490 「第1回全国自動車競走大会(1)」
6月7日、オートレースを見る為、多摩川河川敷の一角に来ていた。
どの辺りにレース場があるのかと思ったら、田園調布の対岸の辺りだった。けどこの時代はまだまだ緑、と言うか田畑が周りに多いから、前世の記憶とは川と鉄道路線以外は記憶はダブらなかった。
「うっわ! トラ大人気なさ過ぎ!」
「本当ね」
「そう言えば、家の車庫で1台見かけないと思ったよ」
「何がですか、ハルトさん?」
虎三郎兄妹ズの言葉に質問したけど、3人が私を見る。
そしてサラさんが指差す先に1台の車があった。と言うか、似たような感じのこの時代のスポーツカー、と言うよりレーシングカーがズラリと並んでいる。
私達は、関係者という事で走る前の車を見に来たわけだけど、鳳自動車のワークスのエリアに来る少し前に、虎三郎兄妹ズは3人とも何かに気づいた。
流石は虎三郎の子供達なんだろうけど、私にはさっぱりだ。一緒にいるエドワードと涼太さんの反応も似た感じ。
「あの車、見覚えないかな?」
「んー? 私にはどの車も似た感じに見えます。けど、強いて言えば大きいのかな?」
「まあ、大きいと言えばそうよね。なにせ6900ccのモンスターだし」
「しかもあの排気管。SJよね」
「SJってことはデューセンバーグですよね。けど、随分とシンプルになっていますけど?」
「そりゃあ、レーシングマシンに改造したのよ。トラ達が」
「えーっと、輸入した5台のうちの1台を?」
「うん。家の車庫に1台見かけないと思ってたんだ。少し前に確か、何かの試験をするとか言ってたけど、こういう事だったのか」
「あの、舞さんが運転するんですか?」
たまらず涼太さんが確認する。結婚したのに、相変わらず丁寧語だ。仲はいいのに、ちょっと面白い。
そんな涼太さんに、マイさんはゆっくりと頭を横に振る。相変わらず綺麗な髪が、緩やかに揺れる。人妻になって1年経つのに、まだ美少女オーラが出ているのが凄い。
ただちょっとうんざりげな表情だ。
「これ以上見世物はゴメンよ。それにトラからは何も聞いてないし」
「そうですか。良かった」
涼太さんは一安心しているけど、マイさんの言う通りここに到着した時、私達は人だかりに囲まれてしまった。
デューセンバーグは、普段は車道を走っていてもたまに振り向く人がいる程度だけど、流石はオートレース会場。知っている人が沢山いた。そして、この時代は相当高価なカメラを持っている人も沢山いた。
お陰で護衛の車で同行して来た人達が人を散らすまでの間、車外に出られずにいた。
特に私は一番気をつけないといけないので、マイさん、サラさんを囮にして群衆を引きつけている間に、私は車から降りて急いでその場を後にした。
けど、しんがりを果たした二人は、旦那と彼氏、それに数名の使用人に守られつつも、車共々被写体としての任を全うして、ようやく抜け出して来たところだったのだ。
それなりに顔の売れている二人だし、美人のハーフ姉妹だから車より写真撮られたんじゃないだろうか。
女子がいたら、エドワードにも群がっただろうけど。
一方で車の方は、予定を変えて使用人数名を残し、さらに増員まで呼んで、簡易柵で人を近づけないようにして鳳自動車の臨時コーナーにして、観客の被写体になり続けている。
そしてこちらでも、レーシングカー仕様のデュースは人気だ。
近づくと、熱い会話が聞こえて来る。
「おい、見ろ。デュースだ。間違いない。しかもこいつSJだぞ。日本にあったんだな」
「デュースって、あのデューセンバーグ? これがか!」
「ああ、間違いない。セダン型が市内を走ってるって噂を聞いた事もある」
「それは知ってる。鳳のサムライ・カスタムだろ。そうか、こいつは鳳のワークスが持ち込んだんだな」
「直列8気筒で320馬力。最高速度はトップ・ギアで208キロ時、セカンドでも167キロ時が可能。3トン近い車を17秒で時速160キロまで加速可能の化け物だぜ!」
