509 「新たな防共協定のお誘い?(1)」
「アメリカから妙な話がきているって?」
「はい。お耳に入れたく」
9月初旬の某日、貪狼司令からそんな電話をもらったので、鳳総研のある地下の陰気な場所へと足を運んだ。お仕事だから、お芳ちゃんとマイさんを伴う。加えて今日の当番のリズと輝男くんが付いている。
なお鳳ビルと鳳の本邸は、お上に水面下でお許しをもらって、地下を通る有線の直通回線で結ばれている。だから盗聴される可能性は極めて低い。『二・二六事件』の時にも活躍していた回線だ。
私的には、内線電話の超大規模版くらいなイメージで、鳳の本邸がある六本木界隈と、首相官邸近くの鳳ビル、そしてそこから続く虎ノ門近くの鳳のビル街を結んでいる。
当然回線数は多く、鳳の回線だけで4桁の電話番号状態だ。
そうした連絡網で連絡してからやって来ると、先客あり。お父様な祖父。私が思っていた以上に、重要な話らしい。
けど案内されたのは、鳳総研の重要な客を応対する為の応接室。セキュリティ万全って部屋だ。よく内緒話をする部屋じゃない。誰かゲストが参加するという事になる。
ただ、部屋にはお父様な祖父がいて、悠然とコーヒーを飲んでいるだけ。
「誰か来るの?」
「まあな。そいつからの話だ」
「誰かは内緒?」
「お前には、その時まで内緒の方が面白い反応をするからな」
「人をオモチャにしないでよ」
ブーたれたけど、ニヤリと笑みを返すだけ。
けど、事前情報なしでも済む相手という事だから、私もコーヒーを入れてもらって客人を待つ事にする。
その間、貪狼司令と副官格の涼太さん、それに涼太さんのさらに下っ端が部屋の準備を整えていく。貪狼司令も何か説明してくれるらしく、何時もの移動型黒板も運ばれている。
「やあ、お待たせ鳳伯爵、伯爵令嬢」
「おお、吉田さん。お久しぶり。こんなところに来ていいのかい?」
「なに、すぐ近くだ。それに仕事の時間は、もう終わっとるからな。それに今は、小松製作所の人間としてこの場に居る事になっておるよ」
そう言って私の方をチラリと見て、ついでとばかりに皮肉げな笑みを浮かべる。今の日本の中枢には二人の吉田茂がいるけど、私がよく知るブルドック顔の方の吉田茂だ。
「ご無沙汰しております、吉田様」
「久しぶり。鳳が小松を大きくしてくれたお陰で、二度も外務大臣なんてものにもなれたよ」
「吉田様ご自身のお力です。それで、今日はどんな面白いお話をお聞かせ下さるのですか?」
少し構えてお嬢様言葉で応対したら、なんか変な目で見られた。この人とはこういう話し方しかしてないけど、私の化けの皮の下は知っているだろうから、何か言いたい事でもあるんだろう。
「もっと砕けてお話しした方がよろしいでしょうか?」
「まあ、どっちでもかまわんがね。なかなか面白い話を持って来たので、澄ましているとボロが出るかもしれんよ」
そう言って本当の笑みを返された。
外務大臣だから、一番に情報を入手できるんだろうけど、そんなネタを先に私達に話す事に何かの意味があるのかと、先にそちらを考えてしまう。
そんな表情が表に多少なりとも出てしまったんだろう。
吉田茂は、少し面白くなさげな表情になる。
「この話、嬢ちゃんの口から出た話だと聞いたが、違うのかね?」
「何の話かもお聞きしていないので、お答えする事が出来かねます」
「フンッ。まあいいか。単刀直入にお伝えしよう。アメリカ政府が、先の海軍軍縮会議の折に不可侵条約を結んだ国々との間に、防共協定を結ばないかと持ちかけて来た」
「「エッ?」」
絶句した。確かにボロが出てしまうほどの情報だ。吉田茂も、私の顔を見てまたニヤリと笑った。
だから私は両手を挙げた。
「降参。もう、取り繕いもしません。それで、詳しい話は聞かせてもらえるんですか?」
「勿論。『全世界規模での防共協定』。こんな大風呂敷を考えついたのは、嬢ちゃんだ。思いつきはしても、普通は口に出すヤツなんざいない代物だ」
