489 「テレビ実験」
5月24日、屋敷内にいる多くの人で、鳳の本邸内に運び込まれた箱を囲んでいた。
「こいつが、玲子が電気関係で散財した成果の一つというわけか」
「せめて先行投資って言ってよ。それに、それなりに利益も出ているでしょう」
お父様な祖父の言葉に返すと、虎三郎がニヤリと笑う。
「トラック、重機を始め、電気を使う機械も増えたからな。それに建物を作れば、電気周りも必要だ。おかげで鳳グループで、電気関連の会社を幾つか作るハメになった」
「そう言っている割に楽しそうじゃない」
「俺は機械なら大抵は好きだからな。ただ研究所の方は、最近軍人が多くなって近づいてないんだがな」
「申し訳ありません、虎三郎叔父さん」
「龍也は仕事だろ、気にすんな。まあなんだ、お国の為ってやつでもあるし、鳳の為になるんだろ」
「私としてはテレビの方を断然推したいけど、レーダーは将来絶対に必要になるからね」
「陸軍で実験しているやつか」
「うちでも、羽田空港と海上用を開発しているわよ」
「それは海軍が開発を断ったからだろ。だが、お陰で民間が開発できるわけだ。ところで、レーダーってのは実際のところ何なんだ?」
「お父様、耄碌するにはまだ早いわよ。電波を浴びせて、その反射波で状況を探る装置よ」
「年寄りで頭の固くなっている俺には、いまひとつ分からんから聞いているんだろ」
「軍用としては、対象物までの距離や方向、可能なら高度を測る装置ですね。玲子からレーダーという名を聞いて、最初は何を意味するのかと思ったけど、英語でそれらしい言葉を探してみると結構強引な頭文字なんだって、笑ったけどね」
「どういう意味なんだ?」
「日本語で言えば、電波、探知、測距の3つの単語なんですけど、アルファベットの「a」もしくは「e」が何を意味するのかと言うのが、開発関係者の長年の謎だったんですよ。なんだと思います」
「分からんから聞いているんだろ。それに俺は役に立つなら何でも良い。それで玲子、種明かしはなんだったんだ?」
「私も詳しくは知らなかったけど、多分アンドだろうって。どう探しても、それらしい単語が見つからなかったから」
「なんとも下らんオチだな。まあ良い、それで出来たのか?」
「陸軍はまだ開発中です。開発は鳳の電気研究所の方が、圧倒的な速さですね」
「どうやった? 玲子の夢を参考にしたのか?」
「ある意味ではな。俺は他でも採用しているが、『失敗は成功の母』を金と人を突っ込んで徹底的に実践するんだよ。やってみないと、問題があるかすら分からんだろ」
「そう言うのは、発明家の言葉だな。宮仕えはそうはいかんだろ」
「まあな。だから責任は俺が取る。下には、謝ったり始末書書く暇あるなら、失敗原因だけ調べてとっとと次をしろ。本気の失敗、意味のある失敗は成功だと、ハッパをかける。当然だが、金と人も湯水のように突っ込む。必要なら、技術持ってる軍人、他社にも頭を下げる」
「そこまでしないといかんのか」
お父様な祖父は軍人していたから、こう言うところは保守的な部分がある。それに比べると虎三郎は、自動車黎明期のデトロイトで過ごしたから、日本人だけどアメリカンなところがある。気質も金を持った発明家だから、責任取るより次の実験という考え方だ。
だからこの手の事は、お父様な祖父にはさせていない。
「私の夢の中の日本軍は、レーダーが無くて苦労するのよ。ううん、ボロ負けの原因の一つになるの。説明した事あるわよね?」
「随分前に聞いたな。それで龍也に陸軍でさせて、うちでは虎三郎にさせて、あと東北大とかに金を積み上げたんだったな。だが10年近く前の話だろ。半ば忘れてたよ。それで他を追い抜けたのか?」
そう、お父様な祖父は、結果オーライなら大抵は許容する。これは美徳だろう。
「今のところは、半ば推定だけど世界一よ。イギリスとドイツでは開発が進んでいるけど、取り掛かったのも日本の方が早いからね」
「玲子が、だろ。東北大と鳳大学には、うちが出す湯水のような研究費につられて人が集まったって話なら聞いている。この箱もその成果なんだろ」
「テレビは、まあ半分趣味だけどね。けど、受信に使う技術と、レーダーの技術が一部一緒なのよ」
「あの、魚の骨みたいなアンテナだな。最近は無線にも使っていたよな」
「『八木・宇田アンテナ』ね。レーダーの実験の方は、別にマグネトロンとか言うやつを使っているわね。詳しい事は専門家に聞いて。虎三郎、分かる?」
「この石頭に分かるように、説明出来るほどには知らんな。それより今日は、レーダーの話より目の前の箱の話じゃないのか? 他の連中、口をポカンと開けとるぞ」
