516 「日米英防共協定」
「祝杯をあげましょう!」
「お嬢様、気が早ようございます」
「仮調印とはいえ、もう正式調印も同然でしょ!」
「ともかく、お酒は二十歳になってからにお願い致します」
朝の第一報を聞いての私の喜びだというのに、いつものような調子でシズに賛成してもらえなかった。
現地時間の10月23日午前11時、日本時間24日に日付が変わった午前零時、『日米英防共協定』が仮調印された。
ワシントンDCの一角で行われた仮調印は、仮調印であるにも関わらずアメリカでは非常に大きく派手に報道された。
調印式は、アメリカはコーデル・ハル国務長官が直接行う熱の入れよう。出席も日本が駐米大使の斎藤博、イギリスも駐米大使ロナルド・リンゼイなので、アメリカの気合の入り具合が違う。
もっとも防共協定自体は、アメリカ大統領選挙の民主党による選挙宣伝でしかない。11月3日の選挙直前に、国内の共産主義への反発に応えるのが主な目的だった。
その証拠に、仮調印の後のパーティーには、ルーズベルトがやって来た。
『経済ばかりでなく、反共でも頑張るルーズベルト! ルーズベルト! ルーズベルトに清き一票を!』という意図が丸見えだ。
とは言え日英も、気を抜いているわけじゃない。
正式調印の11月25日には、日本は吉田茂外相、イギリスはアンソニー・イーデン外相が訪米する。
イギリスでは、チャーチルがこんなめでたい事なら自分が是非に行きたいと名乗りをあげたらしい。
私への手紙でも、面白い提案を世界中にばらまいてくれてありがとう、というウッキウキな内容の言葉が綴られていた。
流石は共産主義嫌いのチャーチルだ。
けどチャーチルは、前のマクドナルド内閣に続いてボールドウィン内閣でも何の役職も与えられていないので、全権とするには相応しくないという理由で認められなかった。
本当にチャーチルは、1930年代は空回りしてばっかり。そこがこの人らしいんだろう。
とりあえず、手紙の返事には私もチョー嬉しいと書いておいた。
一方の日本の斎藤博さんは、アメリカ、イギリス勤務が長く、外務省屈指の秀才と言われ血筋、毛並みも良く、さらに人柄も優れているという理想的な外交官だった。
数年前に軽く結核を患ったと聞いたけど、早期なら治療も容易で病は寛解したと聞いている。
そして1934年から駐米大使をしているけど、アメリカに知己も多く良好な関係だ。国務長官のコーデル・ハルとも仲は良いらしい。
そんな任せて安心な人だ。外務省でも、吉田茂が行かなくても問題ないんじゃないかとすら言われていると噂されている。
とはいえ、日本も力を入れないといけない外交案件だから、外務大臣が正式調印の為に渡米する。
「選挙戦の一環としても、アメリカがよく調印したよな。その辺どうなんだセバスチャン?」
「はい。共和党では、今回の協定は参加すら難しかったでしょう。ですが、第二次ロンドン海軍軍縮条約の時の不可侵条約も、従来の孤立主義からは逸脱しておりました。それに比べれば、大きな驚きはありません」
「エドワードとジャンヌの感想は?」
土曜の午後、お父様な祖父の主催のお茶会という事で集めた人たちに、意見や感想を聞く。
集められたのは、アメリカ人かアメリカに長く滞在した者。要するに私の執事達と虎三郎一家になる。
それを聞くのは、私、お父様な祖父、善吉大叔父さん、お兄様、それと時田になる。
他に、オブザーバー状態で私と同世代の鳳の男子達、それにお芳ちゃんも同席させている。輝男くんも、私の警護役で部屋の隅にいるけど、同じ書生でもある姫乃ちゃんは当然いない。
(そう言えば、姫乃ちゃんとあんまり話してないなあ。それに度々こういう事もあるだろうから、変に思ったりしないかな? うちって、側から見たらつくづく悪党一族よねえ)
「伝統的な孤立主義より、国民が不安に感じる共産主義対策を優先したと見るべきでしょう」
「ステイツにいた頃は、みんな共産主義に反発していました。それを思うと、協定を結ぶのは当然だと思います」
「私もジャンヌちゃんの意見に賛成」
とは、虎三郎の奥さんのジェニファーさん。日本に来て20年以上になるけど、たまにアメリカに帰っているから、アメリカの今の雰囲気も良く知っている。
「虎三郎、フォードさんから何かなかった?」
ヘンリー・フォードは反ユダヤ主義だけど、共産主義について噂などあまり聞かない。普通に考えたらガチガチの資本主義者の筈だし、防共協定には賛成はしても反対はしないように思える。
そして虎三郎は首を横に振る。
「特に何も手紙には書いとらんよ。だがヘンリーは、技術に人も国もないというお人だ。主義に関しては、強い意見はないんじゃないか」
「ふらりと現れた虎三郎を雇うような人だからな。それで、フォード以外の王様達と親しい玲子は、あっちの人から何か聞いてないのか?」
「まあ、色々。身近なところだと、トリアとは何度か手紙をやりとりしたわね。アメリカの上流階級は、旧体制の打破を掲げるコミュニズムもファシズムも大半が否定的。なびいているのは、学があって暇と金を持て余している一部の人だけ。だから、ドイツ抜きの防共協定はかなり肯定的みたいよ」
「王様達は?」
「共産主義を叩くなら何でもあり。日本が話の出どころだから、評価も高いわね」
「お前のか?」