「誇大妄想でゴメンなさいね。私も半ば冗談で言ったつもりだったのに、お父様が吉田様と宇垣様にお話ししたから、嘘が真に変わっただけです。それ以上になったみたいですけど」
「宇垣さんなんざ、文字どおり膝を打ちつつ大笑いしていたからな。龍也も座興として永田らに話したらしいが、まあ笑い話にしかならんかったそうだ。それで吉田さん、どういう経緯で?」
「今の外務省だけで足りんから、廣田さんや幣原さんにまで頼んで色々と手を回してもらったら、ぐるっと地球を一回りしてこの話が日本まで来たと分かった」
そう言って大振りに手をぐるりと回す。
「なんだ、反応が薄いな。実感がない、と言ったところか?」
「と言うより、話が見えてきません」
「嬢ちゃんでもか? まあ、そうかもしれん。要は簡単な話だ。宇垣首相の依頼で、わしが外務省からドイツ大使館へ、陸軍がドイツの大島浩に話を伝えた。勿論、『全世界規模での防共協定』に関してなら話に応じる、という条件でだ」
答えを言われて、ちょっとだけ時が止まった気がした。
勿論、気がするだけ。アホに向かってアホな事を言うものではないと、悟りが開けそうになった。
「……その件でしたか。私が口にしたのは、ドイツのリッベントロップに英米仏の3カ国、それにポーランドや東欧のトップクラスの代表を同じ交渉の席に座らせる事ですが、それを伝えたという事でよろしいですか?」
「よろしいぞ。ついでに、不可侵条約と抱き合わせという話を加えてな。そこまでしてくれるんなら、日本も話に乗り甲斐があるってもんだ」
そう言って笑みを浮かべる。この人、本当に人を喰ってかかる。
そんな私達の横で、お父様な祖父がようやく再起動した。私以上に衝撃を受けていたらしい。
「それでその立憲なにがしは、請け負ったのか? 馬鹿だろ? 底抜けの阿呆だろ? それとも頭のネジが2、3本抜けてるんじゃないか? 頭の病院に行かせたほうがいいぞ」
お父様な祖父のあんまりな物言いだけど、意外に真剣そうな表情で言っているのが、ちょっとシャレになってない。
衝撃が大きすぎたんだろう。私ですら、流石は歴史を引っ掻き回した道化だと感心を通り越えたくらいだから、私より中身は余程常識人なお父様な祖父には堪えたらしい。
「リッベントロップな。まあ、奴さんも最初は驚いたらしいが、陸軍の大島が説得してしまったらしい」
「大島浩という方も、相当ね」
「相当だな。まあ、総統閣下にご心酔なんだがな。だから相当熱心に、日本とドイツが関係を結ぶ事を説いたらしい。一方で、日本をダシにしてイギリスとの関係を深めるってのは、ドイツの思惑でもある。だから乗ったんだろう」
「それで、吉田様達は、ドイツがこんな話をしてくるだろうと、英米などに内密に伝えていたりしたのでしょうか?」
「いや、伝えてない。というよりだ、誰も真に受けんだろ。普通。こっちとしては、日本がドイツとの交渉をまともにする気がない事を伝え、日本国内のドイツを礼賛する連中を諦めさせるのが目的だ。
ドイツとソ連が今すぐ戦争でも始めてくれるなら多少の価値はあるが、ドイツと親密な関係を結ぶんなら、イギリスと日英同盟の再締結の話を進める方が余程建設的だ」
「おっしゃる通りです。それでリッベントロップは、その話を英米に?」
「ああ。なにせ奴さん、今はイギリス大使だからな。相当熱心に言って回ったらしい」
「イギリスからは何と?」
「あの外交官気取りに、バカな事を吹き込まないでくれと、英国流の言葉で嫌味を言われたよ」
「けど、日本に怒ったイギリスは、アメリカに伝えたんですか?」
「いや、リッベントロップが、直にドイツやイギリスにいるアメリカ大使に伝えたらしい。ドイツ、イギリス、日本との間で話が進んでいると」
「いや、進んでないでしょ」
もう、即ツッコミするしかない大ボラ吹きだ。
流石はリッべントロップだ。
防共協定:
本当にクソの役にも立たない紳士協定。日本にとって、結ぶ価値ゼロすぎて泣けてくる。ボッチは辛いという典型例。
史実のものは、適当にネットの海で探してください。教科書とか資料集でもオーケー。




