556 「戴冠式の英国(4)」
「日本本土が戦場にならなければ、他は大抵受け入れられます」
雑談だから、比較的大雑把な返事で仕切り直した。
そうすると少し意外そうに言葉を返してくる。
「つまりソ連との直接の戦争以外を? だがソ連は、しばらく安心ではないかな?」
流石はチャーチル、そして大英帝国。ソ連の内部で進みつつある事は、よくご存知らしい。
私も軽く頷き返す。
「私どもも、ソ連が大規模な戦争を仕掛けることは、3年間はないと見ています。これは日本陸軍でも同様の見解です」
「日本陸軍、外務省も相当、色々なところに手を回したようだな。一番つついたのは、ドイツのSD(親衛隊情報部)の中枢のようだが」
「……何か新しい動きでも?」
ドイツの諜報組織が動いているのは、「らしい」という程度で情報は掴んでいた。けど、日本からヨーロッパは遠いので、日本が手に入れる情報は色々な面で劣っていた。
けど、チャーチルは一瞬意外そうにした後で、一人で得心したように頷く。
「そう言えばプリーステス(巫女)は、今は旅路だったか。何、大した事じゃない。この11日に、赤軍元帥の一人が左遷されたんだよ」
「なっ! それはトゥハチェフスキー元帥ですか? 確か今は陸海軍人民委員代理でしたよね。逮捕でなく左遷なんですね?」
思わずそう返したら、軽く片眉を上げられた。
乗せられたらしい。口元は薄く笑みを浮かべている。
「なるほど、かの御仁は逮捕されるわけか。となると、赤軍への粛清の波及は確定的だな。ああ、そうそう、トゥハチェフスキー元帥は、ヴォルガ軍管区司令官に左遷されたよ。「まだ」逮捕はされておらん」
「そうですか。あ、そうそう、彼は来月の今頃には、あの国に空より高い場所がまだあるのなら、そちらに旅立たれていると思います」
ちょっとやり返したけど、チャーチルには効かなかった。
「彼一人かな? 我々の知るところだと、かなりの範囲に及びそうなんだがね」
「2年ほどの間に、赤軍が半身不随どころか全身不随になるまで、高級将校は空の彼方に転属させられる筈です。赤軍だけではありませんけれど」
そこで素っ気なく言葉を切って様子を伺うと、上っ面は取り繕えていたみたいだけど、返事が少し遅れた。
「……それは、願望など含まれていないのだろうね」
「願望込みなら、二度と立ち上がれないくらい、というもう一声欲しいくらいですね。ただ、今の赤い国は、ブレーキの壊れた自転車も同然。大きく躓くまで、止まりませんよ」
「……そうか。我々もかなり酷い事になるとは予測しているが、どうやらその予測以上らしいな。ちなみに「予測」があるなら、その数字を聞くことは出来るかな?」
「聞かない方が、今夜の睡眠の為だと思います。それに聞いたところで、今のところは私の妄想でしかありません」
「確かにその通りだ。埒もない事を聞いた。では話題を変えようかと思ったが、そう言えば先ほどの答えを聞く途中だったな」
そう謂えば、私に次の戦争がどうなって欲しいかと聞いてきたんだった。
けど私としては、日本がドイツと同盟せず、大陸で泥沼の戦争に引きずり込まれず、大戦前にソ連が攻めて来ず、イギリス本土が陥落せず、日本が連合軍に加わりお手伝いの戦争をしつつ、日本本土が戦争特需に湧き返る、というストーリーが理想だ。
ただこれだと、現時点だと妄想垂れ流しでしかない。
「難しい質問だったかな?」
「そうですね。日本本土が戦場にならない事以外でしたら、とにかくアメリカと全面的に戦う以外は受け入れる積りです。それだけの準備は整えますので」
現状の日英米関係を踏まえ、ジョークにすら聞こえるようなるべくソフトな言葉を選んだのに、妙に深刻な表情をされてしまった。
「現状から考え、日本とアメリカが全面戦争する未来は、私などには到底想像出来ない。だが、日本とアメリカと戦う以外の事は起きうるという事か。……なんて事だ」
(ああ、そう取ったのか。まあ、間違いでもないけど)
話してくれて、納得がいった。私が『次の戦争はスッゲー酷い戦争になる』と言ったと解釈したのだ。
そして私は、前世のスッゲー酷い戦争を知っているから冷静でいられるけど、普通はそうじゃない。鳳の中枢の人達にはもう話して聞かせていたけど、その時のそれぞれの反応を思い出した。普通は想像すらできない、妄想すら難しい程の悲劇が待っている。
そして目の前のチャーチルは、詳細について一切触れていないけど、その時の反応に似通っていた。
(この人って戦争屋で『一心不乱の大戦争を!』な人じゃなかった?)
