539 「昭和12年度鳳凰会(1)」
4月17日が、1937年、昭和12年度の鳳社長会の『鳳凰会』開催日だ。
当然、金曜日の夜辺りから、日本中から集まってきた鳳グループの偉いさん達の会議やら個別の会合、さらには宴会なんかが始まる。そして一連の大騒ぎは、月曜日まで続く。
そして学生じゃなくなった私も、その騒ぎに今年は今まで以上に加わる事になる。
そして鳳グループ全体だけど、少しずつ緊張が広まりつつあった。主な理由は、一族支配が強まるのではないかと言う懸念からだ。
何しろ一族長子の私は、一族分家筋のハルトさんと今年の夏に結婚する。そのハルトさんに箔を付ける為にも、この春の出世が約束されていた。
そして次男のリョウさんは去年帰国したけど、今年から本格的に動きだす。
さらにマイさんの旦那さんの涼太さんも、貪狼司令の所長昇進に合わせて出世する。サラさんとの関係が公然となっているエドワードも、数年後にはサラさんと結婚して、私の秘書ではなく鳳グループ、恐らくは鳳商事の重要な役に就くと見られていた。
何より、今年の夏の私とハルトさんから先も、その半年後にリョウさんとジャンヌ、来年にはサラさんとエドワードの結婚予定が組まれている。
関東大震災で財閥総裁と次期当主を合わせて失った鳳一族がようやく再編成され、さらに拡大される動きが一つの段階に差し掛かるのが、ここ数年の予定だ。
そして鳳グループは、鳳金融持株会社、通称は昔のままの鳳銀行が、他の財閥なら財閥本社に当たる。
グループで見ても、本丸もしくは将軍家であり、その事実上の上にあるフェニックス・ファンドの莫大な時価総額を誇るダウ・インデックス株がある。
さらに、一族が持つと噂される莫大な資産(アメリカとスイスの銀行、日本に眠る約3億4000万ドルと5000万円分の金地金約630トン)が、その支配を確固たるものとしている。
金地金の量は可能な限り伏せてあるけど、1億ドルくらいは最低持っているとは知られていた。
その一方で、持ち株を管理する財閥本社はなく銀行。一族としては、大半を手放している形になる。ここが他の財閥一族との決定的な違いだ。
そして金融機関を中核とするマトリックス構造の財閥形式は、日本の財閥が一部取り入れるだけでなく、近年は欧米の企業、財閥からも注目されている。
もっとも、持株会社を利用した一族支配は日本的な財閥=コンツェルンで、鳳グループのような形態は金融コンツェルン、金融財閥と言われ始めてもいる。
また一方では、フェニックス・ファンドが有するアメリカ株の時価総額が膨れ上がっていた。
ルーズベルト政権のニューディール政策と景気回復が、恐らくは過剰評価され、ダウ・インデックスは190ドル前後を維持している。
フェニックス・ファンドは「結果的に」最安値の頃に爆買いし、さらに多少のレバレッジもしたので、ダウ・インデックス市場の約5%を占めている。単純計算での時価総額は20億ドル近い。1ドル=2円80銭くらいなので、ざっと56億円分。
ちなみに、1936年度の日本全体の銀行普通預金の総額が、約190億円。この約半分を、鳳を含む7大銀行が占める。鳳ホールディングスを抜くと42%くらい。額にしてざっと80億円が、他の大財閥の銀行が持つお金だ。
鳳ホールディングスが15億円で、他の鳳グループと鳳一族の自前の資産を足すと、金融資産の総額は80億円に達する。つまり手持ちの金は、日本の他の大財閥全てと互角という数字になってしまう。
もっともアメリカ株は、この秋にまた暴落して100ドルくらいになる事を私は知っている。私に近しい人達にも、十分に伝えてある。
2期目に入ったルーズベルト政権が、緊縮財政に転換して起きる「ルーズベルト不況」ってやつだ。あの国で予算審議が始まれば、聞こえて来るはずだ。
そしてさらに、半年もしたらニューディール政策を慌てて再開して、株価はある程度持ち直す。けど、今が戦前の平和な時代のピークの一つだった。
この春は、私が海外を訪問するのに、御誂え向きな時期とも言えるだろう。
また、鳳一族とフェニックス・ファンドの資産は、鳳グループの資産ではない。
それに鳳一族が持つ黄金(金地金)の資産は、殆ど誰も知らない。アメリカ株に関しても、詳しい者でないと気づかないようになっている。
だから他の財閥も、極端に鳳を警戒せずに済んでいる。
とはいえ、その資金力を背景にした鳳グループの急拡大と繁栄は現実のものだった。
「毎年だけど、今年も熱気があるわね」
「2年続いての20%超えの経済成長率。そしてその巨大景気に乗っての大躍進ですからな」
私の横のセバスチャンが、ウンウンと頷きつつ端的に好景気と熱気の原因を言ってくれる。
こういう場で言ってこその言葉だ。