虎三郎に言われて部屋を見渡すと、確かに一部の人間だけがレーダーの話題に夢中になっていたのが分かった。
「電波の話だから、的外れじゃないでしょ。それにマグネトロンも、家電製品開発してもらっているし」
「家電製品? アマチュア無線じゃないよな?」
「電子で食べ物を温める道具よ。まだまだ全然らしいけどね」
「電熱器みたいなもんか?」
「全然違う。熱じゃなくて電子で、その物を温めるのよ。物凄い出力にしたら、理論上は殺人光線になるらしいけどね」
「……話がまた逸れているが、危険はないのか?」
声がちょっと真面目だけど、私は手をひらひらとさせる。
「今の技術力じゃあ、逆立ちしても兵器にはならないから安心して。多分だけど、100年先でも兵器にはなってないわよ」
「100年ね。それじゃあ、お前の夢より実現性がないじゃないか。それで、目の前の箱は?」
「これの100年後? 確か7、80年先には違う技術に置き変わって、もう廃れているわね」
「7、80年前の日本は黒船だ、幕末だと騒いでいたんだから、それくらいの変化はあるだろうな。それより今だよ。この箱は、他国に先んじているのか?」
「麒一郎、テレビってのは二つの形式があってだな、一つが機械式。こいつは構造が比較的単純だ。それを使って、欧米では何年も前から実験放送はしている。イギリスのBBCなんざ、試験放送も定期的で今年からは正式開局する予定だし、ドイツは夏のオリンピックをテレビ放映する」
「日本は遅れているのか」
「まあ聞け。もう一つが電子式。こいつが目の前にある機械だ。機械式よりも複雑だが、より鮮明な映像を映せる。こいつはまだ普及してないし、数年以内にこっちが主流になる」
「日本は周回遅れだが、追い越せるわけだな」
「流石に英米を追い越すのは難しいだろうが、並ぶ事は出来るだろう。もう、最初の実験放送は行っていて、今回は試験放送だ。実験は実験局から放送会館への1つだけだったが、今回は色んな場所で見る事が出来る」
「しかも実験局からだけじゃなくて、相撲の千秋楽を放映予定なのよ」
「こいつで両国の相撲が見られるのか。たまげた時代になったもんだな」
「本当は実験局からだけの予定だったけど、紅龍先生から陛下が度々相撲を見たいとおっしゃられていたって話を聞いたから、ちょっとお金を積んだの」
「陛下が相撲をお好きなのは、有名な話だな。金さえあれば、関係者も総力を挙げるか」
「ええ。だから、東京各所の公共受像所や私達みたいな飛び抜けた金持ちだけじゃなくて、」
「宮城にも放送されるわけか。天覧放送だな」
「テレビ開発が促進されたのも、昭和5年に陛下が高柳博士の研究所を視察されたお陰だし、当然の恩返しでしょう。まあ、その影響で、研究の主力は鳳の手を離れたんだけどね」
その言葉に誰かが言葉を返そうとしたところで、控えていた時田が半歩前に出る。
「皆様、そろそろ最初の試験放送開始の時間です」
「音も出るんだよな。じゃあ、じっくり見るとするか。だがあれだな、2台だけだと全員見るのが大変だな。次の試験までにもう何台か買っておけ。商品を買い支えるのも、金持ちの務めだ」
「畏まりました。それでは始まります」
1936年5月24日。この日が、この世界での日本のテレビの試験放送の日となった。
後日聞いた紅龍先生の話では、陛下が随分と喜ばれて早く本放送をするようにとのお言葉を発されたそうだ。
『八木・宇田アンテナ』:
アンテナの一種。指向性が強い。
宇田新太郎、八木秀次の共同で発明された。
テレビ放送の受信、アマチュア無線、業務用無線の基地局用などに使われる。
第二次世界大戦頃は、レーダーにも使われた。
マグネトロン:
マイクロ波を発生させる。岡部金治郎が発明。
分子を振動させる性質を持ち、電子レンジの技術にも使われている。
レーダーとしては波長が短いので、小さな目標を捉える事が出来る。
最初の実験放送:
史実では1939年5月13日。試験放送は、1940年4月に始まった。しかし戦争で全て中断。
1940年の幻の東京オリンピックでは、かなり大規模にテレビ放送する予定だった。
イギリスは、BBC放送が1936年本放送を開始するが、大戦で中断。
アメリカは1939年に試験放送、41年から本放送に移行。
相撲の千秋楽:
1936年の5月場所(14日から24日)。
この1つ前の1月場所の後半から、双葉山の連勝記録がスタートする(1939年1月場所まで)。
高柳博士:
高柳健次郎 (たかやなぎ けんじろう)。
日本テレビの父。ブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功した。




