522 「1937年年始」
「改めまして、新年明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとう」
正月2日、一族が鳳の本邸に集まる日に、お父様な祖父に改めて新年のご挨拶。
お父様な祖父は挨拶を受ける側、私もみんなが来たら受ける側になるので、朝食後に着替えてすぐにこうして二人で挨拶を交わす。
離れの床の間でのやり取りだから、部屋には私達だけ。扉の側には時田とシズが控えているけど、親族はいない。
「何? しみじみ見て?」
「うん、あれだ、玲子の振袖姿もこれで見納めかと思ってな」
身元引受けの父親代わりとはいえ、その表情がおじいちゃんだった。けど、あと少しだけ、父親代わりは続けてもらわないといけない。
「まだ花嫁衣装があるわよ。春のパーティーでも着ましょうか?」
「結婚は白無垢だろ?」
「白無垢は結婚式だけ。披露宴は色打掛も着たいし。あとドレスも」
「そうか。まあ、その辺は、周りと話して好きにしろ。だが、披露宴は全部洋風にするのかと思っていた」
「着物もドレスも両方着たいのが女心よ」
そう言いつつ、21世紀での披露宴を思い出す。何度か友達や会社同僚の式には参加して、自分には生涯関係ないだろうと、他人事として見ていたものだ。
「忙しい事だな」
「結婚式はともかく、披露宴は見世物になるようなものだからね。それに、だからこそ派手な方が良いでしょう」
「うちは伯爵家にして大財閥だからな。だが、ほどほどにしろよ。披露宴は、相当の方々が参列予定だ」
「もう決まっているの?」
「ある程度はな。遠方からの来賓だけでうちのホテルで足りん勢いだ」
「ウヘー。そっちこそ、程々にしてね」
「見世物になるのは慣れているだろ。それに、今や日本屈指の家になった。最小限にしても、呼ばないといけない人が多すぎる」
「ハァ。正月早々、疲れる話を聞いたわ」
「それで式は夏で良いんだな?」
「私は、女学校出た後ならいつでも。けど、アメリカから結構来るみたいだから、あの人たちの夏休み中が良いのよ」
「どれくらい来る?」
「来ると言っても、主に当主やリーダー、社長の代理や名代よ。あ、でも、キャタピラー社は、副社長クラスが来るとかなんとか」
「まあ、1億ドルも買えば、親しみも湧くか」
「どうでしょうね。小松とかがライバル社として急速に成長しつつあるから、牽制しときたいんじゃないの」
「その辺かもな。他には?」
「ハルトさんが虎三郎の長男だから、フォードは幹部クラスが確定。昔の同僚も。それにもしかしたら、ご本人が来られるかもしれないわね」
「虎三郎を長年雇ってたやつか。かなりの年だろ」
「もう70超えているけど、お元気だそうよ」
「大物はフォードくらいか?」
「多分。まあ、モルガン、ロックフェラー、カーネギー、ボーキサイトの件があるからメロンからも来るかも。それに、イギリスの資源会社が幾つか。スイスの預金の件で、ロスチャイルドからも来そうね」
「代理や名代とはいえ、アメリカの大財閥そろい踏みだな。英国ならジャーディン・マセソンも来るぞ。それに大陸の兄弟達からも。ワンも出席したがっていたな」
「賑やかになりそうね。あと、アメリカの大物ではデュポンが来ないくらいかな? それでも、化学石油分野での提携とか特許とかもあるから、無視はないでしょうね」
「日本の方は、紅龍が目につく範囲では必死で止めている。皇族や周りの重臣連中は、祝いの一通くらいで済むだろ」
「皇族からお祝いが来るの?」
「うちは一応伯爵家だぞ。もっとも、日本では男子直系重視で、長子でも女子は軽視しているから、その辺では扱いは低いだろうな」
「でしょ。私としては、血統だと男女かはそこまで気にしない欧米の方が気になるわよ」
「それでも日本の財界は、晴虎が次期鳳グループのてっぺんになると考えている。だから、かなり来るぞ」
「グループトップなんて随分先の話なのに、気が長いわね」
「商人の言うところの先行投資ってやつだろ。実際、一族で上を占めるなら、今の所だが善吉の次は晴虎でほぼ確定だからな」
「玄太郎くんだと、干支一周後ろだもんね」
「この辺りの人の薄さは、関東大震災で総帥と次期総帥を合わせて失った鳳の弱点だからな」
私の父と大叔父の事だ。サラッと流して良い相手じゃないけど、ここは聞き流しておく。
「いっそ一族主導を辞めたら? 財閥全体も横並びのマトリックス構造にして随分経つし」
「その上に半ば君臨している奴が、どのツラ下げて言うんだよ。……それで良いのか?」
「私の望みは、何度も言っているけど、私、一族、財閥が破滅しない事。肥大化した上での内部崩壊で破滅や破綻は、本末転倒。それに、地位も財産も手段であって目的じゃないから、目処さえ見えたらいつ手放しても良いわよ。影の支配者とかも、肩がこるだけで真っ平御免」
「目処ねえ。いつ見える?」