(う、うん、解説ありがとう。乗り慣れた身としては、そんなに凄いのかって今更なんだけどねー)
「あのサラさん、どうして虎三郎が大人気ないんですか?」
「この車、公道を走れる車で世界最強よ」
「レーシングカーじゃないですよね」
「でも、レーシングカーのメーカーが作った最高の車よ」
なんだかサラさん、妙に詳しい。車に乗るようになって、何かに目覚めたんだろうかと思えるけど、そこは聞かない事にした。
「つまり、この車が優勝しちゃうとか?」
「まあドライバー次第だけど、車の性能だけなら日本で勝てる車なんて無いんじゃない? 例えばあっち、イギリスのインヴィクタ。スポーツカーのロールスロイスって言われるやつだけど、あれでもエンジンは直列6気筒4500ccくらいよ。て言うか、あっちはベントレー。他にも色々いるわね。流石」
「沙羅が詳しいのは、予習をしっかりして来たからだよ」
私が半目になっていたんだろう。ハルトさんがすかさずフォロー。
「だ、だって、トラが最近ずっと毎晩のように夕食で説明するから、嫌でも覚えるわよ」
「トラらしいわね。晴虎兄さんも聞いてたの?」
「僕は仕事が遅い事が多くて、晩酌を付き合う時に少し聞いたくらいだな。お互い酒が入って、細かい話とか出来ないし」
「エドワードにも話して聞かせたんですか?」
「ううん。こういう場でないと、話しても意味ないでしょ。今日で忘れてしまう為に、みんなに話すのよ」
「あー、なんか分かります。誰かに話すと、意外に簡単に頭から抜けてくれる時ってありますよね」
「でしょ。だから今日は、何でも聞いてね!」
「それでは、大人気ない虎三郎様が全部勝ってしまうんでしょうか?」
と聞くのは、私ではなくエドワード。エドワードもサラさんには丁寧語対応だ。この姉妹には、ラブラブでも丁寧語で話したくなる何かがあるんだろうか。
そんな車にあまり興味はない私をよそに、サラさんの解説が続く。
「クラス別、排気量とか大きさとか色々ね。それに応じてレースするのよ。パンフレットにも書いてあるでしょ」
そう言えばパンフをもらっていた。
そして探してみると、確かにある。
優勝杯、商工大臣杯、ボッシュ杯、国産小型レース杯、フォード杯、ジェネラルモーターズ杯。鳳杯なんてものまである。
「なるほど、この大人気ない車は一番権威のある杯を狙うんですね」
「あと、部下が一から作った車が、国産小型レース杯にエントリーしているわよ。優勝杯を狙ってたとは予想外だったけどね」
「国産小型レースは部下に任せて、自分は優勝狙いって確かに大人気ないなあ」
「いや、トラの場合は、単にレースでデュースを走らせたいだけだよ。多分間違いない。でもなあ、あんなモンスターで勝負に挑むのは、確かに大人気ないなあ」
「そうよね。後でトラに言いに行きましょう」
「おー、みんな来てたか。駐車場のデュースに黒山の人だかりだから、まだあっちかと思ってたぞ」
虎三郎兄妹ズが頷きあったところで、まるで糾弾される為に虎三郎自身が登場した。
お供は連れているけど、ツナギ姿で油まみれだから、どう見てもそこらへんの町工場のおっちゃんって感じだ。
多摩川スピードウェイ:
1936年5月9日開業。
場所は多摩川の河川敷川崎市側で中原区上丸子あたり。
1950年頃廃止。現在はメインスタンドの一部が残されている。
デューセンバーグ:
排気管:
タイプSJは、機械式の「スーパーチャージャー」の排気管が外に剥き出しなのが特徴の一つ。
日本では誰も所持しなかったと思ったが、福沢諭吉の孫の福澤駒吉がタイプJを保有していた。
この時代は相当高価なカメラ:
昭和8年、銀行員の大卒初任給が70円の時代に、高級カメラのライカ(本物)が420円、日本製カメラ最高級品(小西六、後のコニカ、製品名パール?)が70円。
(今との物価差だと3000倍くらいが目安か?)
鳳杯:
当然だが、史実では当然存在しない。逆に、他は全部あった。




