555 「戴冠式の英国(3)」
「プリーステス(巫女)を迎えるには相応しくなかろうが、エンプレス(女帝)と相対するなら、この場が良いかと思ってね」
そう言ったブルドッグ顔のオッサンが、私にドヤ顔を決める。
ジョージ6世戴冠記念観艦式を控えた前日の5月19日、ポーツマス港の指定された場所に行くと英国海軍のランチが待っていた。
そして最小限の人数で乗り込んだ先に停泊していたのは、巡洋戦艦『フッド』。現時点で世界最大の軍艦、という事くらい私でも知っている船だ。
海の女帝とでも言いたいのだろう。
『最も美しい軍艦』の二つ名は伊達ではなく、軍事に素人の私が見てもスマートで綺麗な姿をしている。同時に「マイティ・フッド」と呼ばれ、イギリス国民から親しまれている軍艦だ。
ポーツマスの沖合に停泊しているのは、ここが軍港だというだけでなく今回の観艦式に参加するからだ。
この船について、私も転生してから取り寄せている英国の新聞で何度かお目にかかったことがある。それをこうして目の前にし、しかもその船の上に立っていると、軍艦にさほど興味はなくてもちょっとテンションが上がる。
ただ、この船に私を呼んだのが、かのウィンストン・チャーチルとあっては、ただ会うだけなのに過剰演出だろうと、内心で苦笑してしまう。
しかもこの人、もうすぐ退任するであろうボールドウィン首相が嫌っているのもあり、立憲君主を貫く為にエドワード8世側に立って対立して、相変わらず政権の中枢から遠いみたいだ。
そんな暇人だから、こんな演出をしたんだろう。
「大変ご無沙汰しております、チャーチル様。相応しいかどうかともかく、予想外ではありました」
「フム。今回も不意を打てたという事か。しかし、あまり気にいっては頂けなかったご様子だな」
「戦争に関わる事は、あまり好きではありませんので」
「家はあれほど軍事に関わり、先々を見通すのにかね」
「している事、出来る事が好きとは限りません」
「確かにそうかもしれん。それではどこか、出来ればこの近くで仕切り直せる場所はあるかな?」
いざそう聞かれても、正直場所はこの軍艦の上でも良かったけど、この際だから歴女としての欲求に従う事にした。この人とは、そういう感性で考えた方が相性が良いと前に学んでいる。
「ヴィクトリー号は如何でしょうか」
「ホウっ! 前回はアーサー王の前だったが、今度はネルソン提督の前で話そうと言うのか。良い。実に良い! それにプリーステス(巫女)らしい」
やっぱり喜んでくれた。
そして急ぎ船で陸へと戻り、チャーチルと無駄話しつつ軍港内を少し歩くと目的地に到着した。
(思ってたのと違う。修理中? 黒と黄色の塗装も剥げているところが多いし、逆に真新しい箇所もあるかな?)
目の前の帆船は、かなり年季の入ったドックに入っていた。しかも船体は木材で簡易固定されていて、作業の足場も組まれていたりする。まさに修復中って感じだ。
「これも意外だったかな?」
「以前新聞で、修復作業が終わったという記事を見たものですから」
「なるほど、それでか。全てではなく一部の作業が完了した、というだけだな。何しろ全て木製な上に、この大きさだ。まだまだかかるらしい。だが」
「だが」で言葉に力が入る。何となく予想のつくシチュエーションだ。
「だが、この船こそが、ネルソン提督がトラファルガー沖海戦で戦い、倒れた船だ。そして日本人にとっては、1905年のツシマ沖海戦が祖国の存亡を賭けた戦いだったように、さらに百年前のこの船達の戦いこそ、我が連合王国の存亡を賭けた戦いだった……」
このまま長々と戦史の講釈が続きそうな勢い。けど、雰囲気を一瞬で切り替えて、それまでヴィクトリー号を見ていた視線を顔ごとこちらに向けてきた。
「さて、次なるトラファルガー沖海戦が起きるのは、一体いつどこでだろうか? それを伝えに来たのだろう?」
そしてキメ顔である。こういうのを見ると、チャーチルが根っからの政治家であり、目立ちたがりだと実感させられる。
ただ、まだオフで会うのは2回目だけど、ペンフレンドとして長く交流してきたから、油断するとジト目で見そうになってしまう。
けど、そんな感情は押しつぶしつつ、そして気取られないように視線をゆっくりとヴィクトリー号のマストへ、そしてさらに空へと向ける。
そうして少し空を見上げていると、チャーチルも空を見上げる気配がする。
「……次の決戦場は空か。ゴリアテのごとき飛行船や爆撃機の群れが、このブリテン島に攻め寄せて来るのかな?」
「飛行船は先日落ちましたから、もう見ることは無いでしょう。ですが、一人でも多くの天翔ける騎士達と、遠くを見通す電子の目を揃えて下さい。制空権を失わない限り、ブリテンの白き城壁は破られません」
「ハンどもが、ゲルニカの再来を計ろうとするのを阻止するのが、次なるトラファルガーか。……それも時代というものなんだろうな」
「はい。『英国の戦い』、と呼ばれる事になります。その戦いでは、決して挫けないで下さい」