まだ考え込んでいるから、ちょっと下らない事を思うけど、流石にフォローが必要かと焦り出してしまう。
けど、私が何か言う前にチャーチルがこっちへ向いた。その瞳には力がある。
「内容は聞くだけ無益だろうな。それに、何をするべきかは最初に聞いた。だが、一つだけお伺いしても良いだろうか?」
「お答え出来る事でしたら」
「うむ。あなたは、ソ連で今起きている事といい、今後起きる凄惨な戦争といい、そうしたものを先に見て、一体どうやって正気を保っていられるのだろうか?」
(考えた事なかった質問だなあ。けど、実際見たり体感するわけじゃないし、殆どは前世の歴史として習った事だから、多分そのせいだろうなあ。さて、どう話せば……)
「やはり難しい質問だったか。答えられないなら、構わない。詮無い事を聞いた。許されよ」
言葉を探していると、意外に時間が経っていたらしい。
「あ、いえ、私が平気なのは、チャーチル様や他の方と役回りが違うからでしょう」
「というと?」
「チャーチル様が呼ばれるように、私はプリーステス(巫女)。見て伝えるのが役目だからです。それにまだ子供ですので、責任を負いたくても現代社会においては法的に無理です。だから、自身に影響する事以外を客観視出来るのだと思います」
「なるほど、確かにそうなのかもしれない。それで、自身に影響する事とは、日本がどうなるかという事に対してで良いのかな?」
そう聞かれたら、頭を横に振るしかない。この人に、嘘をついても馬脚を顕すだけだ。
「私は、国を背負う立場にありません。ですから、私自身、一族、財閥、そうした手の届く範囲までです。ですから日本の行く末に対しては、それらを少しでも良い道を進ませる為に、少しでも影響を与えられた、という程度にしか考えておりません」
「とてもそうは見えないが、そういう事にしておこう。だがね、一つだけ言わせて欲しい。日本の中枢に居る者達、外交官や海外武官なども、仕事以外で日本の外に出たという話をあまり多くは聞かない。財界人など市民でもだ。
何故かと聞けば、金がないから、ツテがないから、距離が遠いからと言うだろう。だが、それらは言い訳だ。日本人でオリンピックに生涯を捧げた御仁は、日本の体育界でのトップにも関わらず世界を駆け巡っている。
そして私の目の前にいるお嬢さんは、こうして私の前にいる。しかも二度も。これは誇って良いし、自慢してやれば良いだろう。そしてだ、私もその心意気に応える気持ちは持ち合わせているつもりだ」
静かに、そう言われてしまった。なんだか、褒められたというよりも、説教されているような、諭されているような気になる。私が、確たる志のようなものを持ってないからかもしれない。
けど、言葉の最後には素直に頭が下がった。
「望外のお言葉、痛み入ります。私も手が届く範囲ではありますが、チャーチル様、いえブリテンの危急の折は、出来うる限り応えさせていただきたく存じます」
「こちらこそ望外の言葉だ。日本の首相や元帥に言われるより心強い。まさしく、あなたはエンプレス(女帝)だ」
「私もチャーチル様のお言葉、心強く思います」
そう言って、お互い自然に互いの表情を交わす。チャーチルはいつも通りで笑顔じゃないけど、その点はむしろ安心させられる。
ただ最後の言葉は、やっぱりチャーチルだった。
「うん。二人の誓いは、ネルソン提督が一部始終をご覧になられた事だろう。これは、二度目の日英同盟も同じだ」
そしてその翌日の20日、観艦式は壮大に挙行されたのを見てから、私達はイギリスを発った。
もっとも、チャーチルとはそのあと夕食も挟んで、深夜まで話し込む事になった。しかもチャーチルだけじゃなくて、こっちがリクエストしておいた彼のツテも交えての話。
こっちもセバスチャン達を同席させての話で、とにかく色々と算段をつけた。
全ては数年先に訪れるであろう、欧州世界での破局に備えた諸々の事前準備。そのゴーサインを決める話。
技術交流、情報交換、こっちからの注文。その他諸々。さらなる話がつけば、軍どうしでの技術交流なども進める事が出来そうだった。
ただ、船と港の話はあまり上手くいきそうになかった。
特にイギリスの大型造船所は全部少し古い船台だから、ブロック工法とかうちが使っている技術を用いた超大型船の建造がほぼ無理ゲーだったのが予想外すぎた。
それに6万総トンの船が接岸できる貨物専用の埠頭も、短期間では無理そうだった。
そもそもイギリスの船は、軍民どちらもスエズ運河のサイズ縛りがあって、載貨重量10万トンの大型船は運行自体が無理だった。パナマ運河も通れる7万トン級でギリオーケー。
有事に私のモンスター達を欧州に行かせる事も、無理そうだった。
それ以外だとコンテナ船の話は通せたけど、それも数年で実現できるかは未知数。とりあえず高速カーフェリーの話が進んでいるという事なので、それで満足するしかないようだった。
(チャーチルとはもう10年分は話したかも。それにしても、シャネルはちょっと残念だったけど、あれ以上リッベントロップが攻めてこなくてマジ良かった)
それが私のブリテン滞在の総評だった。
SD(親衛隊情報部):
ドイツの諜報機関。ハイドリヒとか危ない連中の巣窟。
トゥハチェフスキー元帥:
ヴォルガ軍管区司令官への左遷は史実と同じ。この後、逮捕され、そして秘密裁判で死刑になり、速攻銃殺される。
そして赤軍大粛清が始まる。
『一心不乱の大戦争を!』:
平野耕太の漫画『HELLSING』に登場する“少佐”が、その演説の中で口にしたフレーズ。
主人公のチャーチル評は、あんまりである。




