560 「王様達の城へ」
(おーっ。まさにアメリカの王様が住んでるところだ)
ニューヨーク郊外から、車で数十分。意外に早く辿り着いた場所は、数十キロ先に世界一の大都会があるとは思えない自然豊かな場所。
もっとも、ニューヨークなど一部の都会が例外なだけで、アメリカは広々とした場所、緑豊かな場所が多い。なにせ、日本と違い広い国だ。
そして私達の目的地は、近くにニューヨークの街が河口部に当たるハドソン川が流れ、目の前には大きな池か湖がある。そして人の手の入った森と入っていない森が混ざり合い、その中の所々に芝生か丈の短い草だけの空間があって、遠くに瀟洒なヨーロッパ風の大邸宅の屋根が見える。
目的地は、小高い場所にあるらしい。
広さは東京ドーム何個分どころか、千代田城くらいあるんじゃねって感じで、日本の金持ちの住まいとは格が違っていた。
あとで聞いたけど、敷地面積は4キロ四方に迫るらしい。
(うちもどっかの地方の山を切り開いて、超成金らしい大邸宅の一つも作ってみようかなあ)
車窓からそんな情景を見つつ、とにかく頭の一部が現実逃避していた。
何せ、アメリカの王様の誰かに呼びつけられている。だから思考の一部では、思考がぐるぐると回っていた。
(さて、待ってるのは誰だろう? ロックフェラー家は創業者が亡くなったばかりで、私の相手なんかしてる場合じゃないよね。それよりも、私も何かしら挨拶しないと義理が立たないんだけど、時田はまだ何も言って来ないしなあ)
そう思考を巡らせている通り、19世紀に台頭したアメリカの王様達の中の王と言えるロックフェラー財閥の創設者ジョン・ロックフェラーは、私達が豪華客船に乗っていた5月23日に亡くなったばかりだった。
そして、既にアメリカに滞在していた時田らが、急遽葬儀に参列していた。私がお祈りしに行っても良いけど、会うのがロックフェラー家の人かその関連なら直接申し出るべきだろう。
ただし今日は、相手が誰か私は知らない。
(一番懇意のモルガンは、今は冬の時代よねえ。うちは救世主って表看板でダウ・インデックスで好き勝手しているけど、呼んだのがモルガンなら怒られそうだなあ。けどここは、もう血族支配じゃないから、私を呼び出したりはしないか)
モルガン財閥は金融財閥で、大恐慌を機に金融独占への批判が強まって、ルーズベルト政権が銀行法とかいう法律まで作って、2つに分割してしまっていた。
私は悪くないけど、付き合いは一番古い部類になるから色々と気は使ってきた筈だし、今まで怒られた事はない。
ただ、私の金を使う時に、お金以外を取引相手に渡しているから、その件で色んなところから恨まれていると聞いている。
(他の王様達と言っても、メロンは最近のボーキサイトの取引以外に接点薄いし、デュポンはもっと薄いわよねえ。カーネギーも、鉄鋼王といっても一族じゃないし、今更カーネギー関連の人が私を呼ぶとも思えないのよねえ。他は、一族で頑張ってるのは鉄道王のハリマンかあ。確かブッシュ・パパのお父さんが、ここに入ってるのよねー。とはいえ……うん。さっぱり、わからん)
結論としては、考えても仕方ないと腹を括るしかなかった。そして結論を出さないといけないところまで、車は進んでいた。
けど、同行者のシズの様子が少し緊張している。
「どうかした?」
「いえ、敷地の門をくぐる辺りから、強い気配を感じます」
「一応聞くけど、私達がヤバいわけじゃないのよね」
「違います。お嬢様に向けられたものではありません。恐らくは通常の警備体制だとは思いますが、それにしては厳重ではないかと」
「二人はどう思う?」
そう言って、同行者のマイさんとリズに聞く。時田もセバスチャンも別件でこの場にはいないし、招待されているのでゾロゾロと護衛を連れ歩くわけにもいかない。
また、紅龍先生とご家族はアメリカではほぼ別行動だし、エドワードとサラさんは昨日から用事があるとかで今朝から見ていない。
だから私達は、最小限の人数。それも相手を警戒させないように、全員女子で固めてある。八神のおっちゃんとワンさんも、別行動したいというお芳ちゃんなどに付けた。
そもそもアメリカでは、基本的に私達はアメリカの王様達の手で守られている。逆を言えばカゴの中の鳥も同然で、こっちが固めても実質的に殆ど意味はない。
「警戒は厳重ですが、外に対する通常の範囲内の警備体制と考えられます」
そう言ったのはリズ。シズと同じくらいに少しだけ緊張感を見せたけど、アメリカの王様達から訓練を受けているから、一番正解だろう。
「私にはなんとも。ジェニーの実家もそれなりに大きな家でしたけど、こんなお城みたいな敷地の家は行ったことがありません」
