546 「亜欧空路の旅(1)」
再び世界一周旅行に出発した。
表向きの目的は、イギリス連合王国のジョージ6世の戴冠式出席。その前後に欧州に滞在し、北米周りで帰国予定。
けど、往路は大型飛行艇を使うところが、世間から相応に注目されていた。
「4月に『神風号』が日本から欧州に飛んだのを騒いでいたからちょっと心配したけど、ソコソコ注目してくれたみたいね」
「大型飛行艇、しかも日本製という点が、欧米諸国からは注目されているみたいですね」
仕事口調のマイさんが、私に答えてくれた。
いつもならシズが私のツッコミ役だけど、旅の準備で忙しげにしている。マイさんも、私の秘書だから側にいるだけでお仕事中。
そして私達は夜明け前の羽田空港。目の前の羽田は、まだ小さな滑走路があるだけ。うちの飛行艇を入れる格納庫が一番目立っている。
そして3つに増えた格納庫の一つには、これから乗る新型の飛行艇が2機、飛び立つ準備をしていた。
この新型機、海軍では『九七式飛行艇』と名付けられるらしいけど、民間用の旅客機型は『大和号』『敷島号』と名付けられ、私達を乗せて欧州まで行ったら、そのまま大西洋、北米大陸、そして何泊もかけて太平洋を横断飛行する予定だ。
もちろん、国産航空機として初の世界一周飛行に挑むというわけだ。その行程の半分を、私達の個人旅行に使ってしまう事になる。
ただし、正式な世界一周ではないので、予行演習程度だ。本番はこの次に控えていて、そこでは大々的に宣伝や報道もされる予定になっている。
今回の場合は、せいぜい北半球一周になる。それに目的も、4月に飛んだ『神風号』の後追いでの「ジョージ6世の戴冠式奉祝」という名目になっている。
ただし、この飛行から鳳グループが抱える皇国新聞の宣伝も兼ねていた。勿論だけど、朝日新聞への対抗の為であり、朝日の次に壮挙を実施するという事で、出し抜いた毎日、読売にも喧嘩を売りに行くわけだ。
そしてそんな飛行なので、同乗者には皇国新聞の特派員、カメラマンが同行する。
彼らとしては、私とマイさんは丁度良い宣伝用の被写体だろうけど、記録映像、写真以外で彼らに私達をどうにかする権限は与えられていない。
左巻きな連中なら差別とか言い立てるだろうけど、純粋に警備上の問題もある。
そして私達の警備には、シズ達、側近達以外にもプロが加わる。
「早いな」
「八神のおっちゃんとワンさんもね」
「大変ご無沙汰しております、姫」
「おっと、そうだった。道中、宜しくお願い致します、姫」
かたや芝居がかって、かたや恭しく一礼するのは、相変わらずフィジカルモンスターなマッチョ二人組、八神玄武と王破軍だ。
前のクーデター騒ぎ以来だから、1年数か月ぶりって奴だけど、荒事や危ない場所に行く事がそれだけ多いという証だ。
そして仕事上マイさんが慇懃に応対するけど、二人とも私をお姫様呼ばわりするのはいつも通りで安心する。とはいえ、お姫様なのはこの旅が最後だ。
そんな私の感傷を無視して、八神のおっちゃんが目の前の飛行艇を見上げる。
ワンさんは、特に興味なさげだ。
「それにしてもデカイ飛行艇だな」
「世界一だそうよ。ただし、量産機体としてらしいけど」
「これを複数飛ばすという時点で、単なる世界一以上だろう」
「だから海軍は、もっと金くれって言ってるらしいのよ。これを沢山作りたいから」
「軍用なのか?」
「多少仕様を変えて武器を載せたらね。太平洋は広いから、長距離移動と哨戒任務に使うんだって」
「なるほどな。どれくらい飛べる?」
「軽い状態で6000キロ。軍用の完全装備状態でも5000キロくらいは飛べるそうよ」
「足の速さは?」
「最高速度は知らないけど、巡航速度は時速260キロ。この手の機体としては、けっこう速いそうよ」
「速い、ねえ。それにしても、飛ぶのが好きだな」
「速くて良いでしょう。欧州航路の船旅は1月半もかかったじゃない。あの退屈は、一回体験したら十分よ」
「それには同意だが、安全性は考慮して欲しいがな」
「だから一度に2機飛ばすじゃない。エンジンが4つも付いているし、天候がダメな場合も考えて余裕を持って日程は組んであるわ。これ以上安全性を求めたら、家で引き篭もるしかないわよ」
そう結んでポーズとともにドヤ顔を決めてあげると、軽くため息をついて両手も小さくあげられた。
「姫をお止めするなど、臣めには過ぎたる事で御座いました。……まあ、こっちは護衛期間がそれだけ短くなって助かる、という事にしておこう」
「中継地と滞在先との話は付いているし、昔の逆回りの旅路くらいに思っていて良いわよ」
実際、今回飛べるのは、イギリスの飛行機会社が、本国とインドを結ぶ空路で『白鳳』を使っているから。
許可や認可はもちろんだけど、設備や道中の整備の面でも同じ会社の似たような機体を用いているからこそ、今回の飛行プランも立てられた。
