552 「亜欧空路の旅(7)」
その後の旅は、天候不順にも遭わずに淡々と進んだ。インドでガンジーが攻めてくる事も無かった。
こっちも英国の賓客だから、波風立てる気はゼロだ。
それに鳳はゴリゴリの親英だから、寄ってくる筈もない。
かくして、シンガポールからセイロン島のコロンボへ。コロンボからパキスタン地域のカラチへ。カラチからエジプトのカイロへと飛ぶ。
カイロでは、予備日の消化の為もあるけど、みんなに欧州以外の観光の一つもさせてやろうと、ピラミッド見学で1日潰した。お約束で、スフィンクスの前で記念撮影もした。
なお、移動の際に女子が着用した全身タイプのブルカは、お芳ちゃんが出歩くには最適な衣装だった。
そうしてカイロで2泊してから、イタリア南部のナポリへと飛び立つ事になる。
イタリアでの立ち寄り先をナポリにしたのは、ぶっちゃけ降りる場所が理由じゃなかった。
首都ローマを避けたのは、ドゥーチェが会いたいとか言ってくる可能性を少しでも避ける為だった。けど、前日の現地情報などからも、その兆候は見られなかった。
だから安心してナポリに向かえると思っていた。けど、別のところから、私の前世の歴史上にも残っている事件の一報が飛び込んでくる。
「ヒンデンブルク号爆発事故」だ。
「この日に爆発したんだあ」
「お嬢、新聞読みながら不穏なこと言わないで」
「この爆発事故も夢で見ていたんですね」
「流石はお嬢様」
朝のホテルでのカフェでの一コマ。私の言動にもみんな慣れたものだ。
そして「予測しておきながら、何故知らせなかった」などと言う人もいない。言ったところで、不意の事故が相手では、笑われるか狂人扱いされると分かっているから。
それに、免罪符にしかならないけど、注意喚起は一応してある。
もっとも、私としては歴女知識として知っていて、記録映像も見た事があるから、反応が他の人とはどうしても違ってしまう。
その一方で、別の感傷もあった。
「けど、8年近く前に北米に行く時に乗ったから、ちょっと寂しいわね」
「寂しい? 何かあるのですか?」
「今回の事故で、飛行船の時代はおしまい。水素は危ないからね。それでもヘリウムを使った宣伝用の小さな飛行船は残るだろうけど、沢山人を乗せるのはもうしなくなるわよ。飛行機も発展してきたし」
「なるほど、そういう分岐点だったんだ。だからお嬢は、今回ヨーロッパに飛行艇の宣伝に行くの?」
「いや、単に船がまどろっこしいから。どうせなら、もっと大きくて速い飛行機が欲しいわね。あ、それと、飛行艇の時代も長くはないわよ。アメリカでDCー3の運用が進んでいるでしょう。旅客機はどんどん発展していくから」
「玲子ちゃんは、川西飛行機にDCー3も買ったり、陸上の大型機の開発を依頼していたものね」
「国産の民間機も裾野は広げないと、だからね」
「じゃあ飛行艇で世界を一周させる意味は、機体じゃなくて飛行機会社の宣伝なんだ」
「うん。1つの機体だと、下手したら数年で陳腐化するから、技術を持っている会社の宣伝ね」
「流石はお嬢様。いつもながらの慧眼、感服致します。それで、予定通り進みますか?」
セバスチャンが、定型句のような賞賛の言葉に続いて聞いてくる。
私と同じ事を考えていたんだろうと周りを見渡すと、お芳ちゃんとマイさんも同じ考えらしく私に視線を向けてくる。
「もう1日、どこかで時間を潰しましょう。爆発事故で世間が騒いでいたら、せっかくの宣伝が台無しだもの」
「確かに。それでどこに滞在されますか? カイロ、それともナポリ?」
「寄ってくれって国があったから、そこに寄れるかな? あ、でも、ドイツは却下よ」
「心得ております。フランスが宜しいかと」
「パリは無理だから、ドーバーのどこか? それだとポーツマスの対岸になって、意味なくない?」
「はい。ですので、マルセイユ辺りでどうかと。ナポリからだと空路で3時間から4時間程度ですので、ミラノかマルセイユで半日ゆっくり滞在する事も出来ます」
「なんだ、事前に調べて万が一に備えていたのね。相変わらずな事で」
「恐れ入ります」
そう言ってセバスチャンがお辞儀と共に話を締めた。
そしてマルセイユ行きが決定した。
