520 「広州事件(2)」
その後広州で起きた事件は、徐々に表に出てきた。
そして事は大きくなった。
蒋介石を拉致された南京臨時政府は、総力を挙げて奪回の準備を行い始めた。特に、1935年からは帰国したゼークトに代わり、ドイツ軍事顧問団団長のファルケンハウゼンが積極的だったと言う。
後で分かったけど、既に戦車や航空機が軍事顧問付きで送り込まれていたので、その実戦テストがしたかったみたいだ。
流石はドイツ人。相変わらず、自分の事しか考えてない。
それにドイツとしては、蒋介石でも汪精衛でも窓口はかまわず、市場が一つになるなら儲けものくらいだったのかもしれない。
けど、蒋介石の安否を心配した夫人の宋美齢が攻撃を強く止めて、交渉による解放を図る方針になった。
それは良いけど、ここぞとばかりに張作霖の中華民国政府が動き出した。
南京臨時政府に対して、共同での奪回を提案する程度は可愛いもので、南京臨時政府に自分たちの側に付くように強く提案していた。
共に広州臨時政府と中華ソビエトを叩こうというのが、表向きの言葉だ。
一方、蒋介石を拉致した広州臨時政府の動きは、拉致してからかなり鈍かった。ついでに言えば、中華ソビエトの動きも似た感じだった。
分析を聞くまでもなく、コミンテルンというかソ連のスターリンの言葉を待っている状況だったんだろう。
そうした中で、汪精衛が蒋介石に突きつけた要求が南京政府の要人に送付された。そしてそのおこぼれを、交渉が続いている中で私達も目にする事ができた。
私は西安事件が転生前の歴史で起きた事くらいは知っていたけど、第二次国共合作と抗日を求めたくらいにしか認識がない。だから、同じもの、もしくは似たものなのかは分からなかった。
・南京政府の改組、諸党派共同の救国
・共産党の討伐停止
・政治犯の釈放
・政治犯の大赦(刑罰の消滅)
・民衆愛国運動の解禁
・言論集会の自由
・救国会議の即時開催
・孫文遺嘱の遵守 (遺嘱=遺言、遺託)
「案外、穏便な内容だな」
それが内容を見たお父様な祖父の言葉であり、やっと行った話し合いの席に出席した全員の代弁でもあった。
12月半ばに集まった話し合いでは、一応は一族の大半の大人達と、一族に近い鳳グループの幹部が参加していた。
まあ、いつものメンツだ。だから、話し合い自体は気軽に進む。
「共同での張作霖政府の打倒、排外運動の実施、くらいは要求してくると思ったんだがな」
「けど、掃共の停止と国共合作の再開は入っているから、これが肝でしょう」
「そうなんだよな。だがこれで、張作霖の中華民国政府に喧嘩を売ったようなもんになる。しかも防共を結んだ日英米にも。その辺どうなんだ、龍也」
「軍内部では、大陸情勢だけで見ると、以前から張作霖が手を出すのが先か、蒋介石が先手を打つかという話になっていました。数年以内に内乱が激化するのは必至。それが早まっただけでしょう。南側がこれでまとまれば、面倒が省けると考える者もいます」
「日本を攻撃する可能性はありますか?」
私の言葉に、お兄様がニコリと笑みを浮かべる。昔から変わらない、心を和らげてくれるイケメンスマイルだ。
「国を統一するか最低でも国家の主権を手にしないと、話にならない。何しろ大同団結したところで、彼らはどこも中央政府じゃないからね。張作霖政府を倒す戦いを先にしないと何も始まらない」
「スペイン内戦のフランコ軍が、ソ連を攻撃するようなもんだよな」
「ええ。国家の主権。これを得る為だと考えられます」
「また、共産党が上海に入り込めるようになります。彼らが上海租界を攻撃する可能性があると思うのですが」
「そうだね。けど仮に、租界の日本人地区だけを攻撃しても、中立地帯を超えた時点で租界にいる列強全てへの攻撃と判断される。それに対抗する、連絡網、現地での体制も1931年から整えてきた。
