513 「1936年秋の国内状況」
本年度の国内だけど、とにかく爆発的な好景気が続いていた。
建設、重工がけん引役で、作れば作っただけ売れると言われていた。輸出入も堅調で、原料を仕入れて製品を輸出する形になっている。
主な輸出は、欧米への繊維製品、大陸への武器輸出になるだろう。日本の景気は、基本的に内需中心だ。
現物が大半ながら、私が累計で15億ドルくらい注ぎ込んだのも大きな理由だけど、新興国特有の経済がうまく回っていた。
それどころか、フル回転状態だ。
そして今年は農業生産も問題ないので、経済の足を引っ張る要因もなかった。
国内経済が順調過ぎるので、輸出が大幅に落ち込んだ絹も国内需要がかなりを補って、最盛時だった1929年の8割近くにまで持ち直していた。
一方で、国内経済と深くリンクしている満州開発だけど、まだ統制経済的な開発計画は動いていなかった。
だから、満州臨時政府と日本の要請で行なっているような土建業と農業で、鳳グループが大きなシェアを得ていた。
ただし政府、財界は、主に陸軍が求める軍備優先の生産体制の構築には否定的だった。それよりも爆発的な好景気の日本経済が求める、各種原料と農作物の供給量の調達先と見ていた。
そもそも陸軍や国士様達が求めた日本人移民は、国内経済の好調によって減少傾向にすらある。
日本政府も、国内での労働力確保の必要性から、移民推奨や屯田兵の派遣など行っていない。農業開発も、人を投じる労働集約型ではなく機械や肥料を投じる資本集約型だ。
原料供給としては石油、石炭が主で、特に石油はもはや日本の生命線になっていた。
石炭は古くから稼働しているフーシュンがあったけど、日本への輸出よりも満州内での利用と鞍山の製鉄への利用が中心だった。船で日本に運ぶと、コスト面で優位と言えないからだ。
鞍山の鉄を銑鉄にする製鉄所の拡大はしているけど、これも中間原料の生産が中心だった。鞍山の鉄鉱石は質が悪く、鉄の含有率が低いから、現地で銑鉄にまで加工しないと輸送面で採算が取れないからだ。
石炭の日本本土への輸出は、鳳が熱河のフーシン炭田を開発して、主に臨海部での製鉄で使うべく巨大な石炭運搬船を用意すると、様相が変わり始めていた。熱河の満鉄の太い支線も、巨大な編成の貨物列車群で賑わっている。
農作物だと、まずは大豆。とにかく大豆。他は、粟、こうりゃん、とうもろこしなども日本に輸出されていた。意外に、小麦などムギ類の栽培は低調だ。農地の開発度合いの問題などもあるらしい。
そして農作物も、運ぶ船は大きい方が良い。
満州からの輸入、オーストラリアなどから輸入などの為、今の日本ではそこら中で巨大な建造ドックの建設が進んでいる。
また、既に完成しているドックでは、巨大な各種貨物船やタンカーが続々と建造されつつあった。
5年先には、平時ペースで年産100万総トン建造できるんじゃないかと言われていた。しかもそれも、前倒し状態の勢いで進んでいる。
10年前が年産2、30万総トン程度で、この5年ほどで鳳は一気に年産50万総トン建造できるようになった。けど、さらに大きな数字が見えていた事になる。
ただし、従来の船が大きくても1万総トン程度なので、巨大な船を運用する為には港の規模や施設を合わせる必要があった。
だから日本の各地の沿岸部、臨海部では、埋め立てや浚渫工事が、鳳のもの以外でも盛んに行われるようになっている。
それでも、私が何年も前に提案した、コンテナを使った船と港は、建設、運用などのコストと取り扱う貨物量などから考えると、日本ではまだまだペイしないので研究や一部実験レベルにとどまっている。
仕方ないので、大型のカーフェリー建造計画だけを進めさせておいた。日本でのトラック台数がうなぎ上りというのが理由だ。なにしろ、日本の道はまだまだ未舗装が多いから、遠距離移動は船に積む方が色々と楽だ。
けど、有事に輸送艦艇として使えるのが、鳳としての理由になる。何しろ鳳には、有事に拠出が難しい大型のタンカーと鉱石用の貨物船しかない。これでは、他との釣り合いが取れなさすぎたからだ。
そしてそんな日本の造船活況を見て、妙な野心を燃やし始めていたのが日本海軍だった。
海軍は、今年3月に締結された第二次ロンドン海軍軍縮条約で、またしても足枷をはめられた。
けどこの条約は、最初からイタリアが脱落した事で、エスカレーター条項というものがあって、発動は条約締結当初からほぼ確定と見られていた。
またこれ以前の2回の海軍軍縮条約に従っても、戦艦は艦齢26年で代替艦が建造できた。