相手には、道中の天候が良くてスケジュールに余裕が出たので、是非立ち寄らせて頂きたいと言う言葉がすぐに発せられ、現地ではすぐにも準備が始まる。
こう言う時にすぐに色々できるのは、流石文明先進地域の西ヨーロッパ地域だと実感させられる。
そうして準備してからカイロを飛び立ち、ナポリまで約8時間の空の旅へ。
ムッソリーニはもちろんイタリアの要人が万が一待ち構えていたら面倒だから、滞在時間を最小にするべくカイロを飛び立つのは、ナポリに日没前に到着するように調整した。
そうして夕方6時くらいに、ナポリを空から見物。さらに、すぐそばのヴェスビオ火山も空から見物してから、のんびりとナポリの港へと着水した。
イタリアといえば、前世で見た豚さんのアニメの影響から飛行艇や水上機の国という私の認識があるけど、そのせいか私達の見物人は少ない。
川西飛行機がイギリスに輸出した前の型の大型飛行艇が定期運行されているから、あまり珍しくないせいかもしれなかった。
それにイギリスの戴冠式に行くのが目的なので、過度の行動はしないで欲しいという事が事前に伝えられている影響もあるだろう。
それでも、大型飛行艇が日本からユーラシア大陸を横断してきたという事で、地元の新聞社が何社か取材に来ていた。また、市長じゃないけど、ナポリ市を代表した人も出迎えに来ていた。
けどそれだけで、ドゥーチェなムッソリーニがサプライズ訪問とかはなかった。
「イタリアが日本との関係改善や、防共協定参加の意思があるなら、もしかしたら横紙破りでムッソリーニがやって来るかもしれないと予測しておりましたが、杞憂に終わりましたな」
「スペイン内戦への介入で忙しいんでしょう」
「イギリスとの関係も思わしくないようですね。戴冠記念観艦式に艦艇を派遣していませんな」
「それ、内戦介入が忙しいから、派遣出来ないとか?」
「詳細な情報がないので分かりかねますが、スペインの内戦は地上戦が主体。イギリスとの関係と見るべきかと」
近く町並みを眺めつつ、セバスチャンと半ば雑談のトークをする。マイさんは上陸準備で側におらず、お芳ちゃんは側にいるけど景色に見入っているのか話に加わる気は無さそうだ。
私もナポリは初めてだから、会話より景色に注意が向いていた。
「ムッソリーニって外交が上手い印象があるけど、ドイツを重視したからかな?」
「ドイツは、イギリスとの関係について、本心はともかく重視しております」
「駐英大使があのペテン師なのに? 関係を悪くする気満々じゃない。総統閣下の真意は知らないけど」
「ヒトラー総統は、リッベントロップ駐英大使が上手くやる、と考えているのかもしれませんがね」
「もしそうなら、このナポリにムッソリーニがいても不思議じゃないんだけど?」
「かもしれません。ですが、ローマからは動いたという情報はありません。この時点で動いていない以上、来ないと考えて問題ないかと」
「そう願いたいわね。久しぶりの本場でのイタリア料理を、美味しく堪能したいし」
「明日の昼食はフレンチで?」
「うん。連合王国に向かうフリをして、ナポリは早々に発ちましょう」
「畏まりました。さて、そろそろ上陸の準備が出来たようです。ゆっくりイタリアンを堪能いたしましょう」
そうしてナポリでの夜は平穏に過ぎ、その日の早朝6時にはマルセイユに向けて出発。10時のお茶の時間くらいに到着した。飛行艇が『のぞみ』以下の速さと言っても、船とは比べ物にならない速さだ。
ただ、時間があるなら空からモナコ、ニースなどコート・ダジュールを眺めてみたかったけど、ツーロン軍港が近いからと周りから止められ、それは叶わなかった。
そしてマルセイユでは、急の訪問という事もあり市長の代理と地元新聞が来たくらいで、昼食から次の日の9時くらいまでゆっくりと滞在し、目的地のイギリス、ポーツマスへと飛び立った。
「ヒンデンブルク号爆発事故」:
1937年5月6日、現地時間19時25分(日本時間5月7日8時25分、カイロだと午前2時25分)に、アメリカ合衆国ニュージャージー州のレイクハースト海軍飛行場で発生。
この事故で飛行船の時代が終わる。




