547 「亜欧空路の旅(2)」
「皆様、本日は鳳航空輸送をご利用いただき、誠にありがとうございます。本機は東京羽田空港を離水致しますと、約12時間の飛行でフィリピンのマニラへ到着いたします」
私が毎回リクエストしているアナウンスが流れる。アナウンス一つで、旅の気分も盛り上がろうというものだ。
5月12日のジョージ6世の戴冠式に出席するのが、私達が欧州に向かう一番の目的だった。
そして空路だと1週間の行程で、道中の天候不順を考えて3日の予備日を置く。そして遅くとも戴冠式の2日前にはロンドン入りしたいので、5月1日の出発となった。
世界情勢、国内情勢は、国内は相変わらずの狂乱の好景気の中にあったけど、世界情勢の方が旅立つ直前に動いていた。
4月26日、スペイン内戦で「ゲルニカ爆撃」が行われていた。
爆撃の第一報は、27日に人民戦線側のバスク自治政府から行われ、30日に最初は嘘だと言っていた反乱軍のフランコ将軍も爆撃を認めた。
世論が荒れるのはこれからだけど、私は事前にお父様な祖父など必要な人には話してあった。そして鳳としては、新聞などで徹底的に叩き、日本でのドイツとファシズムへのディスり作戦を行う予定になっている。
そして事件を聞いても、それ以上出来る事は無かった。
そんな欧州情勢を聞いた翌日の午前6時、大型飛行艇の『大和号』『敷島号』は羽田飛行場を離水した。
第一目的地はフィリピンの中心都市マニラ。スペインが植民地にした時代からの中心地であり、ここ以外にフィリピンで近代的な文物を探すのは難しい。
マニラまでのフライト予定時間は、ほぼ12時間。今回の空路では一番距離の開いた飛行になる。
うちの航空会社の鳳航空輸送の目的としては、アメリカのパンアメリカン航空が就航させているチャイナ・クリッパーと呼ばれる飛行艇による太平洋横断空路との相互乗り入れが目的だった。
チャイナ・クリッパーは、チャイナと付いているけど今はサンフランシスコ=マニラ間の運行。だから、うちと接続すれば空路で最低でも日本へ、さらに上海、シンガポールに向かうこともできるようになる。
ウィンウィンなので、アメリカ側も結構乗り気だった。
ただし運行は、もう少し先の予定。既にシンガポールまでは試験飛行を何度もしているけど、今回も私達の貸切だから特に絡んだりはしない。
なお、チャイナ・クリッパーは、「マーチン M130」という飛行艇。川西が作った、先代の『白鳳』と似たような性能。ただし、完成は川西の方が早いし生産数も多い。『大和号』『敷島号』と比べても、日本製の方が性能は上回っている。
金と技術を突っ込んだ成果だ。
とはいえ、大きな飛行艇の速度は似たり寄ったり。新型になっても新幹線よりまだ遅い。だから丸半日、12時間飛んでも、マニラまで行くのがやっと。
航続距離的には20時間くらい飛べるけど、夜間飛行は危険も大きいから試験的な飛行以外では行なっていない。
そして、一日平均10時間から12時間もの空の旅が1週間続く。早朝に飛び立ち、夕方に目的地に到着して現地のホテルで宿泊という流れは、2年ほど前の豪州旅行と同じ。2年程度で、技術が革新的に進歩する筈もなかった。
朝早くに起きて朝食や諸々を済ませ、夕食は現地ホテルだけど、半日も飲まず食わずとはいかない。そして丸半日飛ぶので、お昼ご飯だけでは物足りないので、飛んでいる間には朝と昼にお茶の時間が加わる。
そして食べている以外何をするのかと言っても、寝るか本でも読むか、私達の場合はラウンジでのおしゃべりという事になる。あとは簡単なゲームくらい。
飛んでいる間は多少揺れる時もあるので、囲碁や将棋、ボードゲームはやめた方が無難だ。けど大丈夫、マグネット式の将棋やリバーシを系列会社に製品化させてあるから、飛んでいても安心して遊べる。