「好景気だし、銀行業務も大忙しだよ。でもファンドが物凄い時価総額になっているから、資金調達が簡単すぎて拍子抜けだけどね」
そう付け加えるのは、この夏には私の旦那様となるハルトさん。この3月の人事で、鳳ホールディングスの常務から専務に昇格した。
常務が社長か専務の副官格なのに対して、専務は社長に代わり業務を行う立場だから、大出世という事になる。
そんな私達は、いつも通り上座の一角に陣取る。中央は、事実上のグループ会長の善吉大叔父さんと、主要企業のトップ達。私たちの反対側が、鈴木グループ系の重鎮。さらにその向こうには、第一線から一歩退いている時田と金子さんと、今年はお父様な祖父もいる。
だから私の立場は、鳳伯爵家当主名代じゃない。
また、鳳警備保障の初代社長に就任した阿部信行元大将と、鳳戦略研究所所長の南次郎元大将も、お父様な祖父と同じ机に座る。この為に、お父様な祖父が出席している形だ。
それ以外だと、マイさん、サラさんの姉妹は、それぞれパートナーと一緒にみんなで座っている。だから私のそばに、エドワードはいない。
他、鳳の子供達、私の側近達も端っこの方に座っているのは去年と同じ。側近達の辺りには姫乃ちゃんも参加してもらっている。
そうした身内枠のうち、紅龍先生は今年は参加していない。代わりにというわけじゃないけど、紅家の他の人達のテーブルが少し上座に来ている。
紅龍先生がいないのは、5月12日に行われるイギリスでのジョージ6世の戴冠式に出席するためだ。
何しろ紅龍先生は、ノーベル賞を3度受賞した今や世界の偉人。しかも日本政府から公爵の位ももらったので、参加資格は十分すぎる。というか、向こうから人が直接持ってくる形で招待状が届いた。
何かあると来てくれという声があっても大半は断るけど、ここまでされたら行かないわけにはいかなかった。
もっとも紅龍先生は、3ヶ月は陛下の御進講が出来ないと愚痴愚痴言っていた。陛下と仲良すぎだろ。
一方では、1934年のノーベル賞受賞から奥さんのベルタさんは里帰りしていないから、ついでにスウェーデンに里帰りもする事になっている。
さらに、ヨーロッパに来るんだったら講演会とかに来てくれと、ヨーロッパ中からのオファーが山のように来ているので、スケジュールの許す限り回る予定になっている。
向こうの友人知人、中にはネームド多数という状態だけど、そんな人たちと会う約束もたくさんしている。
そして時間短縮のため北米経由で欧州と日本を往復するので、行きは仕方ないと断るも、帰りにはアメリカでも似たような講演会行脚が待っていた。
有名人も大変だ。
そしてそんなスケジュールなので、私の誕生日が終わって数日後には北太平洋航路の豪華客船に乗って旅立っていた。
私も戴冠式へ参加予定だから、紅龍先生とは向こうで合流予定だ。
「そう言えば、セバスチャンは春の旅行で玲子さんに付いて行くんだよね」
「左様です。本来は時田様がお付きになられるべきですが、時田様は北米でしていただく事が御座いまして」
「だから往復は、休暇半分で船で行けって命じてあるのよ。やっぱり、ハルトさんも行きたかったですか?」
「そうだね。英国王の戴冠式は見てみたかったかも。でも玲子さんが羽を伸ばしてくる旅だし、無粋な真似は出来ないよ」
「旅の連れ合いが、このデブちんだと寂しいですけどね」
「他の人は行かないのかい?」
「マイさんは一緒ですけど、2ヶ月近くも涼太さんと離れ離れにするので、ちょっと申し訳ないです」
「もう新婚ってわけでもないし大丈夫だよ」
「本人達もそう言っていました。あと側近は学校を休学にさせてでも、出来るだけ行かせるつもりです。若いうちに、一度は世界を見せておきたいので」
「うん。良い事だと思うよ」
「はい。本当なら、私と同世代の子供達も一緒に行きたいんですけど、瑤子ちゃん以外は鳳の学園じゃないから流石に無理で」
「国で一番の学校じゃあね。他は? 大人達?」
「あとはメイドと護衛の人達くらいですね。あ、でも、エドワードは時田と一緒に北米です。サラさんも、二人の秘書か補佐って事で行くと思いますよ」
「サラに務まるのかな? あ、そろそろ始まるみたいだね」
「そうですね。じゃあ、その辺りの話は、また後で」
と、そこまで言った時点でスピーカー越しのマイクの音が会場内に響いて来た。
「それでは、昭和12年度鳳凰会を開催します!」
かくして、恒例の言葉で鳳の社長会の幕が上がった。
約3億4000万ドルと5000万円:
1オンス=35ドル体制になる前は2億ドル分を保有。ドルの切り下げで増えた形。
5000万円は、日本に持ち帰った5000万ドル分の残り。
総額で11億円近くになり、史実のこの時期の日銀が保有する金地金より多くなる。
金地金約315トンは、もはや暴力。
1ドル=2円80銭くらい:
史実は1ドル=3円30銭くらい。




