510 「新たな防共協定のお誘い?(2)」
「まあな。それで流石に日本の外務省も、イギリスから話があった時点で念のため各国に話を回した。ドイツとの交渉を蹴るために吹っ掛けただけとな。もっとも、あまり表に出来る話じゃあないから、水面下で伝えたんがね」
吉田茂が困惑気味に状況を説明してくれる。
なかなか珍しいショットじゃないだろうか。
「リッべントロップは、さらに空回りを続けたわけですね。流石、稀代の道化師。やることが半端ないなあ」
「全くだな」
お父様な祖父との意見の一致まで得られてしまった。
リッべントロップ凄すぎだろ。
しかも吉田茂の苦笑いが続く。世の中、色々と驚きに満ちているらしい。
「だが、それ以上がいた。選挙前のルーズベルトが、今回の一件の利用を考えたというわけだ」
「だが吉田さんよ、アメリカと言えば孤立主義。中立・不干渉の政治的風潮だろ。よくそんな提案を、向こうからしてきたな」
「孤立主義と言っても、海軍軍縮条約は結んでいる。その延長で不可侵条約を結んだ。そして今回は、条約ではなく協定だ。さらに言えば不可侵条約を結んだ国との間だけでの、な」
「なるほどなあ。考えたもんだ。だが理由はなんだ?」
「次の選挙が近いのに、アメリカ国内の反共勢力が強すぎて、自身の社会主義的政策を事あるごとに叩くから、それを少しでも緩和したいってところですか、吉田様?」
「まあ、その辺だろうな。他にスペインで内乱が起きたろ。あれの政府側が人民政府とかいうアカだから、アメリカ国民は意外に警戒している。で、政府の連中は、前の軍縮会議で不可侵条約結んだ国となら、話をまとめやすいと見たんだろう。内容も紳士協定で、殆ど意味がない」
「流石はルーズベルト。抜け目ないなあ」
「嬢ちゃんでもそう思うのか。まあ、普通は考えつかんだろうな。ただこの一件は、国務長官のコーデル・ハルが推している。何せルーズベルト政権は左寄りで、しかも中立法なんて作るくらいに孤立主義だ。普通に考えたら、あの政権が防共協定なんて話を持ち出す筈がない」
「ハル国務長官は、自由貿易、国際協調外交が政治姿勢ですからね。それで、アメリカが声をかけたのは、日本、イギリス、フランスですか? 日本と同じく、コミンテルンの敵にされたドイツとポーランドは?」
「ドイツとポーランド、ソ連とポーランドは既にそれぞれ不可侵条約を結んでいる。だから断りの一報だけしたようだ。今回はあくまで、海軍軍縮条約に参加した国々との間の追加案件、といった体裁を取っている。紳士協定といい、連中の大統領選挙までに話をまとめる気なんだろうな」
「うわっ、自分の事しか考えてないんだ。ドイツ怒るでしょ。梯子を外すようなもんじゃない」
思わす素の言葉になってしまったけど、吉田茂はニヤリと笑みを浮かべただけだった。
「そうでもないらしい」
「……その心は?」
「ドイツはともかくリッべントロップは、英米仏そして一応日本との防共協定を結ぶという動きを世界に見せた。つまり、ソ連に対する盾が欲しい英仏の心象が良くなったわけだ。ドイツ外務省に対して、リッベントロップは得点を得たと言えるだろう」
「ウーン、外交って複雑。まあ私は、日本とドイツとの関係が悪くなるなら、何でもいいです。ましてや英米と関係が深まるなら、言う事ありません」
「だろうな。それでだが、アメリカは大統領選挙前に最低でも仮調印をしたいそうだ。できれば正式調印もな」
「選挙は11月3日だから、1週間前くらいにどちらかは調印したいでしょうね」
「だろうな」
話終えた吉田茂は、少しばかり満足そうだ。
「ところで、なぜこのお話を私達に? 話の出所だからですか?」
「それもある。義理ってやつだな。だがそれ以上に、アメリカの窓口の一つを鳳が持っている。しかもどでかいヤツをな。話を早くまとめるので、多少は骨を折ってもらいたいというのが、わしと宇垣さんの頼みだ。宇垣さんからは、ご当主の方にあとで話があるだろ。それに、鳳にはアメリカからも話が来る可能性も高い」
「分かりました。それを待ちつつ、こいつを使ってアメリカの王様達に話を通しておきましょう」