新型が1941年就役と考えると、1915年までに建造された戦艦が対象になる。そして日本海軍には、古い戦艦が沢山あった。単純に艦齢だけで考えたら、1944年までに8隻作らないといけない。
1915年までに就役した戦艦だと、『金剛』型の『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』と『扶桑』型の『扶桑』が該当する。このうち『比叡』は練習戦艦で対象外だから、4隻建造できる事になる。
ただし念願の巨大戦艦建造は、軍縮条約で断念しないとダメになった。けど、一気に4隻も新造できるというので、海軍は久しぶりにウッキウキらしい。
それでも空母の新造は条約で当分無理なので、極端に大規模な軍備計画は立てられない筈だった。
けどそれも、1938年のエスカレーター条項というものの利用を海軍は考えていた。
1937年4月にイタリアが復帰しないと確認できた時点で建造準備を開始し、1938年1月から竜骨を据えて建造開始という計画らしい。
しかもエスカレーター条項が発動したら、戦艦の制限も大幅に緩くなる。
そこで海軍は、1937年度からの新規の海軍整備計画を、二段階発動を予定していた。
大きな戦艦の設計も、すでに始めているらしい。
計画の草案では、まずは英米のご機嫌を損ねない『金剛』型代替艦2隻と、旧式化した軽巡洋艦の代替艦を中心とした計画を開始する。
そして次に、エスカレーター条項発動を受けて、1938年になった途端に新規計画を議会など諸々と早急に通過させて、建造してしまおうというものだ。
海軍としては1938年の時点で、欧州の世相がさらに緊迫していれば尚良しといった雰囲気だという。
そしてその計画の最大草案では、3カ年分の予算による計画で戦艦4隻、大型空母4隻を作る大計画となる。
しかもそれ以外に、海軍が我慢していた諸々の補助艦艇が加わる。その場合の予算規模は、艦艇だけで15億円を超える。
しかも海軍は、せっかく近代改装した艦艇もギリギリまで使いたいらしい。どんだけ大海軍を作りたいんだと聞きたくなるし、頭が痛くなりそうにもなる。
自らの「やらかし」のせいで我慢してきたから、その反動が出てきているのだろうけど、大人だろお前らと言いたくなる。
大艦隊の運用経費の事を少しは考えて欲しい。
そしてさらに頭が痛い事に、その海軍の「八八艦隊計画」以来と言える気宇壮大な計画は、日本経済の好調な成長が願いのかなりを叶えてくれそうな状況だった。
陸軍は、全師団の自動車化をはじめとする近代化と強化の計画を進めているので、海軍を非難し辛い。政府も予算内、条約内なら、文句の言いようがない。
そんな状況なので、ようやく海軍にも追い風が吹いてきた、という話が交わされているらしい。
ただし日本中の民間造船所は、巨大貨物船建造など商船建造でスケジュールが数年先まで埋まっているので、海軍は頭を抱えているという話も三菱などから聞いていた。
「海軍拡張も結構だけど、親英米外交じゃあ戦う相手もいないでしょうに。海軍整備の目的とか、どう説明するんだろ?」
「ドイツかソ連がいるのではありませんか?」
資料を見つつのつぶやきに、側に控えていたシズが何となくといった感じで相槌を打つ。
「あと、場合によってはイタリアもね」
「それならば、海軍が近代化をして備えるのも理にかなっていると存じますが?」
「海軍が熱い視線を送っているのは、今もアメリカだけどね。流石にイギリスを仮想敵にする事はしなくなったらしいけど」
「不可侵条約も結んでおりますし、おかしな話ですね」
「全くその通り。けど流石に気を使うらしくて、37年は戦艦2隻の新造しかしないそうよ」
「『長門』『陸奥』以来ですね。完成まで考えると、約20年ぶりでしょうか?」
「それくらいね。嬉しいのも仕方ないってところでしょうね」
「他国も戦艦を新造するのでしょう?」
「フランス、イタリア、ドイツは、既に新造戦艦を建造中。イギリス、アメリカは日本と同じタイミングで計画中。英米どっちも、戦艦は2隻ずつになるだろうけど、どっちも軍縮条約の空母枠がまだ余っているから空母も作るだろうって分析ね」
「それで日本の海軍は、1年遅れで空母を計画するわけですか」
「そんなところね。まあ、決まるのは来年の3月。果たしてどうなるやら。私は、それよりこの景気がどこまで続くのか、どこまで勢いが維持できるのかの方が気がかりよ」
「左様ですか。それよりも、そろそろお休みのお支度を致したく存じます」
「そうね。明日も早いし、もう寝ましょう」
「はい、それでは準備を致します」
そう言ってシズが、いつものように音もなくお辞儀をした。




