526 「戦略研究所第一回報告会(1)」
3月某日。卒業式の少し前。女学生もあと少しという頃。春先の世の中はそれなりに平穏だった。
ただそれは日本の話。世界に目を向ると、徐々に平穏からは遠ざかりつつある。
スペイン内戦は、全体主義と共産主義の戦いの様相なので、欧米の注目度は高い。世界中の理想に燃える、ある種能天気な共産主義の戦士達は、人民戦線に参加している。
そして共産主義の総本山のソ連では、いよいよ大規模な粛清が姿を表しつつある。一応は公開裁判で監獄送りにとどまっているけど、それで済むと考えている者は少ない。誰もが茶番だと思っている。
けど、世界はまだそれ程騒いでいない。
実際アメリカだと、ルーズベルトが2期目に入ってどういった政策をするのかが一番の関心ごとだ。
日本でも、好景気しか頭にない。
日本では、好景気の熱狂に沸いている。政府による積極的な公共投資、国内の建設景気、それに引っ張られた形の諸々の生産業拡大、特に二次産業の拡大が大きい。
そしてさらに、全体の所得向上に伴う三次産業の好調と拡大。全てがプラスに働いていた。
地方、農村も、道路、工場を中心とした建設景気がある。農業も不作がようやく終わり、その一連の騒動の影響もあり地主層の資本経営化、効率化が急速な勢いで進んでいる。
そして資本集約化の流れで、化成肥料の増産も進んでいる。うちの下関にある窒素工場も、拡大と増産が盛んだ。
何処かの誰かが『高度経済成長』という言葉を使う日も遠くなさそうだ。
ただし、少し景気は過熱気味だった。1年あたり20%の成長が2年続くというのは、普通だと考えられない。戦時経済並みだといわれるほどだった。
総研の分析だと、理由の一つは大陸への武器輸出。満州臨時政府、中華民国政府は、資源とのバーター取引と、他国から借款して大量の武器、弾薬を購入していて、その最大の売主が近在の日本だった。
特に満州に対しては、ほぼ独占状態だった。
輸出総額は、合わせると数億円に達する。細かい数字が出ていないのは、どこまでを武器、弾薬に含めるかという点にある。何しろ中華民国も満州臨時政府も、軍服一つ満足に生産する事が出来ないでいる。
そして法外な武器輸出は、南の南京臨時政府がドイツとの合作をする事で、異常な加熱を見せていた。
双方共に、経済力を考えると既に平時を超えて、準戦時状態に入っていた。
そんな状態なので、日本国内では国内の陸海軍向けの需要の拡大と合わせて、武器弾薬の生産拡大が続いている。特に弾薬は既存の工場で足りないので、新規工場の立ち上げすら続いている。
大陸では、今まで20年以上内乱が続いたのだから、これからも当分は続くという皮算用だ。
そんな状態なので、実際論として戦時経済並みという言葉は完全な的外れでもないと言う事になる。
戦時経済並みと言う言葉が悪ければ、前の世界大戦の頃の戦争特需と言う言葉を使えばいいだろう。
そんな中、国会では予算審議が始まっているけど、陸軍は先が見えている人たちが中心なので比較的大人しく、海軍は20年ぶりくらいに戦艦を新造できるのではしゃいでいるけど、頭は押さえつけられている。
少なくとも、当面の波乱は無さそうだった。
「そう言った時世だからこそ、本研究は重要だと考えるわけです」
鳳戦略研究所の発表会の席で、それを見る側の一人である私がそう締めくくった。
そしてお付き合いの拍手を所員の皆さんから頂いて着席する。
場所は鳳戦略研究所、通称「鳳戦研」の講堂。二階ぶち抜きの倉庫のような構造で、二階の窓用にキャットウォークがあり、上座の方は舞台があり、いかにもな講堂の構造になっている。
私達は、その舞台上に用意された椅子に座っているけど、所員の人達はその講堂内の空き空間に好き勝手に座っている。
それもこの講堂の主人が、部屋の中央にある巨大な机のような盤面だからだ。盤面は中央の巨大な世界地図、別の場所の欧州、極東地区と3つ用意されてる。その地図の上には色々な「駒」も用意されていて、文字通りの机上演習を行う為のものだ。
だから講堂と言っても、中で集会をしたり球技をしたり出来るようにはなっていない。
この講堂を用意する為に、東京郊外に講堂と研究棟、それに寄宿舎を急ぎ建てさせた施設を用意した。周囲を塀で囲まれ、所長の南さんの要望で駐車場兼用の広場、というか運動場もあるから、一見すると何かの学校のように見える。
