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悪役令嬢の十五年戦争  ~転生先は戦前の日本?! このままじゃあ破滅フラグを回避しても駄目じゃない!!~  作者: 扶桑かつみ
物語本編

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540 「昭和12年度鳳凰会(2)」

 鳳ホテルの大宴会場は、活気に満ちていた。何しろ、5年以上続いている事になる好景気の恩恵を最も受けているのは鳳グループだった。


 鳳グループは、日本全体の好景気、重工業拡大の機運、日本中で行われている様々な建設、土建業の大幅な拡大の波に乗って、昨年度も大躍進を遂げていた。

 「列島改造」「所得倍増」は、今や日本全体でのスローガンとなっている。


 なお、重工業の基本とされる製鉄を担う鳳製鉄は、生産量でついに国策会社と言える日鐵を超えた。日本全体の総量で見ても、日本の半分に達した。

 しかもアメリカ直輸入の最新式の製鉄施設を有し、オーストラリア産の質の良い鉄鉱石を使うので、鉄の質も欧米先進国に十分に輸出できる程良かった。

 

 日本の発展に伴い派手に伸びている石油関連は、鳳石油の独壇場だった。

 その鳳石油は、北満州油田の本格稼動で、実質的にさらに拡大していた。勿論、北満州油田は日本政府が音頭取りした形の「帝国石油」という名の国策会社だ。けど、アメリカ財閥と日本政府の話がまだ途中なので、鳳石油は4割近い株を有したままだ。


 それ以前に、あそこの採掘は鳳石油が、事実上独占的に行なっている。日本石油や三菱石油も、深い場所の石油採掘の技術が殆どない。

 政府は金を出して国としての利権を確保しただけ。

 運搬の方も、遼河油田の積出港までは南満州鉄道に運んでもらうけど、そこからは鳳が建造した世界に類を見ない巨大タンカーが日本に運ぶ。しかも運ぶ先は、去年稼動した鳳石油の水島臨海工業地帯だ。

 さらに2年後には、千葉にも水島と同じくらいの規模の大きな製油所が稼動する。


 もちろん石油精製だけでなく、鳳グループの関係各社も加わった石油化学産業の巨大なコンビナートを形成していた。日本の石油産業、石油化工産業で、圧倒的という以上の優位を獲得している。

 そして日本の産油量、石油消費量は、毎年物凄い上昇カーブを描いて増えているので、圧倒的シェアを誇る鳳石油の業績は巨大なものとなっていた。


 そして日本の石油需要を異常な速度で押し上げているのが、係数的とすら言われたトラック、自動車、オート三輪の普及、建設機械、農業用トラクター、耕運機の普及だった。


 トラックは、鳳以外にも石川島(のちのいすゞ)、瓦斯電(のちの日野)、日産が生産している。

 けど、フォード式のアメリカのラインそのままを作った川崎の日吉にある巨大な工場は、もはや圧倒的だった。


 勿論他社も、真似をするわけじゃないけど、フォード式で対抗しようとしている。けど、資本力や資金力が違い過ぎて、鳳と他で9対1くらいになっている。

 しかも鳳では、規模を二倍にする為の工場の拡張工事が、本年度から開始される。


 逆を言えば、フォード仕込みの虎三郎が本気出し過ぎただけだった。けど、需要の方は建設や流通の需要により大きな右肩あがりで、供給が追いつかないくらいなので、さらに工場を作る計画もある。

 虎三郎としては、トラックは一時的に独占しても構わないと思っているらしい。その証拠か、様々な車種を生産をしているし、開発にも余念がない。

 私も先日、船舶と共用のでかいコンテナを積むトレーラーの発表会とやらに花束贈呈で出席してきたところだ。


 一方、トラックと違って、海外車が幅を利かせているのが乗用車だ。2年前までは国産の乗用車すら生産されていなかったので仕方ないけど、去年から巻き返しが始まっている。

 鳳以外に乗用車を作っているのは、政府のお達しもあって日産と豊田だけ。そのうち豊田とは、虎三郎との個人的友誼などもあり、半ば協力関係にある。日産にも、生産に必要な工作機械を販売したりしている。


 そして日本各社と海外、と言ってもフォード、GMが横並びの二強だった日本の乗用車市場だけど、ここ数年爆発的に伸びていた。

 フォード、GMは、33年度の計画で向こう数年の日本での需要は、年間5万台と見ていた。けど、35年は7万台、昨年度は9万台近く売れた。


 そしてフォード、GMにとっては、9万台でもアメリカ国内の市場や他の海外市場に比べると端数以下でしかない。だから、日本での販売には手を抜いてしまう。そしてその間に、日本各社が売上を大きく伸ばして市場獲得に成功していた。

