544 「昭和12年度鳳凰会(6)」
宴は続いていた。
次は第3ラウンドの立食パーティー。ある意味、無差別での殴り合いだ。
その中でも私は今やボスクラスなので、ハルトさんと並びシズ達を侍らせてご挨拶回り。マイさんは涼太さんと一緒で、エドワードはサラさんと一緒なので、こういう場では私の後ろにはいない。
一方、お父様な祖父は姿を消していた。
元軍人の阿部信行元大将と南次郎元大将の姿は見かけたので、一人で雲隠れしたらしい。どうせ、どこかで密談でもしているんだろう。
それ以外のネームドとなると、鳳グループ内には少ないので比較的安心して挨拶回りもできる。要注意は吉田茂だけど、外務大臣になってからはこのパーティーに顔を出した事がない。
あと前世の私の知識でヒットする人といえば、海賊と呼ばれた男と、鈴木の大番頭くらい。
そしてその鈴木の大番頭が、向こうからこちらに近づいてくる。
「まいどっ! 今年もえらい景気やな!」
「「ご無沙汰しております、金子様」」
まずは私とハルトさんのハモりで応酬。今年も金子直吉は上機嫌だ。鳳グループ内では、軽工業中心の旧鈴木系企業は、人によっては下に見る事がある。
けど、グループ内に様々な産業、業種を抱える有利というものを、そういう輩は分かってないだけだ。
そして金子さんは、ちゃんと分かっている人だ。
「仲ええなあ。この夏に式やてな。ほんま、おめでとうさん。これで鳳は、ますます安泰やな」
「「温かいお言葉、有難うございます」」
そこからはしばらく、月並みな話に終始する。
そしてひと段落してから、この社長会らしい話へと軽く移る。
「加古川の神戸製鋼の件、改めておおきにな。あれのお陰で、こっちの跳ねっ返りも何とか抑えられるわ」
「鳳の製鉄は神戸製鋼がなければ、始める事も出来ませんでした。当然だと思っています」
「支配人の田宮にも、その言葉言うたってんか。それと田宮が、ついに日本一になった言うて喜んどったで」
「では、後で田宮様に、今後の事も含めてお伝えしますね」
「製鉄所、まだ作るんか? 流石に飽和し始めとるで」
「準備は進めます。ただ、水島は埋め立て途中ですし、他の臨海部の埋め立ても途上が多いので、1年2年は無理ですけどね」
「相変わらず先を見とるなあ。それで、欧米には何しに行くんや?」
ここで少し声色が変わった。
相変わらずと言うか、外国人への対抗心が強い人だ。
「英国で戴冠式に出て、何人かペンフレンドに会うだけです。アメリカも以前訪れたので、欧州と似た感じですね。勿論、多少は商売の話もします。あとは、私の周りのアメリカ出身者には、短いですが休暇を与えるくらいです」
「さよか。けど、晴虎はんは、行かへんねんな?」
「はい。専務になったばかりなのに遊び半分の海外出張では、さすがに示しがつきませんからね。玲子との旅は、新婚旅行までお預けです」
それまで黙っていたハルトさんが、アメリカ仕込みの肩を竦めると、金子さんが「ワッハッハ」と愛想笑いにしては大きすぎる笑い。
「まあ、それくらいの間の方がエエかもしれへんなあ。玲子はんは、色々見てきい」
「はい、ありがとうございます」
「うん。土産話期待しとるで。ほなな」
お互い大勢の人と話す場なので、それで金子さんは次へと移動していった。
もっとも、金子さんの場合、鈴木に属する会社の全てを把握しておきたいって感じが強いので、私などとは違いじっくり全員に話しかけるのが通例になっている。
年を取っても元気な人だ。
そんな爺さんに少し元気をもらったので、その後の挨拶回りも気楽に進められた。
そうして一巡するくらいに、ようやくお目当の一人と時間が持てた。
「出光様、ご無沙汰しております」
「これはお二人揃って。こちらこそご無沙汰しております」
私的には、スーツ姿より法被のイメージなおじさんだけど、鳳石油の総大将だ。そして今や、日本の石油事業の総大将でもある。
そして彼には、他に誰も聞いていない上で記録に残らない伝言の必要があった。