実際、使い終わったら、何かの学校にする予定になっている。
そしてこの研究所に、30数名の男達が詰めている。数年研究すると確約したので、近くに越してきた者も少なくない。
この時代は、役人と軍人、教師以外は終身雇用じゃないから雇われる側もドライなので、こうした配置もやりやすい。
また、事務処理、雑務、庶務、それに寄宿舎の世話は別に用意してあり、最大限の便宜は図ってあった。
それはともかく、今日は職員が全員集合で講堂にパイプ椅子を並べて座っている。
私はいつもの随員を連れて、所長の元陸軍大将の南次郎の横に座っている。
そして今日は、最初の発表会。結果をまとめた報告書なりレポートを見るだけでもいいけど、私が言い出しっぺだから、こうして出席しているわけだ。
けど、「鳳戦研」に来るのは、これが初めてじゃない。開所してから何度か、机上演習をしているのを見学させてもらったり、所員の中でも幹部クラスの人を中心にして雑談に興じたりもしている。
来るのは私だけじゃなくて、暇を持て余している筈のお父様な祖父も、何度か足を運んでいると聞いていた。他の大人達は、見学にこそ来ないけど報告書には目を通している。
出くわした事はないけど、石原莞爾とその連れの将校が土曜の午後などに顔を出しているらしい。
そして私は、雑談などで所員幹部の人となりを掴んでおいた。本格的に話を聞く時の参考にする為だ。合理的に研究して報告書を書いても、どこかに性格や人となりが反映されるものだからだ。
所長の南次郎さんは、典型的な明治の日本陸軍の将軍だ。これはお父様な祖父も言っていたから間違いないだろう。
普段は全て部下に任せて雑談に興じ、いざという時に決断し、そして負け戦の際には責任を取る事が出来る人だ。
人としても明るくジョークを忘れない人で、普通に話していても楽しい。
そんな人がトップなので、所員もみんな自由にしている。そうした中で、幹部と言えるのは5人ほど。
大抵は働き者で頭も良い。軍人の言うところの、参謀向きの人達だ。民間でも中堅実務職を任せたいタイプだ。また、朝から晩まで資料作りに励むような人も多い。
ただ、中には頭は切れるのに、どこか怠惰な人がいる。一人は暇さえあれば、だらけた格好で本や資料を読んでいるらしい。もう一人は、やることはやっているけど、昼間から女郎屋に遊びに行く事もあるらしい。
所長の南さんは、結果を出していれば良いと言う方針だし、机上演習や報告会など全体で行う時以外は、特に勤務時間も決めていないので、みんな好き勝手にしている。
ただし、去年の秋からこの3月までの間に、数名が退所させられていた。
南さんに聞いてみると、働き者だけどそれだけだったそうだ。口を濁していたけど、見た目とか面接をクリアしたけど、おつむが伴っていなかったらしい。
そして所長が軍人なせいか、扱っている事が軍事も含む影響か、全体としての雰囲気がどこか軍隊っぽい。いや、正確には、お兄様達が集団になった時に似ていた。
それをお父様な祖父に聞いてみると、「参謀本部」に雰囲気が少し似ているとの事だった。
そして私は、幹部クラスに内心だけのニックネームを付けた。
いつも本ばかり読んでいるけど、博識で周囲からも結構尊敬されている中心人物は、少し皮肉も込めて『軍師』。
見た目は書生か若い学者で身だしなみも疎かなのがオタクっぽいから、オタクが求めるというポジションである『軍師』だ。鳳の大学で講師をしていた経歴を持つ。
他、広いひたいを七三分けで丸メガネの真面目さんは『参謀長』。とにかく元気で大声な奴は『前線指揮官』。神経質で質問をよくして来るけど、数字には強い人は『主計係』。
あと一人、女遊びに出かけるふてぶてしい人は、『スパイ』とした。
どうも「遊廓に行く」と言って、外出中に誰かに会い情報を個人的に収集しているみたいだ。ただし、内偵してもアカでもファッショでもない。後ろ暗いところはないから、好きにさせている。
そしてそんな人達から、ちゃんとした報告を聞くのが今日初めてだった。
私の言葉が終わり場が落ち着くのを少し待って、南さんが開始の言葉を発する。
「それじゃあ、戦略研究所の第一回報告会を始めようか。委細は、いつも通り君らに任せるから、よろしくお願いするよ」




