558 「ニューヨーク再び」
1937年5月も終盤、再びアメリカの大地を踏んだ。
予定では、1週間から10日ほど各地に滞在したら、北太平洋をハワイ経由で10日ほどかけて日本へと帰国する。
7月初旬に私の結婚式があるので、その挨拶が表向きの目的だからだ。
けど、7月までに帰る本当の理由は、7月7日の七夕の日に、前世の歴史で日本にとって致命的な事件が発生するからだった。
なお、私たちが大西洋上にいる間に、イギリスではボールドウィン内閣が総辞職して、チェンバレン内閣が成立した。
チャーチルには色々と伝えたけど、チャーチルもこの内閣によりドイツに対する宥和政策が本格化する事を強く懸念していた。
もっとも、私がちょっと告げ口したり騒いだ程度では、世界の潮流は変わりようがないらしい。
アメリカでは、新聞王ハーストが派手な反共運動を長年してきた影響が見られるけど、それでもルーズベルトは社会主義的な政策を行なっている。
日本の現状が随分と違うのは、私や私の周りの人の努力のお陰だけでなく、大いなる幸運と思うべきだと考えないといけないだろう。努力だけでどうにか出来るほど、この時代はイージーモードじゃない。
それはともかく、ニューヨークの港に着くと出迎えがあった。
「長旅、大変ご苦労様です、玲子お嬢様。舞様。鳳凰院公爵様。そして皆々様」
「イギリスどうだった、お姉ちゃん?」
「皆様、ご無沙汰しております」
それぞれそう声をかけてきたのは、太平洋から先にアメリカに渡っていた時田、サラさん、エドワードだ。
そしてこっちが挨拶を返して、3人共が私の横を見る。
そりゃあそうだろう。
「玲子お嬢様。そちらの方を、我々にも紹介して頂けますでしょうか」
3人共気づいている表情をしているけど、形式としてそう言っただけだ。
ただ、シャネルは私達の中に自然に混ざっているから、理由が聞きたいのはもっともだと私も思う。だから軽く頷き返し、シャネルに視線を送ると鷹揚な頷きが返ってきた。
初対面の時だけ私も見た、猫を被っている時のこの人だ。
「こちらは、ココ・シャネル。いつも私達の服を作ってもらっているけど、船で移動中は退屈だから特にお願いして新しい服の採寸とか打ち合わせをしていたの」
「ココ・シャネルと申します。皆様、お見知り置きを。それでレーコ、こちらの方々は? 一人は私が服を作っているお嬢さんよね」
「あと二人は、私の筆頭執事と第三執事。もっとも第三執事は、ゆくゆくは鳳の一族に名を連ねる予定です」
「そうでしたか。それじゃあ、遠慮のいらない方々ね」
(いや、お前、私に遠慮したこと一度もないだろ!)
少しだけ尻尾を出したシャネルに、一瞬感情の爆発と共にジト目で見そうになったけど、グッとこらえる。
何しろ周りは、豪華客船から降りる人、迎える人でごった返し。警護の人が私達の周りを囲っているとはいえ、私も上っ面を取り繕わないといけない場所だ。
そして全てを察したであろう時田が、恭しく一礼する。
「皆様長旅でお疲れでしょう。彼方に車を用意させて御座います」
「私も宜しくて?」
「勿論に御座います。主人の客人を蔑ろにしたとあっては、玲子お嬢様の名と鳳の家名に泥を塗る事になりますれば」
「滞在場所は、ニューヨーク郊外の邸宅となります。多少窮屈やもしれませんが、そこはご寛恕頂きたく存じます」
続いてエドワードも執事らしく言葉を継ぐ。
そして彼の示した先へと進むと、駐車場の一角に高級車数台とバスが待っていた。それ以外にも、見るからに護衛車って感じの車も数台。車のデザインは、どれも日本の車より一歩進んだモダンさがあり、こんなところでも日本とアメリカの格の違いを感じさせられる。
そしてそれは、船から見た街並み、車窓からの街並みからもひしひしと感じる。
もう、めっちゃニューヨークになっていた。
とんがり頭のエンパイア・ステート・ビルとクライスラー・ビルは、以前私が来た時は建設中だったけど、1937年のこの時はもう高々とそびえ立っていた。よく探せば、ロックフェラー・センターも見つけられるだろう。
