じ誕生日で、フォードはもう少し先の7月30日。
なんにせよ、長旅をするには十分に高齢と言っていい。それに真面目な経営者なので、アメリカを長く空けるような旅に出るとも考えられない。実際、虎三郎が何度かやり取りした手紙でも、式には出ないと既に返事をもらっていた。
「そう言ってもらえると助かるよ。何しろトラは、私が来ないなら押しかけると書いていたのでね」
そして私への具体的な話はそれくらいで、終始私的な会話しかしなかった。マイさんも警戒していた話は全然出てくる事はなく、あくまで婚前の挨拶に来た友人の親族をもてなすという態度に終始した。
この辺りは、ヘンリー・フォードの人柄を見るようだった。
「玲子は、フォードさん警戒しすぎだよ。いい人だったでしょう」
話が終わって引き上げた列車に向かう車内で、サラさんがアッケラカンと言い切った。
その通り過ぎたので、私とマイさんはひとしきり苦笑するしかなかった。
「まあ、私に鳳グループの行動への文句を言っても仕方ないって思ってたのかもね。フォードさんは、私の噂話は基本信じてないみたいだし」
「フォーディズムなんて生み出した合理主義の人だから、そうなんでしょうね。ニューヨークで会った人達の大半も、多分だけど半信半疑とか、話題作りくらいに思ってた感じだったし」
「その方が有り難いですね。けどその辺りは、王様達の情報コントロールが行き届いているって理由もあると思います」
「コントロールねえ。あの新聞王のお陰なの?」
「どうでしょうね。あの人には、反共と日本の宣伝以外頼んだ事ないので」
「まだ、お金あげてるの?」
「ここ数年は、ちゃんとした投資や出資の形が大半になりました。世界恐慌の頃に比べたら状況も持ち直したみたいですし、今後は相互協力が中心ですね」
「それであの人の屋敷に行くんだ。あ、そういえば、私達も行くの? すごく辺鄙な場所にあるのよね?」
「全員で押しかけても仕方ないので、サンフランシスコの観光をしてて下さい。確かうちのファンドも公債を買ってたゴールデン・ゲート・ブリッジが完成した筈です」
「完成式典には、鳳支社の者が出席しているわね。ロックフェラー様のご招待が無ければ、出席を求められていたかもしれないけど」
いい加減な私と違い、マイさんの方が情報をちゃんと把握していた。
「アメリカ人の式典に、有色人種が偉そうな顔しないで済んで良かったじゃないですか。マイさん見ます?」
「せっかくだものね。写真は見たけど、シスコの湾に入る手前の入り口にあるのよね?」
「一見の価値ありですよ」
「相変わらず見てきたような言葉ね。やっぱり夢で?」
そう聞いてきたのはマイさんだけど、聞こえていた人達も興味を示していた。
まあ、毎度の事だ。
「そうです。けど私も、実物を見てみたいですね。ただ、ハーストさんの豪邸で1泊すると思うから、みんなは2日くらいは自由に遊んでいて下さい」
「了解。それじゃあ、ロスには行かないの?」
そこで私はぐっと詰まる。行きたい気持ちは凄くあるけど、行ってはいけない場所だからだ。
「……行かないんだ」
「……はい。今新作映画製作の大詰めだから、お邪魔したら絶対にダメなので」
「エッ? それが行かない理由? けどチャップリンって『モダン・タイムス』が去年公開なのに、もう新作が大詰めなの?」
「いえ、チャップリンじゃないです。あの方には、手紙だけ認めましたけど」
「そうなんだ。確かチャップリンが来日した時、今度は遠慮せずに遊びに来なさいとか言われてたのに?」
「はい。それにチャップリンも、今は次の構想か脚本で忙しいと思います」
「そうなんだ。で、別の映画って誰の?」
いまだ気づいてくれないサラさんに、マイさんが小さく苦笑していた。
「玲子ちゃんの場合は、映画といってもディズニー。アニメーションよ」
「アハハハ。そういうところは、まだ子供だねー。どんな映画?」
「おとぎ話の映画なんですけど、世界初のカラー長編アニメーション映画。大傑作なので、絶対に見て下さい。大金積んで上映権も買いましたから、日本でも来年には封切りします!」
「そ、そう。そんなに凄いの?」
「はいっ! 4年の歳月と170万ドルを投じた、渾身の大作です! 使われたセル画の数は、なんと25万枚!」
「な、何が凄いのか分かりにくいけど、凄いのだけは分かったわ」
ちょっと引かれているけど、全然構わない。神が神になる作品の一つだ。宣伝し過ぎてし過ぎるという事はない。
そして、だからこそ今私が邪魔をしに行くわけにはいかない。
「でも玲子ちゃん、どこで公開するの? 私、まだその話は公私ともに聞いてないけど」
「阪急の小林様とは、以前お話しして内意は得てあります」
「そういえば、こそこそと動いていたわね。お芳ちゃんは知っているの?」
「セバスチャンさんが、直に動いてます。それで今、あそこの映画会社が他と合併する話が出ていて、その合併後の景気付けの1本に入れてもらう予定です。セバスチャンさんがそこへの出資や協賛を含めて動いているから、詳しい話が知りたいなら聞いて下さい。ただ、まだ内意や構想段階ですね」
「そうなのね。けど、日本で外国のアニメーション映画の上映って、色々と難しそうね」
「だから、うちが幾らか代金を負担して、特に子供に格安料金設定をしようかと思っています」
マイさんへの質問に自信満々で答えたけど、周りのギャラリーを含めて「処置無し」って反応をされた。
解せぬ。