 昨年度だと、鳳が2万5000台。日産が5000台、トヨタが3000台と言ったところだ。


 そして本年度は、10万台以上の市場規模があると言われているので、各社増産と販売攻勢を続けている。

 ただし政府は英米協調路線なので、輸入車を止めるわけにもいかず、日本国内での市場の奪い合いが加熱していた。


 そしてフォード、GMは、日本でのトラック販売では鳳に完敗したこともあり、本年度は日本での乗用車販売に力を入れている。

 生産体制も強化し、アメリカでの最新モデルすら日本に持ち込んでいるほどだ。


 そんな日本国内で地味に伸びているのが、オート三輪の販売。最初はオートバイの後ろ半分にリアカーをくっ付けたようなスタイルだった乗り物だ。

 それでも500キロくらいの荷物が載せられるし、何より運転免許がいらない。さらに未舗装の道路に強いので、農村部を中心に売上が伸び続けていた。

 数年前からは、見た目も軽トラに近くなったタイプが出てきて、さらに売上が伸びていた。


 主に作っているのは、鳳系列の東洋工業マツダ発動機製造ダイハツ、日本内燃機(大倉財閥列)。3社でシェア6割ほどで、日本全体だと年産5万台程度を生産。

 ただし日本内燃機は、2年前に乗用車タイプを開発して陸軍に採用された。しかもこれ、事実上世界初の量産された四輪駆動車だそうだ。

 オート三輪と変わらないサイズだから乗れる人数は2、3人と少ないけど、お兄様に聞いてみると陸軍は気に入ったらしい。

 うちも前の試作品の廉価版を作って競争試作したけど、お値段で敵わなかったそうだ。


 そしてバイク、自動二輪車だけど、日本では全然普及していない。原チャやカブのような車種がないのが原因だろう。

 かと言って、私にそれらのメリットや性能が具体的に説明できる筈もなく、そもそも長い間頭から抜け落ちていた。

 多分だけど、前世の街中で徐々に見かけなくなっていったからかもしれない。私としては、電動アシストの自転車の方が馴染みがある。


 そんなバイク、二輪の普及だけど、それでも年々伸びていて、日本での生産台数は昨年度で5000台程度あった。

 国内で作っているのは、モリタ宮田工業と三共。

 私は虎三郎に本田宗一郎のスカウトをお願いしたけど、何かしらの目に付くような話は聞いていない。

 確か戦後に活躍し始めた人だし、現時点では経験値とか足りてないんだろう。

 虎三郎の会社でも開発はしているけど、私が遅れて注文した産業用のバイクはまだ開発中だ。


 私のイメージだと、バイクや原チャが東南アジアとか発展途上国の道路を埋め尽くしている。だから、所詮は新興国程度の経済の日本にはお似合いと思った。

 けど、今の日本の街中で一番見かける車両といえば、エンジンの付いていない方の二輪車、つまり自転車だった。


 自転車は物凄い勢いで生産と普及が進んでいて、欧米にもけっこう輸出もされている。

 移動中の車窓からの眺めを見ると、バイクが普及していない途上国の景色と少しダブったりする程、自転車を見かけることがある。庶民が手を出しやすいお値段という、何よりの証拠だ。


 ただしママチャリではなく、通勤の足であり、仕事で使う移動手段や運搬手段としての普及の段階だった。

 数年前からは、警察というか駐在さんの移動手段としても普及が進み始めている。


 そんなこんなで、様々な車両の普及は急速に進んでいるので、日本政府も社会資本整備の公共事業として道路の舗装に力を入れている。

 そしてアスファルト舗装なら、鳳建設の右に出る企業はない。というか、材料のアスファルト、工事車両もグループで自前だから、他の会社や財閥が太刀打ちできる筈もない。


 そして凄い勢いで日本中の道を舗装しつつあるので、鳳建設は別に鳳道路という会社を立てて、そこに道を延々と作らせている。

 地方で道を敷けば、公共事業であると同時に雇用も簡単に、しかも大量に生み出すので一石二鳥だ。


 ただ、苦情がないわけじゃない。道を舗装したら、荷馬や農耕牛が移動の際に蹄を痛めるのだそうだ。その苦情で、道の舗装が断られるという話も少なくない。

 荷馬や農耕牛は急速に数を減らしつつあるとはいえ、まだ当分は活躍するだろうから、あちらが立てばこちらが立たずという状況は続きそうだ。


 虎三郎が夢見る本格的なモータリゼーションは、まだ日本では前途多難らしい。


自動車(+トラック)供給台数:

史実の1930年代は、輸入込みで年3万から4万台程度まで増加している。

乗用車は輸入のノックダウン生産が9割以上を占めていた。


戦前の乗用車生産はほぼ日産ダットサンだけで、最大で年産3500台程度。日中戦争後にアメリカからの輸入が止まると、日本では新規の乗用車は無くなる。

日産などでの生産分は、軍が使用するから。

戦時中の日本は、さながらキューバの様相だ。



合わせて年産5万台程度:

オート三輪の生産は1930年頃に始まり、史実のピークの1937年で1万5000台程度。欧州諸国と違い、乗用車タイプは軍用のごく一部に止まり、この時代の軽トラとして普及した。


欧州では数十万台が生産され、乗用車としても普及した。

オシャレなオート三輪も沢山あった。



バイク、二輪の普及:

1930年代にそれなりの普及が進む。

史実日本でのピークの1940年の生産台数は、約3000台。

しかし生産台数が伸びたのは、陸軍への納入の為。民需だけだと、1000台程度の生産台数。

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― 新着の感想 ―
この状況だとフォルクスワーゲン、ベンツ、ポルシェが市場に出回ることがない?
[良い点] 全ての道は鳳に通ず
[一言] 農耕馬がまだあったんですね...新鮮だ
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