そしてよく探さないといけないくらい、超高層ビルが増えていた。前世で見覚えのある建物も、さらに増えている。
アメリカは不景気のどん底の間でも、ニューヨークは日々進化していた。
間違いなく、ここが世界経済の中心だと再認識させられる。
そして私が目にしているような映像は、日々現地の者に撮らせて鳳が金出してニュース映画で日本中に流させているけど、実際に見ると存在感がハンパない。
だから、未だに英米を敵視するアホは少なくないから、連中が喜びそうな名目でアメリカツアーを組んで、デトロイトなどと合わせ、この景色を見させている。
けど、視野や思考の偏りきった連中は、この景色を見ても考えを転向する事が少ないと分析されていた。挙句に、鳳が作った製鉄所や水島の石油化学コンビナートを例に挙げて、日本は英米に負けてないとか宣ってくれる。
「それ全部、お前らが英米かぶれってバカにする鳳財閥が、大金はたいて頭下げてアメリカから買ったんだ」って全力で説明しても、その点は全く聞いてくれないから、頭痛を通り越えて頭がクラクラする。ガンギマリな奴には、馬の耳に念仏だと思い知らされる。
親英米路線にねじ曲げたこの世界の日本でもこの程度なのだから、史実の歴史の中はどんな状態だったのか、想像したくもなかった。
そんな鬱なことを考えているうちに、車列はマンハッタン島を北の方に進んでいく。エンパイア・ステート・ビルの脇を抜け、セントラルパークを横目で見つつ通り過ぎ、その他、名前を聞いた事のある美術館や博物館、公園、その他諸々を通過して郊外へ。
そうして郊外のブロンクビルという辺りまでやって来る。
ここは、7年前にも滞在した閑静な高級住宅街。ヨーロッパ風もしくはアメリカ風の情緒ある住宅や邸宅が、数多く並んでいる。
その中の一つが、私達の滞在場所。今は鳳グループの現地法人によって運営される別荘だけど、こういう時に借り切って使う。そこは7年前と同じだった。
ブロンクビルという地名だけど、悪名高いブロンクス地区とは違う。そのもう少し北側にある、完全な郊外住宅地だ。
「そう言えば、リズはブロンクス出身? あ、聞いちゃダメだったわよね。御免なさい」
現地に到着して、私の身の回りの世話の為に付いたリズに、思わずそんな事を聞いてしまった。
けど、当のリズはいつも通り。
「いえ、お構いなく。子供の頃は、あそこで過ごしました。ただ、出身地かどうかは知りません。意識する頃にはあそこで過ごしていたのですが、親は教えないままいなくなったので知りません」
(おぉぅ。予想外にヘビーだった。私の周りは、孤児か売られた子しかいないのか? もう、これって私に対する業とかあてつけに思えるなあ)
「そ、そう」
「はい。クソな場所ですが、それなりに面白い場所でした。それに生きる術は、あそこで学びました。ただ」
「ただ?」
「すぐ近くに、同じ名前の場所があるとは知りませんでした。小さな世界で満足していたものだと、今となっては痛感します」
「それなら、これからももっと色んな場所を知ってちょうだいね」
「はい。それで、お嬢様の為に尽くさせて頂きます」
もう7年もなるので、言葉の後のお辞儀も堂に行ったものだ。
けど彼女の場合、アメリカの王様達に拾われるまで、さっき脇を通り過ぎたブロンクス地区で幼少期を過ごしたんだろうけど、禁酒法全盛期の時期に当たる筈だから、今の姿は隔世の感ありだろう。
そして禁酒法も過去のもの。今は、あえて名付けるなら『ルーズベルト時代』はまだ2期目だから弱く、やはり『ニューディール時代』なのだろう。
けど、アメリカのように発展した国では、積極財政政策は瞬間的なドーピング程度の効果はあるけど、それだけだ。
そしてそう考えている人達が、今回のアメリカでの私の主な相手になるだろう。
ブロンクス区:
1920年代から30年代は、アイルランド人、イタリア人、ユダヤ人が移民の主な勢力。
禁酒法時代、アイルランド人、イタリア人のギャングが横行した。
リズは、アイルランド系もしくはケルト系なので、親がここへの移民に当たる。