そう答えるのは、母親のジェニファーさんの実家がアメリカで結構な社会的地位にあるというマイさん。
そしてこれで大体答え合わせは済んだ気がしたけど、あとは運転手に聞くしかない。
「と言う事ですけれど、そろそろ話して下さいますか、ミスタ・スミス」
「そうですね、と言いたいところですが、もう目の前です。私が答えるまでもないでしょう。ご覧下さい、ここが目的地です」
そう言ってミスタ・スミスが白手袋で指し示した先には、3階建ての瀟洒な建造物の正面があった。
十分豪華な大邸宅だけど、敷地面積に対しては質素に感じる。少し昔の欧州貴族の方が、豪華な住まいに住んでいただろう。
ただこの建物、既視感があった。というより、写真か何かで見覚えがあった。
そしてその答えは、隣に座るマイさんが答えてくれた。
「……『カイカット』。ここは、ロックフェラー家の邸宅だったんですね」
「なっ! 待って下さい、ミスタ・スミス。私達は弔意を示す準備をしていませんし、この格好で家の方々にお会いする事は出来ません!」
「ご心配は無用です。かの家の方々は、先代より丁重にお迎えするようにとの言葉、今となっては遺言になりましたが、それを預かっておられます。今回エンプレスの招待を決められたのも、ロックフェラー家の先代、ジョン・ロックフェラー様です」
「っ!!」
(拒否権ゼロ。逃げ場なしじゃん! しかもよく見たら、お屋敷の前に車が多くない? それ以前に、玄関にどう見ても迎えの人達いるよね。私、色々とビジネスで随分と世話になったけど、あの人と前来た時に顔を見たくらいよ。後は、手紙を何度か交換したくらいなのに。なんで?)
多分顔に出ているのであろう、運転席のミスタ・スミスの横顔がしてやったりな表情になっている。
「流石のエンプレスでも、そういった表情をされるのですね」
「当然です。ジョン・ロックフェラー様には、返せない程の恩があります。亡くなられたと知った時は、とても驚き悲しみました。そして本日訪れなくても、何らかの形で弔意を表したいとも考え、執事らに日取りなどを任せておりました」
「ジョン・ロックフェラー様は、既にオハイオ州クリーブランドのレイクビュー墓地に埋葬されました。エンプレスからの申し出があれば、後日案内するようにと仰せつかっております。
ですが本日は、この家での歓迎を受けて頂きますよう。それがジョン・ロックフェラー様のご遺志です。
そして今この場所には、ジョン・ロックフェラー様の葬儀などで全米から集まった方々の多くが、それぞれ戻られる前に集まっておられます」
もう反応を示す気力もなく、能面になるしかない言葉が続く。それを見かねたマイさんが、職業意識で私の代わりに問いかけてくれた。
「スミス様、念の為お尋ねしますが、お集まりの皆様は玲子様の為に残られたと考えてよろしいのでしょうか?」
「先ほど申しました通り、ジョン・ロックフェラー様がエンプレスの為に皆様に集まるよう招待状を出しておられました。ついでなどでは決して御座いません。
全くの偶然に近い日程になってしまいましたが、残っておられるのはこの日に集まられる予定の方々になります。もっとも、葬儀の折などに話を聞いて参加されている方も少なくありません」
(要するに、アメリカの王様の中の王様であるジョン・ロックフェラーのお爺さんは、私の訪米の歓迎にサプライズ・パーティーでも企画してたって事? 何だかもう、まな板の鯉ってやつね)
どうやら開き直るくらいの気持ちに切り替えるしか無さそうだった。
ロックフェー家は創業者が亡くなったばかり:
石油王ジョン・ロックフェラーは、ロックフェラー財閥の創業者。世界一の金持ち。慈善家としても有名。
1937年5月23日、98歳の誕生日を2日前に控えて亡くなった。
1937年当時の遺産は14億ドル。
モルガンは、今冬の時代:
1929年の大恐慌を機にモルガン財閥の金融独占への批判が強まり、1933年銀行法でJ・P・モルガン商会は2つに分割された。
この時できた1つが、投資銀行のモルガン・スタンレー。
鉄道王のハリマン:
W・アヴェレル・ハリマン。
先代は、日露戦争で日本の戦争国債を大量に購入した事でも有名。この時代は、息子の代に変わっている。1934年から政治家に転向。第二次世界大戦では、外交官として活躍。戦後も政治家として活躍した。
ブッシュ・パパのお父さん:
プレスコット・ブッシュ。W・A・ハリマン社に就職し、以後出世してアメリカ屈指の銀行家になる。
そして、息子と孫は大統領となった。