お父様な祖父の質問が続く。
王様達から私宛の手紙は、誰にとっても信頼関係を維持する為に、勝手に読まない事になっているからだ。例えそれが建前でも、こうして話を振ってくる。
「うん。例のごとく『またお前が出どころかよ。これで何度目だよ。でもよお、今回はぺてん師経由だとか、悪い冗談みたいだな』って感じね」
「酷い意訳だな。まあ怒ってないなら、それで構わんが」
「むしろ褒めてくれていたわよ。勿論、条件付きだけど」
それで追求もおしまいだ。
実際、王様達からの便りでも、だいたいそんな感じの事が書かれていた。
特に強い言葉がなかったのは、やっぱり共産主義が叩けるなら何でもいいからだ。また、王様の中には、ルーズベルトに反共的な国際協定を結ばせた事自体を喜んでいる人もいた。
あとは、自由貿易主義なハル国務長官に、ポイントを稼がせた事を評価する人もいた。アメリカの王様達は、高い関税障壁はお気に召さないからだ。
「条件ねえ。日本が軍部主導に傾くな、全体主義に傾倒するなと言ったあたりだろ。それにしても、この2月に中立法を通した国が、よくこんな協定を提案して結んだもんだよなあ。何かあるか?」
気を取り直したお父様な祖父がそう聞くと、基本私の後ろに控えている時田が半歩前に出る。
「貪狼からの言葉ですが、アメリカの基本政策は、アメリカをヨーロッパの戦争に巻き込ませない、という点に集約しております。ルーズベルト政権は、それを訂正もしくは軌道修正していきたいのではないかという分析ですな」
「ハル国務長官は、自国の高率関税には否定的だからね。うちとしても、貿易面をもう少し緩和して欲しいところだけどね」
善吉大叔父さんが、「しみじみと」と言った口調で続けると、場の空気が少し和らいだ。
お父様な祖父も笑い気味だ。
「まあ、うちはそんな所だろうな。国内の他はどうだ? ドイツに執着してる連中は落胆しているのか?」
「陸軍は、概ね歓迎していますね。これでソ連に対する抑止力が強化された、と」
お兄様がいつものクールさでそう答えるけど、お父様な祖父の質問は続く。
「親独派の連中は?」
「今日見た限り、一部は落胆していますね。ですが日本が橋渡しして、ドイツも協定に加えるべきだと言う者も見かけました。ドイツの大島閣下も、その線で動くだろうと言われています」
「無駄な努力を」
お父様な祖父がため息をつくように言うと、多くの者が何らかの形で賛成の意思を示した。
私も同意見だった。
けどここで、不意に一人の人物の言葉が思い出された。松岡洋右の「独逸人ほど信用のできない人種はない」だ。
松岡は、防共協定自体には関わってないけど、米英との対立路線の外交を主導する人だ。
けど、この世界では満州事変が微妙な形で終わり、国連でも活躍の場がなかったせいか、議員を少しした後は満鉄総裁をしている。
そしてこの人が満鉄総裁のおかげで、今でも完全に大人しくなっていない関東軍の勝手を許していない。
私から見ると、ちょっと皮肉な状況だ。けど、我の強すぎる人だから、米英との交渉、ドイツとの交渉の場に出てこなくてホッとしてもいた。
そんな気持ちが言葉になる。
「日本は、最初に日本以外の列強と東欧諸国を同じ交渉のテーブルに付けろと注文してあるし、イギリスではチャーチルが反対運動してくれているから、ドイツの参加はまず無理よね」
「意外に冷静だな。朝はあんなに興奮していたのに」
「頭が冷えただけ。だから油断せずに、正式調印にマイナスになる要素があるなら、うちで潰せる限りは潰したいと考えているわよ」
「国内は大丈夫だろう。海外は、玲子やアメリカに詳しいみんなにお任せするよ。餅は餅屋だな。他に何かあるか?」
「……ドイツの悪評をもっとばら撒くのは? オリンピックが終わったらユダヤ人差別を再開したとか」
「させているよ。お前が切り札だと言った、例の偽装国債の話も方々にばら撒いている。この状況だと、ドイツと関係深める必要がないからな。睨まれても、むしろ望むところだ」
力強くお父様な祖父は言い切った。
後は半ば雑談となり、一月後を待つことになる。
そして11月25日、『日米英防共協定』は無事に正式調印の運びとなった。
『日米英防共協定』:
史実では同じ日に日独防共協定が仮調印される。
斎藤博:
この人が存命だったら、史実の日米開戦までの日米交渉も違ったものになったのではないかと思えてしまう。
1936年中立法:
史実では1936年2月29日に成立。ただしこの時は、1年弱の時限立法。
1937年に再び法案が通る。
自国の高率関税:
スムート=ホーリー法のこと。
ハル国務長官の努力で、1934年6月に互恵通商協定法が成立し、緩和が始まる。
1936年までだと、さらにイギリス・フランスとの三国通貨協定を結んでいる。この世界だと、日本も加わっていると想定。
共和党は高率関税維持を標榜としていたので、ルーズベルト政権というよりハル国務長官の存在が際立つ。
松岡洋右:
彼なりの計算と信念から、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進した。
ある意味、アメリカ人をよく知りすぎた人で、それが強気すぎる外交となり、裏目裏目になった気がする。
この世界だと出番がないかも。