「助かります、鳳伯爵」
「働くのは私ですけどね。それで吉田様は、ご自身の駒は使われないのですか?」
そう、この人は私の歴女知識的には10年早く、自陣営の構築を始めている。日本が親英米路線で、外相にもなって、自身に有利な状況だからだ。それなのに自身で動かせる手駒がないから、色んなところから人を集め始めている。
そして鳳も、小松製作所などの繋がりで、この人の後援を強くしているので、その辺の話もよく知っていた。
けど吉田茂は、私の問いに軽く笑みを浮かべるのみ。
「あいにく、アメリカにまで顔の効く奴は、斎藤君など同僚くらいしかまだいなくてね。わしの数少ない手札が、ここしかないわけだ」
「まだそんなものなんですね。じゃあ、急いで電報と手紙を出しておきます」
「ああ、借りはいずれ返させてもらうから、頼むよ嬢ちゃん」
「では、後々で良いので、政権を取って鳳に良い目を見させてください」
「それは勿論だが、それだけで良いのかい?」
「はい。お陰様で、大抵のものは不足しておりません。それにうちは悪徳財閥にして華族ですから、政治家と癒着してなんぼです」
「違いない。だが、それでやっている事が国を少しでもでかくする事なんだから、自分こそが善玉と信じてる連中に爪の垢でも飲ませたいもんだな」
「恐れ入ります。けど、国を大きくするのも、大きくは自分たちの為です」
「そうなのかい?」
「ええ。肉は肥え太らせてから食べる方が美味しいんですよ」
「ハハハッ! 違いない!」
ようやく陽性の笑いをもらう事ができた。今日の問答は、やっと合格点のようだ。
けど、これで話を終わらせるわけにもいかない。
「はい。それよりも話を戻しますが、ドイツとの交渉は? それにポーランドなどを含めるという話はどうなりますか?」
「新しい話を持ち出したのはアメリカだ。この件に関しては、アメリカに言ってくれと伝えてある。で、アメリカは、英仏をドイツが説得したら、後日加入の話の段取りをすると伝えたところまでは聞いている」
「英仏どちらも既にドイツを警戒しているし、そもそもフランスが認めるとは思えないんですが」
「それ以前にな、今のフランスはレオン・ブルムのフランス人民戦線、つまりアカのお仲間だ。アメリカの提案すら蹴るだろうと誰もが予測している」
「あー、確かに。じゃあ、防共協定は日米英の三ヶ国で?」
「その可能性が高いだろうな。選挙まで2ヶ月ないから、ドイツは無理だし、東欧は論外だ。それにアメリカは欧州の問題に関わる気は無い」
「防共協定はあくまで国内向け?」
「そうだ。ただ日本を含めるのは、大陸が気になるからだろうな。それにドイツを警戒している」
「ドイツが蒋介石に武器を売って、その蒋介石は汪精衛からの武器が欲しいという声に応え、汪精衛の下の左派の連中が中華ソビエトとつるんでいる」
「流石は鳳、よくご存知だ。さらに言えば、共産主義も全体主義も、そして国家社会主義も独裁体制に違いないので、一時的な連携を取る可能性は高い。それは民主主義、資本主義、そして自由主義の敵になる、とアメリカの一部は見ている」
「……もうそこまで考えているんだ」
「嬢ちゃんが、あの業突く張り共に吹き込んだんじゃあないのか?」
「ご存知のように、アカが危険だって事は以前から随分言ってきました。まあ、その中に、似たような言葉を含めていたかもしれません。けど、アメリカの中枢の一部は、もうナチス体制のドイツとソビエト連邦ロシアが一時的に手を結ぶ可能性を考えているんですね」
「そういう事になるな。それを知って、わしの古巣でも一部の連中が騒ぎ出している」
「良い傾向ですね。どちらも警戒してし過ぎる事はありませんから」
「ん? 案外余裕だな。何を知っている?」
「お父様」
すかさず私は言葉と共にお父様な祖父に視線を向けた。
今のフランスはレオン・ブルムのフランス人民戦線:
1936年すぐの総選挙で成立。1937年6月には内閣が総辞職、フランスの人民戦線は崩壊。しかし1938年に1ヶ月だけ復活。
この頃のフランス政治の混迷ぶりを象徴している。