もっとも時間が無駄だし、私の仕事メンツは大体揃っているから、飛んでいる間の半分くらいは飛行艇の中で処理できる仕事をする予定だった。
ラウンジも食べている時以外は、仕事の書類などが積み上げられる。
さらに私は、暇つぶしに前世の記憶と今世の勉強を合わせて、論文のようなものを書くことにしていた。
「ねえお嬢、仕事するのは構わないけど、決済した書類はどうやって日本に持って帰るの?」
「アレ、教えてなかった?」
質問者のお芳ちゃんに聞かれたので答えたら、コクリと頷かれる。そして周囲を見ると、セバスチャンとマイさんは知っていると分かった。側近達には知らせてなかったらしい。
「この飛行艇にそのまま積んで戻らせるのよ」
「この飛行艇、北半球一周するんじゃなかった?」
「うん。だから、私達より先に北米経由で二つの大洋を超えて日本に帰るのよ。欧州や北米でも、うちの決済書類とか郵便物を積み込む予定よ」
「誰が持って帰るの?」
「欧州で入れ替わりに乗る人。あとは警備の人が数名。けど、極端に重要な書類や金目のものは運ばないから。三大洋横断したいのなら、そのまま乗っても良いわよ」
「そういうの興味ないから。むしろ、せっかくだから欧米各地をゆっくり見てみたいね」
「うん。警護は付けるから、向こうにいる間は好きにしてたら良いよ」
「ですがお嬢様は、多くの方と会われるのですよね?」
深刻そうに聞いてくるのは、エリートOLっぽさが年々増している頭脳担当の一人の福稲だ。
瓶ぞこグルグルメガネな銭司も、「お嬢様にお供致します」と強く頷いてくる。
だから私は、近くの銭司のおでこを人差し指で軽く小突く。
「あんた達は色々見て来なさい。私が会うのは、魔窟の底にいる魑魅魍魎みたいなロクデモナイ人ばかりで、精神衛生上よろしく無いから」
けど「ですが!」と二人して続くから、言葉を追加しておく。
「セバスチャン、マイさんは一緒だから。それに護衛もね。……みんなも聞いて。改めて言うけど、みんなには見聞を広げてもらうのも目的だから。私の警護担当の時は仕方ないけど、可能な限り色々見て回って来なさいよ」
そう結んだ。
その言葉に、座席の方にいる5人のうちみっちゃんは私の無茶振りに慣れているので、大きめの声でしっかりと返事をしてくれる。
護衛担当の山女、富士桜、国姓爺、八国主の4名も、少し戸惑いずつも反応する。
そうして軽く見渡した事で、輝男くんは大学の予科があるから、今回は連れて来ていない事を再認識もした。輝男くんは、護衛の男子二人に比べると随分細身なので、いない方がより印象深い。
「あ、そうだ。マイさんもオフの時は自由行動で構いませんから、観光に行って下さい。セバスチャンもね」
「ありがとう。実はヨーロッパは初めてだから、ロンドンだけでもちょっと回りたかったの」
「そうなんですね」
「ええ。アメリカは、子供の頃から何度か行っているから、それなりに見ているんだけどね」
「私は9歳の時に、アメリカと西欧は大体回ったからなあ。セバスチャンは?」
さっきはお辞儀だけだったデブちんは、意外に淡々と語る。
「若い頃から色々と。初めてと言うなら、シンガポール、コロンボは船から眺めただけですな。あと、マニラにカイロ、カラチは完全に初めてです。ヨーロッパは初めてが塹壕の中でしたので、あまり良い印象はありませんがね」
そしてややドヤ顔気味で締める。そしてこのデブちんは、世界大戦の従軍経験があったのを思い出す。
また同時に、もうすぐ到着するマニラにも、世界大戦に従軍していた男がいる事を思い出した。
今は、フィリピン連邦の形ばかりの軍隊で元帥閣下をしている、ダグラス・マッカーサーという男が。
(まあ、お互い用はないし、ホテルも違うところ取らせたから会う事もないでしょうけどね。ていうか、別に会いたくもないし)