加えて張作霖政府は、日本だけではなくアメリカ、イギリスが強く支援している。更に言えば、揚子江とその以南で一番の勢力を持ち、商売をしているのはイギリスで、次がアメリカ、フランスだ。南で抗日と言っても、民衆の支持は得られない」
「中華民国政府の勢力圏へのメッセージにはなりませんか?」
「せいぜい揚子江流域まででしか活動しないから、声を上げたとしても届かないし、実感が持てないだろう。それに、北部は列強により経済の安定を得たばかりだから、民衆が乱すような動きに反発する可能性の方が高い」
「そうですね。安心しました」
「それは何よりだよ。でも玲子も、こうした事態に備えて色々してきただろ」
「はい。そうでした」
そこで一旦言葉を切るけど、これは半ば芝居だ。お父様な祖父、お兄様、それに会話には加わっていないけど時田やセバスチャンと打ち合わせた内容だ。
勿論、話し合いに参加している全員に聞かせて、共通認識を持つためだ。
そして茶番劇もひと段落が済んだので、お父様な祖父が仕切り直す。
「それで時田、大陸の兄弟たちは何と?」
「はい。最新の情報ですと、中国共産党の首席である秦邦憲、それに周恩来ら幹部数名が広州入りしたと」
「この要求も広州政府じゃなく、そいつらか?」
「恐らくは。広州政府が、政治犯に関してや運動、言論に関する要求を出すとは、あまり考えられませんな」
「全くだ。アカどもの好きな事ばかりだからな」
「気になるのは、大陸の各勢力よりもソ連です」
今度はセバスチャン。鳳商事にいるし、対外情報にも一番触れているからこその言葉だ。
「ソ連の目的は、恐らく日本の目を大陸に向けさせ、ソ連との戦争の可能性を下げる事にあります」
「だからこそ蒋介石に支援もして、今回も手を差し伸べたわけだろうからな」
「はい。それに蒋介石は息子がソ連に留学しており、人質同然です。彼としては張作霖を打倒し、自分こそが中央政府の主席になる必要もあります」
「ソ連としても、関係の悪い張作霖の政府よりは良いだろうしな。つまり今後、ソ連の支援が増えるか」
「はい。ウラジオストクからの物資の流れには、注意したく存じます」
「その辺は頼む。時田」
「はい。大陸の兄弟達にも、お願いしておきましょう」
「うん。もっとも、あっちの連中にとっても死活問題になるから、勝手に頑張るだろうけどな。でなきゃあ、今回もいの一番にこっちに情報を回さんよ。支援だけ十分しておいてくれ」
そう言って話を締めくくった。
そのあとは半ば雑談となったけど、鳳や日本としては来るべき大陸での大規模な内乱もしくは戦争に備え、情報収集を密にする以外に取れる手は無かった。
(日本が直接戦争するのだけは、何があっても阻止しないとなあ)
そして転生前の歴史での「西安事件」の代わりに起きた、この世界の「広州事件」に対して思ったのは、やはりそんな事に集約されていた。
その後、蒋介石はクリスマスの日に解放され、解放先の滞在場所で彼は下野を公表。けどこれは政治的パフォーマンスに過ぎず、周りから慰留を強く求められた。
ドイツとソ連の両方の窓口である蒋介石が、大陸でのゲームから降りられる筈がなかった。
そして大陸情勢は、私が知るものとはかなり違う状況で次なるステージへと進み始める事となる。
汪精衛が蒋介石に突きつけた要求:
史実で、張学良が蒋介石と国民党政府に突きつけたものと同じとした。
ただし、南京政府に対してのみという事になる。
第二次国共合作:
国民党と共産党の同盟(合作)。一度目は、1927年春に蒋介石が上海クーデターを起こすまで。
この世界では少し違っているけど、結ばれれば二度目なのは同じになる。