だから側近やメイドに目配せして、自然な形で結界を作らせる。
「北満油田ですが、世界市場ではまだ石油がダブついているので、アメリカ資本は手を出したがっていません」
「やはりそうでしたか。それは直接?」
「はい。他は、限られた者しか知りません。表向きは、あくまで日本政府との交渉が難航している、という事になっています」
「水島のフル稼働があるとはいえ、世界でほぼ唯一消費量がうなぎ登りの日本市場進出に躊躇していると言うのも、考えてみるとおかしな話ですからね」
「その件ですが、蘭印の油が近隣であまり売れなくなったので、シェルやスタンダードが株取得延期の交換条件に買わないかという話です」
「確かに蘭印の油は質が良いですが、北満の産油量は伸びる一方。製油の方も2段階の製油により、高品質な油も取り放題となりました。5年前ならいざ知らず、今更ですね」
「そう。今更なんですよね。ただ、うちが余剰分を極東各地にも売っているのが問題のようでして」
「それが資本主義、自由主義というものでしょうに。アメリカがそれを言いますか」
「資本主義だからこそ、でしょうね」
そこで言葉を止めて、お互い軽くため息をつく。アメリカと比べるとまだ小さな鳳としては、向こうの顔を立てる形で条件を飲むしかないからだ。
それと私が少し口調を含んだ感じにしたので、出光さんも何かを感じ取ってくれた。
「その真意は?」
「少しでも欧州に回す油を減らして、ドイツ、そしてイタリアに高く売りつけたいようです」
「……ドイツへのメッセージでしょうか」
「人種差別への抗議が含まれているのは、まず間違い無いでしょうね」
その言葉に対して、出光さんが強めに頷いた。
「分かりました。私の方にも、ドイツから石油を精製物の形で輸入できないかという打診がありましたが、丁重に断っておきましょう。値段だけなら、いい客なんですがね」
「ドイツへ売らない分、国内で稼いで下さい。それに計画自体は、造船共々変更しませんから」
「毎月10万トンの船が出来るのが、3年続くのでしたね」
「はい。一部は鉄鉱石か石炭のばら積み用ですけど、それで年間2400万トンの油がさらに運べるようになります」
「目標の、輸送量4000万トンが達成できるわけですね。とはいえ他社もありますから、年間輸送量自体は3500万トン程度で構わないのでは?」
「損失や徴用、施設の他への転用を見込んでいます」
「やはりそうでしたか。ですが、海軍の詳しい者に聞きましたが、あの巨船を沈めるとなると潜水艦の魚雷で4発は必要だそうです。空荷の時はもっと。しかもタンカーとなると、船体とタンクで二重構造な上に、船体もバラスト水を入れる区画はさらに別に二重ですからね」
「そうらしいですね。私も損失の方は、あまり心配していません。ただ、どこまで作り続けられるか。恐らく3年以内に、上からは汎用性の高い1万トン級タンカーの量産指示が出ると思います。その辺りは播磨造船と話し合う予定ですけど、掘った油は必ず運べるだけの量は揃えますので、他はお願いします」
「お任せ下さい。玲子様はこの10年ほどで、以前の私が想像すら出来なかった景色を実現されました。今の景色を見せて頂いたご恩には、必ず報いさせて頂きます」
「お願いします。けれど、今の景色はみんなで作り上げたものです。それにこの先も、もっと大きく続いていきますよ」
「そうでした。では、もっと大きくしていくとしましょう」
「はい」
私は頼れる男が破顔するのを見届けたので、あとは本当の雑談を交わして次へと向かう。
支配人の田宮:
田宮 嘉右衛門 (たみや かえもん)
神戸製鋼創業者。神戸製鋼所を大企業に育てあげた中興の祖。
蘭印:
一応ですが、インドネシアの事です。当時はオランダの植民地。
場合によっては、英領のボルネオ、ブルネイを含める事もある。
史実では極東最大の石油の産地。他、錫、天然ゴムの世界的産地。