「夢の通りだと、3年以内にほぼ確定しているわね。もっとも、日本を取り巻く環境が夢とは違いすぎて、色々と不確定要素が多くて困っているんだけど」
「船頭がそれじゃあ、乗ってる方が困るぞ」
「だから、そうは見えないように虚勢は張っているでしょう。けど、日本以外、特に欧米情勢が夢とほぼ同じ道を進んでいるから、多少楽観はしているけどね」
「確かに、他は笑えるくらいに語った通りだな。まるで試験の答え合わせをしているみたいだ」
「そんな事言ってると、足をすくわれるわよ。だから今年も、気張って行くわよ」
「そんな事、端っから承知だ。それで世界情勢以外は、順風満帆で良いのか?」
「良すぎて怖いわね。財閥がこんなに大きくなるとは、小さな頃は思いもしなかった」
「まだでかくなるのにか?」
「それも想定外。それに日本の景気拡大も予想以上。しかも総研の昔の分析結果以上だから、どこに着地するのか全然見えないのよね」
「雪玉が雪山を転がり落ちているって奴だな。確か『神の見えざる手』だったか?」
「ちょっと引用が間違っているけど、経済のダイナミズムに委ねるしかないわね」
アダム・スミスの言葉は投資に関する事だったので、私の場合はアメリカのダウ・インデックス株とその市場での膨大な運用に当てはまるだろう。
1932年7月に再投資した膨大なドルは、市場がニューディール政策の成功によって170ドル辺りを示しているので、再び膨大な時価総額に膨れ上がっている。
3億ドルを原資として1億ドルほどをレバレッジしたものが、現時点ではざっと5倍、20億ドル近くに膨れ上がっている。
もっとも、二期目に入ったルーズベルト政権は、確か一時的にニューディール政策を辞めて緊縮財政に入ろうとするから、景気も株価も大幅後退が待っていた筈だ。
それを知っているから、株を担保にした借金などは派手に行わないようにさせている。
高値の時の時価総額など、あぶく銭みたいなものだ。
そして財閥自体が、日本の4大財閥や5大財閥の一角と言われるほど肥大化しつつも、豊富な内部資金を持っている事になるので、多少は市場で外からの投資もさせていても、持ち株会社の形態は絶対的と言えるレベルで維持されている。
私的には外からの投資を進めたい気もあるけど、それは機関銀行を持たない新興財閥がする事という雰囲気も強い。
そして日本の7大銀行の一角を有するので、借りるより貸す側だった。
そんな大財閥の運営からは、お父様な祖父は自身への何かしらのルールがあるらしく、頑なに細かいところまで関わろうとはしない。
だから私のこの手の話でも、重要な話はしても深い話はしない。
今回も、興味無さげに軽くため息をついてお終いだ。
「まあ、状態が悪くないなら何でも良い。玲子の夢と大きく違って、全方面で順調ならさらに言う事はない。だからお前も、ちゃんと自分の幸せを多少は考えてくれよ」
「私も破滅はしたくないわよ」
「だから破滅ではなく、幸せだ。そこを間違えんな。えらい差だぞ」
「……幸せか。なって良いのかな? 随分と他を踏み潰してきたのに」
「それ以上に生かして来ただろ。そっちを胸を張れ。玲子、お前は俺の自慢の娘であり孫だ。その辺全部、ちゃんと覚えておけ」
「はーい。お父様も、私の自慢の父でありお爺様よ。お爺様って感覚は殆どないんだけど」
「一言多い。それに結婚したら、お前も独り立ちだ。俺は、もういらんだろ。早くひ孫の顔だけ見せてくれ」
「はいはい。あ、そうだ、結婚したら二十歳までの私の責任者って、誰? やっぱりハルトさん? 婿養子だけど」
「ん? まだそんな事言ってるのか。それくらいちゃんと調べとけよ。そもそも婿養子じゃない。入婿だ。嫁であるお前が婿を取るんだよ」
「養子じゃない? 何が違うの? 相続権?」
「そうだ。あと扶養義務だったか。婿が妻の姓を名乗る形だから、妻氏婚って事になる。それに、戸籍の筆頭者の名前が妻になる。なにせ、お前に財産がくっついている。それに家を存続させんと、意味ないからな」
「り、了解。もしかして、善吉大叔父さんもそうなの?」
「そうだ。あと、舞に婿入りした涼太もそうなるな。家の諸々が違いすぎる。ただし、晴虎は虎三郎の家の長男だ。それを貰うんだから、その辺の重さをちったあ自覚しろ」
「う、うん」
返す言葉もなかった。そんな私の顔を見て、お父様な祖父が嘆息する。
「ハァ。正月早々こんな話をするとはな。だがこれで仕舞いだ。あとは飲むぞ!」
「そうね。けど私は、お屠蘇以上は飲まないから」
「妙な法律が出来たからな。俺なんか、10の頃から飲んでたもんだ」
「はいはい、またその話ね。聞き飽きたから、これで失礼します」
そう結んで頭を下げて部屋を離れた。
今年が転生後の私の人生の転機になると言う実感は、そんな話をしてもイマイチ持てなかったが。
神の見えざる手:
アダム・スミスの『国富論』に出てくる言葉。
中二病の言葉じゃない。