「相変わらずの豪胆さですな。ですが、かつての世界一周の旅の時と比べると、姫の重要度、注目度は比較になりませんぞ」
ワンさんが心底心配って表情を、強面な顔に浮かべる。けど、私をどうにかしても意味がないし、良い事がない事くらいは行く先の相手は知っている。
だからワンさんには、「気遣いありがとう」と笑みを返す。
「みんなが付いてくれるから、安心して旅ができるのよ。それに道中の安全は、向こうの人達も確保してくれるから大丈夫。それに私よりも、ワンさんの方が随分と出世されているじゃない。私の護衛をしてて良いの?」
「なんの、私など草原の田舎者に過ぎません。欧米で知る者も皆無でしょう。それに比べ、欧米の一部界隈で姫を知る者は、日本よりも多いとすら噂に聞き及びます。くれぐれも、ご油断なされないよう」
「うん。面倒な奴からは全力で逃げるから、その時は手伝ってね」
「お任せあれ。逃げるのは得意ですぞ」
「俺達も、姫が率先して逃げ隠れしてくれる方が助かる。それで、今回の俺達の同僚になるのは、姫の従卒達だけか?」
「従卒じゃなくて側近ね。それにいつも通り、シズとリズ。あと警護は、おっちゃん達の部下の人達ね」
「書類と変わりないかと聞きたかっただけだが、まあいい。他は?」
「概要は私から」と、そこでマイさんがビジネスライクに応対を始める。
「玲子様の側近のうち3名は、秘書としての同行です。特に皇至道芳子は、玲子様同様に重要度の高い護衛対象です」
「あの白いチビだな。あんたは良いのか?」
「その次で構いません。その下に、他2名の秘書を。他、通常業務の使用人は、万が一の場合は戦闘に加えたりしないようお願いします」
「姫の最後の盾になってくれれば、それで十分だ。とはいえ、姫の一行を襲おうなんて馬鹿は、いたとしても共産主義のテロリストくらいだろう」
「日本限定だと、最近は右翼の過激派、国粋主義者の一部も含まれます」
「日本限定ね。欧米だと、有色人種全部が蔑視されるから今更か?」
「皮肉を言ってくる人がいる程度の場所にしか行かないから平気よ」
「口喧嘩は専門外だから姫にお任せしよう。それで、この旅の統括はあんたか?」
「いえ、セバスチャン様です。ですが、英国で鳳凰院公爵ご一家と合流し、さらに北米で時田様、エドワード、私の妹の鳳沙羅と合流します」
「さらに帰りの船は、姫の結婚式に出席するお歴々も付いてくるんだろ。北米まで行けば、安全度は格段に高まるだろうな。行きの行程に変化は?」
「ありません。本日はフィリピンのマニラまで。さらにシンガポール、セイロン島のコロンボ、インド東部、パキスタン地域のカラチ、エジプトのカイロ、イタリアのナポリ、そしてイギリスのポーツマスまでの空路となります。7日の行程を予定しておりますが、天候によって予定を変更します」
「変わりなしか。最後は鉄道でロンドン入りだったな。だがイタリアに寄るなら、ローマの方が良いんじゃないか?」
「ローマはやや内陸なので、この飛行艇の離着水に相応しい場所がないのです」
「なるほど。飛行艇は滑走路がいらんから便利だと思ったが、当然だな。姫の頭から出てくる化け物にも、欠点があるんだな」
皮肉げな視線と笑みを私に向けるから、イーッて返してやる。
「私がお願いしたのは大きな飛行機。その点では、十分以上に合格点よ。次は車輪付きをお願いしているけどね」
「それは用意周到な事で。しかし、今聞いた人数だと20人くらいだが、他は」
「八神様達が12名、皇国新聞の者が3名、整備士が10名同乗します。また『敷島号』は貴賓用で16名乗りに対して、『大和号』は32名乗りです。数席の予備はありますが、9割以上の定員となります」
「貴賓用は聞いてなかったな。姫の荷物でも載せるのか?」
「客室の半分が食堂兼ラウンジになっています。緊急時には固定ソファーを座席やベッドにし、椅子の一部も座席に使用できるので24名まで乗れます」
「了解だ。あとは割り当て表を見せてくれ」
仕事の時の八神のおっちゃんらしく、淡々と進んでいく。
そして今回貴賓側は、貴賓と言っても私とセバスチャン、マイさん、それにお芳ちゃんくらいなので、側近達は一部の使用人と同じく私と同じ飛行艇に乗る事になった。あとは、護衛のシズとリズも私達の方。
八神のおっちゃんとワンさんは、部下に示しがつかないとの事で、座席のみの機体に乗る事になった。新聞社の人も、余計なことは聞かれたくないレベルの人なので、八神のおっちゃん達と同行となっている。
『神風号』:
日本陸軍の九七式司令部偵察機の民間型。朝日新聞社主催の日本から欧州への横断飛行。
長距離飛行の世界記録として注目された。
『九七式飛行艇』:
史実と同じ名前のものとは、姿形はかなり違っているだろう。
『二式大艇』にかなり近いかもしれない。
イギリスの飛行機会社:
実際にイギリスが欧州とアジア間の飛行艇による航路を開くのは戦後の事。そしてすぐにも、大型で高性能の陸上機が登場して姿を消す。