「勿論、心得ているとも。それで、どれくらい先を考えておけば良いのかな?」
「多くの可能性があるので断言は出来かねます。ですが、平均して3年程度です」
「平均? 今度は随分と散文的な言葉が出てきたものだ。理由をお伺いしても?」
表情は相変わらずだけど、目と口調が少し興味深げ、いや真剣になった。そして隠すほどの事では無いから、軽く頷き返す。
「鳳グループでは、総合研究所とは別に戦略研究所という組織を作り、そこで日夜今後起こりうる今後の戦争について研究して頂いています」
「そこでの研究結果が、平均3年か。思っていたより早いというべきか、それとも遅いというべきか微妙な時間だな」
「今後の時計を早く回すかどうかは、主に大陸の二人の独裁者の胸先三寸になると予測しています。ただ」
「ただ?」
「ただ、片方のドイツには、時間があまり残されていません」
そして言葉を続けようとしたけど、強めに頷かれた。言うまでもなく承知しているというわけだ。
「再びハイパーインフレを甘受して自爆するか、誤魔化すために他人の家に押し入り金庫を漁るしか無いというわけか。勝手に返すあてのない借金しておいて、全く身勝手な話だ」
「独裁国家とは身勝手なものですから、むしろ当然では?」
「フンッ、違いない。それで、話してくれた以上、手立てがあるのでは?」
「正直、実効性のある策はありません」
「それでもお聞きしたいものだ」
「既に何人かの方にお話ししたのですが、ドイツの強硬外交を止めるしかありません。もしくは、」
「こちらが宥和外交を止めるしかない、というわけか」
「はい。それと、ドイツの今の駐英大使を完全に失脚させれば、少しは時間が稼げるかもしれません」
「あの道化師が、世界を混乱させるわけか。さもあらんだな。だが、あのハッタリと恫喝しかせん外交官の名に値しないワイン商は、我が仇敵のお気に入りだ。次にドイツに戻れば外務大臣という噂もある」
「そうですね。私達も悪い噂を流布させたり、彼らが防共協定を持ちかけてきた時に、出来もしないと考えた要求を出して、小馬鹿にして足を引っ張ったと思っていたのですが」
「うむ。英米日の防共協定は悪くはなかったが、アメリカがドイツの言葉を切っ掛けに動き出すとはな。私も考えもしなかったよ」
「今でもそのワイン商は、防共の輪の中にドイツを割り込ませようとしているとか」
「ドイツにとっての防共協定は、我が国を欧州大陸に手出しさせない為のものだと分かっている。宥和政策をしていても、政府が首を縦に振る筈もなし。日本側も、似たようなものだったかな」
「はい。宇垣内閣は、『全員を一つのテーブルに付けろ。話はそれからだ』と無茶を言いましたので」
「それが出来るのなら、私でもあの男を手腕だけは認めても構わんな。だが、出せるもののないドイツには無理だ。
その点、日本は、いやオートリは上手くやった。我が連邦から大量の資源を買い付けるという方法で、明確に我々の側に付いた。保護貿易主義者どもはオーストラリアに泣き付かれ、日本を締め出す事が出来なくなった。半ば自らを差し出す事でのアメリカとの関係といい、少しばかり自身の祖国への献身が過ぎるとも感じる。だからこればかりは脱帽だし、心からの敬意を表するよ」
「過分な評価です。私どもは商人ですから、自由貿易を何よりも信奉しているだけです」
「自由貿易か。ほんの数年前までは当たり前だったが、もはや懐かしさすら覚える言葉となった」
「ですが、いずれ必ず復活します」
「それはお告げか何かかな?」
「いいえ。誰もが望み、叶えようとする事は間違いないからです。ただ、押し寄せつつある暗雲が通り過ぎるまでは、難しいかもしれません」
「暗雲か。初めて会った時も、そんな言葉を交わしたな。そして言葉通り、暗雲は到来しつつある。まったくもって驚きでしかない。しかも私は、その暗雲に対抗する策すら乞おうとしている。
ちなみに、あなたとしてはどうなるのが理想かお伺いしてもいいかな?」
ここで話はひと段落らしく、少し砕けた口調になった。
一番大事な話も済んだから、しばらく雑談しようって感じだ。
ウィンストン・チャーチル:
1937年時点でも、まだ普通の議員をしている。
戦時にならないと、役に立たない人、表舞台に立てない人。
ちょっとポンコツなところが、この人らしい。
でも、この人を書いていると楽しい。
天翔ける騎士達:
チェンバレン内閣の頃から、平時レベルだが防空関連予算は出し惜しみはしていない。
チャーチルの仕事は残っているのか、というレベルかもしれない。
遠くを見通す電子の目:
当時電子先進国だったイギリスは、1930年台半ばからレーダーの開発は本格化して、1937年に初期のレーダーサイトのシステムが完成している。
その後進歩して、ドイツ空軍を効率的に迎え撃つことが出来た。
ハンども:
ハン=フン族=破壊者、野蛮人。ドイツの蔑称の一つ。
日本人が聞くとフンよりハンと聞こえやすい気がする。
ドイツ人の蔑称は、他にクラウツ、フリッツなどがある。




